体調不良と食べ物…。

 う〜ん‥‥なんなんでしょう‥‥脱力・疲労感がスゴい一週間が終わった。食欲は少なく、だから、無理に食べないようにしている。
 このまま倒れる or 起きられなくなるんじゃないか、起きられても仕事に行けないんじゃないだろうか、という感触の中、週6日の仕事は、した。

 木曜は夜だけの仕事で、正午前後、起き出す前に、フトンの中で、一生懸命背骨に気を通す「脊椎(脊髄)行気(ぎょうき)」をしていた。
 ※脊椎行気に関しては、こちらなど参照のこと(若干、誤変換あり)。
 野口晴哉先生曰く、
 「呼吸は鼻でするものと決めてしまっている人がある。中でも大切なことは背骨で呼吸することだ。特に心を背骨に集中して背骨で腰髄まで吸い込むことは、一切の健康問題を解決する力を持っている。」

 これは、野口先生の他の著書にも、くりかえして説かれている。
 で ― 木曜のお昼、ず〜っと背骨に息を通していると、どうも(未熟者の感触だが)胸椎の下端部、胸椎10〜12番あたりのところで、気が閊(つか)える。
 もちろん、頚椎のあたりから意識して下ろしてくると、肺活量の小さい私などはすぐに息が切れてくるからでもあろうが、この部分に「つかえ」を感じ、ず〜っとここに集中して「行気」をしていた。

 すると、息を深くするとともに、両鼻が通り ― 口腔外科治療完了のお蔭で、元々通りがよいが ― 閉じたまぶたに、真っ青な青空、それも、リアルな、ちょっと暗めの空が見えてくる感じを受けた。
 で、フラフラではあるが、起き出し、仕事に出られた。
 カラダはフッラフラだが、心のほうは、いつもよりずっと澄んだ感じだった。

 身体的には「もう、休ませてくれ〜」なのだが、生徒に話す、という仕事をむしろやりたい、という気持ちが高じていもする。
 こんなにシンドくても「行きたくなる」仕事というのは、ある意味、ありがたいものではある。

 しかしいったい、身体に何が起こっているのだろう。去年だったか一昨年だったかも、秋に、下痢だけでなく、食欲までなくなる時期があり、今年はそれのヒドいヴァージョンのような気もする。
 ここ数年、耳鼻咽喉系の風邪には一切かからないので、そっちの「補償」をしている感じもある…。

 痛みはどこにもなく、だとすると肝臓か、腎臓あたり?
 週明けに病院、行くかなぁ‥‥ま、倒れるまで働かないとどう〜っしようもない暮らしではあります。

 さて ― 夕食も、食欲は少ないので、スープとパンとサラダ、ていどで。
 以前の食欲減退期にもお世話になったのだが(ブログに書いていると思ったけれど、書いていなかった)、吉祥寺のアンテンドゥ ANTENDOというパン屋さんのパンが、おいしくて、閉店前の480円売れ残りバラエティ袋を買って帰った。

 ここのパンは、とくに食欲減退期・胃腸不調期には、ひと口食べただけで、大げさにいえば神秘体験のようにおいしかった。
 正札は、いつも食べている百均やファミマ・ベーカリーの比ではないほど高価なので、体調がもどればやめる(笑)ようにはしている。

 下の写真右のパンは、そのアンテンドゥ(← この読みは、どうにも不可解(笑))の、「コフレ・セゾン」のハーフ、すでにひと切れ食べたあとだが、3切れで税込みとはいえ700円!

ビスケットとパン

 プレザーヴの重厚なイチゴ、それにクランベリーとかレーズンとかも入っている。

 左は、インドネシア製の「ティムタム TimTam」という、チョコレートコーティングされたビスケット。
 メーカーはオーストラリア本拠だそうだ。
 ドンキホーテで、4ヶ入り税抜き60円で売っていたのを、ほとんど全部買ってしまった。これ、なかなかおいしい^^。

 はてさて、私の身体はどうなっているのでしょう。来週は、病院に行こうかなぁ〜。
 おっと、こういう記事は読む方に心配させちゃうかもな〜;; ‥‥。

音楽と医療…。

 さてもさても体調‥‥腹具合なのだが、悪い〜;;。
 週末にクダして、週明けには便秘側にもどるサイクルが崩れ、1週間ずっとよろしくなく、食欲も落ちているので、食事も減らし、カラダはヘッロヘロである。
 7月には、内視鏡検査で、大腸には全く異常なしだったので、こいつは肝臓とかかな? 肝臓のあたりが重い感じはする‥‥が、手で触って「腫れている」とは感じない。

 ということで、仕事は行きながら、家で横になれる時には、胃・腸・肝臓に「愉気」をしている。
 そういう状況なのに、今度は体調不良で欠勤する先生のコマまで引き受ける羽目になってしまった;;。
 お財布にはありがたいが、カラダ、持つかな〜?

