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バカの壁…

 ‥‥この1ヶ月、本・書類・コピー類の廃棄にフウフウいっている。1週間に資源ゴミの紙類収集は1回だけなので、それに向けて、といって結局はその直前、深夜から未明にかけて括って出す。もう45束は出した。今日は、まだカバーなど付いている文庫など30点ほど、ブッ○オフに持ち込み、750円♪ 売りに行く、のではなく廃棄の1方法という感じだ。

 本の廃棄を進めて実感してきたのは、「新書」のレヴェルがずいぶん‥‥ここ、10年くらいで? 変わったことだ。(例によって^^;)積ん読の新書の山を眺めていて、岩波新書に、しっかりした内容(そうな^^)訳書がいろいろ‥‥ J.B.モラル『中世の刻印』(1972年)、ジャック・ルゴフ『中世の知識人』('77年)、A.クリエジェル『ユーロコミュニズム』('78年)、他多数。'70年代の新書出版の水準ってこんなだったんだ、と、まだ読んでいないのに感心。で、まずい。棄てられないではないか(‥;)。

養老孟司『バカの壁』新潮新書、2003年 では、最近の新書から、ブッ○オフで105円で買った2003年刊の、養老孟司氏の『バカの壁』(新潮新書)。どうも、たぶん全部は読んでいないみたい^^。出た時、一種‘バカ’を書名に付けるブームがあって、“イヤな語感だぁ”と思ったが…なんで買ったのかナ。
 この中に、英語の冠詞に説き及んで、ソシュールの「シニフィアン(能記)」と「シニフィエ(所記)」に触れられている:

 「ソシュールによると「言葉が意味しているもの」(シニフィアン)と、「言葉によって意味されるもの」(シニフィエ)、という風にそれぞれが説明されています。この表現はわかったようなわからないような物言いです。実際、ソシュールは難解だとされています。
 が、これまでの説明の流れで言えば、「意味しているもの」は頭の中のリンゴで、「意味されるもの」は本当に机の上にあるリンゴだと考えればよい。」
(76頁)

 上記の養老氏による「シニフィアン」と「シニフィエ」の説明は、わかりやすいが、すでにネット上でも指摘されている(ここの指摘に付け加えるものなどない。参考にしたことを深謝したい)ことであり、このサイトが指摘されているとおり、筒井康隆氏の『文学部唯野教授』(初出は1987=89年)中、唯野教授が「記号論」で行なう講義内容で、一度モンダイになったことなのだそうだ。
 上記サイトの挙げておられる、同時代ライブラリー版(1992年)の「同時代ライブラリー版によせて」から、少し:

 「シニフィエ騒動というのがあった。猫ということばがシニフィアンで、実際の猫がシニフィエであると書いたところ、そうではないという批判が出て、間違いだ間違いだという大合唱となり、寝小便癖のある某批評家などは大いに喜び、あちこちへ都合二、三十は書きまくって稼いだのではあるまいか。
 おれはどっちでもいいが、直そうかと打診すると、担当の坂下氏などは怒りまくっていて、直すことはない、あれは当然唯野教授が黒板に猫のマンガを描き、それを指しながら喋っているのだからあれで正しいのだと無茶苦茶を言う。大江健三郎氏も「気にするな。あれで構わない」とハガキをくれ、ついにはソシュール記号論の大御所丸山圭三郎大先生までが「あれでもよろしいのでは」と言いながら出てきたりして、まさにお祭り騒ぎだった。面白いから、本版でもその部分はもちろんそのままにしてある。」
(349〜350頁)

丸山圭三郎『言葉・狂気・エロス』講談社現代新書、1990年 これは正直な告白だし、しかし大江氏や、あまつさえその道の大家、丸山圭三郎氏からも“お墨付き”(丸山氏の場合は、“目くじら立てるまででは…”くらい? )をもらったことも付言。
 で、その丸山圭三郎氏であるが、氏の『言葉・狂気・エロス』(講談社現代新書、1990年。学術文庫で、再刊。新書は絶版だが、Amazon古書などが安い)の中で、丸山氏は、筒井氏としてでなく、作中人物の「唯野教授」として捉え、「欧米思想のキー・タームをやたらにふりまわせば偉いと思いこんでいる当節の文芸評論家に向けられている痛快無比な小説である」として引用する。

 「そうしたキー・タームの中には、御多分にもれずソシュールの〈シニフィアン〉、〈シニフィエ〉という難解な語があるが、これを皮肉った『群像』(一九九〇年四月号)の「侃々諤々」がまた素晴らしい。入試問題に擬した一級品のアイロニーである。一部引用させてもらおう。

