家具リサイクル…搬出。

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     やっと家具放出第一弾終了。

     ドタキャン買取ショップのせいで一週間延びてしまったリサイクル団体、今日来てもらった。
     下見ということだったが、金属製品は引き取れないとのことで、意外に持っていってもらえるものは少なく、なので、引き取り可能なものは今日ぜんぶ搬出してもらった。

     いちばんまともな、前に写真を出した本箱を筆頭に、やや簡易な本箱3本、ずっとオーディオ工作やオク出品品の撮影に使っていた折りたたみ式テーブル、そしてパソコン用に使っている折りたたんだ状態で自立するテーブル‥‥の6点くらい。あまりスペースが空かない。

     高齢者人材の活用を謳う団体で、来訪したおじさんたちはたぶん全員私より年上。そこそこていねいで、手際もよく、訪問先の事情もいちおう世間話的に聞いてくれるし、たいへんよい印象だった。

     ちょうどピンポ〜ンとチャイムが鳴った時、市の納税課から、滞納の事情聴取の電話がかかっていたのは、恥ずかしいシンクロニシティ;。
     ほんっと〜に今回ばかりは、どうしようもない困窮化である。
     5月末の給料 ― 実際は報酬、であるが。源泉税10.21%引き! ― 以降は好転が見込まれるので、と返事する。
     (国税還付金、まだ入ってない〜~~;!!)

     残っている、金属製のデカい書類ケース、本棚、食器棚、レコード・ラックなど、粗大ゴミだと費用はまあまあとして、下におろすのがたいへんだ。
     業者に依頼すれば、相当額がかかるだろう。

    本箱


    搬出後

     パソコンは、床に座って触ることになり、とりあえず残した、小さい折りたたみテーブルに置いてみた。
     テーブルとイスで操作していた時の、ちょっとカッコイイ蛍光灯スタンド(下写真)も、無意味になり、次の部屋には置くスペースはないので、粗大ゴミ。

    パソコンを床におろす。

     スキャナが使いにくいが、とりあえずなので仕方がない‥‥いや、次の部屋だと、もっと配置に困るかも。

     いっやまぁ〜‥‥つくづく怠惰の上に欲しいものを欲しいだけ買って溜め込んでいたんだなぁ、と実感。
     怠惰+放恣+無能力なのに買いかぶり。そういう人生であったツケが、ちゃんと来ました。

     ま、今日はもう何もないし、ゆっくり晩メシを食うか。おっと、ご飯少なめに炊かなきゃ。

     テレビのない生活、もう1.5ヶ月越え。
     ネットの噂に、テレ朝・古館さんの報道ステーションが、ちょいと荒れたとか荒れなかったとか。

    春。‥‥ラジオのことなど。

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       世は春である。
       暖かく、桜が映える。

       今年は、自分にとっての転換点、また極限でもあるので、とくに身に沁みて感じるのだが、桜の季節は、幼稚園に入ってからというもの、だいたいは憂鬱だった記憶が勝る。

       もちろん、暖かくなって、陽射しは気持ちいいし、晴れた青空とピンクの梅・桜は色のコントラストが絶妙で、心地いい。
       が、問題はそれが‘社会生活’とすっかり反比例していることだった。

       幼稚園から中学校まで、だんだん居づらくなってくる、その節目が春の進級時、クラス替えなどの時である。
       でもって、小学高学年と中学で、不登校に陥った。

       でまた、不登校で迎える春なんて、うしろめたいだけである。
       大学では、春には入社式の様子を見て、いよいよ社会化恐怖が凝固する。

       社会化を免れて、大学院に逃げたあとは、春は少しマシな印象になった‥‥はずなのだが、そういう記憶もまた、ない。
       なぜかというと、意識の底では、研究職に就けるはずなどないことをイメージしていたので、親の遺したものがなくなればそれで終わり、という不安感がずっとあったからだ。

       任期制職に就いた時からは、春は新入生を迎えて激-雑務の季節となり、何やかやと不備を指摘されながら過ごしつつ、任期満了で失業、という意識が付いて回った。

       そして、ほんとうに失業のあとは、春は年々の減収を認識する季節であった。

          ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

       さて、テレビを廃棄してからもう1ヶ月以上経つ。
       やはり、ちょっとした時にテレビの視覚的な‘賑わい’が欲しいことが多いのだが、テレビがないこと、テレビに逃げられないことが、自分の現状にいやでも向き合わせることにはなる。
       そうであるべきなのだが、心理的にはストレスはいや増しに増す。

       聞けるAMラジオ局は、NHKの総合と教育、あとは TBSラジオと文化放送の、計4局くらいだ。

       聞くのはほとんど TBSラジオばかり。
       聞いていると、久米 宏(70歳)、生島ヒロシ(64歳)といった、テレビではもうあまりお目にかからない人たちが活躍中、そしてテレビではほとんど記憶にない(失礼)、大沢悠里(おおさわ・ゆうり、74歳)と荒川強啓(あらかわ・きょうけい、68歳)のお二人が、もっとも長時間耳にするアナウンサーということになる。