 そんなことでネット上をググれば、444Hzが遺伝子損傷を修復してくれる、とかなんとか‥‥う〜ん。
 モーツァルトが身体にいいというのは、某トマティス博士とかが言っていて、まあそうなんでしょうけれど。

 で、またググっていくと、Docolleとかいう、医療者向け衣料・ファッションのブランドのサイト内に、こんな記事

 がありました。
 サイト内に「Docolle's EYE」というコラム欄を設けている中の1記事である。

 さして新味のない内容‥‥と思いながら、途中に、ドキュメンタリー映画『パーソナル・ソング』の紹介がある。
 認知症に近い状態の男性老人に、音楽を聴かせた途端、活発になる。
 聴き終わると、「え? なにこれ?」というほど言語明瞭になり、朗々と歌い、音楽への熱い思いを語り出す。
 おじいちゃん曰く、「Right now the world needs to come into music.(今、世界には音楽が必要なんだ。)」
 いやぁ、音楽って、いいもんですねえ〜。

 ぜひ、リンクしたページに埋め込まれた YouTube映像をごらんください
 説明しているドクターは、あの(といって観ていないけれど)『レナードの朝』の、オリヴァー・サックス博士である。
 もっとも、この種の報道は、テレビで見たような記憶もないではない。

 映画の公式サイトもあり、DVDも出ている。
 買おっかな〜。

 ‥‥さて、これから脚湯して寝ましょうかね。

断捨離候補CD。

 よい内容ではあると思うが、自分の趣味に沿わないCDを、どんどん抽出していって、そうとう“断捨離候補”が出てきた。
 そして、6月以来1枚も買っていなかったCDを、1枚買った。

ロストロ氏のドヴォルジャーク

 ロストロポーヴィチの弾く、ドヴォルジャークのチェロ協奏曲である。
 小澤征爾/ボストン響と協演した、ロストロ氏最後の「ドヴォコン」録音(Erato)を買って持っていたのだが、チェロが前に出すぎる録音、小澤さんの指揮が、ソリストを立てる、たいへん律儀で、かつ立派なものであることはわかるが、どうもその辺があんまりしっくり来ない演奏だと思い、ずっと有名な、カラヤン/ベルリン・フィルとのDG盤に買い換えることにし、オクで出ていた ORIGINALSの輸入盤を安く買った。

 フルニエ/セル/ベルリン・フィル盤だけでは、さすがにちょっと淋しい。
 けっきょく、いつもの“レコ芸ベスト盤”の第1、2位という組み合わせになったけれど、このカラヤン盤は、小澤盤より演奏時間が長く、ということはゆったりしたテンポで抒情的な部分はよりじっくりと歌い上げていて、けっして「オーケストラの空騒ぎ」(福島章恭氏、『新版 クラシックCDの名盤 演奏家篇』文春新書、395頁)などではないと感じる。

 その他、セットものでは、ジュリーニ/スカラ座のベートーヴェン、アルテミスQのベートーヴェン、ブレンデルの Vox音源のベートーヴェン(Brilliant Classics)などは、処分の予定。
 もったいないことだが、稀少盤ともいえる、シモン・ゴールトベルクの PHILIPS録音集成8枚組も、バッハ:ブランデンブルク協奏曲など、評価が高くて期待したのだけれど、ゆったりした典雅かつ誠実な演奏ではあるが、魅力を感じない。

 そして、バラのCD群。

断捨離候補群

 ドヴォルジャークの交響曲第8、9番では、ジュリーニの晩年のを採ったので、ワルターにお引取りを願う。
 ジュリーニ/ベルリン・フィルの第九は、スカラ座の交響曲集の補遺というつもりだったが、交響曲集そのものを採用しないということになれば、こちらも放出。
 シューリヒトのコンサートホール原盤モーツァルトさえ、手放そうかと思っている。もう少し聴いてから、とも思うのだが、これ、音が悪すぎる。
 ルービンシュタインとアルゲリッチのワルシャワ・ライヴを収めた CD Accord盤も、もう二度は聴かないだろう。

 ― というように、寛容性の幅がどんどん狭まっている、もちろんそれは、「たっぷりものを置いておける」生活環境でないことが、大きな原因でもあることは言うまでもないのだが。

冷蔵庫内の水漏れ。

 もう老朽化の極みを超えて、まだ使っている冷蔵庫‥‥というのも、玄関に置いた大きな食器棚(旧室から移転)のせいで、冷蔵庫など大きなものが玄関から出し入れできない状態なので、しようがなく使っている。

