これも(この「も」は前記事の『This Is JAPAN』に続いて、という意味…)、よくお邪魔するブログで知った、映画『この世界の片隅に』。ついに観ました!(← タイトル、間違ってましたね ;;。訂正)
上は、‘アリバイ’として買ったパンフレット。千円也。左に重なっているのは、入場者プレゼントのポストカード。
昨日(月曜)、仕事の前に新宿で観た。土・休日だと座れないかもしれなさそうな情報もあったし、ちょうど月曜の仕事が午後4時過ぎから吉祥寺だったので、テアトル新宿で、13:05の回を観よう、と家を出た。
スニーカーを買い換えたが、ビジネスシューズのほうも10年が経過して、足に合いづらくなり、また着地の衝撃も増えてきている。
西武新宿から、新宿五丁目近くにあるテアトル新宿まで歩くと、足指がつりそうな感じで痛む。足の不自由な人のように歩いて、到着。
全席指定とは知らず、けっこうお客さんが来ている ― 月曜なので、さすがに若い人と、大多数は中年女性と高齢者だったが ― ので、のんびり勝手な席に座り、トイレに行きたくなれば出場して、またもどって勝手に座る、というわけにいかないのは窮屈‥‥というか、そういう映画しかだいたい観ないのである‥‥前回観たのが、もう何年前になるか、『僕の彼女はサイボーグ』というやつであった^^(あ、8年前;;)。
通常の上映情報では、この日のこの回が字幕付き上映であることはわからなかった。が、発話者の名前がわかるというのは、便利なところもある。
もうネット上、汗牛充棟のレビューが溢れていて、そして観た感想は、シンプルに、とにもかくにも力作、だった。
「商品として作り上げよう」という方向ではない、「とにかく表現したかった、表現しなければならないものがあった」という、圧倒的なインプレッション。
戦時下の庶民の「暮らし」を、ていねいな、とてもていねいな筆致で描き上げ、「幻想」味も、ヒロインの心のありようのひだに添った形で流れ出し、詩的だ‥‥というような感想は何の役にも立つまいけれど。
音響装置は、映画館サイトにあるように JBLのシステムで、音楽の表現には歪み感があってちょっと合わず、しかし爆音系の迫力は満点。で、空襲の爆弾の炸裂音などはリアルだ。
会話音声の定位がよいのにはびっくりした。隣の部屋からの声は左の、画面が切れた場所から聞こえ、スクリーンの中心にいる人物の声は、スクリーン中央に定位する。券を買う時点でそうとう席が埋まっており、買えた指定席が劇場右寄りだったにもかかわらず、中央に定位する。これには感心した。
さて、こういう作品が、予想を超えて集客しているらしく、現実に大勢がつめかけているのを見ると、日本人の「戦時下と、戦争への思い」といったものもそう「風化」してはいないのではないか、などとも思ったのだけれど…。
上映時間は、冗長では決してないけれど、2時間ちょっとと長いほうで、後半はトイレを我慢して観た。そういう人は多かったようで、終演後のトイレは満員^^。コーヒーをちょっと控えて出かけるべきでした〜。
ま、ひとことで申せば、観るべし !!
