CDP-XE700‥‥コンデンサー交換、見直し?

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     前記事は‥‥さすがにコメいただきませんね^^。 頂戴しました。感謝 m(_ _)m。

    CDP-XE700と CD750

     Sony CDP-XE700の、デジタル系コンデンサー交換計画を立て、日ケミ KZHを調達しているが、まだ未着手‥‥で、そのまま聴いている。

     ゆうべから今朝まで、長時間かかって前記事を書き、途中、パソコンのキーボードが全く反応しなくなって困ったが、どうも接続しているフレキケーブルのコネクターあたりの、若干の接触不良だったようで、いったんキーボードを浮かせてから戻すと、反応が戻った。
     キーボードを抑える化粧パネルをとめるビスのネジ山が、ちょっと潰れかけ;;;。
     
     そんなこんなで昼夜逆転して夕刻に起き出したため、さきほどちょっと聴いただけなのだが、CDP-XE700、音がいい

     寿命が来たらしいピックアップ KSS-213Bを互換品 KSS-213Cに交換したあと、動作は快調だけれど、ほんの気のせいていど音の艶が減殺したかのような感じがしていたのだが、いろいろ聴いてみて、やはり、「音楽を聴く」にはとても快適な響きを聴かせてくれる。さすが桝谷大人の見立てだ、と再度感服。

     コンデンサーを‘盛った’PHILIPS CD750は、細かい音が鮮やかに聞こえてくるが、「音楽」に身を浸そうとすると、CDP-XE700の音が、ぐっと心地よい。
     個々の楽器や、倍音域をけっして強調せず、それがかえって中域〜中低域のソフトな深みにつながり、「ステージがそこに広がっている」感じが、神経質でなく、出る。

     これはやっぱり、デジタル系と駆動系だけに限ってとはいっても、電解数本の交換でさえしないほうがいいかも、と思い始めてもいる。
     電解の低ESR化方向での進化は、このCDプレーヤーのリリース後に著しいと思うが、XE700には、メインの平滑からデジタル系まで、汎用電解コンデンサーはほとんどなく、ほぼすべて日本ケミコンの音響用標準品、ASFと AVFで固められている。

     駆動系+7V電源の安定化電源出口を倍の容量の KZHにすることで、アクチュエーター・コイルの動きなどを繊細にすることができ、解像度も増すのでは、などと想像するが、今のままがいちばんいいのではないか。

    ニールセンの廉価盤

     上の写真の左側は、廉価レーベル・英Regisが、多くの原盤からライセンスを取ってデンマークの作曲家、カール・ニールセン(ニルセン)の、ヴァイオリン、クラリネット、フルートの協奏曲を1枚にしたもので、購入した時は、Marantz CD-5001で全く読まず、レーザー調整ネジ(ピックアップは、今回 XE700に使ったのと同じ KSS-213C)、を微妙に調整して何とか鳴るようになった、という、プレスに問題のあるディスクで、マスタリングも2曲めのクラリネット協奏曲はメタリックな高弦の音など最悪だった。

     ところが、ピックアップだけ交換した CDP-XE700で聴き始めると、トラッキングに問題がないだけでなく、そこそこ聴けるではないか。
     若干は、部屋の影響もあるかもしれないが‥‥左右両方が壁の22平米1DKだと、小ぢんまりと鳴るのである。

     右は、デジタル録音の割りにモヤモヤした、激安廉価盤‘クワドロマニア’の、ダグラス・ボストック指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルによる、これもニールセンの交響曲全集。
     CDP-XE700ではモヤモヤ感が増して、CD750(改)のほうがいいだろう、と、第5番の第2楽章を聴き比べると、CD750が鮮明な音だったが、XE700のほうがゆったりと音楽を味わえる。

     ― この時期のソニーのCDプレーヤーは、「フルフィードフォワード方式デジタルフィルター」というものの搭載を売り物にしていて、フラッグシップ機から最安価帯まで、また光学固定式であるとないとにかかわらず、このタイプのデジフィルの搭載をうたっていた。
     ところが、光学固定式で最安価品の XE700は、回路図を見るにDSPからDACにデジタル信号は直結していて、デジフィルとしてのチップは存在しないのである。

