有毒生物の恐怖?

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     このところ、セアカゴケグモとかカエンタケとか、“ヤバい有毒生物”トピックが喧しい。
     お子さんのいる家庭などでは、たしかに気をつけるべきことだろう。

     触るだけで炎症、というオッソロシいカエンタケ。
     猛毒成分を、相当量含んでいるのだろう。
     で、思うのは、これだけの猛毒成分、キノコ本体が寿命を終えたあと、どうなるのだろう? そこをググっても情報は得られなかった‥‥得られるワードが頭に浮かばなかっただけかもしれないが。

     超-猛毒成分が相当量生成されて、それが森林に蓄積されていけば、ある種の‘汚染’が進んでいくはずだが、そういう話は聞いたことがない。
     有毒生物の有毒物質は、たいていその個体が寿命を終えたあとは分解してしまうのだろう。

     だとすると、個体どころかその「種」自体が絶滅したあとまで、たぶんその生成した有毒物質を残すのは、ヒトくらいのものだ。
     ‥‥超弩級の有毒生物であることはマチガイない。

    きみらがまず除染したまえ!


     夜しか仕事なく、ヒマなせいで~~;‥‥ツマラナイ記事を書きました orz...。

    「ペインボディ」とイスラーム国

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       新しい‘お助け本’として、エックハルト・トールの『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(The Power of Now)』をいちど通して読み、また最初からゆっくり読んでいる。

       ‘スピリチュアル’っぽい要素はあまりなく、きわめてシンプルな‘生き方・考え方指南書’といった趣きがある。
       ともかく骨子は「今に在れ」というひとつことに尽き、ときおり臨済などを引用するが、その『臨済録』の「随処作主、立処皆真(随処に主と作(な)れば、立処みな真なり」と言うのなどに即、通じる(岩波文庫で積ン読だった『臨済録』も、通勤の車中でほぼ読んだ)。

       反対に、彼の教えで、人間を不幸に縛り付ける悪しきファクターは ― 一人歩きする時間観念や、その元となる思考、ネガティヴな思考が身体に共鳴した感情、といったものだ。

       その中でも、過去からの不快な感情が凝集して実体化したような感情を、「ペインボディ Painbody」と称して、これを見極めて意識の光に曝すことで、これの力が消失し、影響から解放される、と言う。

       『さとり…』を読んで、その言説がじつに全(まっと)うであり、実践の手引きとしても哲学的思惟への示唆としてもたいへん有益だと思ったと同時に、私自身の内面に蓄積され、ある意味マグマのように‘活きいき’と脈打つ「ペインボディ」のエナジーの大きさに、改めて強烈に気づいた。

       このようなペインボディが強烈に作動すれば、通り魔のような犯罪は容易に起きるだろう。
       秋葉原で通り魔を実行したKなどは、まさに全人格を自身のペインボディに明け渡した実例だ。

       私が、自分のペインボディの大きさに驚き、戦くというのも、E.トールのいうように「いまに在る」べくいくら努めても、過去に関するネガティヴな思い=ペインボディが、常に‘活線’の状態で意識のすぐそばにあるということなのである。

       不用意に触れさえしなければ、手の近くに400〜800Vの電圧のかかった活線があっても、それだけで感電はしない。
       しかし常にそのような状態で暮らすというのは、なかなかのストレスである。

       E.トールがいう「強烈にいまに在る」ことは、ちょうど高圧アンプを調整する際に手袋をするようなことになるのだろうけれど、手袋と違って気が緩めば‘感電’するのである。

       視点を変えると、この「ペインボディ」はしばしば集合的 collectiveなものになりうる。
       その典型が「イスラーム国」だ。

       メディアがイスラーム原理主義テロリストの犯行を伝える時、「イスラームそのものは平和的で、決してテロを是とするものではない」という、ある種免罪符的コメントを付加することが多いけれども、イスラーム国の所業は、そういったコメントの浅薄さをみごとに嘲うごとく、残虐だ。

