8月に買ったディスク。

 8月終了〜‥‥ ;;。
 今月は24日出勤、9月末には今の仕事先では一番多い振込み額になりそうである。
 すでに地方税、国保保険料は全額納付している。といって、オデオやディスク、書籍などにもうあまり出費してもしようがないし、まとまった貯金ができるような収入額にもならないから、10月くらいに、国民年金保険料の免除分の、復活納付を、年金事務所に相談してみようと思う。

 夏期中も、週末にはハンで押したように○痢‥‥‘夏期仕事納め’の30日には、水曜なのに下○^^;;。これでアタマの緊張をほぐしている感、見えみえ。

 この、けっこう忙しい夏、意外に、映画を2度観た。 
 ひとつは、お邪魔しているブログ記事から知った、《メアリと魔女の花》。
 これについてちょっと書こうと思っているが、いろいろあって、いっぽう時間とともに物語の細部は忘れていくし、でなかなかアップできない。
 そうしているうちに、《この世界の片隅に》をもう一度観たくなり、都内首都圏の夜の上映で観た。そのために、仕事が終わってから新百合ヶ丘まで行ったり。

 なかなか書けそうにないので、ここ3〜4日で買った中古CDを。

8月に買ったCD。

 今回はフランスを中心に、ラテン系を。
 イベールの管弦楽曲集は、佐渡 裕/ラムルー管の Naxos盤を持っていて、悪くないと感じていたが、もう数年、一度もCDプレーヤーにかかっていない。
 佐渡さんの演奏は、丁寧だが、リズムとフレージングにいささか軽みが不足する‥‥大野和士さんにも、そういう面を感じたことがあるし、評でも読む‥‥ところがあって、かつデュカスの『魔法使いの弟子』なんかも欲しく、デュトワの『フレンチ・コンサート』を買った。別番号でかつて持っていた盤だ。

 このアルバムのイベールは『喜遊曲』だけなので、『寄港地』は、マルティノンの仏EMI盤にしようと、探すと、HMVが中古を持っていた。
 HMVのサイトで買えば、2枚以上買っても送料は378円 ― 今回は、送料無料になる2,500円までは買うものがない ― なので、アルゲリッチ+バレンボイム/パリ管の、ファリャ『スペインの庭の夜』も一緒に注文。

 ジュリーニ/ベルリン・フィルによるフランクの交響曲も。これも番号の違うディスクをかつて持っていて、生活費に変わっていた。

 佐渡のイベールは、リマスターが耳に合わないグールドの『平均律』や、テンシュテットの『千人の交響曲』ライヴ(LPO)、アッカルド+ジュリーニのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲などといっしょに、ユニオンに売ってしまった。

 テンシュテットのライヴの『千人』は、歌手たちの絶叫 ― それも倍音が歪っぽく、聴きづらい ― をはじめ、部屋で聴くにはよほどのテンシュテット・ファンでないとつらいものがあるし、録音が、悪い。

 それから、超-久しぶりのDVD購入。《思い出のマーニー》。原作は、アトリーの『時の旅人』などと同じように、酒が入ったあとに終末部を読み返して、未明に泣いたりする(泣けます!)本だけれど、アニメ映画のほうは《メアリと魔女の花》の米林監督によるもので、劇場で観そびれているので、買ってしまった(ヤフオク! 出品のブックオフで、セル版)。

領収書1枚に、宅配便。

 ふひ〜‥‥8月後半は週休2日にいたしておりやす〜~ ~ ;。シンドい。

 ‥‥もう1ヶ月前のことになるけれど、7月に HMVで中古ばかり、送料無料になる2,500円以上買った際、1点がCD-Rだったと間違いなく思われたので返品し、その際、領収納品書を同梱するように、ということだったので、代わりに返品を削除した領収納品書を送ってほしい、紙の領収書の送付が不可なら、ウェブ上にページを作ってもらってもOK、と連絡した。

 すると「郵送しました」のメールが来たあと、全く届かない。1週間経って、「いかがなりましたでしょう?」と聞いてみたら、「佐川の宅配便で発送ずみ」とのこと。
 その翌日の月曜日、仕事で外出中に不在配達票が入っていた。
 そこから、電話の自動受付で、在宅する次の日曜の午後2〜4時を指定しておいた。

 で、当の日曜の当該時間帯に、全く来ない。
 HMVからのメールにあった問い合わせ番号で検索すると、不在配達票が入った月曜までの約1週間、ほぼ毎日ずっと「持ち戻り」記録になっていた。そして、この日の欄に「配達中」とも出ていない。

 時間帯の終わりに営業所に電話すると、ドライバーさんが持ち出してもいなかったようで、つまり電話受付は全く伝わっていなかった。
 話では「人員が不足し、ぎりぎりでして」ということだった。
 これは、このところ伝わる宅配ドライバーさんのブラック的激務からも、わかる!

 当日は、もう無理だということで、次週の日曜を指定し、届いた。
 結果、営業所に20日近く滞留するという、珍しい荷物になったわけだ。

宅配で領収書

 中身は、納品兼領収書1枚 ― 書類、たった1枚、である。これに受領印を求める発送元

 受領印を要する宅配便の配達が、これほど混んでいる現状で、書類1枚の発送にも受領印を取る、という HMVの姿勢のほうに不審を覚えた。
 CD-Rであるというだけで返品を申し出た私を、かなりなクレーマー的顧客だと判断して、「届いてない!」というようなクレームが来ないよう、確実に受領印の取れる形式を選んだ‥‥のかもしれない。

 「お急ぎ便」、「当日配達」…のような、超高速配達サービスの、あまりの増加が、とんでもない様相を惹き起こしているようだ。

 HMVには、事情をフォームから伝えたが、「郵送しました」という連絡がまずかった、とだけ解釈したようで、「テンプレートを改めました」という返事だった。
 再度、「テンプレートの問題ではなく、書類発送の合理性をお考えになったほうが…」という文言を送っておいた。
 それぞれの企業が、自社内がうまく動き、免責を確保できるように考え、サービス最末端の宅配ドライバーにしわよせが行く。「戦争」における一兵卒、に似ている。