       プロフィールの写真では、みなさんまだ若く、もともとのイケメンでもあるが、ラジオで聞くと、正直に申して、声質・滑舌・言い回しなどあらゆる面で否応なく年齢を感じてしまう。

       それがテレビの、若いアナウンサー中心の雰囲気とは異なる落ち着きを持っているのではあるが、いっぽうでラジオでは、こうしたキャスターたちが自分でスポンサーの商品広告・商品販売もするわけで、これまたテレビの喧騒はないといっても、何とも気の毒な気さえする。

       まことに、TBSラジオは TBSのシルバー部門という観が強い、というよりシルバー部門そのものだ。
       積極的に聞けるのは、やっぱりだけれど、『荻上チキの Session-22』だけ、ということになる。

          ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

       ‥‥もう、ちょっと心理的に限界を超えているが、その割りに落ち着いてもいる‥‥言い換えれば、さっさと引越しをしなければ、という自覚がないわけだ。
       起き抜けに心臓がドキドキ、の日はあるが、それ以上ゾッとするようなことはない。

       食事はおいしく、何と、ここ数年、いやここ20年ほど、体重が50kgになることはもとより、50kgに近づくことさえなかったのだが、先日風呂上がりに体重計に乗ったら、ほぼ50kgでした!

       ちょっと食いすぎだナ。
       江戸期の観相学者・水野南北は、過食が運勢を悪くするとし、少食開運を説いた
       ふむ〜、それだからではないだろうが、今日削った7枚のスクラッチ宝くじ、全部ハズレでした! ふつう、7枚だと1枚は200円が当たっているのに。

       しかし‥‥上リンクのサイトによれば、水野先生も麦ばかりではあるが一日に一合五勺は食べていたのだ。
       私は、一合五勺は‥‥食べてないと思うが。夕飯は米が一合を若干切るくらい、それに5%分ほどの麦を加えて炊く。
       あと、お昼におにぎり‥‥2ヶ食べてるか〜。すると一合五勺は超えてるかな。

       ちょっと節食しよ。ふにゃ〜。

      無為に過ごした日曜…。

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        (画像、なし^^。)

         前々記事の画像の、コットウ(みたいな)品たち、7点まとめて近くの買取ショップで、計1,500円でした。
         昨日仕事前の昼ごろに、袋に入れて持ち込んだが、重かった、だけ。

         今日・日曜は、このところ耐震化工事の騒音で朝から起こされているお蔭もあって、9時には起き出していた‥‥にもかかわらず、朝食後はネットを見ているうちに‥‥正午を過ぎ、パスタをゆがいたりして昼食‥‥のあとはラジオとネット‥‥のうちに日が暮れた。

         山のような、自分の生活とはある種無関係な、‘家のもの’のために ― 100%そのためではなかったが ― 高い家賃を払い続けていたということが実感されてきて、それがまた虚脱感をいや増しに増す。

         エアコンの電気代だけ考えても、オーディオとパソコンは同じ部屋に置き、操作すべきだったのである。
         片方の6畳間は、書庫オンリーのような使い方にしていたら、光熱費だけでももうちょっと節約できたかも。
         ‥‥てなことはもうどうでもいいのだが。

         こんな状況でも、考えることは、すべてオーディオ、である。
         次に落ち着いたらCDプレーヤーとアンプは、同クラスの別のものを、とすでに目星を付けてある‥‥って、ナニしてまんねん、なハナシだけど。

         パナソニックの SL-PS700ももういちど入手したいが、ほかのは、書かない。
         SL-PS700は、買い被りにはなるが、私が記事で取り上げたあと、ネット・オークションで高値で出品されるケースが明らかに増えている気がする。

         PHILIPS CD750(改)とナカミチ IA-4s(改)の組み合わせは、なかなかいい音を聴かせてくれているが、とくに CD750の部品交換後は、歪み感がなくなって精細な音になったものの、中域の厚みには全く欠ける。

         次に入る部屋のお隣さんが、音楽の騒音一切拒絶、かもしれないのに、オーディオのことしか考えられない。

         とはいえ、音楽が聴けず、オーディオと音楽を捨てることもあってもしようがないかもしれない、とも思うし、もっともっと本も削ぎ落とし、『広辞苑』1冊以外、‘文化的物品’は何ひとつない暮らしを余儀なくされても、それはそれで受け容れざるをえないのではないか、とも思うし、極端には、その流れで、高いところからピョンと、ということも頭に浮かばないことはないのである。(おっと、あぶないあぶない;;。)

         “「今」に在りなさい、「今」にいて、自分の体に住まっていれば、すべてうまくいく”というふうな、エックハルト・トール説を思い浮かべながら、今日などは、自分の現状がここまでになったことに、言葉で表現できるようなものではない、苛立ち、というか、激怒感が沸騰してくることも、体感する。

