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佐村河内物語

佐村河内 守:交響曲《HIROSHIMA》
 佐村河内事件。
 いっや〜、オモロい^^。

 この人の“物語”そのものは、ウソでなかったなら、“物語”そのものに加えて大勢がこぞってその“物語”に陶酔し、讃美し、感動することにイチャモンをつける筋合いがなかった。

 いや、この「イチャモンをつける筋合いがない」ことも、少なからずちょっと違和感があったのだが‥‥。
 そして、「ウソでしたぁ〜」ということになれば、上の《違和感》が、圧倒的正当性をもって表てに出てくる。

 “物語”がほんとうだったにしても、あの風貌と、放送局(=とりもなおさずNHK!)やレコード会社の作り上げるイメージは、異様だった。「キワモノ」臭が鼻をついた。

BLOGOS 新井氏記事

 新井克弥という人が、〈BLOGOS〉上に寄せている記事では、ことの本質を
・メッセージ1=楽曲自体
・メッセージ2=“佐村河内物語”
の二つに分け、ウソの発覚で人々が不快に感じるのは、「メッセージ1」に感動していると思い込んでいたものが、実は「メッセージ2」に感動していたことに気づいて不快に陥った、と説明している。

 新井氏の分析はたいへん明快で異論の要もないと思う。
 ここで重要なのは、「メッセージ2=佐村河内物語」がウソであったから不快になった、というより、新井氏のことばを借りれば、
「「HIROSHIMA」が世間に知れ渡ったのは楽曲それ自体よりも、「佐村河内」というメディアのメッセージ性に基づいたから」であり、「自分が「新垣」=メッセージ1を聴いて感動していたとばかり思っていたのが、実は「佐村河内」=メッセージ2に感動してメッセージ1を聴いていただけ、つまり間違って聴いていたということ」に気づいて不快感を覚えた、ということなのである。

 そう。どれだけ大勢の「佐村河内ファン」が「音楽」ではなく、「物語」を楽しんでいたか、ということだ。

 米誌が、彼の“物語”を「現代のベートーヴェン」と紹介したのは、全聾という彼の設定がベートーヴェンと呼応するという意味でだっただろうが、それだけでなく、ベートーヴェンが、音楽よりもむしろ、その人の物語によって尊敬される作曲家であることが含意されていたはずだ。
 で、これはわが国でとくに濃厚・顕著なファクターなのである

 けれども、ベートーヴェンの楽曲と、その“物語”との関係は、あくまで楽曲(群)が先行する。
 例の《月光》ソナタの逸話も、「運命が戸を叩く」の“物語”も、「ハイリゲンシュタットの遺書」の意味も、彼の「楽曲」の説得力を、同時代のヨーロッパ人が耳で聴いて認めたのちに派生してきたことだ。

 佐村河内氏は、これを逆転して、“物語”を先行させて大儲けをしおおせたのである。
 ここには、「楽曲」よりもまず「物語」だ、というわが国の音楽享受の、一種、“伝統”が与って決定的に機能している。
 音楽家の身体的障害や「不遇」と、それを克服して美しい音楽を奏で、それが認められる、という“物語”、これが何よりも味わわれ、感動され、讃美される。

 今回の件で鮮明に思い出したのは、『はてしない物語』におけるミヒャエル・エンデのメッセージだ。
 『はてしない物語』は、ファンタジーの世界=「ファンタージエン」と、それに関わる主人公たちのお話である。

 「ファンタージエン」は、いつしか「虚無」に侵食されはじめる。ファンタージエン内の住人たちは「虚無」に呑み込まれ、私たちの「現実」に流れ込んでくる。
 虚無に呑まれて現実界に流れ込んだファンタージエンの存在は、どうなるのか。

 作中、ファンタージエンの住人で主人公の一人でもあるアトレーユに、同じくファンタージエンの存在・人狼グモルクがこの事態を語る件りがある。

 グモルクがアトレーユに聞く。
 「おまえ、虚無を見たことがあるかい、ぼうず?」
 アトレーユは、
 「何度も見た。」
 「どう見えた?」
 「盲(めしい)になったようだ。」
 「うん、そうだろ。― そこでだ、おまえたちがその中にとびこむと、そいつがおまえたちにとっつく、その虚無がだぜ。おまえたちは伝染病の病原みたいになって人間どもを盲目にしちまう。やられた人間どもは見かけと現実の区別がつかなくなる、とこういうわけだ。あっちでおまえたちのことをなんて呼んでるか知っているか?」
 「知らない。」とアトレーユは低い声でいった。
 「虚偽(いつわり)だよ!」グモルクは吐きだすようにいった。

(『はてしない物語』上田真而子・佐藤真理子訳、岩波書店、1982年、200頁)


 この前後の、「虚無」と「虚偽」についてのアトレーユとグモルクの対話には、まことに尽きない意味・示唆がちりばめられていて、ここ十数年の日本社会を考える上にも味わうべきものがある。
 エンデとその代表作の、じつに端倪すべからざる(← この表現、やや本来の使い方とズレるので、訂正。3.16)測り知れないものを実感するが、“佐村河内物語”にどっぷり浸った人は、まさにエンデのいう「虚偽」の毒に侵されていたのだ。

 重要なのは、この(本来の意味での)「物語」をグモルク=エンデのいう「虚偽」に変換することによって、むしろ大勢が「感動」し、「夢」を育み、生きることの糧にしているのが現今の日本社会だ、ということだ。
 この「虚偽」は、内容が事実であるか虚偽であるかは、この際問題ではない。

 佐村河内事件は、モロの「虚偽」であったゆえ、まさにエンデの警告が容赦なく的を射た形になった。
 東日本大震災以後、世は、真偽を問わずこの種の「物語」を喧伝し、「絆」を連呼することを美とし、正義とすることに腐心し続けてきた。
 むしろこの風潮に異を唱えることを圧迫的に禁ずるような雰囲気が固まりつつある。