     ずっと前にいちど、ソニーの安価CDPを買って、あまりにヒドい音質に落胆したことがあるが、それは光学固定式ではもちろんなく、しかし「フルフィードフォワード…」搭載だったと思う。

     こういう、日本のメーカーの、音づくりのデバイスに関しては、DENONのアルファ・プロセッサーもケンウッドの D.R.I.V.E.も、最終的に好感が持てないものばかりだった。
     開発陣は「《音楽》がわかっていないのではないか」とばかり感じさせるものだった。

     そういうものが搭載されていないから、ということではないのだろうが、CDP-XE700は、ソニー製品としては初めての「あたり!」である。

    バッハとバルトーク

     AmazonとオクでのCD漁りは、ちょっとしたものが高騰している昨今、サーフィンしているとかえって購買意欲が落ちて来る。
     その中で、バルトークの《2台のピアノと打楽器のためのソナタ》は、1枚は欲しかったので、ラベック姉妹とグァルダ、ドルーエのものが、未開封で定価よりちょっと安かったので購入(右)。

     EMIから Warnerに移った音源だが、日本盤で、日本のワーナーは、元EMIの雰囲気を残して、インレイカードの、ディスクの背に当たるところを赤にしている。

     左は、吉祥寺のブックオフで買った、ヘルムート・ヴァルヒャ(東芝EMIでは「ヴァルハ」と表記)独奏の、バッハ《フランス組曲》全曲。東芝EMIの初回CDだ。
     この音源、Warnerの再発がまだなく、東芝EMIの最終版、ARTリマスターのものは、Amazonで4,000円くらいで出している。
     もちろんその値段では、買う人はまずいまい。
     が、ヴァルヒャの EMI音源(バッハのチェンバロ楽曲)は高めになってきているところへ、帯なしとはいえ2枚組税込950円だったので、速攻でレジに。
     ブックオフでCDを買うのは、そうとう久しぶりかも。

     畏友にも勧められていた音源なので、帰宅してちょっと聴いてみて、まず最初、エラく落胆した。
     なぜか‥‥ヴァルヒャの使っている楽器が、いわゆる‘モダン・チェンバロ’=アンマー・チェンバロで、これの高域が、シャリンシャリンと耳障りなのである。
     ネット上のショップなどの試聴ファイルでは、コープマンや曽根麻矢子さんのものを気持ちよく聴いていたのだが、あちらはリュッカースなど歴史楽器(かそのレプリカ)で、高域がチャリンチャリン響くことがない。

     失敗したな〜、と思って、すぐオクに出そうかとも思ったけれど、高域の質をちょっとがまんして聴いていると、さすがヴァルヒャ、という、ほんとうに一点一画をゆるがせにしない格調の高い演奏で、手放さずに聴き込んでみようかと思うようになっている。

    安保法案可決…。

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       ‥‥何だか書きづらい雰囲気漫々‥‥で、例の‘安保法制法案’が参議院でも可決したらしい。
       テレビは2月真ん中に廃棄したので、情報源はネットとAMラジオ・TBSの《荻上チキの Session-22》だけである。

       いつもよく拝見する Hatenaブログから知った、同じく Hatenaの、gudachan氏のブログをよく見る。
       Gudachan氏は、安保法制には反対、いわゆる‘ネトウヨ’への鋭角的論難記事が多く、それでいて左翼ではなく、そしてある意味、ガッチガチの古典主義的教養主義者、とお見受けする(← この点には、違和感が皆無ではないものの、基本的には同感・敬服している)。平成生まれだそうだ。
       連日の SEALDsの動向などは、こちらで読んでいる。


       で ― 私個人は、安倍政治にはかなり不快感を持っているけれども、SEALDsといっしょになったりして「戦争法案反対!」と叫ぶ、という気持ちにはなっていないのが正直なところだなのだ。

       まとまったことは、書けない。
       昨今のネット情報などからの、印象だけ。
       といっても、ネット空間というのは、政治がらみのことになると、反対の立場の人、反対意見の論者をバカ呼ばわりしないとネット・ユーザーではないかのごとくで、バリバリの罵詈だらけの醜悪腐臭空間にならないほうが難しいので、‘ちゃんと’考えられる資料が少ない。
       そもそも、「安全保障」というトピックそのものを、(可能な限り)客観的に見る資となるサイトは、ほとんどない。
       いや、これは出版界も似たり寄ったりかもしれない。


