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安保法案可決…。

 ‥‥何だか書きづらい雰囲気漫々‥‥で、例の‘安保法制法案’が参議院でも可決したらしい。
 テレビは2月真ん中に廃棄したので、情報源はネットとAMラジオ・TBSの《荻上チキの Session-22》だけである。

 いつもよく拝見する Hatenaブログから知った、同じく Hatenaの、gudachan氏のブログをよく見る。
 Gudachan氏は、安保法制には反対、いわゆる‘ネトウヨ’への鋭角的論難記事が多く、それでいて左翼ではなく、そしてある意味、ガッチガチの古典主義的教養主義者、とお見受けする(← この点には、違和感が皆無ではないものの、基本的には同感・敬服している)。平成生まれだそうだ。
 連日の SEALDsの動向などは、こちらで読んでいる。


 で ― 私個人は、安倍政治にはかなり不快感を持っているけれども、SEALDsといっしょになったりして「戦争法案反対!」と叫ぶ、という気持ちにはなっていないのが正直なところだなのだ。

 まとまったことは、書けない。
 昨今のネット情報などからの、印象だけ。
 といっても、ネット空間というのは、政治がらみのことになると、反対の立場の人、反対意見の論者をバカ呼ばわりしないとネット・ユーザーではないかのごとくで、バリバリの罵詈だらけの醜悪腐臭空間にならないほうが難しいので、‘ちゃんと’考えられる資料が少ない。
 そもそも、「安全保障」というトピックそのものを、(可能な限り)客観的に見る資となるサイトは、ほとんどない。
 いや、これは出版界も似たり寄ったりかもしれない。


 さて‥‥この「集団的自衛権」なるものであるが、《荻上チキの Sesion-22》にもよく登場する、憲法学者・木村草太氏の「日本の安全保障を考える」(SPUR.JP内)が紹介している、柳澤協二『亡国の集団的自衛権』(集英社新書)の、Amazonレビューの中に、「1951年に日米両政府間で取り交わした日米安保条約と71年に継続した同条約の前文を知らぬ訳はあるまい。/この前文には、我が国は国連の定義するところの集団的自衛権を有すると明記してある。/この人の目は節穴か、それとも何を今更、寝言をおっしゃっているのか?である」という非難文言が見える。

 そのとおりで、「日米安保条約」前文には、「両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し」とある。

 ほほう、すでに55年前に「集団的自衛権」を認めているではないか、ということになりそうだが、当該レビュアーとほぼ同じ論旨で今般の集団的自衛権を「問題なし」としている(そうな)東京新聞論説副主幹・長谷川幸洋氏に対し、こちら(宮武 嶺氏ブログ記事)が、同条約「第三条」に「締約国は、‥‥(中略)‥‥それぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる」と明記されることを示して、反駁している。

 こういったところを確認すると、上記Amazonサイトのレビュアーの「寝言」は、わが国Amazonサイトのレビューのレヴェルを象徴的に示していて、面白いと同時に、暗くなってしまう。

 ここで、まさに「憲法上の規定に従うことを条件として subject to their constitutional provisions」の「constitutional provisions」を、この文言があるから集団的自衛権は違憲である、とするのが反対派であり、「constitutional provisions」には「〈違反しない〉という解釈が成立しうるから、違憲ではない」とするのが政権側、ということになる。

 《荻上チキの Session-22》への出演で聞いたことがある、(ちょっと)美人の政治学者・三浦瑠麗さんのブログ《山猫日記》の「集団的自衛権論争の本質」は、一見、「安全保障」に関してニュートラルな知見を得られそうに感じて読み始めたのだが‥‥。

 この説は、「集団的自衛権をめぐる論争の本質を理解するには、大きく三つの領域で物事が進行しているという状況認識を持つことだと思っています。一点目は、安全保障の領域、二点目は憲法解釈と立憲主義の領域、三点目は感情的化学反応の領域です」と、わかりやすく(?)議論を腑分けする。

