室内楽のCD、4点。

 CD漁りはもうぼつぼつ一段落しないと、と思いつつ、室内楽を4点とオペラを2点、買った。

室内楽、CD 4点。

 モーツァルトのピアノ四重奏曲は、前に、プレヴィンとウィーン・ムジークフェライン四重奏団の LONDON国内盤と、さらにワルター・クリーンとアマデウス四重奏団の DG盤の、タワーレコードの復刻盤を持っていて、いずれも手放している。

 昔からの評価では、ホルショフスキー/ブダペスト四重奏団(CBS)や、ヘブラー/ベルリン・フィル団員(PHILIPS)、デムス/ウィーン室内合奏団(Eurodisc → DENON)などが名盤とされ、私の買った2点も評価は高い。

 どういうわけか、弦だけ、あるいはクラリネットの入った楽曲に比して、フルート四重奏曲とピアノ四重奏曲には、さしたる魅力を感じかねて、「手許になくてもいいや」となる。

 オクで、デムス盤(DENONの CRESTシリーズの千円盤になっている)が極く安く出ていたので見ていたら、入札が入ったので(ええこっちゃ!)、横取りはやめて、Amazonマケプレ中古から、最近売り出し中(← って日本独自の、ちょっと品のない言い方ですねえ…)のドイツの常設ピアノ四重奏団・フォーレ四重奏団 Fauré Quartett(検索では、「Quartett」とドイツふう綴りでググると出やすい)のディスク(DG。2005年録音)を、海外盤中古で入手した。


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 YouTubeにある第1番ト短調第1楽章の動画を。
 紅一点のヴァイオリン、エリカ・ゲルトゼッツァー Erika Geldsetzerおねえさまが、外見的に目だち、また彼女の睨みつけるような目線にはなかなか迫力がある‥‥とゆーようなアウトルックに惑わされずに聴くと、ピアノ(ディルク・モンメルツ Dirk Mommertz)にかなり主張があり、モーツァルトの場合も、「ウィーン風」というのとはかなり違うような、緊張感の高い演奏をする。

 なお、「フォーレ四重奏団」という名称のピアノ四重奏団は、すでに「Quartetto Fauré di Roma」という、イタリアのアンサンブルがある(瑞ClavesからCDが出ている)。

 このディスクと演奏団体が気になるにつれ、ググるとよく出てくる、ブラームスのピアノ四重奏曲第1番と第3番のディスクにも食指が動く。これもDGで、2007年録音。両方ともベルリンの Teldexスタジオでの収録、そこそこお洒落なブックレット、レーベルのデザインには共通性が持たされているが、プロデューサー、トーンマイスターは異なる。

 で‥‥ブラームスのほう、新品ショップでは新しいせいかモーツァルトよりお高い。国内盤も同じくらいで手に入るようだが、こっちは SHM-CDで、経験的に SHM-CDは高域エッジが強めで好きではなく、オク出品の外盤中古を、送料込み1,100円ほどで入手。
 そうしたら、書いたように、ディスク周囲部を緑のマーカーで塗ったお品が送られてきた。

 いちおう無水アルコールを浸したティッシュでゴシゴシ、エッジ部をこすって落としたが、若干染み付いていそうな? ;;;
 その旨は伝え、が、除去はできたので「今回はOKだが説明は欲しい」というメッセージを送っておいた。諒解したのでいいと思ったのだろう、返事は、無い。

 ― そのブラームスなのだが、これもなかなかいい演奏で、名盤といっていいだろう。
 1枚ものなので、当然ながら第2番が欠けているが、これは、ピアノ三重奏曲の、ピリス、デュメー、ジャン・ワンの DG盤と同じ。

 米Amazonの商品ページには、第1番と第3番だけのレギュラー盤である当盤より、2枚組で全曲が安く揃う、ドーマス Domusの Virgin(現 Warner/Erato)盤のほうを勧めるレビューが上がっており、それを意識してか、別のレビュアーは「In any case, I recommend that you look past the omission of the second quartet and just get this disc - it's worth it(いずれにせよ、第2番がないことは忘れて、このディスクを入手することをお勧めする。その価値がある」と書いているのは、頷ける。

 ドーマス盤も持っており ― なのでフォーレ盤はちょっと躊躇していた ― ドーマスのもたいへん熟した、室内楽としてのよさを十全に表現したものだと感じるが、フォーレ四重奏団盤は、月並みな言い方になるけれど、「ドイツ的」な緊張感が高いものだ。
 ちょうど、ピアノ三重奏におけるトリオ・フォントネと通じるところがあるが、表現の幅はさらに広く、音楽に沿って激しくもなる。

 ダイナミック・レンジも大きな演奏なので、弱奏部分をちゃんと聴こうと音量をセットすると、強奏部分で音量を下げたくなる、ということはある。

 ドーマス盤は、ピアノのスーザン・トムズ女史の懐の深いピアノが全体を柔らかく支えるが、フォーレ・クヴァルテットのほうは、舞曲楽章のリズムが切迫感を帯び、“青春の、暗い情熱”みたいな雰囲気を醸し出している。

 あと、左上のは、評論家の推薦盤には上がってこないが、ネット上に評価のある、プレヴィンとウィーン・ムジークフェライン(と向こうの人は発音するのかな? 「ムジークフェアアイン」のような気がして…)四重奏団による PHILIPS盤。
 オクや Amazonには海外盤がそう安くもなく出ているが、1,450円の「フィリップス・スーパー・セレクション」で出ていて、これがオクで送料込みの激安、加えて、Yahoo!上でよくあるのだが、期限付きTポイントが300点付いていたこともあって、即落。

 ブラームスのピアノ五重奏は、冒頭がユニゾンで始まるという、ナンとも芸のない(と聞こえる)始まり方に、あまりいい印象を持っておらず、ポリーニとイタリア四重奏団の有名な盤も手放して、1枚もなかった。

 今回のプレヴィン盤の顔ぶれでは、モーツァルトの四重奏曲を聴いていて、これは「国内盤新品を定価で買う」という行為が、あまりありがたみをもたらさないことも相俟って、印象が薄かったのだが、ブラームスのほうは、全体の、こちらはまさに「ウィーン風」の「歌い上げる」演奏で、モーツァルトよりこちらのほうがこの顔ぶれには合っているように感じた。

 音は、上の DGの2枚などに比べると、高域エッジがちょっと強調されたように聞こえる。
 これはドイツ盤のほうが柔らかいかもしれない。ポリグラム(ポリドール、現ユニバーサル)系は、同じマスターでも内外で若干違いを感じる。

 下段左は、モーツァルトの弦楽三重奏のためのディヴェルティメント K.563。
 他の「ディヴェルティメント(喜遊曲)」とは同カテゴリーとは言えない、単独の「弦楽三重奏曲」という存在で、ベートーヴェンの後期の四重奏曲みたいな立ち位置にある楽曲かも?
 アマデウス四重奏団員の DG盤だけ持っていたのだが、もう1枚欲しくなり、クレーメル、カシュカシアン、ヨーヨー・マの CBS盤(Sony)。