       さて‥‥この「集団的自衛権」なるものであるが、《荻上チキの Sesion-22》にもよく登場する、憲法学者・木村草太氏の「日本の安全保障を考える」(SPUR.JP内)が紹介している、柳澤協二『亡国の集団的自衛権』(集英社新書)の、Amazonレビューの中に、「1951年に日米両政府間で取り交わした日米安保条約と71年に継続した同条約の前文を知らぬ訳はあるまい。/この前文には、我が国は国連の定義するところの集団的自衛権を有すると明記してある。/この人の目は節穴か、それとも何を今更、寝言をおっしゃっているのか?である」という非難文言が見える。

       そのとおりで、「日米安保条約」前文には、「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」とある。

       ほほう、すでに55年前に「集団的自衛権」を認めているではないか、ということになりそうだが、当該レビュアーとほぼ同じ論旨で今般の集団的自衛権を「問題なし」としている(そうな)東京新聞論説副主幹・長谷川幸洋氏に対し、こちら(宮武 嶺氏ブログ記事)が、同条約「第三条」に「締約国は、‥‥(中略)‥‥それぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる」と明記されることを示して、反駁している。

       こういったところを確認すると、上記Amazonサイトのレビュアーの「寝言」は、わが国Amazonサイトのレビューのレヴェルを象徴的に示していて、面白いと同時に、暗くなってしまう。

       ここで、まさに「憲法上の規定に従うことを条件として subject to their constitutional provisions」の「constitutional provisions」を、この文言があるから集団的自衛権は違憲である、とするのが反対派であり、「constitutional provisions」には「〈違反しない〉という解釈が成立しうるから、違憲ではない」とするのが政権側、ということになる。

       《荻上チキの Session-22》への出演で聞いたことがある、(ちょっと)美人の政治学者・三浦瑠麗さんのブログ《山猫日記》の「集団的自衛権論争の本質」は、一見、「安全保障」に関してニュートラルな知見を得られそうに感じて読み始めたのだが‥‥。

       この説は、「集団的自衛権をめぐる論争の本質を理解するには、大きく三つの領域で物事が進行しているという状況認識を持つことだと思っています。一点目は、安全保障の領域、二点目は憲法解釈と立憲主義の領域、三点目は感情的化学反応の領域です」と、わかりやすく(?)議論を腑分けする。

       その中で、「憲法解釈と立憲主義」の部分では、反対派の中に「安全保障上の必要性については言明せずに専ら手続論の観点からする批判と、安全保障上の必要性に対して法解釈の観点から反論する論理的には支離滅裂な、それでいて戦後日本の知的伝統からは正統な批判とがあります」がある、という。

       ここには「安全保障上の必要性については言明せずに専ら手続論の観点からする批判」「安全保障上の必要性に対して法解釈の観点から反論する論理的には支離滅裂な、それでいて戦後日本の知的伝統からは正統な批判」の2種の批判がある、と読めるが、この内容の違いはよくわからない。
       が、いわゆる‘憲法学者’の発言について、「法解釈の観点から反論する論理的には支離滅裂な」論と断じているとしか読めないところは、とくのその「支離滅裂」という表現に、‘ネトウヨ’の「バカ」と似た臭気を感じざるをえなかった。

       加えて、「「どうどうと憲法を改正すべき」という主張‥‥(中略)‥‥になかなか与する気になれないのは、このような主張をされる方の本音が、立憲主義を方便とした現状維持であるのが見え見えだからです」といい、さらに「このような主張には、立憲主義を方便とした日本の民主主義に対する軽視が潜んでいるように思えます」という。

       三浦さんは、先行する行文で、「憲法解釈を変更するということの意味については‥‥(中略)‥‥どのような政治的伝統の中に存在してきたかということが重要です」としながら、法案等を違憲とする憲法学者たちは、憲法と立憲主義を「方便」として、自分たちの政治的立場を‘現状維持’している、言い換えると、憲法と立憲主義を「人質」としている、という指摘である。