高校野球の開会式…。

 夏の高校野球、甲子園での開会式で、プラカードを持つ役の女子高校生が、熱中症的症状で倒れ、それに対し、周囲の高校生たちが救護には動かず、高野連会長ののスピーチも途切れることなく続いた。

 YouTubeの埋め込みはしないが、こちらに収録・掲出された開会式全映像のうち、34分20秒くらいから、八田英二・高野連会長の挨拶スピーチが始まり、37分36秒くらいに、女の子が、倒れている(動画のキャプションにショートカットのリンクあり)。

開会式で昏倒

 これについて、周囲の高校生たちがほとんど動揺せずに直立の姿勢を取りつづけ、高野連会長もスピーチに一切中段を加えなかったこと、またこの事実を主催者である朝日新聞を始め、メディアが取り上げなかったことを、高校野球の中にある非人間性の表れだと非難するネット言説がちょっと‘炎上’している。

 開会式の行進先導・プラカード持ちは、伝統的に西宮市立西宮高校の女生徒が担当することになっているらしい‥‥‥いや、ホントウは私は記憶にあるはずなのだが ― というのは、ここの出身なので ― 忘れている。
 市立西宮高校は、地元では「いちにし」という。県立西宮高校を「けんにし」といって区別している‥‥今もたぶんそうであるはずだ。

 もちろん、不登校で中学に5年も在学した私は、内申の点で公立校は先ず無縁だったので、関係はない。

 そんなところで、なんやかや、ちょっとフクザツな心境で、このニュースを考えておりまス;;。
 女生徒の昏倒にもまったく同ぜず、延々(!)とスピーチを続けた高野連会長・八田英二氏。← 全然シラン人ではあるが、同志社大の理事長・総長や学長を務めた経済学者、とのこと。
 この大学がまた、個人的に縁のある大学なんである‥‥よい思い出はほとんどないけれど。
 まいったな〜^^;;。

 この「光景」自体には、やはり異常なものを感じてしまう。「一糸乱れず」、「微動だにしない」という「集団行動」の教育文化が、戦後ず〜っと涵養され続けてきた流れの中で、こういう「光景」が出来するのはきわめて当然のことであり、そしてそれは戦前の日本や今の北朝鮮をダイレクトに連想させる。

 このアクシデントに関しては、周囲の生徒の動きが非人間的、非常識であるという非難は、ただちには当てはめがたいと思う。
 女生徒が倒れた直後、男性が介護しているし、他にも介護者が数名、俊敏に駆け寄っている。

 つまり、開会式の運営は、こういった事態を予測して、このようなことが起きればすぐに対処できるように準備されており、市立西宮高の女生徒はそれを知っていて、うしろにいる高校球児たちも、すぐさま介護されたのを見て、動くまでもないと判断した、と解釈することは不自然ではないだろうと思うし、だとするとこのこと自体はそう大きな、非難されなくてはならない問題ではないと思うのだが…。

 むしろ、同じ調子で事態を非難したり揶揄したりする「同一歩調言説」がネット上を駆け巡ったことのほうに、「民衆の共通歩調ベクトル」みたいなものを感じる。

 ではあるが、こういう場面以外にもあまた報告されている、高校野球のムチャな練習のあり方など、こういうものを下支えしている「教育カルチャー」には、どうしようもなく危険で、不快なものを感じてしまう。

 八田サンのスピーチ、‘同志社的’であろうとガンバったのか、英語をふんだんに盛り込み、最後は「We're always behind you!」と結ぶ‥‥けっこういいこと言ってんだけどなぁ、の感あり。← だって、倒れた女生徒のうしろ ― behind you! ― に、ちゃんとすぐ介護者が来たじゃないですか!(笑。あ、笑っちゃいかんか…)

 女生徒の昏倒に、まったくスピーチを中断もアドリブ変更もしなかった‥‥のは、ま、慣れていないんですよ、こういう人は、こういう場面に。
 けれども、そういう「姿勢」そのものが、「個人」を基本的に大切にしない文化、社会の基調を、よく示している。

 よく言われる、人権を尊び、リベラルを標榜する朝日新聞社が、高校野球のような人権軽視の生じるイヴェントを主催しているのはおかしい、とか、そういう新聞社に人権を云々する資格はないという批判。

 そのとおりだと思うけれど、朝日新聞が、「リベラルが正しい」と認識してその路線を採っている、とは言い難い。
 「リベラルで行くぞ」と「上」が指示すればリベラル、「高校野球はすばらしい、で行くぞ」であれば高校野球、なのである。
 朝日新聞と産経新聞が、ちゃんと「シェア」できるビジネス。

 この国の「○○」は、「○○がよい or 正しい」の「判断」で主唱・遂行されるわけではなく、「オレたちは○○で行くぞ」という「指示」のもとに進められるのである。
 護憲も改憲も、ウヨクもサヨクも、開発もエコも、バブルも「モッタイナイ」も、そういう次第なのです。

 ‥‥まじめな話、八田氏のスピーチとはうらはらに、倒れた生徒のすぐ「behind you」の子たちは、全く動かなかった。
 この子たちを責めるのは酷だし、当事者や周囲の生徒たちがいじめでも受けるようなことは、それこそ許されるべきことではない。

 が、八田氏の「美辞麗句」は、このように機能(or 逆機能 or 非機能)するものであり、そのような社会と文化を、営々として戦後70年、築き上げてきたという自覚くらいは持っておかねばならない。

PV急上昇! いったい何が?

 7月終わりから今月冒頭にかけて、拙ブログのPVが、異様に増えている。

7月末PV

8月あたまPV


 オデオ系の記事をほとんどアップしなくなって、だいたい一日のPV(単純積算らしい。JUGEMの)は400〜600台になっていたところ、7月の終わり、28日くらいから急に1,000を超え、7月31日は1,441となっている。

 何が‘お客さま’を呼んでいるんだろう? 都議選関係の、やや「荒れた」記事は、7月半ばには削除している。
 ふむ〜‥‥「ブラック部活」、かな^^?

