室内楽だけではなく、交響曲のCDも怒涛の購入、である;;;。
昨年10月、仏EMIの好評のリマスター+激安の、オットー・クレンペラー指揮のマーラー交響曲BOXを大いに期待して求め、音質的に大落胆したことは、書いた。
そのあと、マーラーの交響曲第2番『復活』は、評論家だけではなく、『リーダーズ・チョイス 読者が選ぶ名曲名盤100』(ONTOMO MOOK)でもダントツのトップに上がっている、バーンスタイン/ニューヨーク・フィルによるDG盤を買ってみた。
これで渇が癒される、と思って第1楽章から聴き出したのだが、何と、居眠りしてしまった。
疲れていたこともあるが、この演奏に相当違和感を感じ、全く乗れなかったのである。
バーンスタインのマーラーは、CBSのニューヨーク時代の第4番、1966年のウィーン・フィルとの『大地の歌』、DGのチクルスにあるウィーンとの第5番など、どれも大好きで、曲想にハマりきった、しかも誠実で真実な演奏だと感じてきたので、自分の反応が不思議だった。
このことについては、ゆっくり考えてみるべきことだと思うけれど、ニューヨーク新盤の他との違いというと、これが「古巣での再録音」だという点である。同じ顔合わせのものに、DGの第3番があり、これもじつは手放している。
こちらは、よい演奏だとは感じたが、当時のCDプレーヤー(エレキットの管球バッファー)に合わなかったのが理由、のように記憶しているけれど、やはりどこか違和感があったのかもしれない。
どこが違うのか‥‥まことに勝手な推測だが、「古巣での再録」ということが、ウィーン・フィルやベルリン・フィル(全集外の第9)を振る際の緊張感とはいささか異なる感触を生んでいるのでは、と思った。
よく言えば、オーケストラとの全幅の、相互信頼なのだが、それが緊張感とは逆の方向に作用することもあるのかも…。
そこで! 仏EMIクレンペラー/マーラーBOXへの落胆の復讐とあいなった。
ボックス・セット(=英EMIへのクレンペラーによるマーラーの全(?)セッション)中、聴きたかったのは、第2番『復活』、第7番(『夜の歌』)、『大地の歌』の3曲である。
で、買いました。
どのマスタリング・ヴァージョンがよいか、気にはなったけれど、初期英EMI盤は、Amazonもネットオクも法外な高価になっており、音の予想と値段とのバランスで、第2番と『大地の歌』は、英EMIのARTリマスター“GREAT RECORDINGS OF THE CENTURY”シリーズのものがベストだろう、と判断。
第7番だけは英EMIでリマスターしておらず、といって、最近そこそこ中古も値下がりしだしたHS2088盤も避けたい。
ということで、EMIミュージックジャパンのHQCD盤を買った。
池袋ディスクユニオンで、未開封1,800円のがあった。定価3,980円なのでお買い得だったけれど、これは定価が高すぎる。
3曲とももちろんまだとても全曲聴き通していないが、ARTマスタリングの2点については、とくに『大地の歌』は、チェレスタやハープが飛び出しすぎる要素も、収録そのものにあるのだが、仏EMIボックスほどは不自然に強調されていない。
第2、第3楽章の出だしを聴くと、弦がとても美しい。
『復活』は、低域がもともと強調気味のようだが、中域も薄くならず、仏EMIボックスよりは自然に聴けるし、情報量も多そうだ。
国内盤の第7番 ― は不安があった。原盤・マスタリング責任者については、一切記載されていない。
この録音は、1968年と、クレンペラーのEMI録音中ではもっとも後期に属し、技術的条件はよいはずであるが、ヴァイオリンは、ART盤の『復活』、『大地の歌』よりも金属的で、かつ歪み感が上回る。
しかし、ハープやマンドリンといった撥弦楽器の音は繊細で、オーケストラ全体から浮いた感触(収録上、もとからあるが)は顕著ではない。
今のところ、第7に関してはこのHQCDヴァージョンがよい、と言ってもそう間違いはないと思うが、3,980円という価格は高すぎる。
『復活』や『大地の歌』、第4番もHQCDでリリースされているが、それらもこの第7番と同じ水準だとしたら、ART盤より落ちるだろう。
で、演奏については書けるほど聴き込めていない ― が、衆知の、“激遅”の第7番は、さきほど第1、第2楽章と第4楽章の冒頭を聴いてみた。
きわめて遅いテンポだが、バーンスタインの『復活』(これも激遅)の感触とは全く違う。
聴いている「ストレス」がないのだ。
バーンスタインの『復活』新盤は、だれしも「しょっちゅう聴けるものではない」と明言しているが、それは、このレコードを聴くことが大きなストレスを与え、かつそれに見合う感動がある、ということのようだ。
クレンペラーの第7番を聴くことは、そうしたストレスとは(人によるとは思うけれど)かなり距離がある。2つの「Nachtmusik」楽章は、じっくりと音楽に浸ることを許してくれる。
今回、この曲のラトルのディスクは手放したが、ラトル盤は感興も少なくないが、あまりに「浸れない」まま曲が飛んでゆく。
という次第で、クレンペラーのマーラーは、欲しいだけ集めました。いっやそれにしても、この‘意趣返し’、高くついた〜~~。
じつは、これと並行して、クレンペラーのベートーヴェン全集も、初めて入手した。
交響曲のセッション録音を網羅したセット(10CD)がリリースされたが、ここまで徹底した交響曲録音のコレクションを手許に置きたいわけではないので、むしろ中古でもこれより高価になる場合があるが、バレンボイムとのピアノ協奏曲が組み合わされた9枚組ボックスのほうにした。
これまた、圧倒的存在感。
年末にワルター盤を手にしたのが、この年代の‘巨匠’に手を出すきっかけだったが、やはりすごい。