       このうち、「どのような政治的伝統の中に…」という場合、戦争で塗炭の苦渋を飲まされた人びとのことが、まず意識にのぼせられなくてはおかしいが、どうもそういう気配は、この政治学者の言説には、ないようだ。

       ただ、それでも、憲法学者や戦後護憲派が、現憲法条文と立憲主義とを「方便」だというところに、何かひっかかる、言い換えると、単に「憲法を守れ」、「立憲主義を守れ」では済ませきれない部分を感じざるをえないのも事実なのである。

       と同時に、三浦さんに関して、‘とんでもない論客’だという論がネット上にあるのも、見逃せない。

       三浦さんは、全国民が等しく「血のコスト」を自覚して、好戦的国家・国民になることを回避するには、「老若男女を問わない徴兵制」しか方策はない、という提案をしている。

       これに対しては、「ヴェトナム戦争が泥沼化した時代、アメリカは徴兵制を敷いていた」といって、三浦さんを‘危険’と見る「きなこ」氏のブログ記事がある(当然、あるだろう)。

       三浦氏は、‘現実的な’安全保障(の国際的環境)を重視する側と、ひたすら立憲主義を「盾」に取って、憲法と憲法解釈の「現状維持」を固守しようとする側とが、「泥仕合」を繰り返していることへのそうとうな苛立ちがあり、そして氏は、「現実的な安全保障」側に立つ。

       私個人としては、‘わかったふう’に抑止力(抑止目的戦力)の必要性(必要悪)を簡単に認めるということにも大きな抵抗があるとともに、「日本は憲法九条を固守し、一切戦闘機能を保持せず、どの他国とも安全保障上の同盟関係を結ばない」というようなポリシーにも、とても簡単には賛成できない。

       三浦氏は、徴兵制を廃止したシヴィリアン・コントロール下のアメリカが好戦的態度をとったことをあげ、反対に「自らの命や家族の命を懸けてまで倒すべき悪というのは、世の中にそう多くはない」から、老若男女無差別の徴兵制こそが「ナショナリズムを煽るものではなく抑制するものとなるはずだ」という。

       私は、この人が「血のコスト」と称するキーワードを提出していることはきわめて重要なものだと思いつつ、三浦氏自身はこの語を著しく観念的に、つまり単に机上の観念としてしか用いていないようなのが、不満であると同時に不審である。

       もっとも、好戦的な嫌中・嫌韓派には、このような「血のコスト」の‘脅威’が抑止力として働く可能性はあるかもしれない。
       しかし他方で、日本人の中にも ISILの兵士に志願して渡航しようとする者がいたし、外国人への暴力の行使を強く希求する手合いも存在する。
       兵役への実感が好戦性を抑止できるという考えは論理的でも実証的でもないと思える。

       それより大切なことは、何より敗戦直後から現在まで、さまざまな政治的環境の変化にもかかわらず、戦争体験の悲惨さを語り継ぐ人びとがおり、このような人びとと、彼らの背後にいる、すでに鬼籍に入った人たちも含む、膨大な戦争被害者こそが、まずはダイレクトに「血のコスト」を支払うことを強制された人びとであり、「血のコスト」の重い意味をその生命で感じている人たちだということなのである。
       三浦氏の言説には、その視点が決定的に欠ける。

       《荻上チキの Session-22》は、そんな三浦氏や、安保法案の基礎や「安倍談話」における安倍首相のブレーン・北岡伸一氏を招いたりもしていて、これはある種、番組維持存続のための方策とも取れなくはないけれど、ゲストはフランクにチキさんと語っている。

       北岡氏の時は、ポータブル・ラジオの前でかまえて全部聞いた。
       首相談話に「侵略」の語を入れさせたりしたので、氏に対しては右派からの罵言も多く、氏の安全保障論には、むしろある種バランスのとれたものも感じた。
       インタビューの冒頭、チキさんは北岡氏が幼少のころ、家族・親族から戦争の話を聞いたことがあるか、という質問をした。