 その中で、「憲法解釈と立憲主義」の部分では、反対派の中に「安全保障上の必要性については言明せずに専ら手続論の観点からする批判と、安全保障上の必要性に対して法解釈の観点から反論する論理的には支離滅裂な、それでいて戦後日本の知的伝統からは正統な批判とがあります」がある、という。

 ここには「安全保障上の必要性については言明せずに専ら手続論の観点からする批判」「安全保障上の必要性に対して法解釈の観点から反論する論理的には支離滅裂な、それでいて戦後日本の知的伝統からは正統な批判」の2種の批判がある、と読めるが、この内容の違いはよくわからない。
 が、いわゆる‘憲法学者’の発言について、「法解釈の観点から反論する論理的には支離滅裂な」論と断じているとしか読めないところは、とくのその「支離滅裂」という表現に、‘ネトウヨ’の「バカ」と似た臭気を感じざるをえなかった。

 加えて、「「どうどうと憲法を改正すべき」という主張‥‥(中略)‥‥になかなか与する気になれないのは、このような主張をされる方の本音が、立憲主義を方便とした現状維持であるのが見え見えだからです」といい、さらに「このような主張には、立憲主義を方便とした日本の民主主義に対する軽視が潜んでいるように思えます」という。

 三浦さんは、先行する行文で、「憲法解釈を変更するということの意味については‥‥(中略)‥‥どのような政治的伝統の中に存在してきたかということが重要です」としながら、法案等を違憲とする憲法学者たちは、憲法と立憲主義を「方便」として、自分たちの政治的立場を‘現状維持’している、言い換えると、憲法と立憲主義を「人質」としている、という指摘である。

 このうち、「どのような政治的伝統の中に…」という場合、戦争で塗炭の苦渋を飲まされた人びとのことが、まず意識にのぼせられなくてはおかしいが、どうもそういう気配は、この政治学者の言説には、ないようだ。

 ただ、それでも、憲法学者や戦後護憲派が、現憲法条文と立憲主義とを「方便」だというところに、何かひっかかる、言い換えると、単に「憲法を守れ」、「立憲主義を守れ」では済ませきれない部分を感じざるをえないのも事実なのである。

 と同時に、三浦さんに関して、‘とんでもない論客’だという論がネット上にあるのも、見逃せない。

 三浦さんは、全国民が等しく「血のコスト」を自覚して、好戦的国家・国民になることを回避するには、「老若男女を問わない徴兵制」しか方策はない、という提案をしている。

 これに対しては、「ヴェトナム戦争が泥沼化した時代、アメリカは徴兵制を敷いていた」といって、三浦さんを‘危険’と見る「きなこ」氏のブログ記事がある(当然、あるだろう)。

 三浦氏は、‘現実的な’安全保障(の国際的環境)を重視する側と、ひたすら立憲主義を「盾」に取って、憲法と憲法解釈の「現状維持」を固守しようとする側とが、「泥仕合」を繰り返していることへのそうとうな苛立ちがあり、そして氏は、「現実的な安全保障」側に立つ。

 私個人としては、‘わかったふう’に抑止力(抑止目的戦力)の必要性(必要悪)を簡単に認めるということにも大きな抵抗があるとともに、「日本は憲法九条を固守し、一切戦闘機能を保持せず、どの他国とも安全保障上の同盟関係を結ばない」というようなポリシーにも、とても簡単には賛成できない。

 三浦氏は、徴兵制を廃止したシヴィリアン・コントロール下のアメリカが好戦的態度をとったことをあげ、反対に「自らの命や家族の命を懸けてまで倒すべき悪というのは、世の中にそう多くはない」から、老若男女無差別の徴兵制こそが「ナショナリズムを煽るものではなく抑制するものとなるはずだ」という。