 そのいっぽうで、日常的に老人たちが「オレオレ詐欺」に遭い続けている。
 被害者たちは、むしろ積極的に犯人の作り出す“物語”に乗ろうとしているかの如くだ。

 もう削除されていると思うが、CDの発売元・日本コロムビアがYouTubeに、かのNHKの制作した特番の映像を使ってだったろうか、“感動的な”Vをアップしていた。
 そこでは、指揮者やヴァイオリニストが、楽曲のすばらしさを讃えていたけれど、演奏に当たって、作曲者に具体的に表現や奏法を ― 手話通訳を介してでも ― 直接質すことはなかったのだろうか、という疑問は強く残る。

 NHKは、原子力発電の過去と原発の現在を、憚ることなく伝える姿勢を示していて、それはそれであっぱれなのだが、“佐村河内事件”の責任は、どう取るのかわからない。

 原発被害報道も、じつは「あと出しジャンケン」であることも、受信料を払っている視聴者は忘れてはならない。
 NHKが、いかに憚ることなく、これまでの原発行政・原発運営の問題を報道しても、そのことによって故郷に帰還できるようになる避難者は、たったのひとりさえもいないのである

 さて ― 最後はジョーダン。
 オーディオ機器に手を入れ、あるていど納得のいく音が出るようになると、私はシンフォニーを大音量で鳴らし、・私が作曲者でもなく、・私が演奏者でもなく、・私がマエストロでもないのに、スピーカーに向かって得意になって指揮をしている^^。
 最近はこれを、「サムラゴーチル」という動詞(ラ行五段活用でもタ行上一段活用でもOK^^)で表現しておりまス。

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  • 2017.08.15 Tuesday
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  • 18:24
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コメント
お久しぶりです。

障害や不幸をスパイスにしてマーケティングを行っていると感じる例はクラシック界に多い気がします。
その多くにNHKが係わっているのも何かしら偶然とは思えず非常に違和感があります。

前提として、クラシック=高尚(高度、権威、etc.)という世の中の思い込みがあり、そんな難しい世界にハンディを持った人間が果敢に挑戦し成功しているというファンタジィが好まれるんでしょうか。
  • Phoenicia
  • 2014/03/10 10:00 PM
Phoeniciaさん、お久しぶりです。

‘板はすべて捨てた’旨、Nallyさんを訪問された折りおっしゃったとか、Nallyさんのブログで拝読した記憶が…。
小生、「板」しか音源がなく、低価格皿回し機に執着しております^^。

>その多くにNHKが係わっているのも何かしら偶然とは思えず非常に違和感があります。
これは、‘柳の下のドジョウ’ではないでしょうか。いったん美味しいケースに出会って「またクラシックで何か…」。
とはいえ、違和感著しいものがあります。いったんきちんと後始末しないと、震災復興や原発の報道も信頼を得られなくなります。

>クラシック=高尚(高度、権威、etc.)という世の中の思い込みがあり、‥‥
クラシック・ファンとしては、こうした「世の中の思い込み」にこそ大きな違和感があります。
背景には、実際にクラシックが好きな、ないし日常聴いて楽しんでいる人はごく僅かだ、ということがあり、こういう事態でそれが露呈します。

佐村河内氏の《HIROSHIMA》に感動したという通販サイトのレビューにも「クラシックは初めてだが」というものが多かったように記憶します。

困ったことは、こういうプロモートをする側は「クラシックを聴く人が少しでも増えれば」というのですが(ほんとうにそう思ってはいるでしょう)、実際には音楽より「物語」に感動しているだけで、大勢の人がそこから、違う作曲家のすばらしい作品の数々を味わうようになっているとは到底思えないことです。

ポップスで身体的障害を「物語」にして売り出す例がないのは、単純にポップスの世界が身体的健常と一体の‘ルックスのよさ’を条件としているからに過ぎないと思います。
クラシック以外でも、音楽そのものではない「物語」がアピールされ過ぎているように感じます。
  • へうたむ
  • 2014/03/11 1:16 AM
へうたむさん

お邪魔します。KMです。

これは私の持論ですが、クラシック音楽は、Jazz, Rock, Pop など他のジャンルの音楽よりも、メディアの発展のお陰で、かなり世に親しまれるようになったと思います。佐村河内さんは、これをうまく利用しましたね。

私は今、54才ですが、私が高校、大学の頃、音楽を聴く道具は、LPレコード、モノラルカセットテープレコーダーでした。なにしろ、VTRも家庭に普及してませんでしたよ。VTRは、高くて買えなかったのです。したがって、オペラ全曲を映像で見る機会は、テレビで放送されるのを1度ないし2度、見れるだけで、あとは、FM放送の同じ音源をラジカセに録音して鑑賞してました。1980年前後のことです。まだ、ソニーのベータと、パナソニックのVHSが、争っていた頃です・・・多分・・・
あと、その頃、「私はオペラが好きだ」と言ったら、変人扱いされました。そんな時代でした。
いまは、ロンドンはポールでしたが、ソチは、アンナ・ネトレプコ。
長野は小澤でした。
繰り返しますが、佐村河内さんは、

>佐村河内河内氏の《HIROSHIMA》に感動したという通販サイトのレビューにも「クラシックは初めてだが」というものが多かったように記憶します。

これをうまく利用しましたね。

廉価盤CDのお陰で、今は、大作が安く手に入る。当時、LPレコード(たとえばワーグナーの指輪)3万円以上した音源が、高くても一万数千円で手に入りますね。ネットの普及のお陰で、輸入盤が手に入るようになったし・・・。私は、たしか、1984年頃、ブーレーズ指揮「ニーベルングの指輪」(レーザーディスク)を70000〜80000円ぐらいで購入した記憶があります。いまは、いくらか知りませんが、いや・・・ちょっと調べて来よう・・・

>『ニーベルングの指環』全曲&ドキュメンタリー ブーレーズ&バイロイト(1980 ステレオ)(8DVD)輸入盤¥7,380(ただし日本語字幕ついてない)

>『ニーベルングの指環』全曲 ショルティ&VPO(CD)¥16,065(歌詞対訳なし)

当時、私はシノーポリ指揮マーラー5番(CD)を3500円で買いました。今は1050円で売ってます。
(私事ですが、上記の代物は全部、私の自宅の火事で燃えてしまいました。)
SACDも、クラシック音楽に合ったメディアだと思います(理由は、簡単、クラシックはアコースティックだから)。
私が持ってるプレーヤはマランツsa-7s1, sa-11s1(SACDプレーヤ)だし・・・。ついでにスピーカStirling HW, アンプLux L-560, 12畳の完全防音の新築リスニングルーム(家具を置いたら少し音が悪くなった。でも、かなり快適です)。