 ▼以下の(1)〜(8)の文章をよく読み、それぞれの設問に答えよ。

(1)「さて、ソシュールによれば、記号というのは、記号でもってあらわしたもの、たとえば猫ということば、それから、記号が示しているもの、たとえば実際の猫、このふたつが結びついたものです。猫ということばがシニフィアンで、実際の猫がシニフィエです」(筒井康隆『文学部唯野教授』)
問A 傍線部はソシュール学の大前提をくつがえす端的な誤りである(「実際の猫」はレフェラン)。この小説には、右のほか、大学教授にあるまじき低次元の誤りが、主人公の講義のくだりに散見するが、なぜそうなるのか、次より理由を選べ。
 (1) 主人公の低能さを強調しようとして。
 (2) 作者じしんが無知で、それを指摘すべき編集者がさらに無知であったから。
 (3) 編集者は無知ではなかったが、作者の無知をうっかり指摘して不興を買ったら、とてもマズイから。

(175〜6頁)


 これ=「侃々諤々」(私は『群像』は読まないので知らないが、有名なコラム、らしい)を見たら、編集担当の坂下(裕明)氏が怒ったことも想像に難くない。「侃々諤々」の執筆者は筒井氏のいう「寝小便癖のある某批評家」かどうかはわからないが、こういうテクストの頻出があったのだろう。
 が、ここで丸山氏は、いちおう筒井氏への「アイロニー」として、「素晴らしい」「一級品」と(これもアイロニーをちょっぴり含む?^^)下に置かない。ただし、丸山氏の文脈は決して筒井氏を難ずる方向ではないので、ぜひ当該書を。また、『文学部唯野教授』の引用には省略が若干ある。

 ― すでに指摘もあり、ソシュール学者の丸山氏が、けっして強くは非難するわけではない、この「シニフィエ signifié」の、養老氏による十数年を経てのさらなる‘誤解説’を、またここで(私の嗜好で^^)揚げ足取りをしたくて、この記事を書くわけではない‥‥って書いてるか^^;。
 感じたのは、十数年前と今とで、ふつうに本屋さんで買える新書、文庫を繙いて味わうことのできた“知の楽しみ”のクオリティが、ここまで変わってしまったということなのだ。

 『文学部唯野教授』('87〜'89年)のシニフィエ論に、揚げ足取りであっても‘騒動’になるほど声が上がり('90年)、それを上のように、一面的に断じないで、ものを考える素材として、やんわりと引用する丸山氏(『群像』の2ヵ月後! )。これを追いかけて読んでいく読者は、ソシュールの術語の問題を、楽しみながら考えてゆく経験が持てたはず…ではないだろうか、などと思う。

 『文学部唯野教授』「同時代ライブラリー版によせて」での行文は、弁解っぽくもあるが、ここで編集者・坂下氏の「怒り」を伝えているのがまた面白い ― 「あれは当然唯野教授が黒板に猫のマンガを描き、それを指しながら喋っているのだからあれで正しいのだと無茶苦茶を言う」‥‥「〜 無茶苦茶を言う」は、擁護してくれたことへの含羞の物言いだろうが、ここでの「担当の坂下氏」の言は、まさに記号論の扱いにくさを言い表わしている

 「唯野教授」の「実際の猫」は、坂下氏が言うように黒板に書いた猫のマンガであれば、「侃々諤々」子が指摘する「レフェラン référent」ではない。しかし、だとすると、‘猫のマンガ’はまた、その「レフェラン=志向対象」を指示する(イメージとしての)「シニフィアン」になるのではないか? つまり、「猫」という単語と、黒板に描かれた「猫のマンガ」と、そのどちらも「記号=シーニュ」として〈シニフィアン〉と〈シニフィエ〉を含んでいる、ということになり、坂下氏の怒りに由来する説明も、完璧とはいえないのだが、“実際の猫はレフェランだ、という非難もまたおかしい”、つまり、「レフェラン」というものは語りえず、触れえないものなのだ、という指摘を読み取れるとするなら、この「坂下氏」の知性は、まさに今の各出版社の編集部に欠けてきたものだろう、と思う。

 そんなわけで、同じ“ちょっとした誤り”でも、『バカの壁』のいかにも安易な繰り返しを、そのまま読んで「ああ、そうか」と考える読者は、まことに気の毒に思えてしまう。養老氏の「本当に机の上にあるリンゴ」も、それを論じた段階で、すでに自然の一部としてのリンゴから離れ、記号=シンボルの世界に入ってしまっている、のは確かだ。‥‥だが、だから養老氏の説明でもよい、とは、ちょっと言い辛い。
 最近の若者は、最近の教育は、という言い方があるが、超-マズくなっているのは、知的産業(出版・放送・文筆)の現場にいる人たちのセンスがどうしようもなくヒドくなってきていることのほうなのだ。

※上の「放送」は、出版や文筆と違って、時とともに品位・水準を下げてきたわけではなく、初めから低かったし、逆に志のある放送人は、今もよい仕事を発し続けている。なので、抹消^^。