         これは、次の、削ぎ落としたシンプルな暮らしへの期待感と、まったく矛盾せずに(やっぱり矛盾している;;)同居している感情だ。

         これが、今日の、正直なところ。

        ・追記1 …一昨日の頬からの出血、お蔭さまでもうすっかり出なくなり、キズも「あれ? どこだっけ」という感じ。
        ・追記2 …テレビを放逐して1ヵ月半。
         さすがにテレビに逃げることがま〜ったくできない状態がこれだけ続くと、やはりそうとうストレスになっているようには感じる。
         同時に、現実から逃げはしても、眼を背けられなくなる効果はある。
        ・追記3 …2月26日に、市役所の受付け所に出した確定申告、もちろん還付申告だけれど、3月30日の今日もまだ入金なし~~;。

        途中経過‥‥皮膚科、活元運動、頬から出血…。

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          (画像、なし^^;)

           昨日は予定も仕事も何もなく、臨時収入もあったことゆえ、1年ぶりに皮膚科受診。
           もうこのところ、睡眠中に肩〜背中が痒くてかゆくて状態、掻きむしってシャツに血が付くこともしょっちゅう― いや、これは以前からだけれど、ちょっと度を超えている。
           今までのと同じ軟膏を処方してもらった。

           ついでに、発掘で出てきた EXPO '70の500円硬貨数枚、これはコットウ的価値ゼロであるし、ATMや自販機も受けつけないから、銀行で通帳に入れてもらう。
           いっしょに、長らく定期入れに入っていた漱石の千円札も入金。
           千円札の人物が野口英世になったということは、世が理系重視に変わったことを端的に表しているのだろうか。

           そのあと、帰宅してから、市役所に粗大ゴミのことなどを聞こうかとも思っていたが、なんとも身心ともにヘタってしまい、音楽を聴いて夕刻を過ごしてしまった。

           フィンジーのクラリネット協奏曲などの入っている、BBCプロムスのイギリス音楽アルバムを聴き、そのあと、伊福部 昭『シンフォニア・タプカーラ』を全曲。
           聴いているうちに体が自然と揺れだし‥‥‘活元運動’が出てきたわけだが、全曲聴いてからさらにバルビローリ/ニュー・フィルハーモニアでマーラー:交響曲第5番の第4、第5楽章を聴いて、そこでオーディオの電源を落とし、畳の上で集中的に活元運動をした。

           このところ、就寝前などに準備運動をしても、活元運動があまり出てこず、反比例して首の痛みなどがずっと溜まっていた。
           動きに任せると、40分以上動いていただろうか、手をパッタパッタやったり、膝がドタンバタンと動いたり。

           活元運動は、最初に「ポカーンとする」ことだけから始めるところは違うけれど、活元運動と、スタニスラフ・グロフらの始めた「ホロトロピック・セラピー」は、無意運動が出るに任せるというプロセスが、じつによく似ている。

           文字情報として「ホロトロピック」関係をググると、かなり意識的・人工的に呼吸をコントロールし、それによって「変成意識状態」に入る、というもので、「変成意識状態」というのは、活元運動の目ざす、身心の歪みのとれた状態というのとはかなり違った、人為的・技術的なものに見えるのだが、整理で久しぶりに出てきた、菅 靖彦『心はどこに向かうのか』(NHKブックス。88頁以降)に紹介されるホロトロピック・セラピーの内容は、活元運動を彷彿させる。

           40分以上の活元運動ですっきりしたあと、前夜に半額で買ったおかずの、さらに残り半分で夕食^^。
           それから深夜、お世話になっている知人から電話があり、アメリカ旅行の、いささかの珍道中記を聞かされて、面白かった、というと失礼だが、ずいぶんディープな旅だったようだ。

           で ― 今朝。久しぶりによく出た活元運動や、皮膚科の軟膏のお蔭もあってか、よく眠って目を覚ますと、右の頬のところに触れる手が、ヌルヌル。
           たっぷり皮脂が出てるな〜、と思ったら、出血!
           頬骨のあたりの、ほんの小さ〜な傷から、とめどもなく、鼻血が流れ出るように溢れ出てくる。

           都合、ティッシュ7〜8枚を真っ赤っかに染めて、やっと治まった。
           こんな小さな引っ掻き傷から? と怪訝にさえ感じるような出血だった。

           野口整体のみならず、東洋医学では、たとえば大量の鼻血は、脳溢血などに対する身体の回避反応であって、このような場合の鼻血は止めないのがよい、というようだ。
           関連情報が、たとえばこちらののブログ記事に見える。

           ― さて、今朝の出血が、そんな‘よい出血’だったのかどうか。とりあえず止まるまで、バンソウコウを貼ったりせず、ティッシュを替えながら当て続け、止めるのではなく、出てくる血液を吸い取るようにしてお付き合いしました^^。

           夕刻に少し仕事が入っており、それまでに洗濯でもすっかな〜…。

          途中経過‥‥いろいろ。

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             残っているものの分量に、もう億劫さを超えてキョーフを感じている;;。

             加えて、と〜にかくカネがない;;;。
             というわけで、残りものの中に‘かねめ’のもの=換金価値の少しでもあるものはないか、と探しまわる。
             と! 母の使っていたと思われる真珠や珊瑚のネックレスが何本か見つかったが、これはじつに買い取ってもらいにくいアイテムだ。