 「High Clear Digital」のロゴのある、1996年発売の、国内ソニーの「ベスト・クラシック100」の1枚。Amazon中古ショップで、未開封品でした。
 ソニーの「ベスト・クラシック100」は、この次くらいのラインナップから DSDリマスターを施してきたと思うが、私は、バーンスタインの東京公演のショスタコーヴィチなど、DSD盤は好きでなく、この96年のシリーズに買いなおしている。

 以下、余談。
 この「ベスト・クラシック100」、最新のは1枚本体1,600円でブルースペックCD2、何より RCAを飲み込んだため、それぞれの名盤が大幅にカットされるに至っている。室内楽は、ついに1枚もなくなった。 訂正:室内楽は、モノラル期の、ハイフェッツ・トリオの『大公』のみになった。ステレオ録音の室内楽はなくなったわけだ。

 生田絵梨花チャン♪ をイメージ・キャラクターに起用して意匠を凝らしているが、CBSと RCAという、アメリカ二大レーベルを統合して、なおかつ「ベスト・クラシック100」というのは、どう考えてもムチャである。
 日本のレコード会社に対して、まったく余計なおせっかいだが、この辺で「ベスト・クラシック200」とでもするか、「ベスト・クラシック100プラス」とでもして名録音を常備するのがいいと思うのですが‥‥もうディスクの時代じゃないのかなあ。

 クレーメル、他の K.563(「ごくろうさん」と覚えてしまう。あ、このナンバーの真空管、あったな^^‥‥いや、まさに文字通り「ご・く・ろう・さん」=5963でしタ^^;;)は、意外に‘室内楽’した、緊密な演奏。マ氏が、自分を全くといっていいほど主張していないのがまた、すごい。

C-7030のサービスマニュアル入手!

 ちょっと‘春休み’^^。
 もうちょっと休みがある、つまり‘干されて’いそうな感じだったのだが、別の仕事が入ったり、4月真ん中からの新学期は、夜だけは入ったが午後はないだろうと踏んでいたら、週3日入ったので、そこそこ仕事があることに。

 休み、といって、結局 昼夜逆転して‘ネットお買い物’にばかり耽るだけで、ハンダごてを持つ気分にはなかなか。
 オンキヨー C-7030+Marantz PM6005+Mercury F1 Customの組み合わせで、依然として「キレ〜な音」が聴けておりまス。

 PM6005のサービスマニュアルは、本体購入後まもなく見つけて12ドルほどだったかで買ったのだが、C-7030のサービスマニュアルは、VLSCのヒミツ? を知られたくないのか、管理が厳密と思しく、有料でも出回っていなかった。
 それが、先日ググると、19.9ドルのと9.99ドルの出ものが見つかり、後者なら1,100円ほどなので、PayPal経由で買った。
 Service-Manual.netというところだった。以前にも買ったことがあるかも。

C-7030、サービスマニュアル

 VLSCを含むアナログ・アンプ部は、見てもわからないだろうと、そんなに関心はなかったけれど、どうも下図のようなダイアグラムになっているようである。

C-7030、アナログ・アンプ

 NJM4580を、4段も重ねて出力していて、最初がLPF、次の2段(反転アンプ)でVLSCを構成し、最後に送り出しバッファーを設けて、ラインアウト、およびヘッドフォンにつなげている。
 VLSCは、私にはわかりません。が、どうも、2段めの出力を、1段めの非反転入力に正帰還させているような感じだ。この正帰還の中にLPFを加え、低周波領域のみ正帰還させている、ような…。

 VLSCの理屈はわからないけれど、結果オペアンプ4回路を経由することで、若干音に色が着くということになり、それが適度な「コク」につながっているようにも感じる。
 左右合計で、NJM4580MDを4基も使っていて ― ただし1基も左右共用にはしていない ― 電源パスコンは左右いっしょに面倒を見て、±とも16V470μFの東信 UTSPが1つずつ。

 基板上を見たときに確認したが、ほとんど全ての電解コンデンサーが東信のオーディオ用標準の UTSPと UTSKなのだが、パーツ表を見てもそうなっていて、ただしマイコン関係回路は UTSPなどの指定はない‥‥が、実装は UTSPだったかも。

 それと、DAC=Wolfson WM8718の電源は、オペアンプ電源(±12V)の+側を流用しているが、DAC直近にレギュレーターを設け、電源パスコンはアナログ電源もデジタル電源も、470μFの UTSPである。たぶん47μFくらいでも問題なく動作すると思われるが、贅沢である。

 この辺、電解コンデンサーの投入は、か〜なりぜいたくで、メカ・ドライブ用IC(LA6565。サンヨー製CDドライバ)の電源パスコンは、1,000μFを置いている。

 DSPは東芝 TC94A92FGというもので、東芝のサイトには紹介ページはあるが、ネット上にドンピシャの型番でのデータシートはない。
 これの電源バイパスがまたぜいたくで、3.3V電源と1.5V電源のそれぞれに、レギュレーターからの経路に適宜ノイズフィルター用インダクターを噛ませ、そのあと220μFの UTSPをふんだんに奢っている。

 このCDPは、クロックの誤差が10ppm以内というのを売りにしているが、クロックは、16.9344MHzの X-talの発振をロジックIC TC74VHCU04で受けて生成している、ようである。ロジックICを使うクロックは、ICのノイズなどが入ってよくない、という見解も見るが、どうなんだろう。
 発振子は、パーツ表には「FCX-04C」とある。ググると、こ こが出た。
 汎用型番ではなく、リバーエレテックというメーカーの製品である。

 LPFなどオーディオ回路に使われているフィルムコンデンサーは、赤いのが4つ見えたが、これは見ただけで東信のお安いポリプロピレン UPZだとわかった。
 あと6ヶほど使われている青いボックス型のはなんなんだろうと気になっていたけれど、これはエプコス(TDK-EPCOS)の B32529だった。

 ‥‥というようなことでした。
 全体に、東信の音響用電解を、それも大容量のものを惜しみなくテンコ盛りにしているのが特徴で、オデオ用など探しても見つからない、たいていのメーカーの最ローコスト機種とは、やはり一線を画している。

 で、なるほど音がいいのもわかるなー、と、私には珍しく納得し、ますます末永く愛用しよう、と思った次第でありまス^^。

 アンプの PM6005も、電解コンデンサーの多くがエルナー製音響用で、数十本投じているようだ。
 エントリー・クラスのCDPとプリメイン・アンプだけれども、この組み合わせで聴いている時、東信の UTSKと UTSP、ELNAの RA2、RA3、Silmicなど、オーディオ用電解コン数十本が稼動しているわけで、これはなかなかゴージャスでありま〜す。

剥がれてきましたぁ〜;;。

 ‥‥何の苦労もない身でありながら、なんだか体調は日光の手前‥‥。
 このところ雑穀ご飯にしていて、お腹の具合は外食をした時に壊す以外、調子がいいのだが、ここ1週間はちょっと低調。
 食欲、ないし必要分に対して、食べ過ぎている気はするな〜。

 ストレスといえば、22平米未満の部屋はやはり狭っ苦しいのと、転室後の大きな変化として、電子工作をしなくなったことがある。
 メーカー製品に全く手を加えないで、オンキヨー C-7030、マランツ PM6005、タンノイ Mercury F1 Customのシステムで、今までに経験しなかった満足 ― 不満はあるが ― を感じている中、自作・改造の必要性がほぼ霧消している。