 私は、この人が「血のコスト」と称するキーワードを提出していることはきわめて重要なものだと思いつつ、三浦氏自身はこの語を著しく観念的に、つまり単に机上の観念としてしか用いていないようなのが、不満であると同時に不審である。

 もっとも、好戦的な嫌中・嫌韓派には、このような「血のコスト」の‘脅威’が抑止力として働く可能性はあるかもしれない。
 しかし他方で、日本人の中にも ISILの兵士に志願して渡航しようとする者がいたし、外国人への暴力の行使を強く希求する手合いも存在する。
 兵役への実感が好戦性を抑止できるという考えは論理的でも実証的でもないと思える。

 それより大切なことは、何より敗戦直後から現在まで、さまざまな政治的環境の変化にもかかわらず、戦争体験の悲惨さを語り継ぐ人びとがおり、このような人びとと、彼らの背後にいる、すでに鬼籍に入った人たちも含む、膨大な戦争被害者こそが、まずはダイレクトに「血のコスト」を支払うことを強制された人びとであり、「血のコスト」の重い意味をその生命で感じている人たちだということなのである。
 三浦氏の言説には、その視点が決定的に欠ける。

 《荻上チキの Session-22》は、そんな三浦氏や、安保法案の基礎や「安倍談話」における安倍首相のブレーン・北岡伸一氏を招いたりもしていて、これはある種、番組維持存続のための方策とも取れなくはないけれど、ゲストはフランクにチキさんと語っている。

 北岡氏の時は、ポータブル・ラジオの前でかまえて全部聞いた。
 首相談話に「侵略」の語を入れさせたりしたので、氏に対しては右派からの罵言も多く、氏の安全保障論には、むしろある種バランスのとれたものも感じた。
 インタビューの冒頭、チキさんは北岡氏が幼少のころ、家族・親族から戦争の話を聞いたことがあるか、という質問をした。

 私が、このインタビューでいちばんびっくり仰天したのは、北岡氏が、ひどく簡単に、そしてぶっきらぼうに「ないです(ありません)」と答えたことだった。
 私は昭和30年代生まれで、父親は兵役の経験があるものの外地へは行っておらず、祖母も父の生家で戦時を過ごし、家は焼けてもいない。
 それでも父は兵役時代の不快なことを語り、祖母も「焼夷弾」の脅威を語っていた。

 昭和23年生まれの北岡氏が、家族・親族から戦争の話を何も聞いていない、というのは、ひっくりかえるほど驚かされることだった。
 もちろん、そういう話を聞いていないならしようがないし、そういう話を聞いていない人の安全保障論は信用ができない、とは言えないのだけれど、ほんとうにびっくりした。

 ‘現実の’国際社会における安全保障環境の激変に、わが国も「世界レヴェルで」対応しなくてはならない、という場合、国会運営の実態から、公文書保存と開示の充実まで、「先進国レヴェル」にしてから、初めてことを始められるのである。

 「軍事演習」というものは可能だが、「戦争演習」というのはありえないのだ。これは災害における「避難訓練」はできても「被災訓練」はゼッタイに不可能なのと同じである。

 その点で、「可決した」今の時点は、賛成・推進派にとっても口舌にのぼせないほどの大きな緊張を強いられる転換点であるはずだ。
 論争の両派のあげ足取りの議論は全部ほうったとして、自衛隊は劣化ウラン弾を、そして海外では核弾頭も輸送できる(=しなくてはならない)ということになった。

 この「戦後70年の安全保障の大転換」は、とくに海外に出る旅行者や出張者、あるいは駐在者にとっての「セキュリティの70年ぶりの大転換」に、まずはなるし、自衛隊はもとより、関係官庁にとってそれこそ‘想定外’の事態が突発してくる可能性もありそうだ。
 政治家や知識層やメディアの「志」と「力量」とは、そっちのほうで測られるだろう。