Jazz, Rock, Pop に、SACDの最新録音ってありますか? 多分あるでしょうね。

さっきの《HIROSHIMA》に感動した人は、本当に感動したのなら、これからも《HIROSHIMA》その他、佐村河内さんの音楽を聴き続けていいと思います。佐村河内作品は、意外に良いですよ(作曲手法が長崎ちゃんぽんなのが面白い!)。佐村河内さんの「ピアノ・ソナタ」は、シュトックハウゼンの冴えない作品に比べれば聴き応えあるかも知れん。支離滅裂さはシュトックハウゼンに勝っている。さて、

>演奏に当たって、作曲者に具体的に表現や奏法を ― 手話通訳を介してでも ― 直接質すことはなかったのだろうか

このコメントを書いたのは、上の一文が目についたからです。
私が指揮者または演奏者だったら、どう演奏したら良いか分からない音が1ヶ所でもあれば、絶対に、入念に、そして作曲者を一晩中、追いかけ回してでも質しますね。「解釈はすべて君に委ねる」と言われたら、やりにくいぞ〜。総譜にも、パート譜にもミスプリ(つまり誤植)の可能性あるヨ。
「音が半音違うのじゃないか」とか、気になり始めたら、夜も眠れなくなりますよ。<作曲者が生きているのに確認できないならネ。

耳が聞こえないうえに、頭鳴症その他の病に冒されている<つまり、佐村河内さんは、それもうまく利用しましたね。健康を害している人に、「ココと、ココと、ココと、ココと、ココと、ココと、ココは、こう演奏したいのですが・・・」と質すのは「物理的」に不可能?

しかし、まんまとだまされました。私も・・・。
といいながら、ヤフオクで、《HIROSHIMA》落札しました。意外に名曲だったりして、、、、、。
  • KM
  • 2014/03/11 2:06 PM
KMさん、コメントありがとうございます! ‥‥いや‘浩瀚’なるコメントです^^(汗;)。

>クラシック音楽は、Jazz, Rock, Pop など他のジャンルの音楽よりも、
>メディアの発展のお陰で、かなり世に親しまれるようになったと思います。
この要素は大きいと思います。
アーティストの苦労話という「物語」がたっぷり盛れるという面をよく利用します。
J-Popに関しても、とくに大震災以後顕著に感じますが、「物語」を異様なまでに押し出すのは、ちょっと不快さえ感じることもあります。
アンジェラ・アキさんに関してなど、そういう雰囲気があります。

>私が高校、大学の頃、音楽を聴く道具は、LPレコード、モノラルカセットテープレコーダーでした。
LPはほんとうに高価でした。そして輸入盤を聴き出すと、国内盤の音のワルいこと!
ステレオは、私の中学時代(ただし不登校で留年時)に、やっと家で購入しましたが、録音機はモノーラルのテープレコーダー…今もナショナルの Kiloctor D RQ-152が手許に^^。

>(私事ですが、上記の代物は全部、私の自宅の火事で燃えてしまいました。)
罹災のこと、たっちんさんのブログから存じ上げたと記憶します。たいへんなご経験でした…。
私のほうは、自身の限りない困窮化により、どんどん生活費と化し、CD枚数は減っていきました…。
基本的にオペラのファンではないので、『指環』は弟からもらったサヴァリッシュ盤だけ、です。

>SACDも、クラシック音楽に合ったメディアだと思います
SACDは、私は財政的に買えないだけで、原理的にはPCMのCDよりよいと思います。
現今の1ビット・タイプのDACは、CDプレーヤー搭載チップでも、最終段はDSDタイプになっています。

>私が持ってるプレーヤは‥‥‥‥12畳の完全防音の新築リスニングルーム
ご苦労の末築き上げられた‘お城’と拜察します。ひとつひとつに思いを込められた部屋と機器であることでしょう。
私のシステムは、拙ブログでご覧のとおりの最安価品ばかり、少し手を入れて何とか聴けるように、としたもので、しかもこれでマーラー、ブルックナーをそこそこの音量で味わおうというのですから、より高価な機器をお持ちの方たちより、はるかにハードな道のりです;;;。

しかも、この貧弱なシステムとCDライブラリー(と部屋!)ですら、いつ放棄しなくてはならなくなるかわからない経済的・職業的困窮に、年々歳々陥っていっており、それは私自身の無能と怠惰によるものだということも自覚しております。

>さっきの《HIROSHIMA》に感動した人は、本当に感動したのなら、これからも
>《HIROSHIMA》その他、佐村河内さんの音楽を聴き続けていいと思います。
全くそのとおりだと思います。
気になるのは、「何だ、騙されたのか!」と、佐村河内さんのだけでなく、クラシックを聴くことをも放棄する人が、少なからずいそうなことです。
「物語」から引き込まれた聴き方の浅さ・脆弱さです。

>>演奏に当たって、作曲者に具体的に表現や奏法を ―
>>手話通訳を介してでも ― 直接質すことはなかったのだろうか
>このコメントを書いたのは、上の一文が目についたからです。
なるほど! これは私も落とせないと思って書きました。とはいえこの件は、佐村河内氏の件を年上の知人と話していたとき、その人が「演奏家がぜったいに作曲者に細かいことを聞いていたはずだ。そうでないと演奏でけへんで」と言ったことで気づきました。

指揮者の大友直人氏、ヴァイオリニストの大谷康子さんらは、NHKの番組(からの抜粋と思しい日本コロムビア・アップのYouTube)で楽曲を絶賛していましたが、実際の演奏に至るまでのコミュニケーションで、どこかオカシいと気づいていないはずはないと思うのです。

>「音が半音違うのじゃないか」とか、気になり始めたら、夜も
>眠れなくなりますよ。<作曲者が生きているのに確認できないならネ。
でしょ^^!!