 あ、この記事も消すかもしれません。恥ずかしいので;;。

戸襖のすべりが‥‥そうしたら!

 いっやもう、久しぶりの日曜日、起きられないほどぐったり。
 1週間ぶりにずいぶんとCDを ― 今日はヨッフム/バイエルン放送響でブルックナー:5番(全集から)、他 ― 聴き、夜を迎えておりまス。

 せっま〜い1DK‥‥というより「1K」の、キッチンと和室を隔てる戸襖は、管理会社からの発注で、なかなか重みのある、いいものを入れてくれていて、これを閉めると音もかなり遮蔽されるので、音楽を聴く時には閉じることにしている。
 つまり、寝る時と、スピーカーでの音楽鑑賞時に、閉じる。

 設置後しばらくすると、滑りが悪くなったので、敷居の溝にロウソクをコスりつけるとスムーズになる。
 が、しばらくするとまた重くなり、昨日あたり、敷居の横っちょに、小さく薄くて、白い樹脂片が落ちていた。

 ははぁ〜ん、なるほど、これは滑りをよくするために襖の底に接着したプラ片が落ちたんだな、道理で滑りが重いはずだ、と、戸襖をはずして確認してみた。

戸襖の底のプラ片

 戸襖にくっついていたものが2枚、落ちていたものが1枚‥‥‥あれ? 戸襖1枚に2枚、プラ片がくっついているはずなのに、1枚足りない。

 と見ると、いつも見ない奥のほうに落ちていた。↓

落ちていたプラ片

 キタナいところをお見せします;;。

 どうも、入れてくれた職人さん、このプラ片を、両面テープで接着していたようなのだ。
 そりゃこの重い戸襖の下のプラ片を、両面テープでくっつけたら、毎日の摩擦ストレスで、早晩剥がれることは当りまえでしょう!

 こういうプラ片。

プラ片

 で、しっかりくっついていた1枚を除き、あとは剥がして、計3枚のプラ片を、百均で買っていた‘強力瞬間接着剤’↓

瞬間接着剤

 下に見えてるのは ゆうちょ銀行のティッシュですぅ〜^^。
 で、接着。しょっちゅう開閉するほうは、早くに剥がれ、敷居の塗料がべったりくっついているので、そこをちょっとはずして接着。
 すぐ敷居に入れると剥がれる可能性が高いので、洗濯をしている間キッチンに寝かせておいて、すんでから実装〜。

接着


 戸襖は立派でていねいなつくりなのだが、こういう細かいところで、住居の内装の職人さん、とくに賃貸の管理会社を顧客にしているところにそういう感触が強いのだが、“全然職人らしくない”お粗末な作業をすることがある。

 いや、こっちがロウをしょっちゅう塗らなかったのが悪いので、こういうものは両面テープで済ますのが常道なのだろうか?

 作業だけでなく、素材のイノヴェーションも10年ならぬ30年ひと昔の感がある。
 水道の栓の「パッキン」のゴムであるが、あれ、すぐ硬化して水漏れが始まりやすいのである。

 とまれ、滑走促進プラ片(って言うのか?^^)全4枚を貼りなおし、戸襖はスムーズに走るようになりました! (^o^;)ノ。

ブラック企業、ブラック部活。

 あ〜‥‥しんど〜‥‥。やっと日曜日〜。
 などとのんびりしたことを言っていられるのは、低収入に甘んじる非正規受験産業従事者たる愚生の閑散生活(← でもないんですよ^^)ゆえかな〜。

 TBSラジオ《荻上チキの Session-22》で、週末、“ブラック部活”をやっていた

 以前から、中学・高校の専任教員がいかに多忙で勤務時間が長く、残業代なしの超長時間労働に晒されているかが大きな社会問題になっているが、「部活」という局面で、教員も生徒も長時間拘束されすぎ、かつハラスメント的接触を受ける、ということが看過できないほどになっている、という。

 NHK《クローズアップ現代》のコピー:



 まだ消されずに残っているアップロードから、重複部(こういう映像コピーのアップロードは、同じ映像を繰り返すものが多い)のないものをひとつ。

 名大・内田 良さんは、いかにも外見がチャラい研究者であるが、上記《Session-22》にも出演していて、この問題を積極的に訴えている。
 映像中、為末 大さんが、「これは社会の縮図のようなもの」と言っている点には同感だが、それが「社会では、少し前の価値観だ」という点は、賛同しない。これは逆で、最近の「ブラック企業」全盛とリンクして、「ブラックな社会で人材になりうる人間を育てる」という流れの中に位置しているのである。

 「ブラック」の名称の、親玉、「ブラック企業」。

 YouTubeに、2015年と2016年の、《ブラック企業大賞 ノミネート発表》がアップされていた。




 さいきん名を馳せた電通をはじめ、セブンイレブン、引越社、佐川急便、明光義塾、ABCマート、日本郵便、等々。

 こういう形で‘告発’されなくとも、日本の企業における、正社員のムチャクチャな長時間労働や、絶対服従的転勤など、高度成長期には、それらの対価となる賃金上昇や福利厚生で‘相殺’されてきた部分が、ストレートに、このように「働かないと/働かせないと」立ちゆかなくなっている‥‥のだろうか?