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  • 2017.06.26 Monday
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  • 07:41
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コメント
私の拙い国語力ではへうたむさんの結論が読み取れませんが、不毛な国会審議や審議の引き延ばし工作が終わってほっとしたところです。頭に「集団的」と付いていますが基本的には「自衛権」であり、それが発動できるのはいいことです。問題はその自衛権が正しく使われるのか濫用されるのかというところです。しっかり監視していく必要はあるでしょう。
安倍の背景の右翼カルト日本会議とかが自衛権を正しく活用することは不可能でしょう。ただのアメ犬であって日本人のことなど考えていないという視点が必要でしょう。むしろ問題なのは当選すれば何をやってもよいという代議制の欠陥かと思われます。
  • うい
  • 2015/09/21 2:13 PM
元新潟のUさん、

>結論が読み取れませんが、
全くそのとおりで、私の貧しい国語力・思考力・調査力では、結論にとても到達できません;;;。

>しっかり監視していく必要はあるでしょう。
おっしゃるとおりです。しかしこの「監視」がなかなか機能しがたいように思います。
  • へうたむ
  • 2015/09/21 3:44 PM
ういさん、

>安倍の背景の右翼カルト日本会議とかが自衛権を正しく活用することは不可能でしょう。
そう思えますねえ。そうなると「正しくなく活用」される恐れ大。これが危険です。

>ただのアメ犬であって
‘アメ犬’ねえ‥‥そういう‘アメ犬’に「日本を取りもどせ!」などと絶叫されている、情けないわが国であります (´o`;)~。

>代議制の欠陥
ここが重要ですね。
SEALDsの動向などに批判的な向きには、「選挙で選ばれた議員が議決したのだからこれが民主主義的手続きであり、デモなどで変えさせようというのは言語道断」という意見が基本にありますが、代議制のみの民主主義が欠陥を持つことは否めません。
加えて、「一票の格差」が著しい状態での選挙結果です。
  • へうたむ
  • 2015/09/21 3:55 PM
お久しぶりです。記事まとめて拝見させて頂いております。
「理想論」と「実際の生き残りのための戦術」というのは大きく隔たる事がありますから、こういう問題は難しくなりがちですね。個人的にはアメリカからゆっくり離れるべきと思いますが、無理でしょう。
血のコストについては仰る通りですね。現在20〜50代の「徴兵適齢期」の人で、徴兵の現実を肌で知っている人は一人もいないのですから、極論を言うと「やってみなければ論じようがない」です。

>反対意見の論者をバカ呼ばわりしないとネット・ユーザーではないかのごとく
この傾向と、筆先だけの右傾化が重なって、ネットでこの手の話に触れるのは難しくなってしまいましたね。「相手国は待ってくれないんだから、安易な平和思想をやめて自衛を考えるべきだ」と言うとバカな右翼と言われ、「好戦的になるべきではない」というとバカな左翼と言われる。右翼と左翼の本来の意味をわかっているのか、としばしば呆れてしまいます。
ネットユーザーの精神的な(←重要)年齢低下は年々恐ろしいほどに進んでいるように見えます。ネットが完全に一般化している今、つまりそれだけ一般社会の精神年齢も低下しているのではないかと思えてしまい、自分も知らずの内に幼稚化しているのではないかとビクビクしています。もし社会そのものが幼稚化しているのだとしたら、集団的自衛権を論じるまでもなく、他国に呑まれ、内側からも崩れていくだけです。

まあネットは匿名で自演しほうだい書き放題、嘘もデマも放流し放題なので、世間の声とは言えないと思っています。せっかく便利なツールなんですけど、使い方が難しいですね。Wikipediaなんて理念からかけ離れた滅茶苦茶な記事ばっかり増えてしまっていて、残念です。
  • さおとめ
  • 2015/11/02 10:43 AM
さおとめさん、お久しぶりです。