>といいながら、ヤフオクで、《HIROSHIMA》落札しました。
今ほど‘高騰’する前に、定価よりちょっと安く買っておこうかな、と思ってはいましたが、他に欲しいCDが山ほどあって買わずじまいに終わりました。
YouTubeで、後半部を聴いたことがあります。
最後の静かな、癒しに満ちた部分はとても美しいのですが、混乱・騒乱・悲劇を表わす部分の喧騒は、何とも評し難いものを感じ、交響曲というより劇伴だと感じました ― 佐村河内名義のゲーム音楽もすべて新垣氏の作ですから、当然かも。
また貴ブログでのレビューを楽しみにしております。
  • へうたむ
  • 2014/03/11 8:27 PM
KMです。また書きます。

>指揮者の大友直人氏、ヴァイオリニストの大谷康子さん
>どこかオカシいと気づいていないはずはないと思うのです。

まさか、気づいてたんじゃないのかね。

>演奏者であるソン・ヨルムに対しては、「この曲は人間の感情が全て詰まっています。超絶技巧を備えているだけではなく、人格的にも素晴らしい彼女だからこそ演奏できるし、彼女が演奏してくれることによって、曲の真価が発揮できると思っています。」と述べ、新作「ピアノ・ソナタ第2番」が、佐村河内守からソン・ヨルムへ、演奏の感謝の意味も込めて献呈された。
http://www.billboard-japan.com/d_news/detail/13089/

>演奏は佐村河内自身が白羽の矢を立てた新進ピアニストソン・ヨルム?
>超絶技巧?
>曲の真価が発揮できる?
>献呈?(誰が誰に?)耳が不自由な人が?

ここで、私を含めてみんなが気づくべきだった。

しかし、耳が不自由な人に「あんたほんとは聞こえてるんでしょ?」とは言えない。

本当のこと言うと、最近、クラシック音楽業界は低迷してます。
それで、みんな、偶像と「物語」を待望してたんでしょうか・・・
この物語は、ほんとに、ネバーエンディングだ。情けなや。
  • KM
  • 2014/03/11 10:00 PM
結構温めていた記事だったのでしょうか。
ようは物語性でくいつくようなやつはすぐにだまされて原発とか振り込め詐欺でいいようにやられる。
本質を見抜けば騙されることはない!
とういことでしょうか(T_T)
因みにこの方、事件になって初めて知りました^^;
  • きゃーる
  • 2014/03/11 11:40 PM
KMさん、

>まさか、気づいてたんじゃないのかね。
映像の中で発言しているということは、この事件に何らかの責任を負っていると言わざるをえません。

曲だけ聴かされた評論家が絶賛することはむしろ罪が軽く、実際の演奏=リアライゼーションに携わり、細かい疑問に遭遇したであろうはずの演奏家たちが、どのような意識でことばを発していたのか、実はそちらのほうが糺されるべきことだと思います。
これは、CDやテレビ番組制作にかかわった、つまり佐村河内氏に近くで接したすべてのスタッフに関しても言えることです。

>ここで、私を含めてみんなが気づくべきだった。
う〜ん‥‥‥おことばに反論するようですが‥‥この記事を見るかぎり、こちらにはあまり不自然さはないようにも…。
さすがに「ソン・ヨルムさんのすばらしい演奏…」なんて言ってませんし(大笑)。

>>献呈?(誰が誰に?)耳が不自由な人が?
耳の不自由な作曲者が「献呈」できないとしたら、ベートーヴェンはだれにも自作を「献呈」できないことになっちゃいませんか?

>みんな、偶像と「物語」を待望してたんでしょうか・・・
これは大きいかもしれません。
障害を持った演奏家としては、梯さんや川畠さんの前例があり、「不遇」の物語としてはフジ子・ヘミングさんの報道があって、佐村河内さんの場合は「物語」としてそれらをも上回る壮大な人間ドラマになる、と、本人も周囲も全部、関わった人の「ちょっと待てよ」的疑念を圧し潰すくらいの期待があったに違いありません。

このあたり、関わった人びとには「ちょっとおかしい」という疑念があったに違いありませんが、それを排除するくらいの現実感・期待感を持ったのですから、このメカニズム、オレオレ詐欺や投資詐欺の被害者心理に似ています。

クラシック業界の低迷にも原因はあるのでしょうが、こうした「物語」でもってアートでもスポーツでも、はたまたビジネスでも美化しないではいられないメディア(だいたいテレビですが)の風潮には空オッソロシいものを感じます。

何でも‘感動’に持ち込まないとしようがなくなっています。「深イイ話」なんていう言い方にもそれが。

>この物語は、ほんとに、ネバーエンディングだ。情けなや。
痴話げんかよろしく訴訟合戦に^^‥‥ネバーエンディングであると同時に「すでに終わっている!!」問題でもあります。
かかわったスタッフ、演奏家の人びとには、「騙されていた、被害者だ」だけですまされない倫理問題が残ります。それだけはきっちりオトシマエ、ということばがヤクザなら、「検証・総括」してもらわなくてはなりますまい。

佐村河内氏本人の心理は、たぶん、母親のためにと思ってネックレスなどを盗んだ子供が「何してるの!」と怒られ、「お母さんが喜ぶと思ってやったことでどうして叱られるの?」と訝っている、というところでしょう。この人物の倫理感はそのレヴェルです。
  • へうたむ
  • 2014/03/12 1:54 AM
きゃーるさん、

>結構温めていた記事だったのでしょうか。
そ〜ですね〜‥‥温めていたともいえるし、勢いで書いちゃったともいえるし^^。

>本質を見抜けば騙されることはない!
あ、う〜ん、それが「本質」=楽曲のクオリティを見抜いていた人でも「物語」には取り込まれかねないのが問題なんです。

原発は、客観的情報から「危ない」と判断する人も多かったわけです。
その点でこちらは振り込め詐欺のほうに近いでしょう。

いちばん気になるのは、すべてにわたって、かつての「一杯のかけそば」的な感動物語に仕立てずにはいられない風潮です。
「一杯のかけそば」は実はあまりよく知らないんですが、ある面他愛ないウソ、ちょっとした創作美談だったようですが、この種の「美談」にすべてを仕立てずにおかない力学がメディアを牛耳っているのが、不快千万です。

それゆえ、M.エンデの「ファンタジー界からそのままの形で現実界にやってきた存在は、「虚偽」になる」という警告が思い起こされました。
  • へうたむ
  • 2014/03/12 2:16 AM
長文注意の、KMです。