 加えて、狭い部屋でのハンダごて作業の、安全性への懸念。自分の高齢化も含めてである。

剥がれてきた〜。

 というわけなのだが、CDプレーヤーは14ヶ月め、アンプはちょうど1年、スピーカー= Mercury F1については、大震災の4ヶ月ほど前、2010年12月に新品購入しているので、満6年、足かけ7年の使用となり、このところのコンポーネントとしては長い。

 震災後は、音楽を聴き終わったらスタンドから下ろす、つまり“万年床にしない”ことにしており、転室後は、位置などが微妙に変わったこともあろうか、移動時にスタンドにガツンと当てることが増え、角がわずかに欠けたりしてきている。

 そして最近気が付いたのだが、左に使っているシステム(箱)のバッフル面の、向かって右端のラウンド部分の化粧シールが、ちょいと浮いてきている。
 このまま剥がれてくると、ペロンとめくれてきそうだ。

 さてさて‥‥ズボンやカバンの修復に使っている河口の手芸・ビーズ用ボンドを、小さくナイフ先のように切ったケント紙などに薄く取り、剥がれてきた化粧シールとバッフルのMDFの間に薄くボンドを塗って‥‥とでもしてみましょうか。
 紙・布・金属・樹脂などいろいろなものをうまくくっ付けてくれるボンドで、〈お気楽DAC〉のアルミケースの、使わないビス穴にラインストーンを貼ったのもこのボンド。

 化粧シールが剥がれてくると、「やっぱチューゴク製やなあ」という思いもトーゼンすぐ浮かんだが、日本製やヨーロッパ製でも、トゥイーターの素材があまりに新開発過ぎて中古品はほぼ全て変色しているとか、ウーファーのエッジなどがぼろぼろになってくるとか、いろいろあるらしいので、まあアリか、と思う。

 が‥‥6年経過すると、ちょっとは‘浮気心’も出てきはする。
 拝見しているヴェテランのブログで、DALIの Ikon 2 mk2などが、「ほかにもうコンパクトスピーカなど要らないと思われるほどの音質」などと紹介されると、“財布の身のほど”も弁えず、同製品のオク出品を検索したり、という次第。アブナイアブナイ(笑)。

 それというのも、如上、22平米未満の部屋に甘んじているお蔭で、かつ昨春のようなアンプ導入の嵐もなく、賃貸の契約更新料+家財保険(自賠責)料を支払ったあとの残高が、意外に「買えるかも」状態なのである。

 もちろんオデオ機器へ手を出すのは、厳禁
 6月以降、院時代の奨学金返還、市都民税、国保保険料…等々の請求がど〜んどん来るので、おカネは置いておく。

 それだけではなく、スピーカーが変わると‥‥スピーカーに限らずコンポが変わると、他のコンポのクオリティが気になりだす、もうひとつ、新調した機器がウマくないと、さらに2〜3機種試さないとどうにもならなくなる危険性も高く、今の状態からわずかでも変えることには不安がある。

 というわけで、オクと Amazonでの「CD渉猟依存症」に落ち着いてしまう。
 その話はまた、ということになるが、こちらも「ぼつぼつやめとけよ」の警告的な現象に遭遇した。

拭き取ったティッシュ

 ある室内楽の中古輸入盤CDをオクで落札、入手したのだけれど、最初何も気づかなかったのだが、CDプレーヤーのトレイから取り出した時、ディスクのエッジ(外周部)に‘例の’緑色マジックが塗布されているのに気がついた。

 無水アルコールを浸したティッシュペーパーでコスると、濃厚なミドリがベッタリ付く。

商品画像

 上が出品ページの商品画像であるが、ディスク外周に赤や緑の乱反射が見えていることから気づくべきだったか?
 が、撮影した環境によって、いろいろな光や映像が反射して写り込むことがあるので、気づかなかった。

 無水アルコールをヒタヒタに浸したティッシュで、ゴシゴシ エッジをこすると、やっとティッシュに付かない状態になったが、それでも光の当たり方によってはエッジ付近にまだ緑色が見えることがある。色素がディスク素材に若干沁み込んでいるのかもしれない。

 CDの外周に緑色を塗布すると、乱反射が減って音がよくなる、というのは、必ずしも疑似科学でないことなのだが、私は次の売却・譲渡などを考えて採用しない。
 音の上でも変化を感じたことはない。今回も、ぬぐい落としてかえってよくなったようにさえ聞こえる。

 1,600円くらい払って2週間待つ(海外ショップ)か、タワーあたりで2,000円ちょっと出して買えばこういうことはないのだが、「安くてすぐ聴ける」のが、オクと Amazon国内ショップのメリット。

 出品者さんに悪意や瑕疵を認められるケースとは言い難く、ではあるがそこそこい〜かげんなヒトのようで、宛書に部屋番号が落ちていた。

 ま、ぼちぼち「CD漁り/購入依存症」とはおさらばせえよ、という警告なのかも。
 ですが、このCD、名盤です! 同時期に買った、室内楽4点(今回の緑落とし盤^^ も含めて)、またレビューしましょう。

森友学園、教育勅語の話から…。

森友ニュース 1


森友ニュース 2


 教育勅語礼賛幼稚園の経営者の件が、世を賑わしている、らしい。
 賑わしているだけなら、芸能ニュースみたいなものだからどうでもいいが、ひとつは行政の公正さ、もうひとつは政治家の基本理念の問題の、それぞれ根幹に関わるファクターが大きいので、これは厄介だ。

 安倍首相は、この学校法人が格安で国有地の払い下げを受けたことに対して、「私も妻も認可、国有地払い下げに関係ない。関わっていたら総理大臣を辞める!」と突っぱね続け‥‥るしかあるまい。

 この大先輩の伝に習ってか、例の学校法人理事長・籠池氏と同じく教育勅語礼賛派と思しい稲田防衛相も、籠池氏に「「法律相談を受けたこともなければ、実際に裁判を行ったことはない」と、国会答弁で断言していたが、森友学園が原告の裁判に稲田氏が原告側の代理人として出廷したという裁判所の記録の存在が発覚」して発言を訂正した、という事態が出来している。

 裁判所というのは、ニュートラルな立場で、必要と思われることは文書化して残すものだと思う。それで‘キチンと’証拠文書が残っていたのだろう。
 となると、ことの性質がニュートラルでない、つまり利権がからむようなものについては、徹底して記録文書を廃棄ないしは隠蔽することが、逆に明瞭に推測できるのである。

 学校法人への格安の国有地払い下げに関して、「専門家に鑑定させることもなく、大阪航空局と近畿財務局の話し合いで売却価格を決めてしまう。そして、森友学園との交渉過程の記録はすでに破棄しているとして、公開要求を突っぱねる」のである(こちら)

 公文書を残し、請求に応じて情報公開することについては、先進国におけるその重視に対するに、わが国では意識が低かった、というのはよく指摘される(あ、クロ現だ)。
 が、そんな高等な話ではなく、政官接触の、とくにきわどい場面の記録は、双方ともに絶対公開したくない代ものになりうるから、どうあっても残したくない。