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  • 2017.03.17 Friday
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コメント
へうたむ様
今晩は。私は新書版をあまり読みませんので、最近の変化に気付きませんでした。お教え、ありがとうございます。
丸山先生は、私の学生時代に、私の大学でも講義をなさっていて、ニ、三度(不登校学生でしたので)、拝聴したことがあります。私の粗雑な頭には難解でした。私が唯一覚えているのは、「ソシュール学派の私には」と仰ったことです。当時は、実存主義やM・L主義が流行していまして、私自身は主義や徒党を嫌悪しておりましたので、丸山先生のお言葉にも違和感がありました。
確かソシュール自身は著作を残さなかったはずですが、シニフィアンとシニフィエにしましても、新しいパラダイムとして、もっと消化しておくべきだったと後悔します。
丸山先生はまだ御活躍なのでしょうね。御紹介くださった本も読んでみるつもりです。
ありがとうございます。
  • lilas1890
  • 2009/03/29 1:40 AM
リラ様、コメントありがとうございます。

丸山先生の講筵に連なられたことがおありとは素晴らしい! 丸山氏が「学派」を自称されたことは ― 無知で門外漢の私が申すのは僭越至極ながら ― まさにおっしゃるとおり「著作を残さなかった」ソシュールの、より正確なことばを伝える講義録を世に紹介し、既訳の『一般言語学講義』だけに依拠する誤りを訂することに生涯をかけられたゆえ、ではないか、などと勝手に考えております。

>私は新書版をあまり読みませんので…
これはよいことではないでしょうか。私などは、専門書の山を積ン読のままにしておいて、目を通すのは新書ばかり、という情けなさです^^;。しかし、今はほんとうに少なくなりましたが、10年前までくらいは、新書にも古典的価値を持つものが刊行されていたことを、今、整理をしながら感じています。ちょうどリラ様のコメントの右側に見えます、recommend欄に上げました『言葉と無意識』は、難解ながら興味深く、3回、熟読(のつもり^^)しました。
  • へうたむ
  • 2009/03/29 9:24 PM
追伸:丸山氏は、1993年に亡くなっておられます。その闘病の体験を含め、氏の生と死に関するエッセーは『生の円環運動』(紀伊國屋書店。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4314005734/ )にまとめらているそうで、私は未読なのですが、たしか、読んだ知人が「独特の世界だよ」といっていたような記憶があります。
  • へうたむ
  • 2009/03/29 9:42 PM
へうたむ様
今晩は。丸山先生がお亡くなりになっていたことを存じませんでした。へうたむ様の仰ることで、私は自分の狭量を自覚しました。確かに、先生は御自分の使命への自負がおありになったのでしょうね。何か言葉尻を捉えて、他人を判断するのは、良くないことですね。
現在、大学には言語学者が溢れているようです。外国の大学で学位をとりやすいのが一因です。しかし、彼らの博士論文は、たとえば日本語の「が」と「は」の用法の違い、という類のものです。外国の大学で日本語という言語の論文で博士号を取得して就職する。滑稽です。このような言い方をお見苦しくお思いになりましたら、お許し願います。これは悪口ではないです。ただ、私は、世渡り上手な人間が嫌いなのです。知の世界はそれほど安易なものではないと思いますが。
それに比べれば、丸山先生はやはり本物の研究者であられたでしょう。私の誤解をいさめてくださったへうたむ様に感謝いたします。
  • lilas1890
  • 2009/03/30 1:08 AM
リラ様
お返事、ありがとうございます。

>自分の狭量を…
いえいえ、決してそんなことはないと存じます。また、真に優れた研究者や芸術家であっても、実際に会った時には必ずしもよい印象を持てないことも多々あると思います(たとえば、かのルートヴィッヒ・ヴァン氏など、あまり居酒屋でいっしょになりたくありません^^;)。

>このような言い方をお見苦しくお思いになりましたら…
私のブログこそ、お読みになった方が見苦しく感じられる行文を遠慮もなく曝しております。やはり、思うところを率直に述べることは大切なことだと思います。

>私は、世渡り上手な人間が嫌いなのです。
私は、任期制助手を務め、ダイガク(の、ほんの一部ですが)の楽屋裏を体験しました。いやもー、その‥‥以下、全文省略です^^。

>知の世界はそれほど安易なものではないと思いますが。
‘世渡り’以前のレヴェルで‘安易’に考えていたのが、まさに私でした^^;/。今、蔵書処分を控えて、つくづくそれを実感しています。

それでも、丸山氏のような真の研究者の遺された果実には、素人なりに触れてゆきたいと思っています。他方で『バカの壁』のような出版が横行することには ― こんなところであげつらう楽しみは与えてくれるものの^^ ― 落胆します。
養老氏は、解剖学者としては大きな業績をのこされた方だと思いますし、その方面からの発言は丸山氏も引用していたと記憶しますが、『バカの…』のような出版は、氏の名誉にとってはマイナスです。若い世代の‘世渡り上手’は、ある面で生きてゆくために仕方のないところもありますが、功成り名を遂げた人物のそれは、醜悪なだけでなく、社会の品位を落とす機能を持つと思います。
  • へうたむ
  • 2009/03/31 6:51 PM
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