             とりあえず貴金属買取ショップに持っていくと、その中のネックレス1本とペンダント1ヶの台座がプラチナ! ということで、意外な金額になった。
             その後、真珠のイヤリングを発掘して持ち込み、台座がプラチナ。
             全部で4万円にはなりました‥‥焼け石に水、っぽいけれど、とりあえず感謝。

             ほかの、粗大家具‥‥市関連のリサイクル団体の下見を予定していたが、なんと! シンクロニシティみたいに、ちょうど訪問買取をしている業者から電話があり、よしあしはともかく、認可免許さえ確認できれば、と頼んだ。

             ちょうどリサイクル団体の来訪時が、業者のバイヤーさんの都合がよい、ということで、1円でも換金できれば、と、リサイクル団体のほうはいったん電話を入れて延期をお願いし、買取業者のほうの予定を入れた。

             で、予定の時刻、業者のバイヤーから電話があり、「今から行く」かと思いきや、「電話アポ担当者から聞いた話では、お宅に行っても買い取れるものはないと思われるので、訪問はキャンセルさせてほしい」という話。
             電話アポ担当のおねえさんの話では、なんでも買い取る可能性があるから、家具・家電・本・テレカ、な〜んでも用意しておいてくれ、とのことだった。

             前夜から、押入れの上の棚から残っていた花瓶・酒器などまで取り出し、部屋の暖房までつけて待っていたのに‥‥。

             いっやはや、とんでもない業者である‥‥のだが、事情、理解できないわけではない。
             電話アポの担当者は、1件でも多く訪問予約を成立させたいし、いっぽうバイヤーとしては可能な限り効率的な買取りをしたい。その間の齟齬がこういう事態を生む。

             それにしても、もうちょっと早めにキャンセルの連絡ぐらいすべきだろう。
             相手を、準備も含めて30時間くらい拘束して、業者のほうからドタキャンでは、ビジネスのイロハもクソもない、論外以前のハナシである。
             他のアポまで延期して用意して待っていて、直前に「ムダだから行かない」は、こちらとしては心理的には“殴ったろか!”ものだし、人によってはほんとうに怒り出すだろう。

             リサイクル団体のほうは、下見が1週間延期になったので、すべての予定が1週間遅れとなる。
             ま、私の無意識が「遅らせたい〜」なんて思ってるのだろうな〜。いっや、も〜シンドい。
             ほんとうに、いいことばかりはない。

             今日は、真珠製品でも買い取るという近くのショップに、ネックレスを持ち込み。
             数本まとめて100円。ケース込みで不燃ゴミ袋(有料)に入れると、そこそこかさばるので、100円でも御の字である。

            コットウ品?

             さて‥‥あとは上の写真の、いちおう木箱に入った(元箱とは限らないが)陶器類。抹茶茶碗は箱なしばかりだと前に書いたけれど、箱つきが一椀のこっていました。大きなのは、花瓶、そのうしろに銀瓶。
             どうなりますやら。

            引っ越しの準備…遅々として進まず…。

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               今日のは、そのもの‘日記’‥‥当然、私のはまことに情けない。

               もう引っ越しへのタイムリミットもぎりぎりっぽく、かつ引っ越し代もなく生活費もいよいよ底をつく。
               生活は超-夜型になって空しく日を過ごし、午前中から寝に就いた時間帯、賃貸の耐震化工事で凄まじい騒音と振動。

               移送予定の家具は、本箱約5本(!)に、オーディオ機器+オーディオラック(←けっきょくこれがいちばん人生で大切なもの、でした)、勉強机、そして台所のものとしては、冷蔵庫・水屋・衣裳箪笥各1個と、低背のチェスト様ボックス、ラックなど3個ていど。

               不要物としては、大がかりな金属製オフィス用書類棚、金属製・木製の本箱類、都合6〜7本、食器棚1個、CDラック3本、レコード・ラック1本、等々。
               これらは、市関連の財団・シルバー人材センターというところのリサイクル部門が、修復再利用可能なものは無償で引き取ってくれる。
               その下見は、火曜日に電話したが時期的にも多忙ですぐには来てもらえず、来週の火曜。
               ここが引き取ってくれないものは、市の粗大ゴミを含め、有料で処分しないとしようがない(費用が出ない〜~~;)。

               下見の人がわかりやすいように、リサイクル希望品に、パソコン(Word)で作った「Re-cycle」ラベルを貼りました(こんなことしてるヒマあるか〜~~;)。

              リサイクル希望ラベル

               この本箱は、リサイクル希望品の中ではもっとも立派な、スライド式新書棚のついた本格的な本箱だ。
               高かっただろうな〜‥‥任期制職時代の貯金があったから、増える研究用資料(ぷっ^^)のために見境なく買ったのだった。