音楽のほうは‥‥マーラーの交響曲第8番『一千人の交響曲』。
テンシュテットのライヴ盤のテノールがあまりに聴きづらいので、小澤/ボストン響盤(Philips)に買い換え。
この小澤盤は、日本盤のみCD 1枚 ― 80分には至っていない。79分内にとどまる ― にカッティングされている。オクで、送料込み600円でした。
ネット上での試聴では、この小澤盤が、第2部の叙情的な部分がとても美しかったので、考えていたが、帯付きのきれいな国内盤で安価なものは、オクでも Amazonでも、あまり見ないのだった(この1枚もの廉価盤は廃盤。現行盤は第7との2枚組)。
であるが、このディスク、やはりテノール=マリア崇拝の博士は、テンシュテット盤における‘吼え声’が聴きづらい、あのケネス・リーゲルさんなのである^^;。
ヘッドフォンでちょっと聴いてみたところでは、テンシュテットのライヴ盤ほどは‘吼えて’いない。テンシュテットのライヴは、もはやひとつの祝祭だったのだろう。
上は、‘アリバイ’として買ったパンフレット。千円也。左に重なっているのは、入場者プレゼントのポストカード。
昨日(月曜)、仕事の前に新宿で観た。土・休日だと座れないかもしれなさそうな情報もあったし、ちょうど月曜の仕事が午後4時過ぎから吉祥寺だったので、テアトル新宿で、13:05の回を観よう、と家を出た。
スニーカーを買い換えたが、ビジネスシューズのほうも10年が経過して、足に合いづらくなり、また着地の衝撃も増えてきている。
西武新宿から、新宿五丁目近くにあるテアトル新宿まで歩くと、足指がつりそうな感じで痛む。足の不自由な人のように歩いて、到着。
全席指定とは知らず、けっこうお客さんが来ている ― 月曜なので、さすがに若い人と、大多数は中年女性と高齢者だったが ― ので、のんびり勝手な席に座り、トイレに行きたくなれば出場して、またもどって勝手に座る、というわけにいかないのは窮屈‥‥というか、そういう映画しかだいたい観ないのである‥‥前回観たのが、もう何年前になるか、『僕の彼女はサイボーグ』というやつであった^^(あ、8年前;;)。
通常の上映情報では、この日のこの回が字幕付き上映であることはわからなかった。が、発話者の名前がわかるというのは、便利なところもある。
もうネット上、汗牛充棟のレビューが溢れていて、そして観た感想は、シンプルに、とにもかくにも力作、だった。
「商品として作り上げよう」という方向ではない、「とにかく表現したかった、表現しなければならないものがあった」という、圧倒的なインプレッション。
戦時下の庶民の「暮らし」を、ていねいな、とてもていねいな筆致で描き上げ、「幻想」味も、ヒロインの心のありようのひだに添った形で流れ出し、詩的だ‥‥というような感想は何の役にも立つまいけれど。
音響装置は、映画館サイトにあるように JBLのシステムで、音楽の表現には歪み感があってちょっと合わず、しかし爆音系の迫力は満点。で、空襲の爆弾の炸裂音などはリアルだ。
会話音声の定位がよいのにはびっくりした。隣の部屋からの声は左の、画面が切れた場所から聞こえ、スクリーンの中心にいる人物の声は、スクリーン中央に定位する。券を買う時点でそうとう席が埋まっており、買えた指定席が劇場右寄りだったにもかかわらず、中央に定位する。これには感心した。
さて、こういう作品が、予想を超えて集客しているらしく、現実に大勢がつめかけているのを見ると、日本人の「戦時下と、戦争への思い」といったものもそう「風化」してはいないのではないか、などとも思ったのだけれど…。
上映時間は、冗長では決してないけれど、2時間ちょっとと長いほうで、後半はトイレを我慢して観た。そういう人は多かったようで、終演後のトイレは満員^^。コーヒーをちょっと控えて出かけるべきでした〜。
ま、ひとことで申せば、観るべし !!
音楽のほうは‥‥マーラーの交響曲第8番『一千人の交響曲』。
テンシュテットのライヴ盤のテノールがあまりに聴きづらいので、小澤/ボストン響盤(Philips)に買い換え。
この小澤盤は、日本盤のみCD 1枚 ― 80分には至っていない。79分内にとどまる ― にカッティングされている。オクで、送料込み600円でした。
ネット上での試聴では、この小澤盤が、第2部の叙情的な部分がとても美しかったので、考えていたが、帯付きのきれいな国内盤で安価なものは、オクでも Amazonでも、あまり見ないのだった(この1枚もの廉価盤は廃盤。現行盤は第7との2枚組)。
であるが、このディスク、やはりテノール=マリア崇拝の博士は、テンシュテット盤における‘吼え声’が聴きづらい、あのケネス・リーゲルさんなのである^^;。
ヘッドフォンでちょっと聴いてみたところでは、テンシュテットのライヴ盤ほどは‘吼えて’いない。テンシュテットのライヴは、もはやひとつの祝祭だったのだろう。