いや〜、やっと賀状のお返しを、寒中見舞いの形で全部投函し終わった。
どうしようもない事態でどうしようもなく落ち込み、ほんの親しい人たちへの数通を除き、年末に賀状は書けなかったし、いただいた年賀状にも、お返しの賀詞を認(したた)める気持ちが、今年だけは、ほんとうにツユほども湧かなかった。
ここ数年、行き詰まってくるにつれ ― 予想できたことだが ― ある種の‘儀礼’で出す年賀状が、ほんとうに辛くなっていた。多くの人が、「キャリア」、「天職」や「家族」を形にし、若き日を懐旧・回想する年齢にいたり、事実上‘半-引きこもり’、‘ニート’(の語を使いたくないが → recommend商品欄『「ニート」って言うな!』)である/あり続けたことを認識せざるをえない事態に陥り、‘世間的体面’と言えばそれだけかもしれないが、儀礼が億劫でしようがない。
どうしようもない事態でどうしようもなく落ち込み、ほんの親しい人たちへの数通を除き、年末に賀状は書けなかったし、いただいた年賀状にも、お返しの賀詞を認(したた)める気持ちが、今年だけは、ほんとうにツユほども湧かなかった。
ここ数年、行き詰まってくるにつれ ― 予想できたことだが ― ある種の‘儀礼’で出す年賀状が、ほんとうに辛くなっていた。多くの人が、「キャリア」、「天職」や「家族」を形にし、若き日を懐旧・回想する年齢にいたり、事実上‘半-引きこもり’、‘ニート’(の語を使いたくないが → recommend商品欄『「ニート」って言うな!』)である/あり続けたことを認識せざるをえない事態に陥り、‘世間的体面’と言えばそれだけかもしれないが、儀礼が億劫でしようがない。