               さて、この間にぼつぼつ引っ越し屋さんの見積りを取っておくべきなのだが、ど〜っにもカラダが動きません。

               無為に過ごすばかりの日々、一昨日の深夜11時ごろ、急に電話があり、よほど親しい人からだろうと思ったら仕事先から。
               「急だが、明日の午後来てくれないか?」→ とう〜っぜん、二つ返事、いや三つ返事で快諾^^。

               で、昨日は喜び勇んでちょっとお仕事、帰宅して夕飯をしたためたあと、も〜う眠くて仕方がなく、珍しいことだが深夜零時過ぎに就寝、今朝は7時まで寝て、朝食は久しぶりにご飯を炊いて食べた。

               お昼までネットを見たりして軽くパンで昼食‥‥のあと、濃〜いコーヒーを飲んだにもかかわらず、激-睡魔。
               オーディオをかけたまま5時近くまで横になってました。
               よくあることだが、朝早く起きると、かえって超-夜型化するのだ。

               かけたまま寝たCDは、ヒーリング系の宮下富実夫氏のもの。
               おっと、リンクのために Wikipediaを見たら、2003年に肺がんで54歳で亡くなっていた。

               今日聴いていたのは、『瞑想 MEISOU』(Biwa BW-6600)だったのだが、宮下さんのCDは、在職時、つまり収入はあって、人間関係がヒドかった時は、けっこう‘効いた’。
               が、今のような状態には、効果がないようだ。

               余談だが、宮下さんは「ヒーリング・ミュージック」を商標登録している。それも含めてリスペクトしているところが多い。

               私としては、このような語まで商標登録するのか、と、商魂のたくましさに見えてちょっとひいてしまったのは確かだ。
               マイナスの指摘は少ないが、こんなところにあることはある。

               ことほど左様に宮下さんには正負両方向の思いがある。彼のディスクでは、むしろ『やすらぎ YASURAGI』(Biwa BW-6602)のほうがお薦めだと思う。
               享年や病歴で人の一生を云々することは間違っている、ことは認めつつ、54歳で肺がん死‥‥いやもう言うのはよそう。

               こんなことを書いている場合でもないのだが、また余談。宮下氏の2枚のディスク、すべてシンセサイザーで、アクースティックは使っていない(はずだ)。
               人声を模した音色を出す部分で、タンノイの初代 Mercuryシリーズの Mercury m2が、みごとに「とまどっていた」のが面白かった。
               初代 Mercury m2は、高音割れまくりのヒッドい音だったが、ヴォーカルは自然で、とくに歌手の位置定位が自然かつ明瞭だった。

               ところが、宮下盤での‘擬似ヴォーカル’には、この m2がどう反応してよいかわからない、とでもいうふうに定位がヘンになった。
               これは面白かった。

               ― で、次の部屋の、居室(和室)の家具配置はだいたい決めた。


              移転先の間取り


               上は、管理会社からもらった図面(かなり雑だ)をもとに編集したもの(上が東、右が南)。

               どこにでもありがちな1DK。ともかく、今いる2DKの半分だ。
               今までは、西側居室にオーディオや勉強机を置き、机は西の壁面にくっつけて、西を向いて本を読む形だった。

               これは、集中力の点からは最悪だそうだ。
               新しい部屋では、居室・東の壁面にオーディオと机、さらに置ける部分に本箱を設置し、西側は本箱だけにする(押入れの戸が開く部分はデッドスペースにならざるをえない)。

               パソコンは、現在は東の居室の東壁面向きに小さな専用机(貯金があったころに買った!)を置き、東を向いて操作する形だ。

               ― 無意識のうちに、オーディオ機器やパソコンは東を向いて操作し、本を読む時は西を向く形にしていた。
               まさに、私が「電子機器関係に集中したくて、読書・研究などはしたくもなかったのだ」という本音が、そこに露呈していたのである。

               次からは、勉強机も東を向ける(パソコンはとりあえずこの机の上で)ので、本もしっかり読むようになる‥‥のか^^?
               コンパクトに暮らすことができれば、経費的に浮くことに加えて、生活自体もずっと、ある意味充実すると思う。

               もちろん、「(なまじっか)研究職を目指す」という状態では、これは無理だった。
               それで、蔵書大放出後、1コマだけの大学非常勤職は辞した。

               言い換えると、その時点までの人生設計(とぼんやり思い込んでいたもの)が大間違いだったのであり、そしてそのことは薄々は自覚してもいたわけである。
               これにこだわると、エックハルト・トールの指摘する「ペインボディ」のドツボに嵌ってしまうことになるので、この負の記憶と感情を、はっきりと意識にのぼせた上で、ポン! と手放すことが肝要。

               身軽に、自分の興味のあること‘だけ’を身の回りに置く暮らしが、そこまで来ていながら、引っ越し代が〜〜~~;ノ。
               ま、同じ建物内の引っ越しなので、通常の「引っ越し」に比べれば、というところなのですが…。

