あ〜‥‥しんど〜‥‥。やっと日曜日〜。
などとのんびりしたことを言っていられるのは、低収入に甘んじる非正規受験産業従事者たる愚生の閑散生活(← でもないんですよ^^)ゆえかな〜。
TBSラジオ《荻上チキの Session-22》で、週末、“ブラック部活”をやっていた。
以前から、中学・高校の専任教員がいかに多忙で勤務時間が長く、残業代なしの超長時間労働に晒されているかが大きな社会問題になっているが、「部活」という局面で、教員も生徒も長時間拘束されすぎ、かつハラスメント的接触を受ける、ということが看過できないほどになっている、という。
NHK《クローズアップ現代》のコピー:
まだ消されずに残っているアップロードから、重複部(こういう映像コピーのアップロードは、同じ映像を繰り返すものが多い)のないものをひとつ。
名大・内田 良さんは、いかにも外見がチャラい研究者であるが、上記《Session-22》にも出演していて、この問題を積極的に訴えている。
映像中、為末 大さんが、「これは社会の縮図のようなもの」と言っている点には同感だが、それが「社会では、少し前の価値観だ」という点は、賛同しない。これは逆で、最近の「ブラック企業」全盛とリンクして、「ブラックな社会で人材になりうる人間を育てる」という流れの中に位置しているのである。
「ブラック」の名称の、親玉、「ブラック企業」。
YouTubeに、2015年と2016年の、《ブラック企業大賞 ノミネート発表》がアップされていた。
さいきん名を馳せた電通をはじめ、セブンイレブン、引越社、佐川急便、明光義塾、ABCマート、日本郵便、等々。
こういう形で‘告発’されなくとも、日本の企業における、正社員のムチャクチャな長時間労働や、絶対服従的転勤など、高度成長期には、それらの対価となる賃金上昇や福利厚生で‘相殺’されてきた部分が、ストレートに、このように「働かないと/働かせないと」立ちゆかなくなっている‥‥のだろうか?
あんまり「他の先進国」とか「欧米」とかを比較材料に出してもしようがない気もするけれど、これほど人を働かせて、なお経済が停滞し続け、勤労者の生活がつらくなる日本という国。そんな国の経営者陣というのは、そうでない国の経営者より、そうとう暗愚であることは否みようがないのではないか。
45年前、中学校で不登校になった時‥‥はじめに入った中学(市立)では部活は必修扱いで、体育教師は「できれば運動部に入れ」と言っていた。
転居で、1年生の2学期には少し‘山の手’の中学(市立)に転校の予定だったためか、はじめの中学でどこかに入部した記憶がない。
転校後の中学は、部活は「入ったほうがよいが、自由」という校風だったため、入らないまま、2年生になって不登校に陥り、部活は経験しないまま、不登校留年の2年を含めて計5年在学した。
転居後の中学では、秋の体育大会(体育祭?)のマスゲームの練習に毎日夕暮れまで、体育教師の怒鳴り声につき合わされた。
当時は、男子中学生の頭髪は、丸刈り強制だったことは言うを俟たない。
今、ブラック部活、ブラック教員労働、ブラック・バイトなどの淵源が、こういった45〜50年前の「学校」にあったことが、再度はっきりとわかる。
言い換えれば、45年後の日本がこうなっていることは、当時、全部わかっていた。あの時、「もうアカンやん」だったのである。
それはハッキリ感じていた。同じ中学の不登校仲間(?)とも、そんな話をしていた記憶がある。
部活における超長時間拘束は、「生徒に非行をする時間を与えない」ことだろう、とも言われる。
一時期の「ゆとり教育」が学力低下を招いた、のはそうなのだろう。
そりゃあたりまえである。「余暇」に何をしたらよいか知らぬ大人が、何をしたらよいか、年少者に教えられる、あるいは手本を示せるわけがない。
「丸刈り強制」も、わかる。どんな髪型がおしゃれで、見る人に不快感を与えないか知らぬ大人が、若い連中に髪型を自由にさせられるわけがない。
欧米の個人尊重や「民主主義」的プロセスは、ハリウッド俳優の話す英語のごとく、カッコよく耳に心地よいが、中身チンプンカンプン。
あの時代に「蒔いた種」、ちゃんと花咲き、実ってます。