佐村河内氏とソン・ヨルムが同じ音楽事務所サモン・プロモーションに所属していた。よって、佐村河内氏は彼女の実力や技巧、演奏家としての個性をよく知っていた。としても・・・献呈しちゃだめ!と断言はしませんが・・・私は、これ、いま考えると少し変だと思います。

ベートーヴェンの「ピアノ・ソナタ」で、プロの音楽家に献呈されているのは、最初の3曲(ハイドン)ぐらいじゃないかな〜。ベートーヴェンの作品の被献呈者は、ほとんど、貴族でしょう。プロの演奏家に献呈されているものがあるかなあ〜。そういう視点で、ベートーヴェンの作品を見たことは、私はないので・・・。あ、「クロイツェル」は、たしか、ヴァイオリニストだった。

ベートーヴェンの作品の被献呈者で有名な人はルドルフ大公、それから、その「作品名(ニックネーム)」が示すとおりピアノ・ソナタではワルトシュタイン伯爵、24番テレーゼ伯爵令嬢。弦楽四重奏ではラズモフスキー。
ベートーヴェンは女好きだったから、女性に捧げられたものが多いと思う。有名曲「エリーゼのために」があるし。

作曲家が演奏家に作品を献呈したケース。しかも、20世紀以降の作品の場合、その一つに、「ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番」があると思います。その作品はダヴィッド・オイストラフに献呈されています。その曲は、まさにオイストラフのための作品と言っていいでしょう(つまりオイ、その協奏曲はオイストラフとの共同制作といってもいいほど。第4楽章の開始はオイストラフが口出したらしい。第3楽章カデンツァから第4楽章冒頭へ独奏ヴァイオリンが休みなく弾くのはやり過ぎだと、オイストラフが言って書き直されたということを、私は読んだことがある。ただし出典不明)。
そして、オイストラフの演奏(モノラル録音)は、いまでも決定盤です(私のブログ参照のこと)。
http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-ee76.html

ベートーヴェンがある演奏家が演奏することを念頭に書いた曲は多分ある・・あるいは多いかも知れません。
たとえばベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、あるヴァイオリニストのために書かれたのですが、そのヴァイオリニストの力量に合わせて、あまり高度な技巧で書かれていない。しかし、それは、逆の例であり「超絶技巧の演奏家に献呈」となると、上記のショスタコを私は思い出します。そして、作曲家が演奏者に曲を献呈した場合、私が前提とするのは、普通、「作曲家がその演奏者の演奏を聴ける」「佐村河内氏が、ソン・ヨルムの演奏を聴ける」です。

以上は、前置きです。というのは、このトピックはあまり面白くない。私の個人的意見ですから。

それより、気になっているのは、

>最近、クラシック音楽業界は低迷してます。

と、私が書いたことです。

ニューアルバム(新譜 <--- 懐かしい表現ですね)を探すために、私は、HMV.co.jpのクラシックトップページをよくチェクするのですが、いま見たら、一番上、

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古い音源ばっかり。死んだ人の演奏ばかり・・・よく見ると全員死んだ人だ!。これら、新譜と言えるのか? しかも廉価BOXが多い・・・そのほうが、確実に売れるのだ・・・

http://www.hmv.co.jp/news/article/1401300032/

私は埋もれた新人アーティスト、若い20代の演奏家を私は好むのです(まことに不思議なことに、若い美女が多い・・・もう若手じゃないけど、ヒラリー・ハーンとか)。
そういう演奏家がどんどん出現しているという意味では「クラシック音楽業界は低迷」していません。
しかし、かつてのカラヤン、ベームのような、ドル箱スーパースターは、いなくなったと言ってもいい。
クラシック音楽ビジネスは古い財産の焼き直しが多くなる傾向あり。そのほうが確実に売れる。
そしてその利益で若手をスカウトしデビューさせる。ユーチューブで、ヒットした人をデビューさせる現象もある。一方、新人が売れるかどうかは未知数。特に現代の新人作曲家は、商品化しても赤字でしょうネ。

「佐村河内がいないとクラ
  • KM
  • 2014/03/13 4:25 PM
KMです。

前のコメントは、途中で切れて良かった。変なこと書いてましたから。

また訂正

>ベートーヴェンがある演奏家が演奏することを念頭に書いた曲は多分ある・・あるいは多いかも知れません。

これ間違いですね。

ベートーヴェンの周囲にはすぐれた演奏家がいた。特に、後期の弦楽四重奏曲などは、その人たちのために書かれています。
  • KM
  • 2014/03/13 4:35 PM
KMさん、

>長文注意の、KMです。
はい、‘長文警報’発令中^^! …歓迎でもあります。

>プロの演奏家に献呈されているものがあるかなあ〜。
なるほど〜‥‥西欧音楽における「献呈」の意味・実例、あまり考えていませんでした。
ある名演奏家を念頭において、というのは、ブラームスの場合のリヒァルト・ミュールフェルトとか、いろいろありそうですが、「献呈」という形はめったに生じないのですね。

>普通、「作曲家がその演奏者の演奏を聴ける」「佐村河内氏が、ソン・ヨルムの演奏を聴ける」です。
ふむ、この論理では佐村河内氏は確実に自身の耳でソン・ヨルムの演奏を聴いての上ので「献呈」だ、となりますね。
佐村河内氏としては、「物語」を演出する方法として「献呈」が効果的、と踏んだに違いありません。

>私は、HMV.co.jpのクラシックトップページをよくチェクするのですが、いま見たら、一番上、
 (中略)
>古い音源ばっかり。死んだ人の演奏ばかり・・・よく見ると全員死んだ人だ!
十数年前からこれが実状かと‥‥内容的にはやはり優れている、でしょう。

>私は埋もれた新人アーティスト、若い20代の演奏家を私は好むのです
私の場合は、これは経済的理由に多く由来しますが、新人(ないし、自分が今まで聴いていない)アーティストのディスクを買うことは激減しています。
といって、HMVのトップページを飾っているような過去の名盤の激安大量BOXも買いません。