               では、1本アップしてから夕飯に。
               このところしょ〜もないことばかり書いているけれど、昨日のアクセスは900を超えていました。
               晩メシのおかずはほぼ朝と一緒‥‥納豆1パック、豆腐を冷奴で1パック…あ、それに残りもののコロッケ1ヶ! 朝、食べないでおいてよかった〜^^。
               それにマイタケの味噌汁。足りなけりゃ味付け海苔♪

              ヤマト運輸、メール便を廃止。

              0
                 ネットオークションなんか、もうやっている場合ではないのだが ― ブログを書いている場合でもない!;; ― オデオ関係の書籍3点が落札され、先ほど発送した。
                 ややこしいので「送料無料」にしている(そうしておいてよかった。1点はクロネコメール便で厚さ1cm以下だったので、164円請求していたら気まずいことになった)が、そうすると ゆうメールなんかだと落札額の2割以上持っていかれることも多い。

                 1点だけで薄いものの場合、クロネコメール便が重宝するのだが‥‥

                クロネコメール便廃止

                 そのクロネコメール便が、周知のように3月末で廃止になる。

                 同社として、「お客さまがクロネコメール便で信書に該当する文書を送った結果、郵便法違反容疑により、当社だけでなくお客さままでもが警察に取り調べを受けたり、書類送検されたりするケースが発生して」おり、「法違反の認識がないお客さまが罪に問われるリスクを放置することはできないため」メール便を廃止する、ということだ。

                 気になるのは、
                (1) 送り手が「書類送検」された例が出ている、ということだが、この情報に、具体性がない。
                 まず、どうして「発覚」したのだろうか。そのあと、警察のどのような捜査が行なわれたのか。その辺の取材をしたジャーナリストは、いないようだ。
                (2) 日本郵便のサービスでも、「ゆうパック」や「ゆうメール」では、信書を同封してはいけない。
                 が、実際には、親が子どもに送る「ゆうパック」=‘小包’に、「ちゃんとごはん食べているかい?」みたいな手紙を同梱することは起こっているのではないだろうか。
                 ― だが、こちらはあまり問題にならないようだ。なぜなら、郵便法は、サービスに関してではなく、「日本郵便以外の事業者が信書を扱うこと」を禁じているからである。

                 日本郵便以外に信書移送を委託した場合の、その罰則の整合性というのは、どういうところにあるのだろうか?
                 犯罪を構成するという場合、そこには「被害者」がいる、ということがまず思い浮かぶ。

                 郵便法にいう、「日本郵便以外の者に信書の輸送を委託した」場合の「被害者」とは?
                 抽象的に考えると、「郵便や信書の発送・配達はユニバーサルサービス(=日本国中どこででも同じく受けられるサービス)でなくてはならない」という理念が、郵便法の根柢にあるとして、そのユニバーサル性を、日本郵便以外に信書を託することが「侵害してしまう」ということなのだろう(そうなのか?)。

                 メール便で「書類送検の例まで出ている」のなら、‘宅急便’への信書同梱の例もありえ、そうなると、「日本郵便以外の事業者は個人宅配便を扱うことは危険」とまでなりかねないはずだ。

                 立法府は、いうまでもなく国会議員で構成される国会である。
                 歳費2,200万円(総収入は当然それ以上)の国会議員には、各法の整合性について、考察の怠慢がないのかどうか、選挙民はいまいちど考えてみてもいいのではないだろうか。

                 ヤマト運輸としては、4月以降、メール便に相当するサービスとして、「ネコポス」というサービスを提示している(「宅急便コンパクト」は、運賃が高価過ぎて問題にならない。こちらはむしろ、従来の宅急便の廉価版として利用するべき)が、「※但し、23cm×11.5cm以内を除きます」としていて、カセットテープ1ヶを小さな封筒で送るような場合は使えないことになる。


                 CD1枚なら、1辺は必ず「11.5cm」を超えるから、大丈夫なのか…。

                 加えて、個人の利用状況・条件で運賃が変わるそうで、明記されていない。

                 ということで、クロネコメール便は、ほぼそっくりそのまま日本郵便の「クリックポスト」に取って替わられる情勢であるわけだ。
                 この「クリックポスト」、Yahoo!ウォレットからのクレジットカード引落し以外、決済できない。

                 また、1件の発送につき、A4 1枚の伝票をプリントアウトする必要があり、貼付部分はその左上1/4だけ、という逆-エコ志向
                 伝票の入力・印刷そのものが「発送サービスの購入」=決済になるので、プリントアウトしたあとで「あ、住所1字間違えちゃった」というような場合の訂正法は、ネット上でもよくわからないという指摘がある。

                 かつて、小泉政権の時、‘郵政民営化’は選挙をあげての大号令となり、国民の大多数は大共鳴したわけだが、「郵便法」のこの一端に関しては、どうなのだろう?