       「イスラームそのものは平和的」と糊塗すればするほど、「イスラームの中の残虐性」が集合的に凝集・実体化してイスラーム国をますます強めていっている。

       ユダヤ・キリスト教、ヘレニズム、近代的民主主義の伝統が息づく欧米社会の中から、イスラーム過激主義に呼応する若者がなぜこんなに輩出するのか。
       NHKの『クローズアップ現代』や『ニュースWEB』で呼ばれるゲストが行なう説明は、ほとんど「彼らの巧みなネット利用宣伝」に終始している。

       聞いていて、こちらの知識不足を棚に上げてしまうけれど、ほんとうに、救いようがないほど浅薄だ。
       こうした専門家たちには、心理学やイスラーム思想史の、知識はともかく、そういったファクターの考察が必要だという認識そのものが、根底から欠如しているように感じる。

       イスラーム研究の権威だった井筒俊彦氏の研究は、研究対象への好意があるのは当然としても、どうしても哲学思想面に重きを置き、政治的考察に乏しい嫌いはあるような気がする。

       そんな井筒氏の著書ではあるが、イスラームのいわゆる宗教指導者、ウラマーについて語る部分で以下のように言っている。
       「ウラマーの政治的権力は実に絶大なものであります。なぜなら、いったん異端を宣告されたが最後、その人、あるいはそのグループは完全にイスラーム共同体から締め出されてしまう。‥‥(中略)‥‥「イスラームの敵」になったものの刑は死刑、全財産没収。個人の場合はもちろんそのまま死刑。異端宣告を受けたためにどれほど多くの人が刑場に消えていったか、数えきれません。」(『イスラーム文化』岩波文庫(初出版1981)、48〜49頁)

       イスラームのオーソドキシーは、ある部分、明瞭に暴力によって決定・継承されてきた ― 他の一神教にもその要素がなかったわけではないが ― という史実を覆い隠してよいはずはなく、むしろ現代のムスリムに対して、この部分の総括をどう求めてゆくのかが、非ムスリムの責務ではないかとも思う。

       片倉もとこ氏の『イスラームの日常世界』(岩波新書、1991年)は、民族学者としてのプロの目で、しかもくだけた日常的視点でイスラームの生活実態を描いている好著(ただし私は拾い読みていど)だが、その終わりのほうで、イスラーム原理主義の動向調査をする英国人のことばを伝えている:
       「恐ろしいと思うのは、大事件をおこすテロ集団の突発的な行動ではない。むしろふつうの家庭に育つ中学や高校の生徒たちが、ある日突然のようにイスラーム服に身をつつみ、熱心なムスリムになる。そして西洋服の母親や酒を飲む父親を批判しはじめるという現象が、あちこちの家庭でおこっているということだ。マスコミにも報道されないうちにジワーッとくる日常的変化だ。若い世代に浸透して、ジワジワと進行しつつある地殻変動は、世間をさわがす表立った“事件”よりも、恐ろしい」(216頁)

       こういったところを掘り下げる視点を、テレビにおけるイスラーム・テロの報道では全くといっていいほど見たことがない。
       もっとも、本エントリーもそういうところを掘り下げる意図も、私の知識もないのだが、そうこうしているうちに、E.トールのいう「ペインボディ」が、ほんとうに集合的なものとして、実体化したというのが実感だ。

       イスラームの中の最も暗黒な部分と、現代世界の若者の中の実体化までせざるをえなくなるほど膨張した「ペインボディ」が、引き合い、融合・共鳴して「イスラーム国」を日々強力なものにしていっているように見える。

       こんな集団に、よりによって参加しようという若者がわが国からも出てきた。
       とんでもない、と言わない人はいないし、私もそうだけれど、「とんでもない」と言う向きの中には、こういう心境に至る者の気持ちには一切目を向けていない人もいるのではないかと思う ― もちろん、そうでない人もいることもわかるが。