昨年10月、仏EMIの好評のリマスター+激安の、オットー・クレンペラー指揮のマーラー交響曲BOXを大いに期待して求め、音質的に大落胆したことは、書いた。
そのあと、マーラーの交響曲第2番『復活』は、評論家だけではなく、『リーダーズ・チョイス 読者が選ぶ名曲名盤100』(ONTOMO MOOK)でもダントツのトップに上がっている、バーンスタイン/ニューヨーク・フィルによるDG盤を買ってみた。
これで渇が癒される、と思って第1楽章から聴き出したのだが、何と、居眠りしてしまった。
疲れていたこともあるが、この演奏に相当違和感を感じ、全く乗れなかったのである。
バーンスタインのマーラーは、CBSのニューヨーク時代の第4番、1966年のウィーン・フィルとの『大地の歌』、DGのチクルスにあるウィーンとの第5番など、どれも大好きで、曲想にハマりきった、しかも誠実で真実な演奏だと感じてきたので、自分の反応が不思議だった。
このことについては、ゆっくり考えてみるべきことだと思うけれど、ニューヨーク新盤の他との違いというと、これが「古巣での再録音」だという点である。同じ顔合わせのものに、DGの第3番があり、これもじつは手放している。
こちらは、よい演奏だとは感じたが、当時のCDプレーヤー(エレキットの管球バッファー)に合わなかったのが理由、のように記憶しているけれど、やはりどこか違和感があったのかもしれない。
どこが違うのか‥‥まことに勝手な推測だが、「古巣での再録」ということが、ウィーン・フィルやベルリン・フィル(全集外の第9)を振る際の緊張感とはいささか異なる感触を生んでいるのでは、と思った。
よく言えば、オーケストラとの全幅の、相互信頼なのだが、それが緊張感とは逆の方向に作用することもあるのかも…。
そこで! 仏EMIクレンペラー/マーラーBOXへの落胆の復讐とあいなった。
ボックス・セット(=英EMIへのクレンペラーによるマーラーの全(?)セッション)中、聴きたかったのは、第2番『復活』、第7番(『夜の歌』)、『大地の歌』の3曲である。
で、買いました。
どのマスタリング・ヴァージョンがよいか、気にはなったけれど、初期英EMI盤は、Amazonもネットオクも法外な高価になっており、音の予想と値段とのバランスで、第2番と『大地の歌』は、英EMIのARTリマスター“GREAT RECORDINGS OF THE CENTURY”シリーズのものがベストだろう、と判断。
第7番だけは英EMIでリマスターしておらず、といって、最近そこそこ中古も値下がりしだしたHS2088盤も避けたい。
ということで、EMIミュージックジャパンのHQCD盤を買った。
池袋ディスクユニオンで、未開封1,800円のがあった。定価3,980円なのでお買い得だったけれど、これは定価が高すぎる。
3曲とももちろんまだとても全曲聴き通していないが、ARTマスタリングの2点については、とくに『大地の歌』は、チェレスタやハープが飛び出しすぎる要素も、収録そのものにあるのだが、仏EMIボックスほどは不自然に強調されていない。
第2、第3楽章の出だしを聴くと、弦がとても美しい。
『復活』は、低域がもともと強調気味のようだが、中域も薄くならず、仏EMIボックスよりは自然に聴けるし、情報量も多そうだ。
国内盤の第7番 ― は不安があった。原盤・マスタリング責任者については、一切記載されていない。
この録音は、1968年と、クレンペラーのEMI録音中ではもっとも後期に属し、技術的条件はよいはずであるが、ヴァイオリンは、ART盤の『復活』、『大地の歌』よりも金属的で、かつ歪み感が上回る。
しかし、ハープやマンドリンといった撥弦楽器の音は繊細で、オーケストラ全体から浮いた感触(収録上、もとからあるが)は顕著ではない。
今のところ、第7に関してはこのHQCDヴァージョンがよい、と言ってもそう間違いはないと思うが、3,980円という価格は高すぎる。
『復活』や『大地の歌』、第4番もHQCDでリリースされているが、それらもこの第7番と同じ水準だとしたら、ART盤より落ちるだろう。
で、演奏については書けるほど聴き込めていない ― が、衆知の、“激遅”の第7番は、さきほど第1、第2楽章と第4楽章の冒頭を聴いてみた。
きわめて遅いテンポだが、バーンスタインの『復活』(これも激遅)の感触とは全く違う。
聴いている「ストレス」がないのだ。
バーンスタインの『復活』新盤は、だれしも「しょっちゅう聴けるものではない」と明言しているが、それは、このレコードを聴くことが大きなストレスを与え、かつそれに見合う感動がある、ということのようだ。
クレンペラーの第7番を聴くことは、そうしたストレスとは(人によるとは思うけれど)かなり距離がある。2つの「Nachtmusik」楽章は、じっくりと音楽に浸ることを許してくれる。
今回、この曲のラトルのディスクは手放したが、ラトル盤は感興も少なくないが、あまりに「浸れない」まま曲が飛んでゆく。
という次第で、クレンペラーのマーラーは、欲しいだけ集めました。いっやそれにしても、この‘意趣返し’、高くついた〜~~。
じつは、これと並行して、クレンペラーのベートーヴェン全集も、初めて入手した。
交響曲のセッション録音を網羅したセット(10CD)がリリースされたが、ここまで徹底した交響曲録音のコレクションを手許に置きたいわけではないので、むしろ中古でもこれより高価になる場合があるが、バレンボイムとのピアノ協奏曲が組み合わされた9枚組ボックスのほうにした。
これまた、圧倒的存在感。
年末にワルター盤を手にしたのが、この年代の‘巨匠’に手を出すきっかけだったが、やはりすごい。