 というわけで上のようなことになるのだが、近畿財務局と学校法人との(「政官」ではないが)近々の接触の記録は残っているそうなので、今後どうなるのか。

 問題は、一学校法人のスキャンダルというのではなく、行政が公正であるのかどうか、それに政治家がどのように影響を与えたのか否か、という点にある。

 世には、何がなんでも現政権を擁護したい人、また現政権を追及する野党を揶揄する人も多い。
 民主党(当時)の松原 仁議員が、籠池氏といっしょに写っている写真を挙げて、「なんで松原は追及せんのか」とやっているサイトが山のようにある。
 いや、格安払い下げの決定された時期に、松原氏が何か大きな権力を持っていたのだろうか? 論そのものがオカシい。
 ただもちろん、スパイ防止法に積極的なこの議員が、胡散臭い右派の手合いと胡散臭い関係にある or あったとしたら、それはそれで問題であり、民進党支持者もアタマの片隅には置いておくべきだろう。


 もう一点は、政治家の基本理念ということ。

 教育勅語を「悪くない」、「普遍的価値がある」と肯定からさらには礼賛する自民党政治家はずっといるようだ。一般市民にも多いだろう。
 しかしいろいろなところに指摘されるまでもなく、教育勅語の基底には、主権在民ではなく、天皇主権の国家観、‘彼ら’が好きな語で言えば「国体」観がある。

 安倍晋三氏や稲田朋美氏が、教育勅語、あるいは教育勅語を奉ずる団体・学校に対して支持・賛同を表明するということは、ほとんどダイレクトに、「主権在民=国民主権」の思想を否認していることの表明なのである。

 これは、単に現行憲法の一部を改‘正’したい、というような話ではない。根本的に、「主権在民の国家」は、認めませんよ、それはよくありませんよ、国民はそれでは幸福になれませんよ、というメッセージなのであって、現憲法の基本理念を否定することなのである。

 それは、政治思想としてはひとつの思想、である。そのような考えを構築し、推進すべく表現するのは、現憲法は保障している。
 が、まさにそういうことなのである。

 具体的に論理矛盾を来たすのは、そのような政治思想・国家観の持ち主である政治家が、「自由民主党」という名称の政党に所属していることだ。
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2セット、ポチっちゃいました^^。

ブルックナー、ヨッフム(DG)  ショスタコ、ペトレンコ


 ま、買うか買わないか考えていると、だいたい買うことになりまス;;。

 ショスタコーヴィチは、オクに久しぶりにバルシャイ/ケルン放送響のセットが安く出てきたりしていたが、当初の予定どおり、Naxosのペトレンコ盤。
 ネットオクに新品が、Amazon海外ショップとタワーや HMVの中間ぐらいの値で出ていたもの。送料別で5,000円の新品。

 マルケヴィッチの子息、オレグ・カエターニのセット(単品はSACDだった記憶があるけれど、セット(Arts)はどうもCDらしい)も安く、気にならないこともないが、単発の時からリスナーの間で評判だったヴァシリー・ペトレンコのものを購入。

 問題はブルックナー。
 ヨッフムのドレスデン盤は、初出の海外盤と、ARTリマスターのボックスを両方聴いたことがあり、両方とも手放している。
 前者は低域は豊かだが中域より上がモコモコ。後者はずっとよくなったが、今度は高域を強調しすぎ、かつ、西側レーベルに来ている旧東独VEBのテープは、どうもどこか劣化しているふうがあって、基本的な透明感に欠けていた。
 加えて、ヨッフムの演奏のいささかの‘あくの強さ’がやや肌に合わず、ということがあった。

 ブルックナーの交響曲全集が欲しいのは、第1番、第2番、第6番の、とくに緩徐楽章が聴きたいからだ。
 後期三大交響曲などは、すでに大名盤が手許に複数ずつあり、それでもう十分なくらいなのである。

 まず、スクロヴァチェフスキー。Arte Novaより、あとで移籍した Oehmsのリリースのほうが若干でも音がいいかも、と思い、試聴ファイルがあるサイトに‥‥と探すと、Prestoclassicalのページで聴けた。
 が、聴いてみると、00番、0番の急速楽章の出だしなどは、楽曲自体がそうなのだが、えらく高速で元気な感じがして、違和感がある。

 う〜ん、ほかに候補というと‥‥と探して、ハイティンクのアナログ期の全集があり、まだ4,000円ちょいで求めることができそうだ。
 この試聴ファイルを聴いてみたら、緩徐楽章の低弦の深〜い響きなんか、じつにいい。

 しかし‥‥よ〜く見てみると、ハイティンク盤は、かなりの楽章でミスターSより演奏時間が短い、つまり速い(繰り返し等は考慮に入れず)。
 ハイティンクのブルックナーは、のちのウィーン・フィルとの再録音、さらに三大交響曲のコンセルトヘボウとの再録音が高い評価を得ていて、60年代のこの全集はほとんど言及されない。

 いや、それなりの巨匠の全集であって、どちらも聴き込めば得るものは少なくないだろうことは想像に難くない。
 が‥‥やはり第1、第2、第6の緩徐楽章の、弦楽の深み‥‥となると、ヨッフムの旧盤=DGのセット、ということになる。

 上のリンクは、DGのサイトのページだが、各楽章1分間ずつ、じっくり(でもないか)聴ける。
 旧全集は、第1、第4と後期三大交響曲だけがベルリン・フィル、ほかがバイエルン放送響の演奏で、これはよさそうだ。

 ヨッフム/ベルリン・フィルのブルックナー:第1番は、40年以上昔だったろうか、国内盤LPで聴いて、第2楽章の美しさがとくによかった記憶がある。
 単発のCDも買った記憶があるが、手放している。

 なんで第1かというと、宇野功芳氏の『名曲とともに』(帰徳書房、1974年)の最終章「ぼくの愛聴盤」中に、夕食後の愛聴盤としてブルックナーのいくつかの中に「ヨッフム指揮の「第一」スケルツォ(グラモフォン MG1361)は浮き浮きするほど愉しい。ヨッフム指揮の「第六」アダージョ(グラモフォン SLGM1388)からは清らかな自然の寂しさを実感し、…」(222〜223頁)とあったからだと思う。

 たぶん買ったLPレコードは文中にあがる MG1361だったのだろう。音質的には高域が明るいカッティングで、のちには不満を覚えただろうが、当時はそこそこ満足していたようだ。
 そうそう、今回初めてヨッフムのDG盤全集を、その第1以外も ― 宇野氏の言う第6も ― 聴ける。

 こちらもオクで新品、4,000円ほど。
 両方とも配達は日本郵便(ゆうメールと、レターパック)なので、ヤマト運輸のドライバーさんの過酷労働にさらに負荷をかけることもなく‥‥が、これはまた現今深刻な問題なのであるが。

 ヨッフムのドレスデン盤は、EMI最末期に Iconシリーズの20枚セットで、ベートーヴェン、ブラームスの交響曲全集にバッハの『ロ短調ミサ曲』なども加えて、大半が再度リマスターされた形でまとめられ、まだDG盤のブルックナーより場合によっては安く入手できる。
 ブルックナーだけでも音質面では改善があると思われるが、さすがに20枚組のCDボックスというのは、手許に置くことだけでも抵抗感がある。
 現在、最も枚数の多いセットは、弟宅から強引にもらってきたサヴァリッシュの『指環』(EMI+NHK)の14枚セットである。


