前記事に書いた、全労災からの割戻金は、早々にオクでオペラ2セットを落として消えた。
ワーグナーの『トリスタン』と『マイスタージンガー』全曲である。しばらくこれらの楽曲はCDを持っていなかった。
買ったのは、どちらもベーム/バイロイトのライヴで、『トリスタン』は有名なDG盤、『名歌手』のほうは、なかなか毀誉褒貶のある、Orfeoの1968年ライヴ。
まだ到着待ちで、この日曜日は、またもやの台風接近と、週末から腹具合が悪いこともあって、買物&クリーニング出しにも行かず、少しばかりCDを聴いて過ごした。
まともに聴けるのは週1日だけで、ちょっと聴いたら疲れるし、すぐ午後10時になって、おひらき。
ベートーヴェンの交響曲を、全集で100点以上も持っているなどという方のブログを読むと、たとえば『田園』1曲を聴きたいと思った日には、どの演奏を聴こうか迷っているうちに数時間が経ってしまうのではないだろうか、と思ってしまう。
私の場合、「CDライブラリー」を自分の好みに合わせ ― あるていど客観的に高品位な演奏のもの、という条件を満たした上で ― たものだけで構築することが、ある種、「自分探し」の目安、というか自己表現なので、日々の(といって、書いたように日曜くらいなのだが)音楽鑑賞に「実際に聴く」、そして「残された人生時間のうちの数十分〜数時間を、それの鑑賞に割く価値がある」ディスクに限って棚に残し、あとは手放す、ということが、必須のことがらなのである。
ブラームスのソナタ第3番は、探していたときにアラウの単発盤が、手ごろな出物がなかったので、ペライアのものにしたのだったが、きわめて美しい演奏ながら、音自体の重みに欠けるという感を持った。
そうこうしているうちに、ブックオフが国内盤を、送料込み1,600円ほどで出品したので、ポチり。
あまり品のよくないシリーズ名「超盤」と銘うった2,000円シリーズの1枚(PHCP-3649)。帯とブックレットがけっこうしわしわだったが、盤面はきれいだった。
じつはペライア盤もアラウ盤も、ソナタは通しては聴いていない。が、音の色合いは、アラウのほうが、好みから、楽曲に合っていそうだ。
もうひとつは、ホロヴィッツの弾くリスト・アルバム。ロ短調ソナタが目当てだ。
きわめて多くのこの曲のディスクを比較論評したサイトがあって、そこではラローチャがベストと言える、とのことだったが、オクで手に入れやすかったホロヴィッツ盤(RCA、ステレオ・ライヴ)にした。
こちらは、外装ビニールに、ソニーが輸入したことを示すシールが貼られ、ディスクも、BMG系に多かった Sonopressではなく、Sony DADCプレスと印字されていて、(DADCは Digital Audio Disc Corporationのイニシャル。以前から Sony系CDをプレスしている)BMG時代からのデッドストックでなく、Sony合併後のプレスである。
新品で、レーベル面はみごとな鏡面、ピカピカ。ディスクを手に取ると、心持ち他より軽い感じがした。
おっと、上段はカラヤンの『ボリス』の、Decca Originals盤。
以前、国内廉価盤を買ったら、一箇所で大きく音が歪んだ。ポリドールに問い合わせると、元テープからそうです、とのこと。こっちはどうか‥‥なかなか聴く時間、ありません;;。
で、上の3点はまだ置いといて‥‥今日聴いていたのは、『ドン・ジョヴァンニ』の第2幕‥‥ド・ビリー盤(Arte Nova)と、同じ部分を、フリッチャイ(DG ORIGINALS)で。
ド・ビリー盤は、いちど手放し、Marantz PM6005では聴けるかも、と再度入手した(ダ・ポンテ・オペラ 3作9CD激安セット。HMVのレビューは高評価!)。
フリッチャイ盤の、オーケストラと、フィッシャー=ディースカウの繊細な表現は、ド・ビリー盤を、やはり霞ませてしまう。ド・ビリー盤の、韓国人歌手・ヨン・グァンチョルはものすごくうまくて、かつ声の重みはFDより役に合っているとも言えるのだが、どうしても、聴いていて、音の間から立ち昇る香気といったものがちょっと違うのである(ような気がする;;)。