 冷却部のフィンに結氷して冷却機能が落ちることは、拙ブログでもしょっちゅうボヤいていたのだが、ここ1年ほどは、保冷剤4パックを、2パックずつ凍らせ、あと2パックを冷蔵室トップの引き出しに置くようにし、常に冷却補助をさせて、そのお蔭でフィンに結氷しないようになっている(写真省略)。

 が、いったん付いた氷が溶けた水が、しかるべき経路を通って背部の、水を溜めておいて蒸発させるパーツに落ちず、たぶん途中の経路にゴミが詰まっているのか、庫内に出てくるのである。

冷蔵庫内に水。

 棚を、ちょっと前にずらしておけば、棚に水が溜まる ― 何度かあった ― ことはないが、いちばん下に溜まってしまい、時には床に流れ出していることもある。
 写真は、百均で買った、何の用途か失念しているプラ・トレイを、ドアの前に敷いている図。もっともうまくこれに流れず、床に流れることも多く、どちらにせよ、ティッシュで庫内を、雑巾で床を拭かないといけない。
 ふひ〜い。

Mercury F1、ちょいとお掃除。

 ふい〜‥‥週末はいつも腹具合、ワルいな〜。
 いっぽうで、毎日、クラス全体にではないが、生徒に話す仕事なので、数年前まではだいたい学期の終わりごろになるとノドが痛くなり、ノド風邪の症状が出ていたのだけれども、ここ数年は、しゃべってもノドに疲労が来ず、耳鼻咽喉系の風邪には、実に患らなくなった。

 …時間数は短いとはいえ、62歳のヘロヘロ爺ぃが週6日仕事に行くのは、そこそこチンドいです〜;;。
 ま、こんな調子ででも仕事があるから生きていけるのであるが…。

 そして ― CDは、やはり最近買ったものの中に、なじめないものが多く出てきて、数千円かけて集めたのに、早晩ユニオンとオクとで捨離シャリィ〜、とあいなる予感が。
 前記事の、アルテミス四重奏団のベートーヴェンなどその候補で、やっぱりどう気を入れて聴いても、「ベートーヴェンを聴いた」という実感が湧かない。

 それと、年金請求に必要な書類のために、ぼつぼつ出身大学などに在学期間の証明書を依頼しないといけない ― だいたい夏季休暇も終わり? ― し、な〜んにもしていないような毎日ながら、頭の中は雑然忙然。

 さて、転室前から、ホコリの多い居室で、もうあしかけ8年付き合ってもらっている、Tannoy Mercury F1 Custom。
 サランネットとフロント・バッフルの間にはけっこう隙間があり、振動板にそうとうホコリが付着してきている。

Mercury F1、掃除前

 1年ほど前になるが、ダイヤフラムを傷つけずに掃除するには‥‥と、カメラのレンズ用刷毛:エツミ E-146を買っていたのだが、今までほったらかし。

 掃除機で吸い取る形にすると、吸引力がそこそこ強い機種なので、バリッ! とやったらタイヘン…なので、といってブロアーは持っていないので、常用の、コイズミのヘアードライヤーを使う。
 これだとあまり風力はないが、それで飛ぶくらいでがまんしましょう。

ドライヤーとブラシ

 熱風は出ないように注意し、マイナスイオン(とか^^)も切っておいて、ブワ〜ッと吹きつけ、ブラシでシャシャッ、と。

Mercury F1、掃除後

 う〜ん、ちょっときれいにはなったが‥‥。

汚れ。

 右チャンネル用(に使っているだけで、左右は全く同形)のウーファーの下部エッジ部分に、白い斑点が残った。虫の糞かな? 無水アルコールなどは素材を溶かす恐れも、と、触らず。
 音は‥‥変わりません(笑)。

アルテミスQのベートーヴェンを聴いて…。

 オーディオ・システムが、お粗末ながら“完成”してしまい、「オデオ(いじり)の楽しみ」が、人生から霧消してしまった。
 安定し、無用の出費はなくなったけれど、自分の中でいちばん大切だった部分が欠け落ちて、もうもどることはできないという喪失感は、ある。

アルテミスQとABQのベートーヴェン

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第15番 Op.132を、アルテミスQで聴いてから、アルバン・ベルクQでも聴いてみた。

 じつにたいへんな熱演かつ秀演のアルテミス盤。『ラズモフスキー』3曲だけは、どういうわけか速いテンポで駆け抜けるが、それ以外は、表情づけが濃やかすぎるほどで、彫琢が、深い。
 フルトヴェングラーの振る交響曲を聴くような充実感+疲労感を与える演奏である。