 あんまり「他の先進国」とか「欧米」とかを比較材料に出してもしようがない気もするけれど、これほど人を働かせて、なお経済が停滞し続け、勤労者の生活がつらくなる日本という国。そんな国の経営者陣というのは、そうでない国の経営者より、そうとう暗愚であることは否みようがないのではないか。

 45年前、中学校で不登校になった時‥‥はじめに入った中学(市立)では部活は必修扱いで、体育教師は「できれば運動部に入れ」と言っていた。
 転居で、1年生の2学期には少し‘山の手’の中学(市立)に転校の予定だったためか、はじめの中学でどこかに入部した記憶がない。

 転校後の中学は、部活は「入ったほうがよいが、自由」という校風だったため、入らないまま、2年生になって不登校に陥り、部活は経験しないまま、不登校留年の2年を含めて計5年在学した。
 転居後の中学では、秋の体育大会(体育祭?)のマスゲームの練習に毎日夕暮れまで、体育教師の怒鳴り声につき合わされた。
 当時は、男子中学生の頭髪は、丸刈り強制だったことは言うを俟たない。

 今、ブラック部活、ブラック教員労働、ブラック・バイトなどの淵源が、こういった45〜50年前の「学校」にあったことが、再度はっきりとわかる。
 言い換えれば、45年後の日本がこうなっていることは、当時、全部わかっていた。あの時、「もうアカンやん」だったのである。
 それはハッキリ感じていた。同じ中学の不登校仲間(?)とも、そんな話をしていた記憶がある。

 部活における超長時間拘束は、「生徒に非行をする時間を与えない」ことだろう、とも言われる。
 一時期の「ゆとり教育」が学力低下を招いた、のはそうなのだろう。

 そりゃあたりまえである。「余暇」に何をしたらよいか知らぬ大人が、何をしたらよいか、年少者に教えられる、あるいは手本を示せるわけがない。
 「丸刈り強制」も、わかる。どんな髪型がおしゃれで、見る人に不快感を与えないか知らぬ大人が、若い連中に髪型を自由にさせられるわけがない。
 欧米の個人尊重や「民主主義」的プロセスは、ハリウッド俳優の話す英語のごとく、カッコよく耳に心地よいが、中身チンプンカンプン。

 あの時代に「蒔いた種」、ちゃんと花咲き、実ってます。

アタマの緊張、などなど。

 ‥‥しんどい〜。
 さすがに週6日、仕事に出て行き、だだぁ〜っとシャベっているとしんどい。
 いや、仕事より、「毎日出てゆく」ことがしんどいのである。

 このところ摂取していた、オルニチン入りの味噌汁と、雑穀米。どうもお腹によくないような感触なので、オルニチン入り味噌汁の、オルニチンの入った顆粒スープはすべて廃棄し、味噌だけ利用することとした。
 雑穀は、先週はずっとやめていて、昨夜の夕飯にだけ、ちょっと混ぜた。

 1週間、下痢はしなかったが、今日、《サマーフェスティバル》(要するに‘よさこい’である)をちょっと覗いて、おねえさんの筋肉質な腕でも見よっかな〜と、買物もたいしてないのに出て行き、帰るとお腹が! 「腹痛」というものではないけれど、帰宅後トイレに駆け込むこと5回。

 野口晴哉先生の「整体」では、「頭の緊張を緩めるために下痢をする」参考になる記事)ということを言う。
 私の場合、夜間の冷えや、寝る前の飲酒(かなり量は減っている)も原因していようけれど、やはり一週間のアタマの緊張 ― そんなに使ってねえじゃん、という勿かれ^^! ― をほぐす目的らしい、と自覚している。

 といって、一昨年の転居前の4階の旧室では、生活はずっと困窮していたのに、お腹の具合はずっとよく、食欲もずっとあって、体重は48kg以上になっていた。
 この辺のところは、やはり、転居自体のストレスがそうとうあって、まだ残っているのに加えて、何より新室の狭さのストレスだろうと感じる。

 帰宅すると、「自分がいられる/寝られるスペースのみ、あとは、無し」という住居面積に、「ウッ!」と来る圧迫感というか、逼塞感を感じる。
 アタマでは「必要なだけのスペースで、合理的だし、管理もしやすいはず」とわかっていても、感覚が不快を感じるのである。

 たぶん、「自分が、最低限の生活しかできない状態に追い込まれた」という自覚は、あまりないままに転居し、「(頭で)こりゃなかなか快適だ」と思っている、というより「思おうとしている」ことに、身体が正直に反応・反逆している、ような感じ。

 私は「おとなしい」人間で、「自罰傾向」が強く、それゆえ身体症状を起こしやすくて学校もキツかった、というのが、カウンセラーの見解でもあったと思うし、ある時期までの自分の自己評価でもあったのだが、実際は180度逆であり、他罰性が非常に強いのである。

 あまりにも「他罰傾向」が強すぎ、恐ろしくて「自罰」を装ってきたのである。
 世に「瞬間湯沸かし器」と称される、‘キレやすい人間’がいるけれど、私の場合、「瞬間沸かし器」で、キレ度が、アブナ過ぎる。

 さきほども、スーパーで、レジで並んでいた時に、前で清算中の子連れの主婦が、「ちょっと○○も…」と言って、買い忘れの商品を取りに、場を離れた。その間、レジ係の人も、次の番の私も、待っている。
 さほど長時間ではないけれど、いつもどってくるかわからない。たぶん20〜40秒ほどでもどって来たと思うが、レジ係にも私にも、「すみません」のひと言もなく、ゆ〜っくりお戻り。

 こういう場で、私の心中に殺意 もとい、激怒の核分裂が起きる^^。
 そのおばさんの清算が終わるやいなや、彼女が前に進むのとほとんど同時に、私はこれみよがしに、いささか暴力的に手を伸ばしてレジのトレイに千円札を叩きつけた。
 清算がすみ、彼女の隣の袋詰めテーブルに、買ったものの入ったカゴを、わざと大きな音を立てて「バシャッ!」と置き、買物を袋詰めして、彼女がカゴを、すでに重ねられているカゴに重ねた直後、これまた大きな音を立てて「バシャッ!」と重ねた。

 いっや〜、小せえなぁ〜、と我ながら反省の段、であるが、こういうこと、しょっちゅうなのである。アブナい、アブナい。
 こういうようなことで、安い外食チェーンのメシがまずくなることも多いし、仕事先で緊張が生じると、職を失いかねない ― もちろんそれゆえ、自分の中に緊張が起きても、最大限、安全に処理しようと努めるけれど、それだからますます“週末にはハデに下痢”となるのだろう、とも思う。