『魔笛』は、文春新書で宇野さんが推しているノリントン盤‥‥オケが素っ気ない。より以前から持っているハイティンク盤(EMI)は、反対に緩い演奏だが、これもオケが物足りない。
写真は、ショパンの楽曲で、マガロフ(PHILIPS国内盤)と、ペルルミュテール盤(英Nimbus盤と、コンサートホール原盤の DENON盤)、シューベルトのソナタで、ピレシュ(DG)と、超-レアものの、フォルデス(フォルデシュ)盤(独EMI)。
└→ これらは今回の購入ではありません。春までに購入のCDです〜。[追記]
マガロフを数枚手に入れた時は、「よいピアニストを知らなかった!」と喜んだのだが、自分の好み ― ショパンには、ウェットな感傷を求める ― からすると、同時期に買っていたペルルミュテールのほうが、ずっと琴線に触れるという気がしてきた。
とくに、コンサートホール録音の、作品34-2、イ短調のワルツの、いささか耽溺しすぎるくらいの憂愁は、「ちょっとだけ聴ける」時の、ヘビロテになっている。
シューベルトは、フォルデス盤を入手した時に書いたとおり、フォルデスの演奏には、収録されている2曲(D.959と D.960)において、前者はルプーのほうが、後者はピレシュのほうが、幻想味・叙情味が深く繊細に感じる。
マガロフもフォルデスも、じ〜っくりと全曲聴き込めば、そのよさがわかってくるのかもしれない、と思いつつ、オーディオ機器の場合同様、自分に合う or 合わない、は、けっこう速攻で覚ってしまうのである。
例外ももちろんあり、ブダペストQのベートーヴェンは、聴くほどにそのよさが出てきている。
そんなこんなで、またいくつかCDを売りに出そうかと思っている。
とりあえず、ノリントンの『魔笛』は出す、かな。ハイティンク/コンセルトヘボウのベートーヴェン:交響曲全集も、とても立派な、美しい演奏だけれど、ぼつぼつ要らなくなってきている。
ワーグナーの『トリスタン』と『マイスタージンガー』全曲である。しばらくこれらの楽曲はCDを持っていなかった。
買ったのは、どちらもベーム/バイロイトのライヴで、『トリスタン』は有名なDG盤、『名歌手』のほうは、なかなか毀誉褒貶のある、Orfeoの1968年ライヴ。
まだ到着待ちで、この日曜日は、またもやの台風接近と、週末から腹具合が悪いこともあって、買物&クリーニング出しにも行かず、少しばかりCDを聴いて過ごした。
まともに聴けるのは週1日だけで、ちょっと聴いたら疲れるし、すぐ午後10時になって、おひらき。
ベートーヴェンの交響曲を、全集で100点以上も持っているなどという方のブログを読むと、たとえば『田園』1曲を聴きたいと思った日には、どの演奏を聴こうか迷っているうちに数時間が経ってしまうのではないだろうか、と思ってしまう。
私の場合、「CDライブラリー」を自分の好みに合わせ ― あるていど客観的に高品位な演奏のもの、という条件を満たした上で ― たものだけで構築することが、ある種、「自分探し」の目安、というか自己表現なので、日々の(といって、書いたように日曜くらいなのだが)音楽鑑賞に「実際に聴く」、そして「残された人生時間のうちの数十分〜数時間を、それの鑑賞に割く価値がある」ディスクに限って棚に残し、あとは手放す、ということが、必須のことがらなのである。
ブラームスのソナタ第3番は、探していたときにアラウの単発盤が、手ごろな出物がなかったので、ペライアのものにしたのだったが、きわめて美しい演奏ながら、音自体の重みに欠けるという感を持った。
そうこうしているうちに、ブックオフが国内盤を、送料込み1,600円ほどで出品したので、ポチり。
あまり品のよくないシリーズ名「超盤」と銘うった2,000円シリーズの1枚(PHCP-3649)。帯とブックレットがけっこうしわしわだったが、盤面はきれいだった。