 これは、名演盤として置いておこうと思うのだけれど、この団体の演奏は、聴いていて、聴きてが楽曲の「中」に入り込める演奏ではあるものの、1曲のイメージが、聴き終わって結実しないのである。
 「木を見て森を見ず」という言い方があるが、アルテミスQのベートーヴェンを聴くと、楽曲の内部世界の、枝ぶりのよい木々やきれいな草花は見えるけれど、「この曲は、こういう存在だ」という像が、浮かばない。

 アルテミスQのベートーヴェンは、流行の古楽風のオーケストラ演奏の、むしろ正反対を行くものと言えるだろう。
 いわゆる“ベートーヴェン的”でない、たとえばレイボヴィッツなどの交響曲演奏が紹介される時、「この時代にこれほど非-ロマン的なアプローチが行われていたとは」的文脈の賞賛が伴うことが多く、そういう演奏は、「長い時間のうちに、ベートーヴェン作品に付着した“手垢”を落とした」と評価されることが多い。

 アルテミスQの演奏は、その意味では、新たに“手垢”を付けてゆく演奏姿勢だとも取れる。
 その方向は、個人的には賛成できるのだが、まとまった「作品像」が結びがたく、聴くことのもたらす疲労感を考えると、頻繁にプレーヤーに乗せようと思えないところがある。

 そこで、アルバン・ベルクQ。
 アルテミスQに影響を与えた団体のひとつでもあるが、ABQで聴くと、積極的で繊細な表現が、やはり「ウィーンの様式感」、「ウィーンの香り」というステージの上で演っている、という感触が伝わってきて、安心して聴ける部分がある。

 ― で、今回考えたこと。
 あと、残された人生の(音楽の聴ける)時間で、「後悔しない音楽鑑賞」をするためには、“ベスト1”か、せいぜい“ベスト2”くらいのCDしか手許に置かないことがきわめて重要だと、ますます感じる今日この頃、なのであります。

 数年後のことを考えると、今の賃貸に住んでいられるかも怪しく、CD、本、オーディオ機器など、すべて手放さないといけない事態も、視野に入れておかなければ、とも思う。
 加えて、自分が、本を読むことや音楽を聴くことから得る楽しみや充実感が、じつのところ、あまりない人間である、ということも自覚されてきている。

 本については、このところ読んだ本から受けたプラスのものは、きわめて少ない。
 内田 樹『下流志向』、鷲田清一『悲鳴をあげる身体』、井手英策『日本財政』、同『財政赤字の淵源』、ジェフリー・サックス『世界を救う処方箋』、等々、ほとんど何も得るところはなかった。
 社会や歴史の、重要な事柄を指摘した、一般には有益な本を読んでも、私の暮らし・人生には、別になんにもならないし、世の中が変わるわけでもない。

 上記、アルテミスQのベートーヴェンを買って以降、もう3ヶ月の間、CDは買っていないし、買おうという方向には向かない。
 ということで、今のライブラリーに満足しているというありがたい状態なのだが、むしろここからさらに削ぎ落とすことを考えるべきでは、という思いが浮かんでいる。

 ベートーヴェンでは、ピアノ・ソナタ全集のひとつくらいなくては、と、バックハウス盤とブレンデル旧盤を導入し、ブレンデル盤の意外なよさに驚いてはいるのだけれど、「う〜ん、これセットで持っている必要、ある?」とも思ったり。

 ― “断捨離”のはなしになったのだが、「モノに支配されない豊かさ」を求める昨今の断捨離とは事情を異にし、私の場合は、持ち家などの、あるていどゆったりした老後を確保する努力を、まったくしてこなかった、その当然の「報い」を、どう受け容れてゆくか、受け容れるとしたら、少しでも納得のいく受け容れ方をしたい、というのが、課題なのであります‥‥。

ノーム・チョムスキー登場!

 神保哲生と宮台真司による YouTubeチャンネル、《Videonews.com》は、有料登録こそしていないけれど、無料で見られる部分は、よく見る。
 下のコメントには、宮台氏の、一種毒のある表現に、罵詈コメが入ったりしてキタないことになることが多いが、今回リンクさせてもらう映像には、さすがというのもヘンだけれど、罵詈コメが(まだ)ない(笑)

 今回は、アメリカの言語学者、“知の巨人”の称が大げさでなく、かつアメリカのリベラルとして、かなり過激な ― アメリカこそ世界最大のテロ国家である、というような ― 発言を続けてきた、ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky、1928−)に、神保さんがインタヴューしている。2回に分かれ、神保・宮台の対談コメント含んで、全篇無料で紹介されている。
 ともかく、見てもらいたいし、“拡散”もしてもらいたい、ということで、前半、後半とも埋め込ませていただきます。




 英語でやりとりする神保サン、このところちょっと太り気味だが、こ〜れはカッコイイ!