 ‥‥という、「ポチっちゃいました〜」報告でした。

ぼつぼつCD購入も…。

E.クライバーのベートーヴェン
 休みは多いのに、前日の未明までネットを見ていて、起きるのが極度に遅く、意外に音楽が聴けていない。

 が ― 先日、ちょっと衝動買い的に買ってしまった、エーリヒ・クライバーのベートーヴェン、その第6番『田園』の第2楽章を聴いてみた。絶品でした。

 ONTOMO MOOK『リーダーズ・チョイス −私の愛聴盤− 読者が選ぶ名曲名盤100』(音楽之友社、2000年12月)では、読者投票リストに、第6番『田園』のみ、8位に入選している。
 第3、第5はリスト入選はなく、第3のほうがコンセルトヘボウ盤への読者コメントだけが載っている。

 入選の第6番は、ワルター、クレンペラーについで、高齢者=60代の支持が高い。これは初出の時代の影響が大きいだろう。

 私の入手した E.クライバー/コンセルトヘボウの『田園』は、ポリグラム盤ではなくキングレコード盤で、音質に不安がないことはないけれど、実際に聴きすすめると、高域には若干の混濁感がありつつ、中〜中低域と低域(ほんとうの低域はうちでは出ない)の充実感が補い、かなり厚みのある音を聴くことができて、速いテンポで進む第1楽章を通過し、第2楽章に入ると、すでに指摘されるように悠然とした進行になり、もう何もかも忘れて「ベートーヴェンの田園の、小川の光景」に誘い込まれる。

 末尾に近づいて、カッコウの擬音が奏される時には、聴き手は完全に音楽の描く世界に散策している。
 ‥‥あまりにすばらしく、そしてちょっと長く聴いていたので、その日はこの印象でリスニングを終わるべく、第3楽章以下は聴かずに‘針を上げた’…じゃなくてCDを取り出した。

 これは買ってよかった。
 同時に入手した、ウィーン・フィルを振った第3『英雄』、こちらはポリグラム盤だったのだが、高域は透明できれいな音なのに、中〜低域が薄く、全体として音楽の感興が、キング盤のコンセルトヘボウの『田園』のような具合に感じ取れない。
 低域が分厚くないのは、ウィーン・フィルの特色でもあるので、その辺もあると思われるが、キング盤が必ずしも悪いとは言い切れない例を、今回も経験した。
 全体にノイジーなところがあるが、キングに来ているマスターテープをそのまま、情報量を抑えも強調もせずにデジタル化したというふうである。

 もっとも同じマスターを使った MZ規格や K15C規格などのLPレコードだったら、高域の強調感が耳障りだったろう。

 ‥‥ちょっとCDを買い過ぎている、それでいてまだオクや Amazonを渉猟してやまない物欲地獄をさまよっている愚生であるが、手許に集まったディスク群をしげしげと眺め、実際に再生してみて、「いや〜、いいレコードばかりだぁ」と感心しない日はない。

 その上、まだまだじっくり味わっていない、とくにオペラのディスクは全トラックに耳を通していないアイテムも少なくないので、ほんとうに「もう買うのはやめよう」と思うこと頻りなのであります‥‥が。

 だいたいちょっとしたクラシック・ファンでCDを集めている人なら、「こういうのは持っているだろう」というセットで、持っていない(含む:手放した)ものは意外に多い。

 交響曲全集で、持っている作曲家:ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、シベリウス、ニールセン。
 同・持っていそうで持っていない作曲家:ブルックナー、チャイコフスキー、ドヴォルジャーク、ショスタコーヴィチ、プロコフィエフ、ルーセル、オネゲル、ヴォーン=ウィリアムズ。

 エルガーやスヴェンセンはそれぞれ2曲しか書いていないので、持ってはいる。マーラーは、バラで全曲、あることはある。

ブルックナー/ミスターS   ショスタコーヴィチ/ペトレンコ


 それらのうち、ブルックナーとショスタコーヴィチの交響曲全集は、持っていてもいいかな〜、と思いつつ、いろいろググっている。

 ブルックナーは、ヨッフムのドレスデン盤、EMIで ARTリマスターしたボックスを持っていたけれど、そんなに聴かないまま、生活費に変わった。
 ショスタコーヴィチは、バルシャイの Brilliant Classics盤をいちど入手するも、これもあまり聴かないうちに換金。
 ひとつには Brilliantにありがちな、情報量の少ないツルツルした音も不満だった‥‥現用の装置ではもっといい印象を得られるかもしれないけれど。

 ブルックナーは、買うとしたらスクロヴァチェフスキーの Oehms盤か。ショスタコーヴィチは、ペトレンコ盤(Naxos)を考えている。

 両セットを揃えるとすると、8,000〜11,000円くらいの出費だろう。
 2016年度分の税金と国保・年金保険料は、1月末までで収め終わったので、少し余裕のある分が回せるけれど、賃貸の契約更新手数料なども今年はかかってくるし、(私としては)お高いスニーカーを、もう1足買った(後述)。
 さてさて。
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二つの『スコットランド』、そして『時の旅人』。

 ‘幸福すぎる人生を送るあまり、その音楽に深みがない’ふうな言われ方をされがち(?)な、ヤーコプ・ルートヴィヒ・フェリックス・メンデルスゾーン=バルトルディさん。

 しかし、その交響曲第3番『スコットランド』はとても深い情緒を延々と歌う。
 交響曲第3番と、序曲『フィンガルの洞窟』(ヘブリディーズ序曲)とは、作曲者が、16世紀に悲劇的最期を遂げたスコットランド女王メアリー・スチュアートへの関心、具体的にはホリルードの宮殿を訪れた印象にインスパイアされた、ということのようだ。

 メアリー女王の閲歴は、かかわる諸事件がもう複雑で、私には何がどうなっているのやら、説明など不能。マニアの人たちがたくさんサイトを作っているので、興味のある方はググればいくらでも出てくるし、書籍も多いだろう。

クレンペラーの『スコットランド』、2種

 その、メンデルスゾーンの交響曲第3番『スコットランド』。
 世評で、抜かすことができないと言われるオットー・クレンペラー指揮の録音。ゆったりしたテンポで、悠然と盛り上げてゆくロマンの深さが圧倒的だ。

 この交響曲は、第2楽章を除いて全体に暗鬱な雰囲気を濃厚にし、メアリー女王の悲劇的最後に向かってゆくような暗さを基調としているけれど、終楽章のコーダで長調のコラールが姿を現わし、そのコラール(ファンファーレふう?)を高らかに歌い上げて全曲の幕を閉じる。

 しかし、知られているように、クレンペラー自身はこの最後に突然現われる明るいコラールは、楽曲にふさわしくなく、作曲者自身も疑念を持っていた、と考え、暗いまま終結するコーダを作り、これで演奏した録音が残っている。事情は、こちらなどが簡潔かつわかりやすい。

