前記事の CEC CD2300のパーツ交換で、‘まったりタイプ’に戻すキモは日ケミ SMGにありそうだとわかったが、あれ以後もいろいろ迷いが出ている。
その前に、前記事で書いていない、デジタル系電源のコンデンサー。
本機の動作全体を制御するCPU(IC103)=μPD89026の電源に、以前も気分で入れたが、また OSコン 10V220μFを。
このCPUのクロックとして、5MHzの発振子が付いているが、これの両端に「30」と書かれた円盤型セラミック・コンデンサーが付いていている。
ここまで換える必要はないが、これを30pFのディップマイカにした。マルツの1ヶ100円中華マイカである。
DSP、DACに5V電源を送り、トランスポートなどメカ系にも、CPUの指示に従って電力を送っているのが、レギュレータードライバー(IC102)=BA5813FMであるが、これには8V電源が供給される。
信号・変換系チップの電源でもあり、モーターを動かし、サーボ電流を供給するところでもあるので、このICへの電源供給=C141はたいへん重要だろうと思われる。
C141はオリジナル220μFを、KZH 16V470μFにしていたが、ここを三洋 WG 16V1,000μFにした。
レギュレーター出口直近にこういう極低ESRコンデンサーを置くとレギュレーターが発振する可能性もあるらしいが、入口なので大丈夫だろう。
大きな電流変動にも対応してくれる‥‥ことを期待して。
前回の手入れ後、たしかに異様な神経質さからは脱したものの、音が面白くなく、それでいて高域に神経質な薄さがある。
まず、オペアンプ電源パスコンのパラのフィルムコンを撤去してみた。
この辺は、手許のサービスマニュアルを見ると、TEACの VRDS-10、VRDS-10SEなどはオペアンプ電源は電解のみである。
マランツ CD-17は、HDAMの電源パスコンは電解のみだが、前段の NJM2114の電源にはフィルム(かセラコン)をパラっている。
参考にならないレビューの代表=『ステレオ』誌の試聴室(別冊再録)を見るのもシャクだが、マランツ CD-17Dは高域が華やか、TEAC VRDS-10SEは「フラットなバランス」だそうだ。
ケンウッドの DP-7050、DP-1001は電解のみ、しかもオペアンプからかなり離れた実装例も多く、動作上問題はないようなので、音の嗜好で決めてOKだろう。
CD2300で、オペアンプ電源パラのフィルムコンを取ったところ、音はかえってドギツくなったようで、ニチコン KWなのにそうとう厚かましい音に聞こえる。
この辺を聴きつつ、パラのフィルムはWIMA MKS2 0.1μF(しか残っていない^^;)とし、オペアンプとDAC周りの電解を、ほとんど SMGに換えてみた。
DAC=PCM1710Uの EXT1L/R、EXT2L/Rというピンには、左右各1ヶ、10μFの電解を介して接地するのだが、ここを FWから、秋月で
1本10円で買った SMGとした。
低ESRコンデンサーを用いるとよいとある、PCM1710UのVcc1には KZHを置いた。
これで、カップリング以外、オーディオ用電解はほぼ追放したことになる。
SMG祭り^^♪
DSP周りは KZHで固め、DAC・オペアンプ周りは SMGだらけ。
この状態で、期待どおりというか、まったり・ゆったりした音になった。
とても聴きやすい。某有名ブログのコメントに「音楽を聴くなら SMG…」のような文言を見つけて期待したけれど、いや実際そうだなあ、と感じる。
パラのフィルムをほとんど WIMA MKS2にする過程で、DACのアナログ電源Vcc2Lのパスコンのランドが切れ、Vcc給電ラインが切れてしまった。
ハンダの増し乗せではつながらないので、0.5Φ銅線で補修した。いっやも〜、ボロボロ^^;;。
導通確認と、通電しての電圧はOKなので、これでいけそうだ。
上記のとおり、神経質さのない、まったりした音になったが、やはりこれでは華がなさすぎる。
どこか一点に KWを投入して、少しのスパイスにしたい、と考えあぐみ、やはり PCM1710UのVcc1ピンのパスコンを KWに戻すことにした。
これ1本の変更だが、みごとに少しの派手さが加わった。
基板パターンの傷みも限界に近く、これ以上触らないほうがよさそう。
試聴、その他
全体に、解像度が下がり、よくいえばマイルドに、悪くいえばもっさりした音になった。
PCM1710UのVcc1ピンのパスコン(電解)のみ KWに戻すと、曇りがちになりすぎた音の中、モントゥー/ロンドン響のチャイコフスキー『眠れる森の美女』(1957年録音、英Decca原盤、ポリグラム/LONDON)の木管楽器群に、少し色気が戻った。
その前から、SMG大量投入後、無改造の ケンウッド DP-1001よりも明らかによい再生音が聴けたのは、プロ・カンツィオーネ・アンティクァの歌う、パレストリーナ(1525?-1594)の『聖母被昇天のミサ』から「Kyrie」。
これはうっとりするほどきれいである。英Regisレーベルの廉価盤で、元盤(不明。音源所有は演奏団体=プロ・カンツィオーネ・アンティクァ(PCA))からマスタリングの質が落ちているものの多い Regisレーベルであるが、各声部がソフトに響き、融けあってなおかつ聴き分けることができ、サ行も刺激的でない。
今回の手入れ後、電圧測定後しばらく電源を切ったあとで通電・動作させた時、トレイの若干の誤動作(出てすぐ入る、ディスクを取り込んで演奏せず、イジェクトする、など)が見られたが、動作を繰り返し、演奏を始めると問題はない。
今回の交換で最も期待したのが、例のSiC SBDだが、「レベルが違う」という評価には及ばない印象だった。
ただ、ダイオードの色を着けない、それゆえ他のパーツ、回路の違いがはっきり出てくる、という感触はあり、優れたパーツなのだと思った。
それだけに、安価機器に用いるとアラばかり ― 鈍感さも含め ― 出てきそうな感じもし、効果は期待ほどでないかもしれない。
ケンウッド DP-1001には、基板の形状(ディスクリート・ダイオードが比較的ゆったりと実装されている)も合うので C3D04060Aを入れてみようと思っているが、ナカミチ IA-4sには、シングルインライン形状にアレンジするのも厄介で、現在新電元のローノイズ・ブリッジでまあまあの音が出ていることもあり、SiC SBDの導入は取りやめようかとも思っている。
SiC SBDのなかった時代にも、言うまでもないことだが、名機はたくさん開発されている。
― いったい何のためにオーディオ用電解を山ほど投入したのか、あほらしくなるほど、解像度は低いが素直な音になっている。
室内楽、ピアノ・ソロ、オーケストラ、いずれも少しずつ物足りないが、聴きづらくはない。
このCDPでこれ以上を望むのは不自然かもしれない。
最近、オーディオの話を電話でよくする知人から、「オーディオはやりすぎないのも大事だ。‘ここまでにしておく’というのが、〈嗜み〉でもあるよ」と言われたことを思い出す。