 最初の部分での、かつてチョムスキーの影響を受けた宮台氏の紹介は至当と思うが、後半、宮台氏はチョムスキーへの反対意見を述べている。
 これも面白い。

 宮台氏が、チョムスキー批判の論拠とする、ジョセフ・クラッパーの説(限定効果説、など)については寡聞にしてよくわからない。
 顕著なのは、チョムスキーが、徹底してユニヴァーサリズム、反ローカリティの立場を固持しようとするのに対して、宮台氏は、ローカリティ、あるいは「コミューナルな共同体」の可能性を重視しようとしているところだ。

 チョムスキーは、ユダヤ人であるが、イスラエル擁護の文人、たとえばかのエリ・ヴィーゼルには強い非難を浴びせていることでも知られる。

 チョムスキーが、頑ななまでに、デモクラシーとユニヴァーサリズムの立場に立つところには、まさに「欧米の知の良心」たらんとする、信念を感じさせる。
 20世紀の知の巨人の一人というべきユダヤ人の哲学者、エルンスト・カッシーラーを思い起こさせる。

 対する宮台氏の、「コミューナルなグループ」への参加が、偏った、あるいは誤った情報や考え方から、個人を守ることを可能にする、という見解。
 孤立した個人が、しばしば「思い込み」を脱することができず、それを相対化してくれる人が身近にいなくて、偏狭な考えに陥るということは、納得はしやすい。

 しかしながら、「コミューナルなグループ」は、いっぽうでは仲良しグループとして、自分たちの価値観・意見を、異なる価値観・意見を排除して結束し、仲間内でも、さまざまなレヴェルにおける異分子を牽制・排除する傾向を帯びやすいことも、忘れてはならないだろう。

 ヘイト・スピーチ集団も、自分たちは「コミューナルで、それゆえ公正・正当な考えを持ちえている」と思っているに相違ない。
 この「コミューナルである」という感覚は、戦前のドイツ国民や日本国民の国家観…というより、「国家感覚」にも ― 宮台氏は徹底して反論するだろうが ― 通底するところがあったことは、否めないのではないか、と思う。

 最近また、P.ヴィーレックの『ロマン派からヒトラーまで』(紀伊国屋書店)を最初から読んでいるのだが、ヴァーグナーをはじめ、19世紀のドイツ・ナショナリストたちは、ドイツの、あるべき愛国主義=民族主義は、コスモポリタンな市民革命思想を超越した、“魂の共同体”でなくてはならぬ、という信念を強靭にたずさえ、ナチス・ドイツに流れ込んでいったことを説く ― これ、反論も多いのだけれど。

 ひるがえって、私ごと ― 繰り言 ― を申せば、私自身は、きわめて孤立した人間である。
 幼少時からずっと、友人は、ほぼ一人もおらず、「コミューナルな交わり」からは遠い、というか無縁だ。
 小学4・5年と、中学2・3年は、不登校だった。
 初めて、そして人生で4年間だけ就いた正規職では、口舌にのぼしがたいほどのヒドい人間関係を作ってしまった。
 そのあとの非正規職でも、自分がいないほうがいいと感じることは多く、それでいて、他者を異常過ぎるほど意識する。

 ‥‥というわけで、宮台流に言うと、私のような「孤立」した人間は、過激な、あるいは誤った思考に陥りやすいことになる。
 なのだが、私生活がま〜ったく孤立しきった状態が、自分ではむしろ自分をニュートラルに、あえていえばユニヴァーサルに保つことに、かえってつながっている、と、強弁する自分を発見する。

 あ、また最後はグチになっちゃいました;;。

[付記]チョムスキーの言語学を「誤り」と断じる見解も多い。
 英語学習系サイトのブログらしいこちらの記事もそうだ。
 が、この記事のごとく、言語は脳のニューラルネットワークのパターン学習である、という説明で、言語現象、つまり文法も、幼時の言語習得も、そして言語が言語以外の他の知的現象ではなく、まさに「言語」であることを説明できるというのは、あまりに ― あまりに単純で乱暴だという気がするのだが。

井手英策氏著書、レビュー投稿。

財政赤字の淵源
 こ こで、いずれ Amazonにレビューを、と書いていた、井手英策氏の『財政赤字の淵源 寛容な社会の条件を考える』(有斐閣、2012年。写真は Amazonから)のレビューを、やっと書いて、Amazon商品ページに投じた。

 最近 Amazonは、レビュー投稿時には、ログインだけではなく、登録メールアドレスにコードを送信してきて、それを入力して認証するようになっている。
 いっぽう、レビューが認可されてアップされると、メールで通知が来る。今回は数分後だったようだ。