       現在、高齢化しても反戦の意思を何らかの形で強く表わしている方たちは、何といってもその動機が実際の戦争被害であることが多い。
       まことに皮肉で、かつ決定的に悲劇的なことだが、戦争の恐ろしさを真に「知る」には、戦争被害を体験するしかないのだ。

       実際にイスラーム国に参加して、予想とは全く違う「戦争」を体験して、そこでトラウマを得る若者が増えれば、それはそれで、恐ろしいプロセスではあるが、自身の、あるいは人類普遍の「ペインボディ」に気づく可能性は大いにある。

       もっとも加えて痛ましいのは、気づいたとしてもそこから「癒える」ことは不可能かもしれないところだ。
       そうではあっても、それは「魂の破壊」とともに、最後のその若者の「気づき」になりえる‥‥いや、これは私の「ペインボディ」がこんな残酷なことを言っているのかもしれないが。

       イスラーム国の真っ黒な「国旗」は、内包するペインボディの深さを象徴している。
       こうした共同体は、内部で日常的に相互殺戮も行なわれているはずで、そういったところを参加者が味わうことも、かつての連合赤軍などのさらにスケールアップしたものになるだろうし、まことに悲惨だが、彼らはそれを味わっていくしかない。

       こうした暴力支配の要素は、そもそも井筒氏が述べたように、イスラーム共同体に歴史的に存することではあったし、北朝鮮なども数十年にわたって変わらないので、ずっとこのまま成長し続けるかもしれないが、あまりの暴力過剰支配は、内部崩壊を来たさないとも限らない。


       いっぽうで、エボラ出血熱のような、自然からの脅威が恐ろしい勢いで人類に迫ってきている。
       ニュースを見ていると、最も恐ろしいものは「外」にあって、「外」に対してどのような防御をするべきかと言うばかりであるが、内面の「ペインボディ」は、真に恐るべきものだと思う。

      台風の来る晩は音楽を…。

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         台風19号が来た。かなり南風が強くなってきている。

         13日(月・休)は夕方のコマは休講。もともと夜しか仕事がない‘7割失業日’で、お休み。
         12日は、球フェアで、みなさんに会えるのは嬉しいが、とてもオフ会の予算など出ないおサイフ状況なので、お休み。

         今日(もう昨日、13日)は一切家を出ず、夕飯はレトルトのカレー(炒めたニンニクとマイタケをプラス&目玉焼きをトッピング)ですませた。

         ご飯が炊けるまで、今夜は、マイケル・ティペットのピアノ協奏曲、2つのオーケストラのための協奏曲、そして大作『我らが時代の子』を通して聴いた。
         さらに、マイケル・ティルソン・トーマス指揮のアイヴズ交響曲全集(Sony Classical)から、『ホリデーズ・シンフォニー』全曲。

        試聴ディスク

         感想からいうと、やっぱりティペットは面白くなかった。
         『我らが時代の子』は歌詞(対訳はないが)を見ずに聴いたこともあるだろうが、テーマの深刻さが伝わってこない。

         それに比べるとアイヴズの交響曲『ニューイングランドの休日』は、静謐からの喧騒と、それがデクレッシェンドしたあとの静謐というアイヴズの常套手段が耳につくにせよ、楽想・ハーモニー・構想が美しくて、終楽章で合唱が盛り上がるところ、やはり‘聴かせる’。

         写真上段(奥側)左の2枚は、左がワルター指揮コロンビア響のマーラー:『巨人』(欧Sony Classical)、右は、コシュラー指揮スロヴァキア・フィルのドヴォルジャーク:スラヴ舞曲集(NAXOS)。

         ワルターの『巨人』は音が薄い感じがして、通して聴いたことがないと記憶するが、初めて通して聴いてなかなかしっかりと響いた。
         どうしようもない CD-P4500(改)ではあるが、そういう、今まで通して聴く気がしなかった音源がしっかり聴ける場合がある。