 藤原智美『暴走老人!』(文藝春秋)、まだ積ん読っす〜。

7月前半の買ったCD。

 今週から、8月末まで、ほぼ週6日、午後〜夜のお仕事。暑くてシンドい〜 ~~;;。

テントウムシ

 またキイロテントウのご来訪の季節。
 アブないから外に出てもらおうと思うのだが、なかなか出てくれない。写真は、キッチンのシンクの上の、収納の下部。奥に蛍光灯が付いている場所。
 ま、こんなムサクルシいところでいいのなら、いてちょうだい〜。安全は保証できませんがね〜。片方、シンクに落ちていたので、お二人とも退室していただきました^^;。

 さて、7月前半も、もう1諭吉ちょっとCDを買ってます。

サバタのCD

 今月の‘テーマ’(?)は、ヴィクトル・デ・サバタ Victor de Sabata。
 イタリア人なのに、ドイツ風のファーストネームの人である。吉田秀和『世界の指揮者』(新潮文庫版)には、「Sabata, Vittore de」と綴ってあるが、イタリア語形では、ヴィットリオ Vittorioで表記されるほうが多いような気がする。

 上の、EMI Référence盤の、ヴェルディ『レクイエム』(1954年録音)‥‥は、Amazonに出品しているHMVの中古が安かったので。
 HMVが Amazonに出品している中古は(新盤も)、Amazonで買うと1点ごとに350円の配送料が加算されるが、HMVのサイトでも検索で出るので、こちらで買うと、2,500円を超えれば送料が無料になり、時によっては「まとめ買い」割引も付く。
 2,500円未満の場合でも、1件の注文につき送料は378円なので、2件以上注文すれば Amazonマケプレ経由より安く上がる。

 B級表示だったけれどきれいなディスク、ケース、ブックレットだった。これに気をよくして、ちょうどオクに出ていた、ブラームスの交響曲第4番(ベルリン・フィル、1939年録音、DG国内盤)と、英EMIのプッチーニ『トスカ』(未開封盤で、送料込み1,600円ほど)も買ってしまった。

 ヴェルディの『レクイエム』は、このところ1点もCDを持っていなかった。
 デ・サバタの、代表的な商用録音は、とりあえずこの3点である。他にも、EMIにはベートーヴェンの『田園』だったか、Deccaには『英雄』と、ヴェルディ『レクイエム』の別録音があるらしい。

 ブラームスの第4については、吉田氏上掲書に、以下のようにある。
「‥‥トスカニーニ以前の主観的主情的なロマンティックな指揮者とはちがって、どんな細部にいたるまでも厳格に統制のとれた、実にきちんとした音楽をつくる人なのだが、それでいて、この人には厳しさを、冷たさ、鋭さといったところまで、一面的に追いこんでゆくところはない。厳しいが、同時に優しいのである。いや、あるいは、これは心情の優しさというものでなく、もっと感覚的な甘美な香りというものかもしれない。表情は比較的むき出しに率直に出てくるのだが、それでいて、露骨な、俗悪さに堕さない。そのことは、この『第四交響曲』の、たとえば、第二楽章のアンダンテ・モデラートによく感じられるのであって、ここでのサバタの見事な歌わせぶりは、フルトヴェングラーやヴァルターとはもちろんトスカニーニとも際立ってちがうものでありながら、わざとらしさはまるでない。」(52頁)

 第4楽章のパッサカリアについても言及しているが、省略。こんな評価を読んだら、ポチらずにいられないではありませんか^^。
 YouTubeに全曲、この録音と思しい動画がアップされていて、それで聴くと、第3楽章など、テンポが速すぎ、オケを煽りすぎて薄っぺらい表現になっているように感じたので、躊躇していたが、帯付き国内盤(ついこの前出たSHM-CDではない、古いもの)がそこそこの開始価格だったので、買ってしまった。
 テープ化は、クラウス・シャイベが担当ということで、聴いてみると、CDでは中〜低域もそこそこ厚みがあって、たしかに速い部分は非常に速いが、吉田氏の絶賛がしっかりわかる音質とだといえよう。

サバタのトスカ

 カラスの歌った『トスカ』。EMIの Great Recordings of the Centuryの1点で、ブックレットが2冊、外箱つきで、さらにポストカード仕様のポートレート3枚付き。ニッパー犬ヴァージョンで、さらにゴージャス感がある。
 この『トスカ』は、『トスカ』の数あるレコードの中で、いまだに真っ先に挙げられるセットである。

 ARTリマスターで、モノながら鮮明な音質。といって、Référence盤の『レクイエム』がそうひどいというわけではない(こちらはしかし、Naxosの復刻がよいという説あり)。

 この人の名前は、「サバタ」、「サーバタ」、「サバータ」といずれにも書かれる。
 イタリア人ならだいたいそう、と想像する、末尾から2音節めが強拍になる、また長音化する(「トスカニ〜ニ」みたいに)「サバータ」と思いがちだが、第1拍強拍で、場合によっては長音化、という「サバタ」、「サーバタ」も考えられ、「sabata pronunciation」でググると、「Victor de Sabata」であることを明記した形で、両方とも出てきて、双方が「Italian」とネイティヴの発音であることを表示している(真偽は「?」)ので、厄介だ。

 以下は、その他。

7月前半のCD。

 今度は、マリア・カラスのほうに勢いづいて、ケルビーニ『メデア』とベッリーニ『ノルマ』も落札してしまった。
 これらはどちらも、トゥリオ・セラフィンの棒で、ステレオ録音。

 『メデア』は、オリジナルが伊 Ricordi録音。のちに EMIが買ってしまったらしいのだが、Ricordiにも発売権と音源が残り、Ricordiは RCAに買収され、 RCAが Sonyに買収された結果、現在は Warnerと Sonyとが販売権を持つことになっているらしい。

 Warnerのほうには、ちゃんとしたテープが移譲されなかったものらしく、元テープからのリマスターができなかった、とかいう話が、Warner盤の Amazonのレビューの1つにあり、そうなると、Warner、Sonyの現行盤にはあまり期待できないか‥‥というところで、日本コロムビア=DENONが発売した国内盤の、最も安い価格の出ものを落とした。