 私の買ったもの(ヤフオク! 上のブックオフ、まとめ買いのできる店舗)は帯がなかったが、Amazonの商品写真は、珍しく帯があり(書籍の写真は、帯がないものが一般的)、「増税に共感できる」という文言が印象的だ。
 2つ星で低評価であり、ゴタゴタと書きながら内容のまとめにもなっていない ― あたりまえである、当方、財政(史)なんてぜ〜んぜん門外漢 ― が、言いたいことは書いて、フォローもしたつもりである。

 こんどは、チキ氏の『ブラック校則』、書かなくちゃ。

久しぶりに、本。

 水曜日で“夏期”のお仕事終了〜。終了に向かい、腸の具合最悪‥‥ということは、アタマの緊張からの解放を身体自身が感じて反応しているのかも。
 最後のコマは、約30分のサービス残業でした〜。

 CD漁りのほうは、依然として6月の、アルテミスQのベートーヴェン全集で打ち止めのまま。
 オクを時どき覗くけれど、このごろはそ〜と〜どうしようもない状態だ、と感じてしまう。検索内容によるが、価格と内容から、ゴミ出品の山としかいいようのない光景に出くわすことが多い。
 オクも Amazonも、いいものが出ているときに買ったなぁ、とヘンに悦に入ったり。

 その反動でもないけれど、ひ〜っさしぶりに出版物=「本」を3冊買いました。

本、3冊。

 右から、「最新刊」、荻上チキ、内田 良編『ブラック校則 理不尽な苦しみの現実』(東洋館出版社)、そして佐々木正人編『想起のフィールド』(新曜社、1996年)、左端の文庫は、エルンスト・カッシーラー『国家の神話』(宮田光雄訳、講談社学術文庫、2018年)。

 『ブラック校則』は、読んでしまった。
 こちらに、編者の一人・荻上さんの見解がある。彼の冠番組(TBSラジオ)《荻上チキ Session-22》の特集も先日あり、それを聞いて買ったような感じ。

 何しろ私は、60〜70年代に「生徒」だった人間なので、中学入学と同時に「丸刈り」が強制された。小学4〜5年生時にいちど不登校に陥り、学校恐怖・学校厭悪感はずっと心中に底流していたので、中学入学はイヤ以外の何ものでもなかった。
 中学時も不登校で、5年在籍(教育研究所通所を以て出席と換算して卒業認可)しているうちに丸刈り強制校則がなくなったが、今度は頑なに伸ばさなかった。

 そういう流れの中で育ち、“人権無視”の校則がある状態から、次第に緩和されてゆく流れの中で、しかし自分自身は、校則も全部含めて丸ごと「学校」を拒否するという事態に陥ってしまった(← このようなマイナスの表現をするのは、私自身、そのように評価しているからである)、という次第だ。

 髪を染める/脱色するなどをしていない証明のために「地毛証明書」を提出する、ということが、近年増えているという。下着の色も、教員がチェックした上、校則、というより「内規」違反であれば是正させる。
 こういう事態に、「え? 現代の社会でこんなこと?」と驚く、という表現でしばしば描かれるのだが、私はむしろ、「あ〜、あのころあんな教育しかできなかった教員世代の次の世代なのだから、ほかのやり方なんか見つけられるはずはないよな」と思ってしまった。
 当たり前の「教育効果」が現われているだけ、だとさえ感じる。

 この本のレビューは、いずれ Amazonにでも。

 真ん中の『想起のフィールド』‥‥これは、いちばん最後の論文、高木光太郎「身構えの回復」が、大学入試に使われたことがあり、仕事先で垣間見したことから興味を持ち、オリジナルを入手したいと思ったので買った。
 もうとっくに版元品切で、Amazonでは定価(税抜き2,400円)より高い価格の出ものばかり。オクで、ブックオフが半額で出しているのを見つけて購入。

 執筆者の高木氏(リンクは早稲田塾サイト。仕事先ではありません^^)は、青学の教授で心理学者だ。

 この論文は、フランスの映画監督、クロード・ランズマン(Claude Lanzmann 1925〜2018)の、スピルバーグ(『シンドラーのリスト』)批判や、松本サリン事件における河野氏の、当初の証言の誤謬などを取り上げる。

 まだ通読もしていないし、熟読したとしても乱暴なまとめ・引用にならざるをえないと思うが、高木氏は、私たちがものごとを想起し、確認することを以下のように言う。
 「過去の出来事を想起すること、つまり年代記として、多様な事象間の因果連鎖の時間的展開として描き、説明することは、われわれの日常であり、われわれはこうした年代記的な語りこそ事実を確定するときの標準的かつほとんど唯一の方法であると信じている。」(221〜222頁。太字化は へうたむ)
 そして、このことが河野氏の当初の誤認を生んだ事情でもあり、ランズマンが、「出来事を再構成することを厳しく禁止」(219〜220頁)した所以でもある、と言う。