>「理想論」と「実際の生き残りのための戦術」というのは大きく
>隔たる事がありますから、こういう問題は難しくなりがちですね。
大切なのは、当然後者なのは明白なのですが、問題は、こちらにおいて成熟した議論が困難なことです。

ある立場に立つと、その立場に固執し、現実的な、たとえば「抑止力」というものではなく、自分のエモーションの色に染まりきったものが「真の抑止力」だという主張に凝り固まります。

‘この前の戦争’=1945年8月に破綻を迎えた、‘あの’戦争に関して、おっしゃるところの「実際の生き残りのための戦術」は、どうであったのか。
「平和主義」、「戦争は悪」、「憲法九条死守」が“理想論”として軽侮されがちですが、1945年8月までは、「本土決戦」、「一億玉砕」、「国体死守」が疑ってはならぬ“理想”だったのです。

>個人的にはアメリカからゆっくり離れるべきと思いますが、無理でしょう。
同感です。
アメリカから離れるということは、どこからも守られない国防を考えねばならず、護憲・厭戦派には大きな壁があります。
他方、「日本を取り戻せ!」と叫ぶ側は、ひたすらアメリカの国情に追随せざるを得ないのです。

>ネットユーザーの精神的な(←重要)年齢低下は年々恐ろしいほどに進んでいるように見えます。
言説の上ではそういう感じは顕著ですが、「進んでいる」ようには思えません。
45年前に(〜から)感じている‘世間’の雰囲気と、一向に変わらず、そういう民衆を育てる教育を数十年続け、企図どおりそうなった、という単純な構図しか見えないのです。

>社会そのものが幼稚化しているのだとしたら、集団的自衛権を
>論じるまでもなく、他国に呑まれ、内側からも崩れていくだけです。
全く同感ですが、「幼稚化」しているというより、数十年前から、大多数の人びとはそのように生きており、そんな生き方を続けることがよいことだ、安全で幸福なことだ、と(意識的か無意識的かはさて措き)「選択」し続けてきた、その明瞭な「帰結」以外の何者でもないように思います。

もちろん、おっしゃるとおり、そうであると「他国に呑まれ、内側からも崩れていくだけ」であるのも明白です。

このところ、gudachanというブロガーの〈ボンダイ〉というブログ:
http://gudachan.hatenablog.com/
を、興味深く読んでいます。
仕事を持っている方で、よくこれだけ大量のテクストを毎日アップできるものだ、と、それだけ‘不審’w なんですが、文章量が多い分、情報量も主張の明瞭さも随一で、昨今の‘サブカル化した日本の文化’を叩く筆鋒は痛烈・痛快です。

ネット上を、検索をたどって徘徊していると、ツバを吐きたくなるようなヒドい文言の並んだブログがいっぱいありますが、「意見」よりも「憎悪と侮蔑」に、言説、というより人生の基準を置いていると見える手合いの文章は、この国の「品格」を下げまくりますが、それでも自身の「憎悪と侮蔑」を、撒き散らしたいのでしょう。

こういう手合いが、市民社会のどれくらいの割合になるかはわかりませんが、かなり多数のメンタリティにそういうものがある中で、「日本を国連安保理の常任理事国に!」といっても、‘国際社会’がどう見るか。

>せっかく便利なツールなんですけど、使い方が難しいですね。
gudachan氏のブログで知ったことばですが、「ネット原住民」。
こういうところの生態を基準に見ると、ネットは‘コトバのクズ、カス’の世界のように見えます。

私自身は、まずは へうたむ=Bluegourdとしては、「オーディオ、音楽CD」という「リアル」の部分で「ネットを利用する」者、として使っています。
ネットには何でもあり、というのでは全然なく、ついここ十数年の、ごく平凡な、ないしは反対にオタク的狭隘な世界の情報を反映しているにすぎません。
ことに日本語でアップされているサイトに限って見れば、ほんとうに貧相な情報にとどまるでしょう。
  • へうたむ
  • 2015/11/03 3:43 AM
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