 これ、なんと! 各曲のトラック分けがなく、すべてインデックスでやっていました^^;。私のCDプレーヤーは、2台ともインデックスは対応しないので、演奏時間表示をたよりに、そこまで早送りするしかない。
 ブックレットだけ残し、どれか外盤を買い増しするかな〜、と思って少し聴いてみると、まあまあ音がいい。

 この録音、伊リコルディが米マーキュリーの、あのロバート・ファイン+ウィルマ・コザートのチームに録音を委嘱したもので、Mercury Living Presenceの一環でもある。アメリカでは MercuryレーベルでLPが出ているはず。

 同じ形で、リコルディでファイン+コザート組が録音したものに、レナート・ファザーノ指揮ローマ合奏団による、ペルゴレージ『奥様女中』がある。これも Mercury盤のLPがある。CDでは BMGがCD化していて、今でも千数百円出せば手に入るので、買おうかと思ったことがある‥‥クイケン盤を買ってしまったけれど。

 『ノルマ』は、カラス・エディション(というのか?)の、ARTリマスターの中古海外盤で、落札したのはアメリカ盤だった。
 『メデア』同様、カラス全盛期を過ぎて声に衰えが目立つといわれるステレオ期のもの。
 声の輝きを失ったカラスは、役の深みを体現する暗い声と演技力とを得た、という意見もある。
 『メデア』、『ノルマ』とも、セラフィンの指揮は味わいが深く、序曲が鳴り出すや、‘ドラマの香り’が濃厚に漂ってくる。
 『メデア』のほうも、英EMIのカラス・エディションのARTリマスター盤を買ってみようか、と思うが、もうちょっとしてから^^。

 あと、HMVでまとめ買いをしたものは、上段左の、デュファイの『パドゥアの聖アントニウスのためのミサ曲』、アレグザンダー・ブラッチリー指揮ポメリウム(独Archiv)、上段中、キング=ロンドンでLP時代から出ていた、ベネデッティ・ミケランジェリの『リサイタル』。

 ほかにもう1点、アンゲラー指揮プフォルツハイム室内管によるコレッリの合奏協奏曲Op.6(VoxBox)もいっしょに買ったので2,500円ギリギリになったのだが、この VoxBox盤、カスレ気味のレーベル印字など、どう見てもCD-Rなのだった。返品を認めてくれるか聞くと、認めるとのことなので返品した。
 英Regis盤が1点、どう見てもCD-Rだったことがあったし、英Nimbusは販売するディスクは全てCD-Rであることを明言していたと思う。
 HMVはCD-Rは販売しない方針のようで、Nimbusの現行品はサイトに出していなかったと思う。

 パウル・アンゲラー指揮のプフォルツハイム南西ドイツ室内管は、Vox原盤でクアドロマニアが出したヘンデルの合奏協奏曲Op.6をオクで格安で手に入れていて、それがなかなかいい演奏だったので、期待したけれど、アテがはずれたので、いろいろ見ていたら、 Amazonで、クイケン指揮ラ・プティット・バンドの国内盤が735円。
 このCD、ディスクユニオン店舗でもHMVでもやったら高いのである。とにかく、確保(手前、左から2枚め)。

 古楽器のクイケン盤は、高域がかなり金属的だが、演奏は繊細で、CD5000で聴くと弦の弱奏部がとろけるような美音に響く。
 この時期(コレッリは1977年録音)のクイケンのオケは、まだ寺神戸 亮さんなどは入っておらず、いっぽう、チェンバロがボーブ・ファン・アスペレンだったりする。

 その右のグリーンのブックレットのは、学研/Platz録音の、ウィーン・ムジークフェライン四重奏団によるハイドンの作品76からの3曲。
 以前、Platzの録音したムジークフェラインQのモーツァルトを1枚聴いたことがあるが、それもこれも、ホールトーンが多すぎて、しかもそれなのに高音がキツく、倍音も耳障りな、デジタル期というのに実に冴えない録音だ。
 こういうのを聴くと、ほんっと〜に日本のレコード・レーベルはクラシックを制作しないほうがいい、と思う。
 これも、CD5000で聴くと、やや温かみが出て、聴きやすくなる。演奏は、もう少しロマン性の少ない、古典的なものを期待していたので、ちょっと意外。

 その右は、つい先日(反原発集会の翌日^^)、新宿のユニオンで950円で入っていた、ベルンハルト・ウムガルトナー/モーツァルテウム管(ウムガルトナーではなく)による、ハイドンの交響曲第101番『太鼓連打』と第100番『軍隊』。
 LPで聴いた時(もう四半世紀前?)、国内盤(日本コロムビアのダイヤモンド1000シリーズ)だったのにまあまあの音で、ゴージャスすぎない穏やかなハイドンだったという記憶があり、CD化されたものは買い逃して、今はけっこう高くなっている。

 モーツァルトは1〜2枚買っていたが、CDマスタリングが高域強調過ぎて手放している。
 このハイドンも高域強調が耳障りだが、原音が美しいことを推察させる音であり、クレンペラーのように立派に鳴りすぎることがなく、急速楽章が‘芋洗坂係長のダンス’にならないのがいい。値札の色割引で、665円^^。
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反原発集会…。

 ‥‥金曜夜はだいたい仕事が入っているが、7月7日夜は、珍しく仕事はなかったので、5月3日の憲法集会参加に次いで、今度は国会議事堂前で毎金曜日に行なわれている反原発(+反安倍)集会に出てみた。

0707 NO NUKES ☆ ALL STAR 国会前集会

 上が、ロゴというのか、集会のシンボル画像。青地に白い星が40ヶ。うち1ヶが核マーク(というのか?)。
 う〜ん、どっかで見たようなデザインだなー。

 あ、そうだ、ワンダーウーマンの ぱんちゅだぁ〜 (^o^;)ノ !!