じつはペライア盤もアラウ盤も、ソナタは通しては聴いていない。が、音の色合いは、アラウのほうが、好みから、楽曲に合っていそうだ。
もうひとつは、ホロヴィッツの弾くリスト・アルバム。ロ短調ソナタが目当てだ。
きわめて多くのこの曲のディスクを比較論評したサイトがあって、そこではラローチャがベストと言える、とのことだったが、オクで手に入れやすかったホロヴィッツ盤(RCA、ステレオ・ライヴ)にした。
こちらは、外装ビニールに、ソニーが輸入したことを示すシールが貼られ、ディスクも、BMG系に多かった Sonopressではなく、Sony DADCプレスと印字されていて、(DADCは Digital Audio Disc Corporationのイニシャル。以前から Sony系CDをプレスしている)BMG時代からのデッドストックでなく、Sony合併後のプレスである。
新品で、レーベル面はみごとな鏡面、ピカピカ。ディスクを手に取ると、心持ち他より軽い感じがした。
おっと、上段はカラヤンの『ボリス』の、Decca Originals盤。
以前、国内廉価盤を買ったら、一箇所で大きく音が歪んだ。ポリドールに問い合わせると、元テープからそうです、とのこと。こっちはどうか‥‥なかなか聴く時間、ありません;;。
で、上の3点はまだ置いといて‥‥今日聴いていたのは、『ドン・ジョヴァンニ』の第2幕‥‥ド・ビリー盤(Arte Nova)と、同じ部分を、フリッチャイ(DG ORIGINALS)で。
ド・ビリー盤は、いちど手放し、Marantz PM6005では聴けるかも、と再度入手した(ダ・ポンテ・オペラ 3作9CD激安セット。HMVのレビューは高評価!)。
フリッチャイ盤の、オーケストラと、フィッシャー=ディースカウの繊細な表現は、ド・ビリー盤を、やはり霞ませてしまう。ド・ビリー盤の、韓国人歌手・ヨン・グァンチョルはものすごくうまくて、かつ声の重みはFDより役に合っているとも言えるのだが、どうしても、聴いていて、音の間から立ち昇る香気といったものがちょっと違うのである(ような気がする;;)。
『魔笛』は、文春新書で宇野さんが推しているノリントン盤‥‥オケが素っ気ない。より以前から持っているハイティンク盤(EMI)は、反対に緩い演奏だが、これもオケが物足りない。
写真は、ショパンの楽曲で、マガロフ(PHILIPS国内盤)と、ペルルミュテール盤(英Nimbus盤と、コンサートホール原盤の DENON盤)、シューベルトのソナタで、ピレシュ(DG)と、超-レアものの、フォルデス(フォルデシュ)盤(独EMI)。
└→ これらは今回の購入ではありません。春までに購入のCDです〜。[追記]
マガロフを数枚手に入れた時は、「よいピアニストを知らなかった!」と喜んだのだが、自分の好み ― ショパンには、ウェットな感傷を求める ― からすると、同時期に買っていたペルルミュテールのほうが、ずっと琴線に触れるという気がしてきた。
とくに、コンサートホール録音の、作品34-2、イ短調のワルツの、いささか耽溺しすぎるくらいの憂愁は、「ちょっとだけ聴ける」時の、ヘビロテになっている。
シューベルトは、フォルデス盤を入手した時に書いたとおり、フォルデスの演奏には、収録されている2曲(D.959と D.960)において、前者はルプーのほうが、後者はピレシュのほうが、幻想味・叙情味が深く繊細に感じる。
マガロフもフォルデスも、じ〜っくりと全曲聴き込めば、そのよさがわかってくるのかもしれない、と思いつつ、オーディオ機器の場合同様、自分に合う or 合わない、は、けっこう速攻で覚ってしまうのである。
例外ももちろんあり、ブダペストQのベートーヴェンは、聴くほどにそのよさが出てきている。
そんなこんなで、またいくつかCDを売りに出そうかと思っている。
とりあえず、ノリントンの『魔笛』は出す、かな。ハイティンク/コンセルトヘボウのベートーヴェン:交響曲全集も、とても立派な、美しい演奏だけれど、ぼつぼつ要らなくなってきている。