若いアーティストの業績をしっかり追うことは、音楽界の発展にとって大事ですが、私はお金がなくてそれが不可能な上、けっきょくすでに物故している過去の巨匠の、いわゆる‘レコ芸名盤’的なディスクが、生活=人生のある一定時間を割いたことに対する見返りが、とても大きいと実感するようになってきています。

私は、兵庫県在住の年上の知人と、オーディオや音楽のことでよく電話で話しますが、地元の兵庫県立芸術文化センター(阪急・西宮北口駅。行ったことはありません)などで開催される比較的安価なコンサートには、近隣の老若男女が大勢訪れ、いつもかなり盛況だということです。

実演のレヴェルでは、意外とクラシックに接するようになっている人びと(とくに高齢者)は増えているようなのですが、レコード(CD、SACD)ということになると「スター」がいないということがビジネスとしての活気を失わせているのは事実でしょう。

>特に現代の新人作曲家は、商品化しても赤字でしょうネ。
>「佐村河内がいないとクラ…
作曲は‥‥難しいでしょうねえ。
2ちゃんねる的な掲示板に書き込まれていた…ような気がする、のですが、新垣 隆氏が、自身名義で、佐村河内作品のような、旧来の非-無調的手法を多用し、ある面‘ベタベタ’な感情表現を目ざす楽曲を発表することができただろうか、それができないから佐村河内氏に乗っかった、というような意見があったかも(私の創作かも^^;)。

(レス前半、以上)
  • へうたむ
  • 2014/03/13 6:55 PM
KMさん、続きです。

>前のコメントは、途中で切れて
JUGEMのコメントは、投稿時に「xxx字までです」という警告でシャットアウトしないのですが、字数オーバー・コメを投稿後に確認すると尻切れになっています。こういうのは各ブログ・サイトにあって、困ります…。

いっぽう、KMさんのココログでは、常用している Google Chromeからだと、エディタで書いた文章をコメント欄に右クリックでペーストしようとしても、フォーム上の右クリック・メニューが出ず、ペーストできません。
私は、長めのコメントの場合、必ずメモ帳に書いたものをコピペしますので、ブラウザを QtWebに変えてコメントさせていただきました。

おっと、佐村問題からはますます離れました。

各地にできているコンサートホールには、意外に多くの人びと、とくに高齢者がオーディエンスとして定着してきているようなのですが、この層、「レコードを買って聴く」という習慣が、ついに戦後70年で身につかなかった人びとでもある、と思うのです。

若い演奏家たちの演奏技巧は、知人によれば「最近の子ら、モッノスゴクうまいで」とのこと。
そんな若い演奏家の快演に、大勢の人々が拍手を送るのですが、それが「ディスク」の販売には何ら結びつかない。

これは、「オーディオ」の定着の仕方とも関わっていると思います。
そこそこの出費でクラシックが味わえる、という機器がけっきょく定着しなかった、というのが実感です。

よく伺うオーディオ系ブログのブロガー諸氏は、だいたいクラシック以外が主体のようで、いっぽうクラシック鑑賞が人生の一部になっているような方で、音に敏感な方は、ブログで書かれなくとも、高価な機器をすでにお持ちの場合が多そうで、私のような、お金はないがいい音でいい演奏を聴きたい、という者は最も居場所がありません。

私はあと約3年で還暦‥‥オーディオやディスクをいつまで手許に置けるか、それ以前に、いつまで生きていられるかを考えると、「一定時間を割く価値のある音楽」を限りなく求めます。

先日、通販サイトのレビューで高評価の、ゲヴァントハウスQのベートーヴェン全集(NCA)を求めました。
その前にブダペストQの全集(Sony)を入手し、あまりに晦渋な音響にちょっと退(ひ)いてしまい、音が美しいと評されるゲヴァントハウス盤を買いましたが、聴いてみるとこの演奏には全く「ベートーヴェンを感じない」のです。
皮肉な/面白いことに、ゲヴァントハウスQ盤に嫌気がさすのに比例して、ブダペストQ盤のよさが沁みてきました。

こんなことも、新しいアーティストのディスクに食指が動かない理由です。

とりとめない結末になりました m(^_^;)m。

(Concluded.)
  • へうたむ
  • 2014/03/13 7:28 PM
こんばんは。

なんとも色々な考察があり…読むのが難しかったです。
相変わらず、へうたむさんらしい「チクチク」したコメント…意地悪ですね(笑)

私はクラッシックには、造詣もなく興味もないので追求しないタイプです。
またクラッシックは高尚な音楽と言う風潮は確かに感じますし、それに対して抵抗感もあります。
キット屋の店主さん、逸品館の店長さん「私はクラッシックを知っているから…」と言う枕詞を聞くと、読むと虚しくなります。
「そんなにクラッシックが偉いの?」と言いたくなります(笑)
竹宮恵子の漫画を読んで欲しいですね(笑)

 佐村河内守さんの話に私は選民主義ではないですが「大衆」と言うものを感じずにはいられません。
インターネットもそうですけど大衆で左右される世界で、原理原則を知っていても大衆にねじ曲げられますし、それを貫き通す勇気や強靭な意思を持ち続けていられるか…。
「それでも地球は回っている」と言い続けられるか(笑)
 原理原則と言えば、私の場合、オーディオや音楽より内燃機関に知識も経験も知恵も深いので、どんなにメーカーが屁理屈をこねても見ぬく力がありますし、どれだけ大衆が騒いでも動じない自信があります。
そこは論理が成り立ち、計算で割り出され、実験で実証できますから(笑)
非論理的な考察は、ロマンであり、ポエムでしかありません。

そんな意味で最近オーディオに限界を感じています(笑)
ロマンであり、ポエムであることが横行する…。
そろそろ潮時かもしれないです、嫌気がさしていますm(__)m
もう少し音楽と回路に対し原理原則を知っていて、知識と知恵と経験があれば…。
もちろん努力すればいいんですけど…あまりにオーディオは私を含め非論理的な状態ですから(笑)

すいません、つまらない話でしたm(__)m
  • Nally
  • 2014/03/13 11:41 PM
Nallyさん、こんばんは。

>相変わらず、へうたむさんらしい「チクチク」したコメント…意地悪ですね(笑)
これは、コメントをくださっている KMさんも私も、クラシックを中心に聴いているファンだからこのようなレスになっている、ということがあります。
クラシックを聴かない音楽ファン、オーディオ・マニアから見ると、意地悪というより差別意識、ないし非礼に感じられるかも…。

いやいや、決して「Classical Only!」のサポーターじゃありませんよ^^!!

