2台のCDPとプリメインが、そこそこ一段落し、それぞれにそこそこの音を鳴らしてくれるようである。
そんな時、皮肉にも、オーディオによる音楽鑑賞の主流、「ディスク再生」が終焉を迎えつつあるような情報が、説得力を持って登場してきた。
SDカードのプレーヤー、あるいはトランスポートである。
QLS-HiFi QA-550
SDTrans 384
ひとつは、中国・QLS-HiFiの A-550で、こちらはSDカード・プレーヤー。
もうひとつは、個人製作の、Chiaki氏によるSDカード・トランスポート SDTrans 384。
いずれもディスク再生では得られなかったジッター・フリー再生が実現できる、という優れものらしく、導入・試聴した方たちのインプレは、のきなみ「驚異的」。
思えば、アナログ・プレーヤーの老舗である英LINNが、CDプレーヤーの生産終了を発表したあたりが、この流れが顕著になってゆくのを予感させていた。
LINNの場合は「DS」=デジタル・ストリーミングという呼称で、パッケージ・メディアから配信音源への移り変りという面が強調されたが、光学ディスクのリアルタイム再生におけるジッターや読み落としの問題は、フォーマットの情報量制限に加えて、というより隠れつつ、当初から問題だったのである。
光学ディスクの再生専用プレーヤーのピックアップ・システムは、基本的に1回読みだけでデジタル信号を取り出すので、読み落としが生じた部分の読み直し=「リトライ」はしない、というのが、プレーヤー、ディスクともに基準(つまりそれで音楽が再生できる)になっているようだ。
これに対して、PCでデータCD-ROMのようにリッピングした場合には、リトライによって完全コピーができ、HDDから固体メモリー上に読み出されたデータは、ジッターレス(に限りなく近い状態)でD/A変換できる、という次第。
こうなると、ディスクのダイレクト再生は確実に分が悪い。
エミール・ベルリナー
現在まで主流であり続けた「ディスクの面に情報を記録し、読み出す方式」というものは、エジソンが発明したシリンダー・タイプの録音再生方式をディスクに変えた、エミール・ベルリナー Emil(e) Berliner(1851−1929)の業績に、ず〜っと乗っかってきたものだ。
SPその他初期のディスク式録音メディア、LP、レーザーディスク、VHD、フロッピーディスク、ハードディスク、MO、CD、MD、DVD、ブルーレイ、SACD‥‥方式の詳細はいろいろあれど、とにもかくにも、円盤の面に記録し、回転とともに読み出すという方式は、ここ120年の間というもの変わらなかった。
これは、ちょっと偉大、というか壮大である。
その、ベルリナーの影響が、いよいよ終焉を迎えようというのである!
ディスクというパッケージ・メディアで音楽に接し、これを「蒐集」するということが、生きていることの大きな部分を占めてきた私には、何とも感慨深いし、納得せざるをえないものの、空虚感も大きい。
数年前に手にした、佐藤浩義『原点回帰 オーディオセッティング再入門』(技術評論社、2007年)という本がある。
タイトルからすると、スピーカーのセッティングのノウハウを記した本のように思えるけれど、じつはこの本、くだくだしいほどの「オーディオの哲学的論議」は措くとしても、そうとうな紙数と熱意とをもって書かれているのは、PCオーディオなのである。
オーディオ・エンスーの著者が、わざわざ筐体内に高周波ノイズの嵐が吹き荒れるPCを、オーディオ・ユースにブラッシュアップする方法になぜ執心するのか、購読当初はぜ〜んぜん理解不能だった。
しかし、著者・佐藤氏は、ディスク・プレーヤーの再生が、リトライをしない仕様であることに不満なようで、
「デジタルオーディオにおいては、何回もリトライできるHDDか、何回かリトライできるCDドライブで音を取り出すというのが現時点での現実解なのだろうと思います。」(85頁)
と言っていて、最近の固体メモリー・オーディオへの問題意識が、早いころから(といっても4年前だが)活字化されたもの、と言える。
では、こうした流れから、佐藤氏の著書に、PCオーディオ、固体オーディオ(こちらにはとくに言及は多くなかったようだ)への全面的賛同のみが読み取れるのか、というと、データの単純なリッピング万能論への警告とも読める行文が見えもする。
「コピーをしても情報が落ちない程度まで落としたはずのデジタルオーディオですが、筆者の経験上(理由はわからないけれども)あらかじめデータを削ぎ、デジタルコピーを行っても、さらにデータが落ちることがあります。
(中略) 筆者が知る限りでも、iTunesなどでCDをHDDにデジタルコピーしても、音の勢いが落ちることがあります。この場合でも、ビットコンペアしても違いが見当たらないことがあるのです。それにもかかわらず、なぜか音の勢いなどは劣化することがあります。」(83頁)
佐藤氏は、元コンピューターエンジニアという肩書きなので、ソフトウェアに暗いアナログ派が、印象で「PCにダビングすると…」云々と言っているのとは同列に考えるべきではないだろう。
佐藤氏のこの本は、随所に「オーディオの哲学的・心理学的考察」がちりばめられているので、オーディオ・ファンにはむしろウザッタかろう。
私には、おカネに任せたハイエンド・マニアやオカルト的カリスマの‘持ち上げ取材’に腐心したオーディオ本より、ずっと好感がもてるのだが…。
‥‥さて、とまれ、120年に及んだエミール・ベルリナーの時代=回転ディスクの時代は、確実に終焉を迎えつつある。