 独自コーダのヴァージョンで残されている録音のCDは、バイエルン放送交響楽団を指揮した1969年(クレンペラー、84歳!)のライヴである。
 ニュー・フィルハーモニア管とのスタジオ録音(1960年、マエストロ 75歳)のさらに9年後。

 いずれもリリースは EMIで、ライヴ盤のほうはショップ・サイトやオクでは、ものによってはトンデモ価格になっているが、ディスクユニオン店頭では、実際に売ることを前提にしているので、千円前後の価格で見つかる。

 この独自コーダのライヴ版(盤)については、宇野功芳氏は、「これ(ライヴ盤)は終曲の結尾を自作のものに変え、短調のまま淋しく終わる。その味わいは抜群で、両方とも(スタジオ盤と両方)持っていたい」(『クラシックCDの名盤』文春新書、新・旧版とも同文)と言及している。

 また、アマチュアのレコード評も多く掲載した、『クラシック名盤 この1枚』(光文社知恵の森文庫)には、この本の中でもとくに魅力的な文章を寄せている「安本弦樹」氏が、スタジオ盤を取り上げる中で、以下のように書いている。
 「第4楽章ではアレグロ・ヴィヴァーチッシモの表示には目もくれず、堂々としたテンポを固持するが、リズムのキレが良いので「遅い」という感じはなく、さらに雄大なマエストーソで曲は締めくくられるので、全体の充実感はこのうえない。ただし、コーダが雄大であるがゆえに、帰ってこの最後の部分が冗長に感じられるという、この曲の構造的問題点をも浮き彫りにしているような気もする。
 クレンペラーはこの問題点に気がついていたからこそ、1951年のウィーン響との「スコットランド」では、第4楽章の指揮をとらなかったのだろうか。また、1969年5月23日のバイエルン放送響とのライヴ(EMI)では、短調のまま終わる自作のコーダを演奏したのは、一つの解決を示そうとしたのかもしれない(この最晩年の「スコットランド」もみごとだ。まったく緩みがなく、幻想的なまでに美しい!)。」
(62頁)

 少し前、写真のとおりライヴのバイエルン盤を入手して、先日通して聴いてみた。
 私は個人的には、終楽章コーダの高らかに歌い上げるコラールが、そしてこのコラールで盛り上げて終わる『スコットランド』が大好きなので、クレンペラー「説」にはどうも違和感がなくもなかったのだが、聴いてみると、みごとに悲哀と暗鬱の中に、あたかもメアリー女王の悲劇そのままを描いたごとくに全曲を閉じる、その説得力は大きかった。

 では、少なからぬリスナーが、むしろ「不自然」と感じ、そしてクレンペラーの独自コーダが十分受け容れられるにもかかわらず、なぜあのようなコラールでの終結を、作曲者は残したのか。
 もちろんそんなことはわからない。

 閑話休題‥‥ではなく、以下がこの記事のもうひとつの素材なのですが…。
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アルゲリッチ/デュトワのショパン‥‥マスタリング。

 前記事で、アルゲリッチ/デュトワ/モントリオール響によるショパンのピアノ協奏曲第1番、第2番のCDを買ったことを書いた。

 ちょっとした風の吹き回し? で、岡崎マスタリングの EMIミュージック・ジャパンの24ビット・リマスター盤(TOCE-14003)を買ってしまった。
 オーケストラは懸念した EMIにありがちな混濁感がかなり回避されていたけれど、アルゲリッチのピアノ・ソロの、とくに高音の強打鍵で、耳にビリッと来るような刺激感が、ちょっとひっかかった。

 未練がましく Amazonやオク上を探し、海外EMIの、初出CD(CDC 5 56798 2)が送料入れて600円ほどで出ていたので、落札した。

アルゲリッチ、デュトワ

 今日すでに届き、今さっきちょっと比較試聴してみた。

 第1協奏曲が始まり、一聴して海外盤のほうが高域が穏やかだ。ここは、岡崎マスタリングのほうが透明で、ディテールもよく聞こえ、岡崎マスタリングのほうがいいとも言える。

 4分ほどのオケの前奏が終わり、ピアノが入ると、海外盤はとても自然だ。高域の煌きが耳につくことはない。
 やっぱり‘日本流’マスタリングは楽器の音というものがわかってないのかな〜、と思い始める。

 しかし、第2楽章と第3楽章のそれぞれ冒頭部で比べると、海外盤のほうもピアノの音は厚みがなく、帯域バランスはナチュラルではあるが、それゆえ高音の精彩に欠ける。

 こんどは、第2協奏曲の第2楽章。
 4分ほど経過してからの、いったん静かになり、緊張が増してゆく部分。
 ここでは、海外盤は、私のシステムではピアノの音が精彩に欠けて無機的に響き、いいところなのに心が動かされない。
 国内盤は、ピアノの高音がキラめきすぎる嫌いはあるものの、アルゲリッチの集中がしっかり伝わってきて、「手に汗握る」感が十分にある。

 オーケストラのほうも細かい動きがしっかりと聞こえる。低弦のピチカートが少しボンつくようでもあるが、海外盤はこれがよりボワンと、締まらない音だ。
 第2楽章の終結部も、ピアノの心を込めた弾きぶりは国内盤がよく伝えるし、オーケストラの木管群とピアノ・ソロとのやりとりの、室内楽的な親密さを聴くことができる。
 反対に海外盤は、アルゲリッチのソロは曇った感じがつきまとい、終結部の管楽器はお団子になって混濁する。

 今のところ、どうやら岡崎リマスターの日本盤を採るのが若干ベターなようだ。
 比較の条件として、国内盤はアンプのトーンコントロールの高音を少し下げ、反対に海外盤は少し持ち上げて聴いた。このようにすることで、帯域バランスが同条件に近づくようだ。
 つまり、TOCE-14003を、高音をわずかに下げて聴くのがベスト、のような気がする。

レーベル

 ― システムや、部屋、好みによってまったく一概には言えないけれど、EMIのデジタル録音の、とくにオケの混濁感を回避するには、岡崎さんのリマスターは、「やりすぎ」感を伴いつつ、全く無益でもないようだ。
 テンシュテットやラトルの、マーラーのライヴ録音では、岡崎リマスターが奏功している気がする。

 今回、海外盤を入手してエンジニアの名前がわかった。
 ジョン・ダンカリー John Dunkerlyだった。
 この人の手がけたものでは、Decca録音の、アシュケナージ/ショルティ/ロンドン・フィルによるバルトークのピアノ協奏曲第1番を持っている。
 1980年(アルゲリッチのほうは1998年)のデジタル録音である。
 録音場所が違うということがあるけれど、Deccaのほうは、もう冒頭から‘Deccaそのもの’の高精細音質で、アルゲリッチのショパンとは、通底するところは全然ない。

 EMIのデジタル音源で、岡崎リマスターの、完全な‘やりすぎ’でヒドい目にあったものは、アルバン・ベルク四重奏団によるブラームスの弦楽四重奏曲全集と、ポール・トルトリエによるバッハ:無伴奏組曲の再録のセットである。
 もともと鮮明な録音だったから、高域と倍音の強調で、ほんっと〜に耳障りな音質になっていた。もう手許にはない。

