さ〜て‥‥前記事のとおり、病院から帰宅後、午後ず〜っと空いたので、(居眠りしながらも)しこたまCD、聴きました^^;;。
ハイドンは、交響曲2曲聴いた上に、アルノンクールの『天地創造』も全曲聴いた次第。
ところで、2度めの購入、『フィデリオ』まで入ったセットで買ったラトル/ウィーン・フィルのベートーヴェン:交響曲全集(9CD。
たしかに HMVのレビューに1件あったとおり音はよかった ― なので、この全集のファンにはお勧め ― のだけれど、やっぱり今回も感興を覚えない。かければ、寝る。

同時に買った、ジュリーニ/スカラの「交響曲集」(=第1から第8まで。Sony、5CD)のほうは、超スローテンポでありながら、瞬間瞬間の音の流れに「音楽」が満ちていて、たいへん充実した音楽体験を与えてくれる。
フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、クレンペラーの4種に、あと何か、ということで、ハイティンク新盤もブロムシュテット旧盤もアウト、ということで2種、導入したのだが、ラトルはまたお別れ、である。
QEDのスピーカー・ケーブルもであるが、オク出し予定になるが、病院の治療日程が未定なので、オク出しも、それに通販の注文も(入院、ということになると受け取れない)できない。
なぜ4種の次は6種類にこだわるかというと、「5」は「五黄殺」の数字なので、ちょっと‥‥だったり。
もちろんそんなことを言い出したら、七五三の「五」は祝えないことになりかねないし、ご祝儀で、5千円というのもよくないことになるので、口実にもならない。
まして、ジュリーニのセットは第九のない交響曲集なので、全集に算入しなければ4種のまま。
ただ、第九は、近い時期にベルリン・フィルを指揮したDG盤が単独であるので、それを加えたなら、それで全集と考えることもできる。
今日は、ハイドンを聴き始める前に、クレンペラー指揮でベートーヴェンの第1を聴いたが、充実感も味もあって、さすがにすばらしかった。
スタイルの全然違うトスカニーニもまたいいし、上記、ジュリーニ/スカラのも、“歌”に心のこもったいい演奏だ。
もうこれだけあれば、「あと、な〜んかいいのないかな〜」と無理に食指をユスる必要もないのかもしれない‥‥「食指が動く」という故事は、「親指人差し指がぴくぴくっと自然に動く」ことをいうので、「意思的に動かす」のではない。
ジンマンもノリントンも合わないだろう。コンヴィチュニー、シュミット=イッセルシュテット、ベーム、いずれも悪い演奏などでは決してないものの、ダメだった。
ジュリーニのセットは、ベルリン・b-sharpスタジオの24-bitリマスターになり、ここのリマスターには、ワルターのモーツァルトやグールドのバッハなど、気に入らないものが多かった。
このジュリーニのセットは、同シリーズで出ている、RCA録音の、C.デイヴィスのシューベルトのように高域端強調型(旧RCA盤に買い直した)ではなく、単発オリジナルの音から、やわらかなホールトーンを若干除き、では楽器が近くなるのかというと、そうではなく、「いわゆるベートーヴェンっぽい音」というふうで、オケは遠くにありながら、余韻を削ぎ落として弦のザラつき感を増した感じになっている。
ヴァイオリンの低音やヴィオラがザラつき感を伴って聞こえてくるタイプで、ベートーヴェンには必ずしも悪くない。
気になったのは、『田園』で、第3楽章の左チャンネルが、ちょっと意図的にレヴェルを上げている感(約3dB)があること。
画像は示さないが、測定ソフトで見ると、それがわかる。
第4楽章の嵐も、フィナーレの「感謝の歌」も、盛り上がることなく、比較的小音量で静かに推移しつつ全曲を閉じる、という形になる。
セット盤のマスタリングが、オリジナルの単発盤とまるで違ったら、リマスタリングの「さかしら」だ、と、単発盤も買って聴いてみた(ので、セットものの第3楽章の改変が確認できた)。
全体として、スカラ盤の『田園』は、第4楽章の嵐は、まるで内なる神の叱責に耳を傾け、フィナーレは、自然への讃歌を歌い上げるというのでなく、静かに宇宙に思いを致して祈る、といったていのものになっていて、きわめて特殊だが、これがマエストロ最晩年の「境地」だったのだろう。
残された私の人生、ベートーヴェンの交響曲などは、もう“超-名盤中の超名盤”(もちろん、自分基準)にしか、時間を費やす価値を見出さないようである。
― ということで、ラトルのボックスに入っている『フィデリオ』も放棄することになるので、別盤をひとつ、調達しないと、ということになりそうだ。あちゃちゃ。
DG録音の目ぼしいもの‥‥フリッチャイ、ベーム、バーンスタインあたりから1セット、ということになりそうだ。

だいたい、主なリスニングは、Onkyo C-7030(下段)で。
トラッキングはピックアップ交換でよくなっているし、音はもうほんとに聴くたびに、「この値段でこの音!」と感心しているのだが、3〜4日にいっぺん、ディスクの演奏し始めにトチって、「ザザザ…」とかになることがある。
ディスクを挿入して、TOC情報を液晶にいちど表示させてから演奏開始すると、まず問題なさそうなので、そうしているのだけれど。
Gotham SPK 2x1.0mmに戻して、これもいいです。この細いスピーカー・ケーブルでこれくらい低音が出るか、という感じ。
もちろん、よいシステムから見れば低音は出ていないのだが、PM6005と Mercury F1Cの組み合わせで出る低音は、余すところなく出ているような。
ハイドンは、交響曲2曲聴いた上に、アルノンクールの『天地創造』も全曲聴いた次第。
ところで、2度めの購入、『フィデリオ』まで入ったセットで買ったラトル/ウィーン・フィルのベートーヴェン:交響曲全集(9CD。
たしかに HMVのレビューに1件あったとおり音はよかった ― なので、この全集のファンにはお勧め ― のだけれど、やっぱり今回も感興を覚えない。かければ、寝る。