         コシュラーのスラヴ舞曲もしかり。NAXOS設立直後の録音で、デジタル録音のノウハウがあまりよくわかっていなかったふうだ。低域がすっかり落ちていて、高弦はメタリック。

         このCD、秋葉原にまだシントクエコーという家電ショップがあった時、そのソフト部門が中央通に店を出していて、そこで買ったと記憶している。
         Excelのレコード帳で確かめると、1993年6月、980円で買っている。
         これが、なかなか味のある家庭料理のような音色で鳴ってくれた。

         写真下段(手前)右は、依然として高弦の強奏で歪むシューリヒト指揮ウィーン・フィルのブルックナー:交響曲第8番(EMI Classics、ARTリマスター)。

         下の画像は、音楽之友社のポケットスコアから、第1楽章の102〜108小節のあたり(ほんとは楽譜をコピーしてはいけませんが…)。
         青線を引いた部分の、弦の下行音形で、スピーカーのまわりに付帯音がビィ〜っと聞こえる。

        ブルックナー:交響曲第8番、第1楽章102〜108小節


         オーディオが、というに加えて、耳の中で歪んでいる部分もありそうだが、再生音自体に歪みが少なければもっと聴きやすいはずだ。
         こんなところが聴きやすい装置が、欲しい…。

         余談だが、そのちょっと前、59〜62小節に木管で奏されるパッセージは、“♪セ〜ラ〜服を、脱〜が〜さ〜ないで”にクリソツ‥‥だと思うのだが、ネット上でだれも指摘していない。如何でしょうかね?


         ブルックナーのフレーズにあの歌詞を付けた秋元センセイは、やはり天才である(のか?)。

         ‥‥今まで耳を傾けることのなかった音源に耳を傾けさせる CD-P4500ではあるのだが、はっきり言ってこんな歪みっぽい音のCDPはもうゴメン被りたい。
         なんでこんな音になるのか、皆目わからない。

         それから、ティペットは3週間オクに曝して入札もなかったし、仕事先近くの中古店で売り飛ばそう。

        CD-P4500…第?次改修…。

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           もうほとんどやる気の失せている、CD-P4500の改修。
           しかしほかの機器を買う資金どころか、生活をしてゆく資金すらない状態、これで音楽を聴くしかない。
           といっても、パーツ交換で改善される可能性ほぼないので、「パーツ交換そのものを楽しむ」というスタンスでやることにする。

           またもや金曜の都心の仕事のあと秋葉原。今度はちょっとお高い(おいおい;)パーツ。
           4,700μFに増量していたアナログ電源平滑コンを、また1,000μFにもどるけれど、MUSE KZに。
           68pFにマルツのディップマイカを。SAA7350出力部の帰還抵抗30kΩを、同じくマルツの LMFQ50S抵抗に、とか買って1,200円也。

           先に《LTspice》でシミュレートしてみた PHILIPS型のインダクターありのLPFも再度やってみたが、音はよくなく、けっきょく KEWOOD DP-5050というCDPのLPF:接地側を2,000pF、帰還側を270pFというのを使ってみた。
           ここだけの回路でのカットオフは33.4kHzくらいになるようだ。

          第7次? 改修


           Okawa-denshiさんのところのシミュレーターで計算させてもらうと、以下のようなカーヴになる。

          2000pF+270pF

           20kHz付近を拡大すると、こんな感じ:

          2000pF+270pF、20kHz付近

           20kHzで0.5dBほどピークがあるが、なだらかで、1MHzでは -60dBくらい落ちる。

           う〜ん‥‥例のシューリヒトのブル#8第1楽章の高弦は、ほんのちょっと聴きやすいか?
           しかしまあ、この音源をPCに入れてヘッドフォンをつなぎ、《RealPlayer》で聴いても、めっちゃめちゃ歪む。耳が痛い。
           あるていどは音源そのものの歪みではあろう。