       私が、このインタビューでいちばんびっくり仰天したのは、北岡氏が、ひどく簡単に、そしてぶっきらぼうに「ないです(ありません)」と答えたことだった。
       私は昭和30年代生まれで、父親は兵役の経験があるものの外地へは行っておらず、祖母も父の生家で戦時を過ごし、家は焼けてもいない。
       それでも父は兵役時代の不快なことを語り、祖母も「焼夷弾」の脅威を語っていた。

       昭和23年生まれの北岡氏が、家族・親族から戦争の話を何も聞いていない、というのは、ひっくりかえるほど驚かされることだった。
       もちろん、そういう話を聞いていないならしようがないし、そういう話を聞いていない人の安全保障論は信用ができない、とは言えないのだけれど、ほんとうにびっくりした。

       ‘現実の’国際社会における安全保障環境の激変に、わが国も「世界レヴェルで」対応しなくてはならない、という場合、国会運営の実態から、公文書保存と開示の充実まで、「先進国レヴェル」にしてから、初めてことを始められるのである。

       「軍事演習」というものは可能だが、「戦争演習」というのはありえないのだ。これは災害における「避難訓練」はできても「被災訓練」はゼッタイに不可能なのと同じである。

       その点で、「可決した」今の時点は、賛成・推進派にとっても口舌にのぼせないほどの大きな緊張を強いられる転換点であるはずだ。
       論争の両派のあげ足取りの議論は全部ほうったとして、自衛隊は劣化ウラン弾を、そして海外では核弾頭も輸送できる(=しなくてはならない)ということになった。

       この「戦後70年の安全保障の大転換」は、とくに海外に出る旅行者や出張者、あるいは駐在者にとっての「セキュリティの70年ぶりの大転換」に、まずはなるし、自衛隊はもとより、関係官庁にとってそれこそ‘想定外’の事態が突発してくる可能性もありそうだ。
       政治家や知識層やメディアの「志」と「力量」とは、そっちのほうで測られるだろう。

      CDP-XE700、交換用コンデンサー購入。

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         ‥‥44日ぶりに、千円ヘアカットで散髪〜。すっきりしました。
         最近、ごく近くに開業したお店。これまで使っていた千円カット店より、少しいい感じかも。

         出かける前に、ネットで国勢調査を入力・送信。
         これは、人的手間の削減にも、情報漏れの防止にもつながりそうで、とりあえずOKかも。
         国勢調査の戸別担当者の仕事=収入は減るけれど、この仕事は常時ある仕事というわけではないので、雇用減少になるというのとは違うだろう。


         さて‥‥2台のCDプレーヤーは快調に動作、音楽を聴くに何の問題もなくなったわけだが、ソニー CDP-XE700のほうは、何か物足りない音でもあり、手を入れてみたいけれど、私がヘタに手を入れると必ず神経質な音になるので、少なくともアナログ系のコンデンサーはいじらないことにする。

         デジタル系電源は、DACのアナログ電源が、アナログ系、つまりオペアンプ正負電源の+側を流して使っており、デジタル電源のほうは別に安定化し、マイコンやDSPの電源と共用している。
         そして、モーター駆動系の+7V電源が別途安定化。

         下図はDAC(=CXD8567AM。ネット上にデータシートなし)付近の回路図。

        CDP-XE700、CXD8567AM。

         アナログ電源のデカップリングが、C402と C502、10V100μFで、回路図中に品種・AVFの指示がある。
         デジタル電源のデカップリングは、C323と C326、25V220μF、ASFと指示がある。実際にもこのとおりだったと思う。

         デジタル電源は5Vなので、6.3〜10V品でいいはずだが、25V品になっているのは高圧品のほうが低インピーダンスだからだろうか。
         それぞれ0.1μFのマイラーがパラわれる。

         回路図では、左チャンネルのアナログ・デカップリングが電源ピン(AVDDL)ではなく、L1(+)(左Ch.アナログ正相出力)につながっている(図中、赤い囲み[引用者])。
         ま、天下のソニーでも誤記はある、というようなことで‥‥。

         このDACは、DACにクロックを接続する形で、33.8688MHz、この回路用の電源ピン(XVDD)があって、このデカップリング C334・10V100μFには、MUSEが指示されている。
         昔懐かしいメタリックグリーンの MUSEである。