などとのんびりしたことを言っていられるのは、低収入に甘んじる非正規受験産業従事者たる愚生の閑散生活(← でもないんですよ^^)ゆえかな〜。
TBSラジオ《荻上チキの Session-22》で、週末、“ブラック部活”をやっていた。
以前から、中学・高校の専任教員がいかに多忙で勤務時間が長く、残業代なしの超長時間労働に晒されているかが大きな社会問題になっているが、「部活」という局面で、教員も生徒も長時間拘束されすぎ、かつハラスメント的接触を受ける、ということが看過できないほどになっている、という。
NHK《クローズアップ現代》のコピー:
まだ消されずに残っているアップロードから、重複部(こういう映像コピーのアップロードは、同じ映像を繰り返すものが多い)のないものをひとつ。
名大・内田 良さんは、いかにも外見がチャラい研究者であるが、上記《Session-22》にも出演していて、この問題を積極的に訴えている。
映像中、為末 大さんが、「これは社会の縮図のようなもの」と言っている点には同感だが、それが「社会では、少し前の価値観だ」という点は、賛同しない。これは逆で、最近の「ブラック企業」全盛とリンクして、「ブラックな社会で人材になりうる人間を育てる」という流れの中に位置しているのである。
「ブラック」の名称の、親玉、「ブラック企業」。
YouTubeに、2015年と2016年の、《ブラック企業大賞 ノミネート発表》がアップされていた。
さいきん名を馳せた電通をはじめ、セブンイレブン、引越社、佐川急便、明光義塾、ABCマート、日本郵便、等々。
こういう形で‘告発’されなくとも、日本の企業における、正社員のムチャクチャな長時間労働や、絶対服従的転勤など、高度成長期には、それらの対価となる賃金上昇や福利厚生で‘相殺’されてきた部分が、ストレートに、このように「働かないと/働かせないと」立ちゆかなくなっている‥‥のだろうか?
あんまり「他の先進国」とか「欧米」とかを比較材料に出してもしようがない気もするけれど、これほど人を働かせて、なお経済が停滞し続け、勤労者の生活がつらくなる日本という国。そんな国の経営者陣というのは、そうでない国の経営者より、そうとう暗愚であることは否みようがないのではないか。
45年前、中学校で不登校になった時‥‥はじめに入った中学(市立)では部活は必修扱いで、体育教師は「できれば運動部に入れ」と言っていた。
転居で、1年生の2学期には少し‘山の手’の中学(市立)に転校の予定だったためか、はじめの中学でどこかに入部した記憶がない。
転校後の中学は、部活は「入ったほうがよいが、自由」という校風だったため、入らないまま、2年生になって不登校に陥り、部活は経験しないまま、不登校留年の2年を含めて計5年在学した。
転居後の中学では、秋の体育大会(体育祭?)のマスゲームの練習に毎日夕暮れまで、体育教師の怒鳴り声につき合わされた。
当時は、男子中学生の頭髪は、丸刈り強制だったことは言うを俟たない。
今、ブラック部活、ブラック教員労働、ブラック・バイトなどの淵源が、こういった45〜50年前の「学校」にあったことが、再度はっきりとわかる。
言い換えれば、45年後の日本がこうなっていることは、当時、全部わかっていた。あの時、「もうアカンやん」だったのである。
それはハッキリ感じていた。同じ中学の不登校仲間(?)とも、そんな話をしていた記憶がある。
部活における超長時間拘束は、「生徒に非行をする時間を与えない」ことだろう、とも言われる。
一時期の「ゆとり教育」が学力低下を招いた、のはそうなのだろう。
そりゃあたりまえである。「余暇」に何をしたらよいか知らぬ大人が、何をしたらよいか、年少者に教えられる、あるいは手本を示せるわけがない。
「丸刈り強制」も、わかる。どんな髪型がおしゃれで、見る人に不快感を与えないか知らぬ大人が、若い連中に髪型を自由にさせられるわけがない。
欧米の個人尊重や「民主主義」的プロセスは、ハリウッド俳優の話す英語のごとく、カッコよく耳に心地よいが、中身チンプンカンプン。
あの時代に「蒔いた種」、ちゃんと花咲き、実ってます。