>キット屋の店主さん、逸品館の店長さん「私はクラッシックを知っているから…」
>と言う枕詞を聞くと、読むと虚しくなります。
>「そんなにクラッシックが偉いの?」と言いたくなります(笑)
クラシックを聴かれないリスナーから見ると抵抗があるでしょうね。
しかしひとつハッキリ言わなくてはならないことは、クラシックはオーディオ・ソースのきわめて重要な一部分を成しているということです。

これは、全く「クラシックを聴かないオデオ・マニアはダメ」というような意味ではありません。
しかし、どんなにすばらしい機器・システムでも、ベートーヴェン、マーラー、ブルックナーのそれぞれ「第九」をそこそこの音量で鳴らして馬脚を現わすようなものはニセモノだ、ということだけは申しておいてよいと思います。

もちろん、クラシックだけはうまく鳴るけれどもアップビートな楽曲だとモタつく、というのもダメですが、機器設計のモニタリング音源として、クラシック各分野は絶対必須だと思っています。

まさにお使いのスピーカーが「ベートーヴェン」! ‥‥‥いまだに「マッカートニー」、「ひばり」なんていうネーミングは聞いたことがありません‥‥「ひばり」くらい、国内ガレージメーカーが出してもいい^^?
おっと、上は冗談8割で。

>佐村河内守さんの話に私は選民主義ではないですが「大衆」と言うものを感じずにはいられません。
同感ですね。この「選民主義」は「大衆」の中に根づいているもので、「クラシックは高尚」という感覚と一体です。
この感覚が、クラシックに馴染んでいるファンからするとたいへん不快であり、上の KMさんもそのことを感じられた部分もあると見受けられます。

>どんなにメーカーが屁理屈をこねても見ぬく力がありますし、どれだけ大衆が騒いでも動じない自信があります。
佐村河内問題、オーディオ、いずれも Nallyさんの内燃機関とはかなり違う要素を持っているのではないでしょうか。
佐村河内さんの問題は、記事中の新井氏が指摘するように、「見抜く」話とは違うところ(=ただし2ヶ所)にコトの本質がある、のです。

佐村河内さんの作品と称する楽曲が、それなりによかった、しかし作者が違った、という問題+みんなが「物語」にして酔った、という点。
オーディオは‥‥真実(の論理と計算)が何かわからない部分が多すぎます(爆)。

(レス1)
  • へうたむ
  • 2014/03/14 12:32 AM
…続きです。

>非論理的な考察は、ロマンであり、ポエムでしかありません。
>そんな意味で最近オーディオに限界を感じています(笑)
オーディオは、工学・理学にかかわりながら「ロマンとポエム」に逃げられる場をあらかじめ作っている、ないしそこで稼ごうとしてきましたから、ウソかホントウか、どうにでも言える、加えて、その分野を知らない人には、ほとんど○○詐欺まがいのことも言える、ということになります。

ある方が、オーディオ機器のセッティングの本で、ステレオ機器のRCAプラグは、プラグの構造から見て左右が同じ向きになるように差したほうが音がいい、と書いているそうです。

また以前、ややオカルト的オーディオ・ファンの間で「トルク・マネジメント」ということばが真剣にささやかれ、スピーカー・ユニットなどの取り付けネジ、その他ビス類の締めつけトルクを精密にコントロールすることが大切と言われていた記憶があります。

もし上のことがらが重要かつ効果的なら、マニアは、機器の中身をすべて検証し、すべてのパーツ、基板のビスのトルク・マネジメントをし直さなくてはいけませんし、もっと言えば、内部のパーツ配置やコネクタ配置からやり直さなくてはいけなくなります。

そんな超-当たり前のことを無視して、見えるところだけ(←ここ、大事です^^)「左右を合わせて」「トルク・マネジメントを」という物言いが成り立つということが、ほとんど“詐欺まがいの世界”だと思う所以です。

とはいえ、抵抗からフィルム・コンデンサーまで方向性を合わせることが何らか音に影響がなくはない限り、「詐欺まがい」は「詐欺」ではないのです。
オーディオは、論理と実証による真/偽2値の問題と、およそ真偽の判断から遠く離れたロマンとポエムとの、長〜〜〜〜〜〜〜〜〜い間隙に在るものだ、ということでしょうか。

いっそうとりとめのない話になりました m(_ _;)m。

(レス2)
  • へうたむ
  • 2014/03/14 12:54 AM
KM、深夜便です。

ブダペストQとゲヴァントハウスQのベートーヴェンを聴き比べるのは面白いと思います。

さて、わざわざ夜中に書き込むトピックは、

ベートーヴェンは、自分が書いた作品が弾かれるのを聞いたことがあるのか、と、おもって、
「作曲家別ライブラリー ベートーヴェン 音楽之友社」のピアノ・ソナタ第23番《熱情》のページを見た。

文字数節約のため、簡潔に書くと、

・《熱情》についてのエピソードで、事実として認められる興味深いエピソード
・(マリー・ビゴーが熱情を)「まったく完全に弾いてのけ、ベートーヴェンを大いに喜ばせたという(原文のママ)」<ーーーこれを読んだ時、私は目が点になった。

あるいは、ベートーヴェンは、マリー・ビゴーの運指や身体の動きを見て、つまり視覚的情報にて「マリーが、完全に弾いてのけた」のを知覚した・・・
う〜〜〜ありえない!と、思う。

私は別府アルゲリッチ音楽祭で彼女を生で聴いたことがありますが、その演奏を見たとき、確かに、視覚的に驚かされました。
彼女はプロコフィエフ3番を演奏したのですが、彼女は、鍵盤をほとんど見ない、指揮者も見ない。桐朋学園学生オーケストラとアイコンタクトばかりしてた。彼女のオケへ気配りに驚かされた。勿論、演奏も完璧。
あの難しいプロコフィエフを、アルゲリッチは全然難しそうに演奏していなかった。なにしろ、オケのほうばかり見て演奏していたのですから。
彼女の演奏は、鮮やかに、私の「目」に焼き付いてます。

