まだまだCDが到着している。
去年までの、買い控えと売却の反動がハンパない。
オンキヨー C-7030は、前記事に書いた、途中のトラックから入る際の‘プチ’ノイズが、今日はなかった。
ミューティング回路の電解コンなどがこなれてきたのかもしれない。
エレキットの管球式CDプレーヤー・キット、TU-878CDを作った時、CDを演奏し終わってミューティングがかかる時に‘プチッ’というノイズが出て興ざめだったのだが、数週間聴いているうちに出なくなったのを思い出した。このまま出ないといいのだけれど。
音は、いろいろな音源を聴けば聴くほど、なかなかいいプレーヤーだとわかってくる。
純邦楽系のサウンドも、打楽器や撥弦楽器のしっかりした音がすばらしい。
館山甲午の平家琵琶、仏Ocoraレーベルの雅楽、《上々颱風》のアルバム、など、エスニックな楽器のリアル感がすごい。
反対に困ったのは、DGのOIBP(オリジナル=イメージ・ビット=プロセッシング)リマスター盤の音が、ザラついて刺激的になってくること。
SL-PS700で、初回マスタリングの国内盤DGの音に若干歪みっぽさを覚え、数点をOIBPの海外盤に買い替えたことを書いているが、これが裏目に出てきた感がある。
というか、そもそも海外プレスの非リマスター盤の、オリジナルなよさを C-7030は余すところなく聴かせるようなのである。
ネットオクを見ていると、「ドイツ・プレス初期盤」というだけで3,000円以上の値をつけている出品者を見てしばしば不愉快になるのだが、この手の盤がよい音を鳴らすシステムもあるということが想像できた。
そういう機器・システムのほうが、本質的には高品位なのだとも思われ、C-7030はちょっとそっち寄りなのかも、と思った ― もちろん、いくら予算があっても1枚3,000円前後もの中古CDを買うことはありえないけれど。
右上は、日本Amazon経由で avatarmusicから購入した、マイクル・ティペット《我らが時代の子 A Child of Our Time》の作曲者自演盤(NAXOS。Collins Classics原盤)。
この楽曲は、ティペットによく似た立ち位置だったブリテンの、ちょうど《戦争レクイエム》に相当する、‘反戦音楽’だ。
作曲者80代に至ってからの、最晩年期の録音で、同時期の交響曲の録音(英NMCレーベル)は、試聴と海外レビューとを参考にして、さすがに高齢が影響してヨタヨタっぽくなっているようなので、交響曲第2番はヒッコクス盤にしたのだったが、《我らが時代の子》は、彼自身の棒で聴いてみたい。
思うのだが ― ‘戦後’の総括をほぼ何もやっていないと言われるわが国なのだが、クラシック音楽の世界も同じなのではないだろうか。
アイヌ文化の影響の強い、伊福部 昭のようなある種‘汎-亜細亜’的芸術家がいたのは忘れられないが、その伊福部の弟子からは、むしろ右派の論客になった黛 敏郎のような人が輩出しはしても、わが国戦後楽壇に、たった1曲の《戦争レクイエム》もないのである。
「戦争」や「被爆」の問題に初めてテーマをとったのが、あの‘佐村河内 守’の《ヒロシマ》だったという事実は、日本の楽壇の、クラシック・ファンの、そして日本文化そのものの恥以外の何ものでもないと同時に、みごとに象徴的だ。
さて、左上は、このところこういうのも聴きたくなってきている(らしい^^)、女性ジャズ・ヴォーカル。
Kapellさんの紹介されたジーン・フライ・シドウェル Jean Frye Sidwellに興味が湧き、日Amazonで買える輸入盤はCD-Rであり、それでもいいのだが、米Amazon.comのマケプレに、CD-Rでないらしいものが出ていたので、600円ほど高くついたが、注文中。
すぐに着いたのは、Amazonのショップにあった、ティアニー・サットン Tierney Suttonという歌手の《Dancing in The Dark》(米Telarc)。
12曲収録で表題曲はラスト。世良サンの曲とか思い浮かべてはいけませン^^。 (← もんたよしのり、でした^^。こういう記憶違い、多いなぁ〜。)しっとりしたバラード。アルバム1枚ほとんどがスロー・テンポの曲である。
テラーク Telarcのジャズというのも初めてだし、それにテラークのディスクは、買ったり売ったりして、手許に残っているのは、ホルストの吹奏楽組曲第1、第2番(フレドリック・フェネル指揮クリーヴランド・シンフォニック・ウィンズ)の1枚(写真左下)だけになっている。