ワンダーウーマン

 し、シツレイしやした ;;;。な、殴られるな、こいつぁ ;;。コミックおよびテレビのコスで、今上映中の映画のは、少し違うけれど。

 冗談は置いといて。
 主催者発表では、3,000人が参集したということだった。いつもは600人ほどらしいが、今回は都議選での自由民主党の劇的大敗を受けてなのか、あるいはその原因となった安倍政権の歴史的傍若無人ぶりへの怒りゆえか、そうとうな人数だったようだ。

 官邸側はコール中心、議事堂正門前のほうは政治家などのスピーチ中心ということで、後者のほうへ出てみた。
 全貌は YouTube映像で見られる‥‥が、埋め込みは、しない。
 5月3日の憲法集会ほどではないにしろ、高齢者が多かったけれど、みなさん、2時間以上の間、立って聞いている。お元気ですなあ。

 常連の方のブログを見てこのイヴェントを知ったのだが、参集している人々は、政治的に、たとえば特定政党の支持者というようなタイプではない感じだ。
 いわゆる‘活動家’の人びとはかなりいるようだが、常連さんのブログを見ても、スピーチにはダメ出しバンバンだったりする。

 参集した人びとに共通する考えというのは、たとえば、福島第一原発事故の賠償に関わる費用を、大手電力はもとより、原発に一切依らないすべての新電力の価格にも上乗せしてゆくことの不条理、といったところ、そういうものを福島原発が、現実に生み出してしまっているというようなことではないか、と思う。

 私自身は、経産省が言うように、「過去に安価な電気を利用したすべての需要家が公平に負担することが適当だ」と考えないこともないのである。だって、「過去に安価な(ほんとかな?)電気を利用した」こと自体は事実だからだ。
 問題は、それが未来長期間にわたっての「想定外のコスト」を生んでしまっている、ということなのである。

 廃炉費用はこれに上乗せしない、ということになったようだが、廃炉工程において、‘想定外’の出費がどんどんかかってくることは容易に‘想定’できるから、原子力発電は、いわば子孫から無限の借金をした発電方式だったということになるのだ。

 テレビも新聞もないのでわからないけれど、福島第一原発の、汚染水を凍土壁で遮蔽するという話など、どうなっているのだろうか。

 また、福島第一原発事故直後、停電によって道路の信号機が消灯し、交差点で衝突事故が発生して、死者が出たことが報じられたと記憶する。
 残っている記事では、神奈川県厚木市で計画停電中に起こったものがある。
 こういった事故の詳細は、知られているのか? 補償問題などはどうなっているのか?

 こんな情報をググる中、こんな記事を見つけた。
 『産経新聞』2012年8月2日に掲載したと思われる、京都大学大学院教授・藤井 聡なる人物の「原発が止まる「地獄」こそ直視を」と題する投稿である。

 曰く、「原発がなければ、火力発電を焚き増さざるを得なくなって、その結果、少なくとも年間3兆円相当の化石燃料を余分に外国から輸入しなければならなくなると推定されている。これが国家の富に深刻な打撃を与えるのである。第一に、電気料金は値上がりせざるを得なくなり、そうなれば家計のみならず国内経済に深刻な影響を及ぼす。産業の空洞化にも一段と拍車がかかり、長期デフレに苦しむ景気がさらに冷え込み、失業者が増え、その結果、自殺者が増えることともなりかねない。‥‥(中略)‥‥いかがだろうか−−。以上が、筆者がリアルに想像する「原発が止まり続けたときの地獄」である。つまり、原発未稼働による不況の深刻化と、散発的に発生する停電を通して、遺憾ながらも、結果的に多くの国民が死に追いやられかねないのである。それは、長期で累計すれば、数万、最悪の場合には数十万という水準に達するのではないか、と筆者は本気で案じている。」

 興味のある方は同ウェブページで全文をお読みになればいい。京都大学の、この藤井という教授のサイト内にあるページだが、一部テクストが重複掲出されており、編集は杜撰だ。
 それはともかく、「その結果、自殺者が増えることともなりかねない」云々。こんな形で自殺者が激増しただろうか?

 言うまでもないけれど、一時期、我が国の原子力発電所は、全機停止していた。
 自殺者の問題を言うなら、原発事故に関しては、『NHKスペシャル』が報道したように、事故による避難のストレスや、生業喪失によるストレスからの自殺者の増加が問題なのである。

 「本気で案じる」べきことは、何なのか。いったい、この藤井なる「研究者」は、何を言っているのか、こういう人物が研究者として、京都大学大学院で教鞭を執っていること自体、不思議な気がする。

 さて ― 余談が過ぎた。
 当日のスピーチの話にもどると、民進党、自由党の議員はツマラナい話‥‥民進党は選挙の、これまた大敗北の反省もなく、自由党のは、噛み噛みで耳障りなことこの上なかった。
 菅 直人は声がバカでかく、元気な人だなぁと思ったが、福島第一事故後は、あんな大きな声で東電職員を怒鳴りつけていたのだろうな、と想像できた。

 最後のほう、「都民ファ」の躍進に注意を喚起していた人がいた。「代表の野田という人は国民主権を「傲慢」だと言ってきた人だ。国政に参入したら「国民ファースト」になるのではなく「臣民ファースト」になるだろう」という旨のことを言っていて、これはとりあえず大事だ。あとからパンフを見直したら、あの古賀茂明サンということだった。

 さてさて、足は疲れたけれど、5月3日同様、いいシャカイベンキョウになりました。

6月に買ったCD−2。

 6月に買ったCDの続き。
 7月に入ってからも、もう1万円ほど買っている。とにかく気になったディスクはまず注文、という感じ。
 前回同様、ちょっとしたトラブルもあり、返品作業をしたり。

 オク出品も、クイケンのハイドンは開始価格より高く落札された。Sonyの CDP-XE700は、意外に競られることなく、開始価格3,980円で、業者さんと思しい方が落としてくれた。まあこんなところだろうか。
 いずれも本日発送。

 1週では落ちなかったグールドの平均律は、取り下げた。次の週末以降に落札されても、仕事が密に入っていて発送できないので、中古店に売ろう。
 オーディオ機器は、現状があまりにいい状態なので、しばらく食指が動かないだろう。