         メタリックグリーンの MUSEは、このクロック電源と、あと、FL表示電源の平滑に使われている。
         え? なんでそこが MUSE? とちょっとヘンであるが、今も画像化したPDFで入手できる MUSE(=MUSE FX)のデータシートをみたら、現行の KW、FWよりわずかに定格リプルが大きい。
         若干低ESRであるようで、そこに目をつけてクロックのデカップリングなどに使ったものか。

         アナログ系は、日ケミの ASFと AVFで、これでそこそこいい音が出ているので、このままにしておき、しかし低ESR、低インピーダンス系の電解は、CDプレーヤー発売後の進化が大きいので、デジタル系および駆動系のデカップリングと安定化電源、計5本ていどの交換用として日ケミの KZHをマルツのサイトで確認。

         現在、マルツは少量ならメール便259円で送ってくれる。
         仕事が夜間だけの日に、秋葉原を回っていこうかとも思ったけれど、差額の追加電車賃が700円ほどかかるので、迷わず通販。

        マルツから KZH。

         コンパクトな箱に入って、到着。

         ‥‥今日(13日、日)は散髪に行ったり、こんな記事を書いたりでハンダ作業には着手できず‥‥来週あたりでしょうか。

        新居で初めてのハンダごて。

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           考えてみたら、前記事のCDプレーヤーの手入れが、新室に越して最初の‘ハンダごて遊び’でした。

           旧室では、居室の和室の真ん中に、大きめの折りたたみ式机を広げ、畳に座って作業をしていた。
           スペースは十分にあったが、座ったまま作業が長時間になると、足が疲れて足の指がつったりしてくる。

          新室の机。

           新室では、パソコン作業も読書も、旧室から持ち込んだ‘勉強机’の上でするようになっている。
           旧室でオーディオ工作に使っていた折りたたみ机は、新室では脚をたたんだ状態で立てて置くスペースがないと思われたので、廃棄した。

           小さい折りたたみ机もあるので、それを畳の上に広げてハンダ作業をしようかとも考えたけれど、けっきょく勉強机の上で、ということはイスに座って作業することにした。

           今回はとくにCDプレーヤーのピックアップ中心の作業だったので、あまり面積は必要としない。
           が、CDPやアンプの工作も、この机の上で十分いけそうな気もする。

           問題は、ハンダごての置き場所と電源。
           電源コードがぎりぎりだと、コードが何かに引っかかった時、ハンダごてが飛びはねる恐れがある。

          ハンダごて用タップ

           私は左利きなので、左側にハンダごて台を置く必要がある。
           壁コンセントは右の端なので、アンプ用に買ったトラスコ中山の延長コードに、さらにエレコムのタップを中継としてつなぎ、足元をくぐらせて机の左の下から、電源を取った。

           延長コードは1本が望ましいけれど、現用のこては150Wも使いそうにないので、これで。

           イスに座っての作業なのは楽で、長時間集中できる‥‥おっと、こいつぁマズいことになったかも^^。もうあんまりやりたくないんですよねえ、オデオ工作。

           お金があれば、ちゃんとしたものを‘買って’使いたい、と思うのだけれど、ここまで手を入れたCDP2台とアンプと‥‥しばらく他のものを買う金もないし、使ってみますか…。

          アバドのマーラー#4。

           マーラーの交響曲第4番は、クラウディオ・アバド/ウィーン・フィルのディスクが、ゆったりして澄明な抒情を聴かせて、すばらしい。

           この録音、最初に入手したドイツ盤の音が、いささか情報量寡少で、高弦の音がいかにもCDっぽくのっぺりしていたので、第2番『復活』(シカゴ響)とのカップリングで、O.I.B.P.リマスターされた「2CD」シリーズのドイツ盤を求めると、弦のザラつき感なども出ていて、たいへんよかった。

           が、昨年の生活超困窮時に、シカゴ響との『復活』は聴かないから、と売ってしまった。
           そして、先月、ユニヴァーサルの海外廉価盤シリーズ・Virtuosoで、第4番が単独でリリースされていて、1,000円未満で買えたので、買ってみた。

           すると、ブックレットやレーベルにO.I.B.P.の記載は全くなく、聴いてみても旧マスタリングのような、のっぺりした音だったので、落胆し、再度「2CD」版を注文した‥‥モッタイナいことだが、Amazonでちょうど1点在庫、1,585円で買えた。