 混濁したオケ録音の‘修復’ならなかなか有効なのだが、そうでないものまでひたすら鮮明化するというところに、岡崎氏の感覚をどうしても尊敬しきれない部分が残る。

 さて、このアルゲリッチとデュトワによるショパン、今はワーナーによる国内盤がミッドプライスで出ていて、たぶんこれは「2016年最新マスター使用」とかになっていて、いちばんバランスとクオリティがよさそうな気もする(じゃ、なんで最初にそれを買わないの^^;)。
 全体としては、EMIのクラシック音源が Warnerに買収されたことはとてもいいことだと感じている。

 そしてこの演奏‥‥デュトワ指揮のモントリオール響がソロのスピードについていけていないところがある云々ということが言われたりするが、デュトワのバックは、しっかりとテンポをキープし、コンチェルトの基礎を押さえた磐石の演奏であり、やはりこの2曲のベスト盤と言っていいのだろう。
 両盤はしばらく聴き比べてからいっぽうを残そうと思う。
 いやはや、またマスタリング買い換え、でした‥‥;;。

小説を1冊、読みました。& 愛読書。

 ‥‥家にいる時は、ネット中毒、とくに ヤフオク! ないし Amazonでの‘CD探し中毒’であります。
 夕刻から夜にかけて家にいられる日にはちょっとオーディオでCDを聴くこともあるが、何といってもネットの比重が大。

 というわけで、転室前には、引っ越したら本を読もうと思っていたものの、読書はいちばんあとまわし。
 要するうに、ものを読むことがめんどうでしようがなく、「活字中毒」の逆人間なのである。

 そして、期待して読み、とりあえず通読しても、読んでいるあいだ、わくわくしたり、「面白い〜」と感じる本は、たいへん少ない。
 先日読んだ原田マハ『暗幕のゲルニカ』は、読み進めている間はなかなか手に汗握る冒険譚、だったのだが、最後の一文を読み終えるや印象が完全にゼロに帰してしまい、もう脳中に存在していない。

『書店主フィクリー』と EMIのCD

 かなり時間がかかり、とぎれとぎれ読んで、やっと読み終わった小説は‥‥ガブリエル・ゼヴィンの『書店主フィクリーのものがたり』(小尾芙佐訳、早川書房、2015年)。

 島の書店主を主人公に置いた物語で、店に棄てて行かれた女の子を育てつつ、主人公とその周囲でさまざまに展開するお話。
 妻を失った主人公が血のつながりもない女の子を育てていくうちに再婚したり、いろいろ展開し、「人間のドラマ」としては『暗幕の‥‥』よりは格段に面白い。
 が、作中、本の話がよく出てきて、本(小説)が読者に「合う」、「合わない」という表現がされるのだが、この伝で言うと、この本は私にはあまり「合わない」ものだった。

 アメリカの現代小説というものに通底するのだろうか、記述のディテールがあっさりしていて、ムダな描写がなく、スピード感をもって進められる。
 これが私にはあまり合わないらしい。

 この作品は、各章の扉に主人公・フィクリーが実在の作品へのレビューを書き込むほか、さまざまな薀蓄がちりばめられているそうで、「訳者はつい「訳注」をつけたくなった」(「訳者あとがき」)が、煩雑になったのでやめた、とある。

 ところで、最初から2番めの扉の銘、「さあ、いとしい人よ、/たがいに敬い愛しあおう、/きみとぼくがいなくなってしまうまえに。/ ― ルミ」の「ルミ」が気になった。注も説明もない。

 「ルミ」ってだれ? 英語圏のネットを調べても、「come on, sweetheart let's adore one another before there is no more of you and me. — RUMI」が出てくるだけである。
 この「ルミ」は、思うに、イスラーム学の権威・井筒俊彦氏によって『ルーミー語録』などの形で紹介されている、イスラーム・スーフィズムの詩人ルーミー(1207〜1273)に違いあるまい。
 このことを突っ込んだ紹介記事、ブログ記事、レビューを、寡聞にしてひとつも見たことがない。これはちょっと異常に感じる。

 Amazonの商品説明にあるとおり、この本は全米図書館員が運営する“Library Reads”に選ばれている
 こういうタイプの“お墨付き”に、書店員の団体による推薦、日本では「本屋大賞」みたいなのがある。
 そういう1冊だった、ジェリー・スピネッリ『スターガール』(理論社。現行は角川文庫)を読んだ時は、もう形容もできないほどのつまらない文体と内容に、辟易したのだった。
 この本は「全米書店員が選ぶ2000年いちばん好きだった小説」とのこと。ええ〜!? さっすがバカ大統領を選ぶ国だけある‥‥ってそのあとにはオバマを選んだのか^^;;。

 私は、活字を追うのはキライでありながら、せっかく読むのなら描写の精緻なものを好む。
 イギリスの児童文学、たとえばアリソン・アトリーの『時の旅人』(岩波少年文庫。初めて読んだのは別の訳で、評論社版)のような。
 ネット上ではいっしょに紹介されることも多い、ジョーン・ロビンソン『思い出のマーニー』(岩波少年文庫、上・下。‘日本化’したアニメは未見)も、ディテールの表現がきわめてていねいだ。
 これは、あの、映画『この世界の片隅に』の描写の精緻さともつながるものだ。
 こういったものを楽しんでしまうと、スピネッリはもとより、今回のゼヴィンの文体も素っ気なさすぎた。

 イギリスの「時間を越えるファンタジー」タイプの児童文学では、他にフィリッパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)も秀作だ。
 これらは、ユング心理学の河合隼雄氏の本で知ったはずである。ユング系の本はまた別に挙げよう。

 ‥‥CDのほうは、オイストラフのベートーヴェンと同じシリーズの、アルゲリッチ/デュトワによるショパンの協奏曲を。
 これも岡崎氏のリマスターで、元盤のレビューに、残響がやや過多でオケが混濁する、というようなのがあったので、岡崎流のビシッとしたリマスターで輪郭が明瞭な音が聴けるか、と思ったのだが、ピアノの音の、高音の強打鍵が耳にビリッとくる部分が無きにしもあらず。
 送料込み664円だったので、とりあえずこれで?

 ‥‥さて、今まで読んだ本を思い返し、量的にじつに微々たるものであるだけでなく、「楽しく、面白く」読んだ本は、きわめて限られた、そして偏ったものだ。

愛読書^^;

 小説類からいくと、まずはウンベルト・エーコの『薔薇の名前』(上・下、河島英昭訳、東京創元社、1990年)。こ〜っれはすばらしい。が、ストーリーが面白いというものではなく、全篇に満ち満ちたペダントリーに惚れ込んだのだろう。

 これに似た、西欧文化の香りの染み込んだペダントリー…では、やはりジョリ・カルル・ユイスマンスの『さかしま』(澁澤龍彦訳、河出文庫。読んだのは桃源社版)。
 その名訳をものした澁澤さんの創作『高丘親王航海記』(文春文庫)は、日本人の作家が描くとほとんどの場合‘臭く’なってしまう、異国の光景・文物・人物、そして架空の生物の、みごとにファンタスティックなこと!
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ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、など…。

 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の手持ちディスクが、シェリング/シュミット=イッセルシュテット盤だけなのでちょっと淋しく、先日アッカルド/ジュリーニ/ミラノ・スカラ座フィルのディスク(Sony Classical、米プレス)を、激安出品だったこともあって、ポチってみた。