 というわけで、洗濯をすませてから集荷で ゆうパック1件出荷、郵便局に行って ゆうメール1件発送、買物をしてから、クリーニング品を引き取り、かなりアタフタした日曜の午後も終わり。

あと6月に買ったもの。

 6月に買ったのは、前記事のCD群に加え、アルバン・ベルク四重奏団による、旧録音のモーツァルト(Teldec)の4枚セット。
 そして、ミンコフスキのバロック・オペラがよかったことから、ムーティ盤を手放し後、しばらく持っていなかったグルック『オルフェオとエウリディーチェ』もミンコフスキ盤(Archiv)で買った。
 これはディスクユニオン店頭が安かったので、それを。

 あと、ビートルズの『ザ・ビートルズ1』も。紙ジャケの、2009年リマスターと思われるものを、ブックオフのオク店で。
 以前にここで買った『ラバーソウル』はきれいな盤だった(若干ニオイが着いていたが)けれど、今度のは少し擦りキズがあったし、内袋を変えてあり、スリーヴの所定の位置に収まっていなかったようだ。

 このディスク、2000年が初回リリースらしい(Wkipediaによる)。その次、2009年にリマスターされ、さらに2015年に「リミックス」が行なわれ、ブルーレイまたはDVDなどの映像ディスクを伴った形でリリースされ、音楽CDは SHM-CDになったりしている。

 2015年リミックス版の音質については、諸サイトで誉められているが、その辺の事情を詳しく説明しているこちらには、
「こう書くと良いこと尽くめのようだが、旧盤あるいは聴き馴染んだLPと比べ違和感を覚えたトラックもあった。例えば、「愛こそはすべて(オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ)」。1960年代を代表するメッセージソングである。‥‥(中略)‥‥ポールのベースが不自然に強調されている。」
などというレビューもあり、他方、初出CDは「ノーノイズ」という表記があるが、悪評高い、情報量を落とす「NO NOISE」システム使用だったらちょっとイヤだな、と思い、2009年リマスター(2011年、東芝EMI)にしたという次第。

ザ・ビートルズ1 初出  ザ・ビートルズ1 2015年リミックス

 左が初出らしく、これはプラケースのよう。右が2015年‘リミックス’の SHM-CD。両方ともオク・サイトから。

 アルバン・ベルクQのモーツァルトは、いちど全く同じものを、神保町の中古店で買って持っていた。
 すばらしい演奏だと感じながら、最高音域に若干の歪み感を感じ、では、と国内盤で、ハイドン・セット3枚と、「プロシャ王」1枚を買ってみた。
 音は大きく変わりはせず、国内盤で困ったのは、第20番『ホフマイスター』がないこと。

 それで、ベルリン(ズスケ)四重奏団のボックス(Berlin Classics)にしたのだった。
 今もこのセットはすばらしいと思っているけれど、これ1種だけというのも淋しいので、探すとけっきょく、ABQの旧盤4枚組、となった。Amazonの海外ショップでは、まだ新品があった。2,400円ほど。今のシステムでは、高域をちょっと下げるときれいに鳴ってくれる。

 前記事で書いた、ミンコフスキ指揮の、リュリとラモー。

ミンコフスキ

 上が、2003年録音のラモー(Archiv)の、ブックレット裏表紙のマエストロ肖像。
 下が、1987年録音のリュリ(Erato)の、ブックレット裏表紙の収録風景。

 別人みたいである! 1987年のほうは、まるでブリュッヘンかと見紛う、彫りが深い相貌と、モジャモジャの黒髪の青年。2003年のほうは、ご存じ小ぶとりでまぁるいお顔のおじさん。
 エラート盤のほうには、自分自身の楽団も持つ、ユーゴ・レーヌ Hugo Reyneが、アドヴァイザー的位置で参加していて、もしかすると指揮している人物はレーヌかも、とも思うが、どうなんでしょう。

 2枚は、オケのメンバーが、ファゴットくらいしか同一メンバーがいないのだが、音の質感は同じという印象だ。ミンコフスキの指示が行き渡っているのだろう。

 どうも近年、彼がふっくらとしてくるのに合わせて、急速楽章はより速くなっているようで、シューベルトの交響曲全集を、ある方に貸してもらって(聴いてみろ、ということだった;;)聴いたところ、インマーゼールふうの急速楽章はやはり自分の嗜好に合わなかった。が、バロック・オペラやグルックは、全く異なって、情感豊かな趣きがすばらしい。

 彼は、みすず書房などから翻訳も出ている、精神医学者ウージェーヌ・ミンコフスキーの孫だそうだ。

 そうそう、なぜミンコフスキということになったのか、は、下の映像による。


 ラモー:『優雅なインド人(インド風流譚)』から「未開人の踊り」と続くデュエット。
 Archiv盤のほうには、歌はない。映像では、アフリカ系フランス人と思しい、マガーリ・レジェ Magali Légerの歌と、豊かな表情がとても魅力的だ。

 リュリの『町人貴族』の「トルコ人の儀式への入場」は、ミンコフスキの Erato盤と思しい音源もアップされているが、何といっても魅力的なのは、このバレエ映像だ。


 こちらは、ヴァンサン・デュメストル Vincent Dumestre指揮ル・ポエム・アルモニックというところの演奏だそうだ。
 DVDは、こちら

 女性ダンサーたちの誇張した表情が、活きいきしていて、じ〜つに楽しい。
 上のラモー、下のリュリ、もう何とも‘カブいた’世界である。カブきまくっている。そして、お洒落。
 加えて、どちらもアジアや中東に対する、いささかの差別感上を下地に持っていることが感じられる。エドワード・サイードのいう「オリエンタリズム」というやつだろうか。

 実のところ、フランス・バロックは、上の2動画でお腹いっぱいの感がある。これらは、クープランのコンセールの上品な雰囲気とはまたぐっと異なった、しかしこれもフランス・バロックのひとつの大きな要素を体現しているものだろう。

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