           改修後の CD-P4500にもどり‥‥ヴァイオリン・ソロは透明で、とくに歪み感はない。
           が、オーケストラの、とくに楽器の重なるトゥッティは、混濁感がかなりある。
           依然として左耳に水が入っているような歪み感を感じるところも残る。

          束線バンドでまとめ。

           サーボ基板から延々わたって来るケーブルを、コネクターごとに束線バンドでちょっとまとめた。
           異なるデジタル信号が通るラインなので、近づけないほうがいいかもしれないが、束には最低でも1本のGNDがあるので、それは近いほうがいい‥‥とか何とか、そういうことはほとんど意味がなさそうだ。

           とにかく、ある種減った針で聴くLPレコードのような歪み感が取れない。
           部屋や私の耳の特性にちょうど‘合った’歪みなのかもしれない。
           ‘デジタル’で、こんなに透明感のない音が出るというのが不思議なほど。これがうまくいくと、Marantz CD-72のような‘アナログ的で暖かい音’が聴けるのかもしれないが、この CD-P4500の音を聴くと、ちょっとどうしようもない。

           とはいえ、まさに針の減り気味な安ものMMカートリッジで聴くような‘生なましさ’はあるのです。

           けれど、CD-P4500改+IA-4s改というセットには、もう未練がなくなってます。
           ただしタンノイ Mercury F1Cは、依然として無改造でヒッジョーに好感♪
           お金があったら新製品のCDPとアンプ、買いたいな〜。

          Yahoo!メール、まる3日以上不通。

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             Yahoo!メール。Yahoo! JAPANのIDは5つほど持っており、うち3つほどをメール・アドレスとして使っているが、そのひとつが、9月末日以降、4日近くも不通だった。

             事情は、こちらあるとおり。
             Yahoo!メール利用者の8%におよぶ、約390万アドレスが、約90時間以上も不通だったわけだ。

             原因は、Yahoo! JAPANのハードウェアの故障・障害とのこと。
             しかしひとつのメルアドが90時間以上=まる4日間不通というのは、ちょっと尋常ではない。

             10月4日にはメール送受信ができた。

             が、こんどは、台風一過の6日午後、メール送受信の際、《Becky! 2》でまとめて送受信する4つほどのアドレスが、すべてサーバーへの接続失敗。
             PCを、長い期間再起動せず(再起動には15〜20分かかるので)休止→再開を繰り返していると、《Becky! 2》がメールサーバーにアクセスしにくくなることがありるので、PCを再起動してみた‥‥が、メールサーバーにアクセス不可。

             こういうとき、ブラウザを開いてウェブが表示されなければ、インターネット回線かモデムに問題があることになる。

            WAN側情報なし。

             《SeaMonkey》を起動すると、案の定、トップにしてある Googleが出ない。
             モデムの設定画面は‥‥出た。で、上の画像のごとく、WAN(World Area Network=インターネット)側のアドレスが「0 0 0 0」。
             あっちゃ、ネット死んでる〜^^;。

             モデムを再起動してみたが同じ。
             そこで、プロバイダ=ODNのサポートに電話。なぁ〜っかなかオペレーターに…つながないようににデザインされている^^。
             やっとつながると、「台風通過後、そのような症状を訴えられるお客様がかなりいらっしゃいます」とのこと。やっぱり!

             NTT局からユーザー宅までの回線に不安定が生じている可能性がある、ということで、「帯域調整」という作業を ODN側でするので、モデムを通電したままにしておいてほしい、という指示で終了。オペレーター氏はじつに手際よく、的確であった。

             電話を終えてすぐにブラウザを起ち上げると、すでに症状は霧消し、ブラウジングもメールもOKだった。

             こちらはすぐ解決したが、いずれにしても、‘IT’には突然大規模で障害が発生し、場合によっては長く原因が究明できないこともありうる、という実例だった。
             災害の際に被害を少なく食い止めるために広くITを用いるというのは定番になったが、予期しない大規模障害で情報伝達・連絡がストップ、ということも十分ありうると見ておくべきだろう。

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