もっとも、SDカードが今後の主流になるとは限らず、むしろ光学ディスクドライブ(再生は、リッピングしてからメモリから行なう)、USB入力、LANなどをすべて備え、記録メディアもSSDを主体とした、ハードディスクすら追放した<デジタルAVセンター>が、近未来の音源装置になるだろう。
そんな時、皮肉にも、オーディオによる音楽鑑賞の主流、「ディスク再生」が終焉を迎えつつあるような情報が、説得力を持って登場してきた。
SDカードのプレーヤー、あるいはトランスポートである。
ひとつは、中国・QLS-HiFiの A-550で、こちらはSDカード・プレーヤー。
もうひとつは、個人製作の、Chiaki氏によるSDカード・トランスポート SDTrans 384。
いずれもディスク再生では得られなかったジッター・フリー再生が実現できる、という優れものらしく、導入・試聴した方たちのインプレは、のきなみ「驚異的」。
思えば、アナログ・プレーヤーの老舗である英LINNが、CDプレーヤーの生産終了を発表したあたりが、この流れが顕著になってゆくのを予感させていた。
LINNの場合は「DS」=デジタル・ストリーミングという呼称で、パッケージ・メディアから配信音源への移り変りという面が強調されたが、光学ディスクのリアルタイム再生におけるジッターや読み落としの問題は、フォーマットの情報量制限に加えて、というより隠れつつ、当初から問題だったのである。
光学ディスクの再生専用プレーヤーのピックアップ・システムは、基本的に1回読みだけでデジタル信号を取り出すので、読み落としが生じた部分の読み直し=「リトライ」はしない、というのが、プレーヤー、ディスクともに基準(つまりそれで音楽が再生できる)になっているようだ。
これに対して、PCでデータCD-ROMのようにリッピングした場合には、リトライによって完全コピーができ、HDDから固体メモリー上に読み出されたデータは、ジッターレス(に限りなく近い状態)でD/A変換できる、という次第。
こうなると、ディスクのダイレクト再生は確実に分が悪い。
現在まで主流であり続けた「ディスクの面に情報を記録し、読み出す方式」というものは、エジソンが発明したシリンダー・タイプの録音再生方式をディスクに変えた、エミール・ベルリナー Emil(e) Berliner(1851−1929)の業績に、ず〜っと乗っかってきたものだ。
SPその他初期のディスク式録音メディア、LP、レーザーディスク、VHD、フロッピーディスク、ハードディスク、MO、CD、MD、DVD、ブルーレイ、SACD‥‥方式の詳細はいろいろあれど、とにもかくにも、円盤の面に記録し、回転とともに読み出すという方式は、ここ120年の間というもの変わらなかった。
これは、ちょっと偉大、というか壮大である。
その、ベルリナーの影響が、いよいよ終焉を迎えようというのである!
ディスクというパッケージ・メディアで音楽に接し、これを「蒐集」するということが、生きていることの大きな部分を占めてきた私には、何とも感慨深いし、納得せざるをえないものの、空虚感も大きい。
タイトルからすると、スピーカーのセッティングのノウハウを記した本のように思えるけれど、じつはこの本、くだくだしいほどの「オーディオの哲学的論議」は措くとしても、そうとうな紙数と熱意とをもって書かれているのは、PCオーディオなのである。
オーディオ・エンスーの著者が、わざわざ筐体内に高周波ノイズの嵐が吹き荒れるPCを、オーディオ・ユースにブラッシュアップする方法になぜ執心するのか、購読当初はぜ〜んぜん理解不能だった。
しかし、著者・佐藤氏は、ディスク・プレーヤーの再生が、リトライをしない仕様であることに不満なようで、
「デジタルオーディオにおいては、何回もリトライできるHDDか、何回かリトライできるCDドライブで音を取り出すというのが現時点での現実解なのだろうと思います。」(85頁)
と言っていて、最近の固体メモリー・オーディオへの問題意識が、早いころから(といっても4年前だが)活字化されたもの、と言える。
では、こうした流れから、佐藤氏の著書に、PCオーディオ、固体オーディオ(こちらにはとくに言及は多くなかったようだ)への全面的賛同のみが読み取れるのか、というと、データの単純なリッピング万能論への警告とも読める行文が見えもする。
「コピーをしても情報が落ちない程度まで落としたはずのデジタルオーディオですが、筆者の経験上(理由はわからないけれども)あらかじめデータを削ぎ、デジタルコピーを行っても、さらにデータが落ちることがあります。
佐藤氏は、元コンピューターエンジニアという肩書きなので、ソフトウェアに暗いアナログ派が、印象で「PCにダビングすると…」云々と言っているのとは同列に考えるべきではないだろう。
佐藤氏のこの本は、随所に「オーディオの哲学的・心理学的考察」がちりばめられているので、オーディオ・ファンにはむしろウザッタかろう。
私には、おカネに任せたハイエンド・マニアやオカルト的カリスマの‘持ち上げ取材’に腐心したオーディオ本より、ずっと好感がもてるのだが…。
‥‥さて、とまれ、120年に及んだエミール・ベルリナーの時代=回転ディスクの時代は、確実に終焉を迎えつつある。
もっとも、SDカードが今後の主流になるとは限らず、むしろ光学ディスクドライブ(再生は、リッピングしてからメモリから行なう)、USB入力、LANなどをすべて備え、記録メディアもSSDを主体とした、ハードディスクすら追放した<デジタルAVセンター>が、近未来の音源装置になるだろう。