           2台のCDプレーヤーで聴けるようになり、ちょっと聴いてみたけれど、あきらかに私の嗜好と環境では、O.I.B.P.盤のほうがいい。
           これは、リスナーと環境によって異なり、旧マスタリングがよい、という意見も根強いので、聴く人による、というほかない。

           ― さて、超睡眠不足の中、腹具合もどうなるのか、不安を残したまま、秋期の仕事に。
           そしてまた、仕事も、お蔭さまで微増‥‥という以上に増えてきた。収入面では、とくに今の状態ではありがたいことは言うまでもないけれど、身体が持つかな〜‥‥まあ、なんとかなるでしょう。

           い〜っしょうけんめい稼いで、オデオは‥‥いけません、まだひたすら納付&納付の日々。CD購入もちょっと波が過ぎた‥‥かな? 今日あたり、バルトークが1枚来ます。

           昨日は睡眠不足で出勤、帰ってメシを食い、足湯をして寝たら4時間ほど熟睡し、工事の騒音が始まる前に起き出した。
           というわけで、夕刻からの仕事、眠くなりそうです〜^^;;。

          CDプレーヤー2台、修理?

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            SONY CDP-XE700

             ソニー CDP-XE700はディスク読み取り不能状態のまま、またフィリップス CD750はピックアップを交換すれば演奏中のメカ騒音が低減するかも、という「必要」と「期待」とで、互換ピックアップを購入していた。

             まず、CDP-XE700のほうは、光学固定式メカということで、どうやってピックアップをはずすのか‥‥メカ・ベースは、メカ・カバーを取り除くと、そのまま上に抜くことができるが、そのあと…。

             ソニーの光学固定タイプの修理例はあまり多くなく、しかしググってゆくと、CDP-XA30ESの修理例と、CDP-XA3000の修理例が見つかった。

             ベース部分の写真を拡大して拝見すると、両機のベースと CDP-XE700のベースは同じもののようである‥‥ピックアップも、同じ KSS-213B。

             が、この2つの記事は、細かい交換作業の手順は示しておられないので、よくわからんなぁ、とググってゆくと、こちらの、オンキヨー C-711M LTDのピックアップ交換記事、その下から5枚目の写真の記事に「ストッパーを広げて引き抜く」とあり、なるほど、シャフトのストッパー部分を押し広げてシャフトを抜くことができるのか、と納得し、抜けましタ。

            CDP-XE700、ピックアップ分離

             抜けるとあとは簡単、フレキケーブルを抜き、そのままはずれた KSS-213Bの代わりに KSS-213Cを置いて、シャフトを通し、止まるまで押し込んでしまえば、ストッパー部分は元に戻って、おしまい。

             いうまでもなく、前以て KSS-213Cのハンダ・ショートランドは解除しておく‥‥これが、新室での最初のハンダ作業になった…。

             KSS-213Bは、シャフトを通す軸受け部分に金属性パイプ(真鍮製らしい)が通っているが、KSS-213Cはモールドのまんま。
             この件は、こちらに指摘があり、レーザーを調整すると KSS-213Bも使えて、かつ 213Bのほうが音に艶があった、という。

             また、互換性があるといって安易なKSS-213Cへの交換はよろしくないと指摘する記事もある。そのとおりなのだけれど、現在 213Bは国内にまず1台も流通していないので、致し方ない。

             さて、組み直してディスクを入れ、[>]を押す‥‥と‥‥何回か回転し、TOCを読み取り、演奏を始めたものの、時間もトラックも、ぽんぽん跳んで、お話にならない。

             そこで、また解体‥‥。その時のレーザー調整VRの位置が↓。

            レーザー調整、これでは演奏不能。

             これでは演奏不能。
             で、ちょっと反時計方向(左回り)に、回転↓

            レーザー調整、いちおうOK。

             これで、ディスクを入れた直後、「ピ〜」という電子音のような音が聞こえ(名鉄の発射音だかを思い出し…)、TOCをさっと読み取り、アクセスもクイック、きちんと演奏してゆく。