 この記事にもう触れているけれど、ディスクの音全体が、どうも潤いに欠け、耳につく音がするのである。
 Sony Classicalの、ジュリーニ/スカラ座によるシリーズは、『田園』だけいちど聴いたことがあるけれど、もっと柔らかな音だったように記憶する。
 何より、‘美音’で知られるアッカルドの音が、若干ではあるがとげとげしい。

 SBM使用の20ビット録音という記載があるけれど、SBMは金属的、と決まっている感触はない。
 どうも、ちょうどオーディオ機器における個体間のバラつきのような現象のような気がする。

 CDで、マスタリング、プレス元が同じものでさえ、こういう事象はある。
 アンドラーシュ・シフ、塩川悠子、ミクロシュ・ペレーニのトリオによるシューベルトのピアノ・トリオの2枚組アルバム(Warner/Teldec)は、ぺレーニの音がややギスギスした感があったので、当時は収入も潤沢にあったので、同じものを買って比べてみた。

 すると、音質はほぼ同じで、ペレーニのチェロがギスギスするのは収録自体のキャラだということで納得したけれど、同一ディスクの異なる個体で、CDプレーヤーのメカが発する機械音が、違った。
 ピット成型等の状態がわずかながらでも異なるゆえに、サーボのかかり方が明らかに違っているのだった。

 ‥‥ということだと考えても、入手したアッカルド盤を聴き続ける気は霧消した。
 演奏面でも、ジュリーニの遅いテンポ設定とオーケストラのスケールの大きな鳴らしっぷりは、『英雄』あたりにはぴったりなのだが、ヴァイオリン協奏曲は、そういう性格の楽曲ではないという気がする。

 もう一点、アッカルドとジュリーニのキャラが、そうとう異なるのではないかということ。
 カデンツァなどの技術的難所ではまったく揺れを見せないアッカルドの技巧なのだが、むしろジュリーニのゆ〜ったりしたテンポに合わせざるをえないところで「お〜っとっと…」という感じで、音程が定まりがたそうな雰囲気を見せるところがある。
 これは、ある意味面白い。たぶんセッション中、両巨匠は和気藹々だったろうと推測できるけれど ― グールドとバーンスタインみたいなことにはならない ― 芸風のズレは埋まらない。

 どうも、このディスクは売るのも憚られ、残念ながら廃棄しようと思う。

ヴァイオリンのCD

 そこで、なのだが、今度はオイストラフ/クリュイタンス盤を、オク上に安い出ものを見つけてぽちった。
 今日、到着。
 東芝EMIが、EMIミュージック・ジャパンに改称してからの、「EMI CLASSICS BEST100」という、青い帯で、「24bit最新リマスタリング」を謳った1,500円のシリーズの1枚である。

 東芝が手を引いて EMIミュージックになったあとのリリースでは、「リリー・クラウスの芸術」の1枚を持っており、これには Yoshio Okazakiの名はない。岡崎さん、もう引退かな、と思ったのだけれど、今回のオイストラフ盤には「Remastering Engineer:Yoshio Okazaki」とあった(笑)。しかも、原録音のプロデューサー、エンジニアの記載はない。

 これでちょっと落胆したせいもあるかもしれないが、オケ、ソロともヴァイオリンのハイエンドが、やはりちょっとザラつく感触がある。
 が、以前の「HS2088」を銘打ったものとはかなり異なり、テープヒスは低く、マスターテープを EMIに再請求した可能性もありそうだ。
 が、やはり、現在日本の Warnerが出しているディスクを買うべきだったか、とも思う。

 上の写真で右上にあるのは、ずっと前に買っているシェリング盤であるが、これが、3枚の内ではヴァイオリンの高音が最も滑らかに聞こえる。
 このシェリング盤も、「クラシックCD文庫」盤はやや音がザラついたので、「Super Best 100」盤に買い換えている

 当分は、EMIミュージック・ジャパン盤を聴いてみましょうか‥‥今さきは、まだ第1楽章冒頭を聴いただけである。

 ことほど左様に、ディスクの選択は、録音・マスタリング、さらに個体バラつきまで含めると、実にむずかしい。
 オーディオ機器ならば、パーツ交換や組み合わせによる改善が期待できるが、LPでもCDでも、できあがった「レコード」は、どうしようもない。

 もちろんある程度は、トーンコントロールや、機器を換えるなどで変化は得られる。
 今回、久しぶりに Sony CDP-XE700の電源を入れてアッカルド盤を再生してみた。
 すると、オーケストラの低弦やティンパニなどは常用のオンキヨー C-7030よりもずっと深みと存在感があって、ハイファイ度が高いことを実感させた。

 CDP-XE700は、オペアンプが、音がキツめな AD712のままなのだが、たいへん立派な音を聴かせる。
 時間が取れれば、早く NJM2114Dに交換したいのだけれど、‘ほぼ失業’のはずの2月後半〜3月中盤に少しお手伝いの仕事が入ったもので、また遠のきそうである;;。

 左上のは、協奏曲ではなく、ローラ・ボベスコ、ジャック・ジャンティによる、フランクとルクーのソナタ、千円の国内盤が送料込み470円で出品されていて、1回目の終了でだれか落札してしまうだろうと思ったけれど、だれもポチらなかったので、その次の終了でポチらせてもらった。

 帯つきの美品であり、ただ帯の「¥1000」の表示が、紫地に白字のところ、紫はすっかり褪色していた‥‥こんなのは問題ない。
 こういうものも、多くの出品者は1,000円以上、人によっては2,000円以上の開始価格で出品している。
 個性派ヴァイオリニストの場合にこうなりやすいが、通常のCDの場合、こういう高価な出品にはだれも入札することはなく、サーバーのこやし、ないしはゴミと化している。

 他方、安い出品は、帯もない国内盤、そしてセット商品のバラの残りものが山のように出ていて、わが国において音楽CDが十分豊かな形で流布することがなかったのだなあ、としみじみ嘆息してしまう。

 ‥‥それは置いといて‥‥ボベスコの日本録音のソナタ、すばらしい演奏だと思う。
 1981年、新座市民会館での収録。ボベスコ女史62歳ということになり、この人のテクニックは本物ではなく、一流とは言えないという評が定着しているけれど、年齢を考えてもそうでもないのではないかと思う。

 このCDは、ルクーに期待して買った。音がとても美しい。ルクーのソナタはグリュミオー盤がベストと言われるので、いちど聴いてみたけれど、どうも高域の滑らかさがあまり感じられないのだった。とくに、24 bitリマスターのCDは、潤いがなかった。
 今、通常盤を聴いたなら、またそのよさがわかるかもしれないけれど。

 アッカルドのベートーヴェンをがんばって聴いたあと、ボベスコのフランクを聴いていたら、感情はゆったりしている状態で、涙が出てきた。単に涙腺が涙を放出したのであって、感動したというのではない。入眠直前に涙が出る、あれである。
 つまり、ボベスコのヴァイオリンを聴いていて、当方の神経がとてもリラックスした、のだろう。
 この人の音と演奏には、そういう「徳」があるのか…。

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