ところが! このディスク、アメリカで最初の商用デジタル録音だったのである。
へぇ〜。
《Stereophile》のサイト上に、ジャック・レナーへのインタビューがあった。
カッコいいヒトである^^。
インタビューの真ん中よりちょっとあとに、このフェネルとのホルストの録音のことが出てくる。
カッティング(LPのほう。当時CDはまだなかった)を担当した米JVCのスタン・リッカー Stan Rickerは‥‥「Stan took the recording around to several speaker manufacturers in LA and blew up speakers all over the place! [laughs] (スタンはこの音源をロスのいくつかのスピーカー・メーカーに持ち込み、片っ端からスピーカーを吹っ飛ばしたよ(笑))」そうである。
このLP、いちど持っていたが、大太鼓の音が迫力だけでなくリアリティと深みが凄く、ちょうど中学の入学式で、吹奏楽部の演奏をナマで聴いた時の印象をオーディオで聴くことができた。
CDのほうは、「スピーカーを吹っ飛ば」さないようにという配慮なのか、収録レヴェルがかなり低い。
それゆえ、オクで求めたケンウッド DP-5010の左DACがノイズを出していることがわかったのである。
そして、今の私のシステムで聴いても、そのよさは十分には伝わってこない。
‘Telarc余談’でした。
右下のは、NAXOSのルードヴィヒQのディスクとともにHMVに注文して、所定期間内に入荷しなかったのでキャンセルし、avatarに注文して到着した、ドーマス Domusの演奏するブラームス:ピアノ四重奏曲全集。
前記事に、ワーナーが再発していないので廃盤扱いなのだろうと書いたが誤りで、すでに Warner/Eratoになったものが来た。
現在、HMVでは「在庫あり」になっているが、これは私の注文で納品されたものが残っているのだろう。たぶん Eratoに変わっているはずだ。
だとすると、タワーが廃盤扱いにしているのは、ちょっと怠慢だ。
これはまだちょい聴きなのだが、とてもいい演奏のようで、以前から評価は高く、録音も残響がやや多めに入って、たいへんいい。
去年までの、買い控えと売却の反動がハンパない。
オンキヨー C-7030は、前記事に書いた、途中のトラックから入る際の‘プチ’ノイズが、今日はなかった。
ミューティング回路の電解コンなどがこなれてきたのかもしれない。
エレキットの管球式CDプレーヤー・キット、TU-878CDを作った時、CDを演奏し終わってミューティングがかかる時に‘プチッ’というノイズが出て興ざめだったのだが、数週間聴いているうちに出なくなったのを思い出した。このまま出ないといいのだけれど。
音は、いろいろな音源を聴けば聴くほど、なかなかいいプレーヤーだとわかってくる。
純邦楽系のサウンドも、打楽器や撥弦楽器のしっかりした音がすばらしい。
館山甲午の平家琵琶、仏Ocoraレーベルの雅楽、《上々颱風》のアルバム、など、エスニックな楽器のリアル感がすごい。
反対に困ったのは、DGのOIBP(オリジナル=イメージ・ビット=プロセッシング)リマスター盤の音が、ザラついて刺激的になってくること。
SL-PS700で、初回マスタリングの国内盤DGの音に若干歪みっぽさを覚え、数点をOIBPの海外盤に買い替えたことを書いているが、これが裏目に出てきた感がある。
というか、そもそも海外プレスの非リマスター盤の、オリジナルなよさを C-7030は余すところなく聴かせるようなのである。
ネットオクを見ていると、「ドイツ・プレス初期盤」というだけで3,000円以上の値をつけている出品者を見てしばしば不愉快になるのだが、この手の盤がよい音を鳴らすシステムもあるということが想像できた。
そういう機器・システムのほうが、本質的には高品位なのだとも思われ、C-7030はちょっとそっち寄りなのかも、と思った ― もちろん、いくら予算があっても1枚3,000円前後もの中古CDを買うことはありえないけれど。
右上は、日本Amazon経由で avatarmusicから購入した、マイクル・ティペット《我らが時代の子 A Child of Our Time》の作曲者自演盤(NAXOS。Collins Classics原盤)。