同時に買った、ジュリーニ/スカラの「交響曲集」(=第1から第8まで。Sony、5CD)のほうは、超スローテンポでありながら、瞬間瞬間の音の流れに「音楽」が満ちていて、たいへん充実した音楽体験を与えてくれる。
フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、クレンペラーの4種に、あと何か、ということで、ハイティンク新盤もブロムシュテット旧盤もアウト、ということで2種、導入したのだが、ラトルはまたお別れ、である。
QEDのスピーカー・ケーブルもであるが、オク出し予定になるが、病院の治療日程が未定なので、オク出しも、それに通販の注文も(入院、ということになると受け取れない)できない。
なぜ4種の次は6種類にこだわるかというと、「5」は「五黄殺」の数字なので、ちょっと‥‥だったり。
もちろんそんなことを言い出したら、七五三の「五」は祝えないことになりかねないし、ご祝儀で、5千円というのもよくないことになるので、口実にもならない。
まして、ジュリーニのセットは第九のない交響曲集なので、全集に算入しなければ4種のまま。
ただ、第九は、近い時期にベルリン・フィルを指揮したDG盤が単独であるので、それを加えたなら、それで全集と考えることもできる。
今日は、ハイドンを聴き始める前に、クレンペラー指揮でベートーヴェンの第1を聴いたが、充実感も味もあって、さすがにすばらしかった。
スタイルの全然違うトスカニーニもまたいいし、上記、ジュリーニ/スカラのも、“歌”に心のこもったいい演奏だ。
もうこれだけあれば、「あと、な〜んかいいのないかな〜」と無理に食指をユスる必要もないのかもしれない‥‥「食指が動く」という故事は、「
ジンマンもノリントンも合わないだろう。コンヴィチュニー、シュミット=イッセルシュテット、ベーム、いずれも悪い演奏などでは決してないものの、ダメだった。
ジュリーニのセットは、ベルリン・b-sharpスタジオの24-bitリマスターになり、ここのリマスターには、ワルターのモーツァルトやグールドのバッハなど、気に入らないものが多かった。
このジュリーニのセットは、同シリーズで出ている、RCA録音の、C.デイヴィスのシューベルトのように高域端強調型(旧RCA盤に買い直した)ではなく、単発オリジナルの音から、やわらかなホールトーンを若干除き、では楽器が近くなるのかというと、そうではなく、「いわゆるベートーヴェンっぽい音」というふうで、オケは遠くにありながら、余韻を削ぎ落として弦のザラつき感を増した感じになっている。
ヴァイオリンの低音やヴィオラがザラつき感を伴って聞こえてくるタイプで、ベートーヴェンには必ずしも悪くない。
気になったのは、『田園』で、第3楽章の左チャンネルが、ちょっと意図的にレヴェルを上げている感(約3dB)があること。
画像は示さないが、測定ソフトで見ると、それがわかる。
第4楽章の嵐も、フィナーレの「感謝の歌」も、盛り上がることなく、比較的小音量で静かに推移しつつ全曲を閉じる、という形になる。
セット盤のマスタリングが、オリジナルの単発盤とまるで違ったら、リマスタリングの「さかしら」だ、と、単発盤も買って聴いてみた(ので、セットものの第3楽章の改変が確認できた)。
全体として、スカラ盤の『田園』は、第4楽章の嵐は、まるで内なる神の叱責に耳を傾け、フィナーレは、自然への讃歌を歌い上げるというのでなく、静かに宇宙に思いを致して祈る、といったていのものになっていて、きわめて特殊だが、これがマエストロ最晩年の「境地」だったのだろう。
残された私の人生、ベートーヴェンの交響曲などは、もう“超-名盤中の超名盤”(もちろん、自分基準)にしか、時間を費やす価値を見出さないようである。
― ということで、ラトルのボックスに入っている『フィデリオ』も放棄することになるので、別盤をひとつ、調達しないと、ということになりそうだ。あちゃちゃ。
DG録音の目ぼしいもの‥‥フリッチャイ、ベーム、バーンスタインあたりから1セット、ということになりそうだ。

だいたい、主なリスニングは、Onkyo C-7030(下段)で。
トラッキングはピックアップ交換でよくなっているし、音はもうほんとに聴くたびに、「この値段でこの音!」と感心しているのだが、3〜4日にいっぺん、ディスクの演奏し始めにトチって、「ザザザ…」とかになることがある。
ディスクを挿入して、TOC情報を液晶にいちど表示させてから演奏開始すると、まず問題なさそうなので、そうしているのだけれど。
Gotham SPK 2x1.0mmに戻して、これもいいです。この細いスピーカー・ケーブルでこれくらい低音が出るか、という感じ。
もちろん、よいシステムから見れば低音は出ていないのだが、PM6005と Mercury F1Cの組み合わせで出る低音は、余すところなく出ているような。