             が、URLを忘れてしまったのだが、レーザーの光量が一定以上あったほうが音がよくなる云々という記述を見かけたのが気になり、あとわずかに反時計方向に回して、終わりにした。その位置が下写真↓。

            レーザー調整、現状。


             これで演奏はOKのもよう。CD-Rでも大丈夫だし、元のクイック・アクセスが復活している。

            CDP-XE700、TOC読み取り。

             肝心の音質だが、上に見た諸記事に言うごとく ― 読んだゆえのプラシーボかもしれないけれど ― 交換前に比べて音の厚みが減り、平板な音になったような‥‥(あっれ〜;;)。

             しかし、とりあえず今できる処置はこれしかないので、仕方がない。
             もういちど、はずした KSS-213Bを取り付け、レーザー調整VRをぐ〜っと左に回してみてもいいかもしれないのだけれど、ある状態で読まなくなるというのは、明らかにレーザー・ダイオードの劣化を示しているわけだし、そこでレーザー強度を上げれば、寿命はさらに縮まる。
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            遮音の…再確認。

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               ふひぃ〜‥‥。

               今日は工事の騒音の中、午前11時ごろ、お隣にヘルパーさんの声! 内容まで聞こえる‥‥「今日はお弁当はないんですよ」云々。

               あっりゃっりゃ、やっぱり聞こえるな〜。
               そこで、速攻でスピーカーをスタンドに乗っけ、CDPとアンプの電源を入れて、ドヴォルジャーク『新世界』の終楽章(アンチェル/チェコ・フィル)を再生。
               このディスクはちょっと収録レヴェル低めなので、ボリュームは9時半くらいで。

               ヒゲもそっていない顔で女性ヘルパーさんに声をかけるのも、と大急ぎで洗顔、ヒゲ剃り。

               で ― ヘルパーさんが玄関から出てくるのを待つ。
               出て見えた! 「すいませ〜ん、先ほど、10分ちょっと前ですが、音楽、聞こえました?」
               で ― 「いえ、聞こえませんでした。」

               今日はちょっと聞こえるだろう、と思ったけれど、先日の薬局員さんと同じ答え。
               いや、よかった。

               にしても、お隣の会話が内容まで聞こえるのに、こちらからの音楽は聞こえない‥‥ヘンな遮音である。
               これは音響のマジックミラーみたいだ。
               そんなアホな。そんな便利なものがありうるのなら、間違いなく米軍やCIAあたりが開発して実用化しているだろう w。

               う〜ん‥‥しかしこうなると、確実に当方からの音楽はそんなには伝わらないのだ、と判断するしかない。
               今後ヘルパーさんに再確認したりしても、同じ人物だったら迷惑なだけだし。

               音のマジックミラーみたいなものがありえたとして、そういうアパートで、隣に引っ越してくる若夫婦の夜の営みに耳をそばだてるのを楽しみにする男、なんていう安もの妄想ファンタジー紛いのストーリーが成り立っちゃったりして‥‥。

               と、アホな想像はここらへんにして ― このフロアは全室単身用なので、夫婦が入居することはない^^(狭くてムリ) ― ちゃんと音楽を聴くことを考えまひょ。

               ヘルパーさんに確認したあと、CDプレーヤーのピックアップ交換もしないと、木曜から秋の仕事も始まるし、と思ったが、2日続きの睡眠不足で、やーったら眠くなり、またフトンを敷いて3時間弱、寝ましタ。

               Sony CDP-XE700の光学固定メカは、どうやってピックアップをはずすのかなかなか見当がつかないのだが、同じ光学固定タイプでより上位の、CDP-X3000と CDP-XA30ESのピックアップ交換記事がネット上にあり、画像で見るとメカ・ベースは同じもののようなので、参考にしてみますか。

               新室ではまだハンダごてを使ったことがない。
               押入れのタンスの裏に箱ごと入れたので、タンスを引っぱり出して取り出した。
               が、道具箱の中に、あの「はんだシュッ太郎」がない‥‥いろいろ探すと、オーディオ・ラックの下段の奥に突っ込んでました。

               ハンダごては、ぼつぼつ使いたいと思うと同時に、もうちょっと遠慮したい、という思いもありますねえ…。

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