                 個人的には、同じ宅配サービスを利用するなら、全体に安価で、十分安全でもある日本郵便「ゆうパック」を利用しようと思っているユーザーであり、日本郵便の職員さんには常々感謝している者なのだが、‘郵政民営化’以降、どうも彼らがますます労働強化されるいっぽうで、窓口では待たされるし‥‥‥日本郵便が株式上場する、という時期でもあり、なんなんだろうなあ、という感じだ。

                こんどは食器類の廃棄。

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                   もう時間的にも切羽つまってきたが、今週もう一度移転予定先の部屋の採寸をしてから、廃棄する本箱の決定とならざるをえず、けっきょく昨日は、未明までネットオク出品に費やしてしまった‥‥。

                   ケンウッドのCDプレーヤーと、‘発掘’した2点のアンプ自作参考書を出品。
                   あ〜まりにいろいろ立て込んでいて、商品説明に出す写真(基本の3枚以外の追加4枚)を1枚、別のCDPのものに間違えてしまうというハプニングも。

                   発掘といえば、最近ネットオクでそこそこ売れるという、ハイポジやメタルのカセットテープが、それも未開封のものが計4本出てきた。

                   という前に、食器棚1本分の食器を廃棄。

                  廃棄予定食器

                   市指定の可燃・不燃物袋に4袋がすでに満杯、プラス1袋、満杯になりかけ。これはたぶん18日の収集になるので、それまでここに置いておかないとしようがない。

                   皿・コップ・紅茶茶碗(金箔の付いた高そうなもの)・ガラスのボウル、などなど。古新聞がないので、割れてトラブるのを防ぐために、いちおうてきと〜に市報や紙テープを巻いたりして養生しつつ、持ち上げた時に袋の取っ手部分が切れないていどの重さまで詰め込む。
                   とりあえず食器棚をカラっぽにした。

                   もう全部廃棄‥‥すべきなのだが、4ヶあった抹茶茶碗のうち、‘それっぽい’1点を残した。

                  抹茶茶碗

                   ちょっと味がある。縁の一部は、釉が剥がれている‥‥始めからなのか?
                   他の3点は、光沢が安ものっぽく、捨てる。

                  抹茶茶碗、底部

                   底部。落款は、ない。

                  方形皿

                   四角いお皿。いくつかあって、デザインの面白いものを残そうと思ったが、そっちはよく見ると、長期間埃に曝したためか、釉薬部分にくすみが出て、洗っても落ちない。釉にヨゴレが沈殿してしまっているのかも。

                   それで捨てることとし、けっきょくこの1枚だけ残ることに。同じのもあったが、もうテープで巻かれて袋の底に沈んでいる。
                   1枚でもあれば、焼き魚などを盛り付けてみてもいいか。

                   亡父が若い時に遊びで焼いたと思しいものも2点ほどあったが、やはり釉部分がくすんでおり、1点だけ残す。
                   この辺は、古い写真の箱やアルバムなどと一緒に、弟宅に宅配便で送ってしまう予定。

                   ‥‥とまあ、こんなことをしている場合では、本来ないのだけれど‥‥心理的に、逃げに逃げている。
                   季節的なこともあって、鼻がムズムズ、全身の皮膚もかゆくてかきむしっている。
                   食事だけはおいしいのですがねえ〜;;。

                  ま〜だ出る!! 紙資源ゴミ。

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                    まだ出る資源ゴミ。

                     いっやも〜、どうなんだというくらいの紙資源ゴミ、先週に加えて、ま〜だ出る!

                     直近の必要書類…現在の仕事先との契約書とか、今年に入ってからの領収書類とか‥‥の他は、手当たり次第に廃棄、である。

                     といっても、感熱紙は紙資源にならないはずなので可燃ゴミに、仕事先から来る連絡用の封筒は、名宛部分が透明セロハンなので、そこはいちいちハサミで切り取って不燃ゴミに放り込み、紙部分のみ資源ゴミとして束ねる。
                     60通分くらいの封筒のセロハン部分を切り取っていくと、イヤんなってくる。企業からのDM封筒もだが、この部分、なかなか紙材料にしてくれない。

                     廃棄紙ゴミには、当方のプライバシー情報は満載だが、いちいちシュレッダーにかけたりする気も起きないので、そのまま束ねて、出す。

                     年賀状も、小さな束にした。
                     かつては郵便局で不要になったハガキを、いちおうプライバシーには配慮して再利用に回します、ということで受け取ってくれていた(専用箱が置かれていた記憶あり)けれど、一昨日持っていったら「個人情報保護がうるさくなりまして、お受けできなくなっています」と拒まれた。
                     これは十分理解できるが、こんな流れになってくればますます年賀状は売れなくなることは間違いない。

                     いっぽうで、日本郵便では、正社員のみならず非正規でも年賀状のノルマ消化→自腹購入が蔓延していることが云々される。これは問題にされるべきことで、今後大きな不祥事にもなりかねまい。
                     とはいえ、いよいよ紙の年賀状も終焉を迎えつつあることを実感した。

                     それにしても、ほんとうに、不要になった書類は速攻で捨てることがいかに大切かがわかる。
                     たくさん保存しておいても、確定申告直前になって控除用書類が見つからないのである。
                     今後、「速攻廃棄主義」に変えると、それはそれで必要書類(で、再発行不可書類)を廃棄してしまうこともあろうが、仕方あるまい。