 高木氏は、ランズマンを引用して、
 「暴力をなにか別のものによって説明することは、「暴力の冷酷きわまるむき出しの姿に衣をまとわせ、美しく装わせようとすること」であり」(220頁)、暴力の真の姿への直視を妨げる、と言う。

 当該論文には、イスラエルとパレスチナの問題への言及は、ない。が、この論文を「垣間見」して私が思ったことは、このランズマンの「方法=姿勢」は、イスラエルの、パレスチナでの行為にも、そのまま、過つことなく当てはめられねばならないはずだ、ということだった。

 《週間読書人ウェブ》上にある、『パタゴニアの野兎 ランズマン回想録』(人文書院)への、早尾貴紀氏の書評によれば、ランズマンは頑固なシオニストであり、また、アルジェリア独立を支援しつつ、「いざ独立したアルジェリアの指導者らがパレスチナ解放闘争の支援を表明するや、ランズマンは激しく憤慨。アルジェリアとの関係は「すべて終わった」」(同ウェブ)。
 「正直、評者として落胆を覚えるほどに、ランズマンはイスラエル国家に対する批判的距離を保つことができず、自らと一体化してしまっている」と早尾氏は言う。

 ネット上には、ランズマンのその当該作『ショアー(ショア)』に対する批判も、あまた見える。
 それにもかかわらず、高木氏の、ランズマンの「提案」に対する評価は、ランズマンにとっていかに皮肉な、あるいは意に染まない立場をも支えるものであっても、いな、それゆえに、きわめて重要だ。

 反対から見れば、「出来事を、出来事のまま、説明しないで復元する」視点を提出したランズマン自身は、自らの民族性に関わった次元においては、「シオニズムという物語」を、一切の起源に置くほかなった、というところに、大げさにいえば、「人間精神の必然としての悲劇」のようなものを、ひしひしと感じさせられる。

 ― で、真打ち登場! でありまするが、共同体と個とのクリティカルな関係を論じた古典、E.カッシーラー(Ernst Cassirer)『国家の神話』。
 これ、この宮田訳は、ずっと創文社の高価な研究書版しか邦訳がなく、原書(英語)のペーパーバックは持っていたのだが、当然、積ン読。

 最近ちょっと終わりのほうをパラパラとめくってみて、そう難解な文章でもないな、とも思いながら、新訳や文庫化など出ていないものか、とググったら、宮田訳が講談社学術文庫に入ってました。
 本文訳文はほぼ創文社版のままのようで、人名表記と書誌情報のみ更新した、と「訳者あとがき」にあるので、帯の「全面改訂を施した決定版」というキャッチは、ちょっと誇大。
 今年の2月の刊行である。この本が、今まで文庫化されていないほうが驚き‥‥だったが、専門家は原書で読んでいるだろう。

 訳者の宮田光雄氏は健在で、90歳を迎えている。この文庫の「学術文庫版訳者あとがき」には、昨今の政治の状況に対する、リベラルとしての警告が明記されている。
 カッシーラーの文庫版は、『人間』、『シンボル形式の哲学』全4巻(すべて岩波文庫)に続いて、3作め=6冊めになる。
※『啓蒙主義の哲学』(ちくま学芸文庫、2巻)も出ていた。4作/8冊め、ということになるようだ。[後記]

 しばらくはやはり積ン読のままになりそうだ。が、学部時代のゼミの教材(もちろん邦訳)で、けっきょく読み通せなかった『人間』は、文庫版に替えて、やっと読み終わりかけている。

 そうそう、この3冊すべて並製本で、しかもうち2冊は古書、さらにその1冊は文庫だけれど、出費は都合4,300円でした。CDならベートーヴェンの交響曲全集が2セットは買える、かな?

「満足度」と「幸福度」?

 暑いな〜‥‥。夏の仕事は次の水曜で一段落、4日の休みののち、2学期に突入。
 CD購入は、6月真ん中の、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集で、フシギにストップしたまま、再開のめどなし。善きかな善きかな^^♪
 今のライブラリーで、一生聴くに不足しないくらいの質と量はあるので、まずは満足‥‥「本」となると死ぬまでに部屋にある1/100も読まないだろうな、という分量がある。

 というわけで‥‥というフリでもないけれど、今は「満足」した暮らし、なのだろうか?