この楽曲は、ティペットによく似た立ち位置だったブリテンの、ちょうど《戦争レクイエム》に相当する、‘反戦音楽’だ。
作曲者80代に至ってからの、最晩年期の録音で、同時期の交響曲の録音(英NMCレーベル)は、試聴と海外レビューとを参考にして、さすがに高齢が影響してヨタヨタっぽくなっているようなので、交響曲第2番はヒッコクス盤にしたのだったが、《我らが時代の子》は、彼自身の棒で聴いてみたい。
思うのだが ― ‘戦後’の総括をほぼ何もやっていないと言われるわが国なのだが、クラシック音楽の世界も同じなのではないだろうか。
アイヌ文化の影響の強い、伊福部 昭のようなある種‘汎-亜細亜’的芸術家がいたのは忘れられないが、その伊福部の弟子からは、むしろ右派の論客になった黛 敏郎のような人が輩出しはしても、わが国戦後楽壇に、たった1曲の《戦争レクイエム》もないのである。
「戦争」や「被爆」の問題に初めてテーマをとったのが、あの‘佐村河内 守’の《ヒロシマ》だったという事実は、日本の楽壇の、クラシック・ファンの、そして日本文化そのものの恥以外の何ものでもないと同時に、みごとに象徴的だ。
さて、左上は、このところこういうのも聴きたくなってきている(らしい^^)、女性ジャズ・ヴォーカル。
Kapellさんの紹介されたジーン・フライ・シドウェル Jean Frye Sidwellに興味が湧き、日Amazonで買える輸入盤はCD-Rであり、それでもいいのだが、米Amazon.comのマケプレに、CD-Rでないらしいものが出ていたので、600円ほど高くついたが、注文中。
すぐに着いたのは、Amazonのショップにあった、ティアニー・サットン Tierney Suttonという歌手の《Dancing in The Dark》(米Telarc)。
12曲収録で表題曲はラスト。
テラーク Telarcのジャズというのも初めてだし、それにテラークのディスクは、買ったり売ったりして、手許に残っているのは、ホルストの吹奏楽組曲第1、第2番(フレドリック・フェネル指揮クリーヴランド・シンフォニック・ウィンズ)の1枚(写真左下)だけになっている。
ところが! このディスク、アメリカで最初の商用デジタル録音だったのである。
へぇ〜。
《Stereophile》のサイト上に、ジャック・レナーへのインタビューがあった。
カッコいいヒトである^^。
インタビューの真ん中よりちょっとあとに、このフェネルとのホルストの録音のことが出てくる。
カッティング(LPのほう。当時CDはまだなかった)を担当した米JVCのスタン・リッカー Stan Rickerは‥‥「Stan took the recording around to several speaker manufacturers in LA and blew up speakers all over the place! [laughs] (スタンはこの音源をロスのいくつかのスピーカー・メーカーに持ち込み、片っ端からスピーカーを吹っ飛ばしたよ(笑))」そうである。
このLP、いちど持っていたが、大太鼓の音が迫力だけでなくリアリティと深みが凄く、ちょうど中学の入学式で、吹奏楽部の演奏をナマで聴いた時の印象をオーディオで聴くことができた。
CDのほうは、「スピーカーを吹っ飛ば」さないようにという配慮なのか、収録レヴェルがかなり低い。
それゆえ、オクで求めたケンウッド DP-5010の左DACがノイズを出していることがわかったのである。
そして、今の私のシステムで聴いても、そのよさは十分には伝わってこない。
‘Telarc余談’でした。
右下のは、NAXOSのルードヴィヒQのディスクとともにHMVに注文して、所定期間内に入荷しなかったのでキャンセルし、avatarに注文して到着した、ドーマス Domusの演奏するブラームス:ピアノ四重奏曲全集。
前記事に、ワーナーが再発していないので廃盤扱いなのだろうと書いたが誤りで、すでに Warner/Eratoになったものが来た。
現在、HMVでは「在庫あり」になっているが、これは私の注文で納品されたものが残っているのだろう。たぶん Eratoに変わっているはずだ。
だとすると、タワーが廃盤扱いにしているのは、ちょっと怠慢だ。
これはまだちょい聴きなのだが、とてもいい演奏のようで、以前から評価は高く、録音も残響がやや多めに入って、たいへんいい。