                     家賃負担能力(や、持ち家購入能力)がないだけでなく、広い住居の管理そのものができない私のようなタイプは、書物・書類・家電・家具・食器・衣類・記念品の類いに至るまで、と〜にかく「持たない」ことがいかに大事か、身に沁みる。

                     上写真の奥の、フラッシュの届いていないところに、VHSのビデオを不燃ゴミ専用袋(有料)3袋ほどに詰めたものがある。
                     いちいちにはネットオクで売れるかもしれないものもあるけれど、ブラウン管がない状態では映像の状態が確認できないので、全廃棄。

                     じつは、4日(水)は不燃ゴミの日で、出す日だったのだが、いろいろ煩雑に紛れて一週間間違え、4日は金属ゴミ(資源扱い、無料)の日だと思って、大量の鍋などを出していた ― まだ残っていて、来週収集されるだろう。

                    折りたたみモノサシ

                     父が持っていた、ないしずっと実家にあった、古い折りたたみ式物差しである。
                     文字どおり折りたたみ式でかさばらないので、捨てる必要もない。

                     このモノサシ、片面は尺寸とセンチ/メートル併記、もう片面はインチなのである。
                     ヒンジ部分は錆びてきているが、動作はきわめてスムーズ、かつ緩みも全くなく、作りの精度は高い。そうとう高価だったのだろうか。
                     「川ナカ」と印字がある。

                    ロクハン

                     写真の、おおざっぱだが緑色の矢印のところが6.5インチ。インチの下の単位はないらしく、目盛は16等分してある。
                     プラ製の常用モノサシと並べて、ちょうど6.5インチのところは、16.5cmくらいになる。

                     従来、フルレンジ・スピーカーにはロクハン=6.5インチが多く、現在も多い16cm口径のフルレンジは、今でも「ロクハン」と呼ばれることが多いかもしれない‥‥というようなことはマニアには釈迦に説法だけれど、なるほどな、という感じか‥‥ただし実際には16.5cmほどになるようだが、5mmくらいはエッジやフレームの形状などで各製品ごとに違うていど‥‥なのかな。
                    ※今、「ロクハン」でググると、Zゲージ(6.5mmゲージ)の鉄道模型のサイトが出てくる。

                     あ〜っ、まだ机の中にレシート類が‥‥!!

                     そうそう、電話機の下あたりから、窪田登司さんの著書が2冊、『アンプ製作のノウハウ』(日本放送出版協会)と『FETアンプ製作集』(誠文堂新光社)が、ホコリにまみれて出てきました^^! オクで売ろう〜っと。

                    値引きされたおかずで、今夜もおいしく。

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                       いっやも〜、引っ越し準備、‘気が’シンドくって遅々として進まず。

                       そんな中で、‘自分が人生の中で何をやりたいのか’と自問すると、「好みの音楽ディスクを選び抜いて身の回りに置きたい」ということなんだ、と今までもだったが、ことに強く感じる。

                       気に入らない音源は、「コレクションの一部」として置いておく、ということはできない‥‥これは、‘剥ぎ取る’人生を20年間送ってきた結果でもあるけれど、私の本来の志向でもあったのだろう。

                       当面、マウリツィオ・ポリーニの弾いたベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタが、我慢ならなくなってきている。
                       長らく‘批評家のベスト盤’であり続けているレコードなのだが、強打鍵があ〜まりに無機的に響いてどうしようもない。
                       とくに、一昨年に中期の有名ソナタのバックハウスの2枚組を手に入れたので、それとの違い…である。

                       それから、機器の調整で「聴ける音」にはなってきたものの、フレージングがこれまた異様に恣意的に聞こえるのが、ニコラウス・アルノンクールがモーツァルト没後200年記念にヨーロッパ室内管弦楽団を振って録音した、モーツァルトの後期交響曲集。

                       現実 ― 困窮と引っ越し ― からの「逃げ」で耳を傾けているのだが、聴けば聴くほど違和感が増す。
                       そんな状態で、「経済状態が好転したら、△△を売って、○○を買い…」と空しい妄想に耽っている。

                       さて‥‥そんなことで時間が流れる中、一日に一度のきちんとした「ごはん」、夕食が楽しみで、おいしい。

                      値引きおかず

                       毎日、遅めの時刻に何らかの値引きをされたおかずを買う。

                       写真は今日の買物。
                       左上の「30%引き」は西友(LIVIN)のかぼちゃの煮物。これは水っぽかった〜。味を付けなおさないとおかずにならない。
                       右の「20%引き」はオリンピック。ここは煮物類はあまり値引きしない。ひじき煮などは20%引いても「ローソンストア100」のより高い。

                       左手前の20円引きメンチカツ(元値:本体130円、税込み140円)は、そのローソンストア100のもの。
                       20円は、税込価格から引かれる。ローソンストア100の惣菜類は、質はちょっと落ちるが、108円品が20円引きになると88円、50円引きになると58円なので助かる。

                       安く上げるために揚げ物が多くなるのは仕方がない。
                       ごちそうさま〜♪

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