 いつも拝見するブログで、「「現在の生活に満足」74・7%、過去最高更新」=内閣府調査というのが紹介されていた。
 ブログ主は、「とても信じられない」旨、一種驚嘆されていた。

 このところこの「満足度」は、右肩上がりに上昇していて、今回のみならず、前回(昨年=平成29年)も、73.9%で過去最高、であった。

 この調査につき、感情的に「信じられん、政府の陰謀だ」式の疑念もネット上に多く、まあそれは無視するとして、こちらのサイトでは、2009年と2017年とを比べ、後者の回答者に、高齢者が異様に多くなってきている変化を指摘している。
 当該ページの、この指摘以外の、ネット上から引用してきた感想は、“ありがち”な印象批評であり、これらは「まあそういう気持ちもするわな」的に見ておくしかない。が、回答者に占める高齢者の急な増加は見逃せない。

 今回のデータから、男女合わせての年齢別回答者数は、以下のとおり。こちらから。

平成30年、満足度調査サンプリング

 まず、上引《ゆるねとにゅーす》所引の表から、2009年調査の標本数のうち、60歳以上は、(985+707)/4,943 なので34%、回答者のうちの60歳以上は、(596+446)/2,538 であるから、40%である。
 同じく、2017年は、標本数のうちの60歳以上が、(1,880+2,471)/10,000 なので、43.5%。回答者数中の60歳以上は、(1,333+1,532)/5,993 なので、48%。
 今年2018年調査では、標本数のうちの60歳以上は、(1,776)+(2,512)/10,000 で、43%。回答者数中の60歳以上は、(1,207+1,592)/5,969 なので、47%。

 去年より微々たるポイントだが、バランスがもどり、しかも、実際の満足度結果ページを見ると、60代が最も「不満」を多く表明しており、28.4%、約3割が不満だというから、高齢者ほど満足度が高いとは言い切れず、それゆえ、好結果を得るために高齢者を多くターゲットにした、とも言い切れない。

 とはいえ、2017、2018年とも、回答者年齢のバランスは、じつに悪い。

 この調査と合わせて頭に浮かぶのが、今年3月に国連が発表した、『世界幸福度ランキング』
 世界の中で、日本の「幸福度」は、54位だった、という結果。この調査は、各国1,000人のサンプリングだそうなので、内閣府のほうが大規模で、信頼度は高い、と日本政府は言いたいかもしれない。

 ともかく、この二つから窺える‥‥と言っていいかはビミョーだが、日本は、「満足度」が高いが、「幸福度」は低い国、と言えば言える。
 そして、そう言ってみると、「なるほどなぁ」という気もする。

 「満足」というのは、「足りている」という意味である。あることが、ある水準に達していて満足なら、それは同時に「幸福」でもあるはずだ。
 が、しかるべき水準に達していなくても、「しようがない」と考えることで、「足りている=満足」となる。が、それは「幸福」ではない。
 「幸福」ではないけれども、「幸福」まで到達することは、自分には無理、ないし分不相応である、と考えることによって、「満足」は得られる。

 どうも、日本人の「満足度」にはこういう側面があるような‥‥しかし「気がする」ていどではあるが‥‥印象がある。

 自分を振り返って‥‥私は、成人してのち、天職も伴侶も、家族も持ち家も、なかった。これで「満足」するかどうか、というより「満足しなくてはならない、それが私の「分」だ」という思いはある。
 還暦を超えて、1Kの激-狭部屋に閉じ込められ、しかしながら、余暇には好きな音楽を聴き、好きな本を読むことができる暮らし、これには感謝して満足しなくてはならない、という意識が、ある。

 が、将来まで見越して、これが「幸福」かというと、とても幸福ではなく、不安に苛まれ続けなくてはならない。
 そして加えて、この「幸福とは言えず、不安に苛まれ続けなくてはならない」暮らしでもって、同時に、十分「満足」すべきものと言わなくてはならない、という意識がある。

 “社会運動”的なものに参加している、ないし関心を持っている人びとは、こんな社会に「満足」なんて想像もできない、と言うだろう。その意識は共有している(からこんなことを書く)。
 しかし、大多数の巷の勤労者は、政権がどんな勝手放題をしても一向に「損害を被った」感は持たないし、そもそも戦後70年間、「議論で制度を築いてゆく」ということをやった経験が、ほぼないのである。

 最寄りの駅頭などで、護憲の署名を求めているのを見ると、私はたいてい署名をする。
 その時、「憲法を押し付けられた歴史を、忘れるわけにはいかない」と必ず言うようにしているのだが、そう言うと、署名を集めている人たちは、間違いなく私を真実に対する無理解者だという表情で見る。
 護憲も改憲も、固着したまま、ライヴならぬデッドな憲法を生きてきた、いや、生きてこなかった戦後。

 ‥‥なんかグダグダのグチになっちゃったな〜。ふひ〜。

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