しかし、もし音声が全然聞こえなかったら・・・

もし、あなたが、アルゲリッチがプロコフィエフを演奏している「映像」を見るとします。ただし、音声なしで。

それが、いくら素晴らしい演奏であっても、それはあなたを大いに喜ばせることはないと思います。音声なしでは。

佐村河内問題はおもろいが、難しく考えるのはおもろくない。

この問題をすぱっと斬る視点というか切り口がないかなぁ・・・それを探しています。
へうたむさんの切り口、M.エンデは、良い切り口ですが、難しい。

ちなみに、ベートーヴェンは本当は「耳が聞こえた」というのは、ウィキペディアに「メッテルニヒ政権説」として載ってます。
  • KM
  • 2014/03/14 1:15 AM
KMです。

あれ! 深夜便を書いていたら、コメントが増えてた。

Nallyさん

オーディオ・トピックの場に、クラシック音楽を持ち込んで、うだうだと、理屈、ごたくを並べるのは、良くないと思いながら、ついつい熱が入りました。しかし、

>クラシックはオーディオ・ソースのきわめて重要な一部分

クラシックの生演奏を聴いてみたら、分かると思うのですが、クラシックの演奏は、PAなしです。楽器の音がそのまま聞こえます。私は、その音に近い音を追求しています(オーディオの音として)。

私が、良いオーディオだと看做すもの。それは、眠たくなる音です。
田舎に行って、自然の音(川のせせらぎ、鳥の声)を聞いていると眠ってしまう。そういう音です。

しかし、勿論「オーディオ=クラシック」ではありません。ジャンルは問わない。オフコースでも、泉谷しげるでも、天地真理でも、良い音は良い音です。
  • KM
  • 2014/03/14 1:54 AM
昼夜逆転、KMです。また、ていせい

「アルゲリッチは指揮者も見てなかった」じゃなくて、
学生オケの演奏が難しいところにさしかかった時、指揮者のチョン・ミョンフンに、「ここは指揮に注意しろ」と、シグナルを送っていたように思えた。つまり、アルゲリッチが、指揮者を指揮していたみたいだった。

ついでに、オーディオトピック

「人間の声」も、オーディオ選びのとき、大事な試聴音だと思います。若い頃の中島みゆきとか。
  • KM
  • 2014/03/14 2:59 AM
KMさん、こんばんは。

>深夜便です。
>昼夜逆転、KMです。
私もほんとうに昼夜逆転‥‥いや、もうちょっと仕事のある時はちゃんと起きて行くんですよ〜~~;。
KMさんお仕事に差支えませんか〜(と、私が言う話じゃない…)。

Nallyさんへのリコメを書いたあと、パーツを探してました。
ヴィシェイ社の MBR110というショットキーバリア・ダイオードが、逆電流が少なくてよさそうなんです。
同じようなのがわが国の老舗・日本インターから出ていますが、逆電流(逆方向漏れ電流)が違う!
やっぱりアメリカは‥‥おっと、ゼンゼン違う話でした m(_ _;)m。

><ーーーこれを読んだ時、私は目が点になった。
>ちなみに、ベートーヴェンは本当は「耳が聞こえた」というのは、
>ウィキペディアに「メッテルニヒ政権説」として載ってます。
あちゃ、ベートーヴェンの‘聴こえていた’疑惑ですか。
いやもうかまいません、彼は自分で書いたんですから^^;。

>佐村河内問題はおもろいが、難しく考えるのはおもろくない。
>へうたむさんの切り口、M.エンデは、良い切り口ですが、難しい。
ふむ〜、2文を併せて拝読すると、「へうたむの切り口はおもろくない」になります^^。
私はやはり、佐村河内事件を佐村河内問題だけのことと捉えず、今日のわが国社会の、「何でも異様なまでに感動物語化しようとする潮流」の好例と考えたいのです。

いっぽう、佐村河内事件それ自体を複雑に考えるのにも興味はなく、しかしこの物語生成に関わったテレビマンと音楽家たちの「おとしまえ」だけは強く求めます。
あとは、STAP細胞と同じく、時間が勝手に処理してくれるでしょう。

>オーディオ・トピックの場に、クラシック音楽を持ち込んで、
こちら、Nallyさんへのおことばですが‥‥私のところは、オーディオだけではなく(そうだと手持ち材料が貧しすぎてとても持たない)、音楽、世事、それに何より困窮しゆく私自身のグチばらまき場なので、オデオ・サイドからお越しになる方でクラシックを聴かない方には、意味がないか、ご不快になる部分は出てくるかもしれません。

私も‘歌謡曲’、ジャズなども聴いて楽しみますが、自分の「思い」というようなものにいちばん呼応するのはロマン派のクラシックが圧倒的です。
その「呼応する」ジャンルがお人によってとりどりであるのは当然のことです。
が、クラシックを楽しむファンの多くが、内外ポップスもジャズも楽しむのに対して、ポップスやジャズのファンは、しばしばクラシックは全然楽しまれないのは、ちょっと残念な気がする、のは確かですね。

ちなみに、私、R&Bですがネヴィル・ブラザーズは好きで、最近《イエロー・ムーン》を買いました。《ファミリー・グルーヴ》もそうですが、彼らのディスクの音のよさにも驚嘆します。そしてアーロン・ネヴィルのハイ・ヴォイスの美しいこと!

>「人間の声」も、オーディオ選びのとき、大事な試聴音だと思います。
そうですねえ‥‥これについては、生理的にクラシックの発声は若干抵抗があり、オペラを好まないのはその辺かも。
そうそう、まんま《人間の声》というオペラ(プーランク)、ありました。もう手放してしまっていますが…。
能や声明の声も、面白いものですが、あの倍音の多い響きは、Ocoraレーベルの録音でも盛大に歪んでいます。
  • へうたむ
  • 2014/03/14 4:15 AM
おっと、SBDはMBR1100でした。
  • へうたむ
  • 2014/03/14 4:16 AM
KMです。最近不眠症で眠れないんですよ。仕事は休日出勤です。

オーディオは、Stirling HW、Lux L-560、marantz sa-7s1が最強ですね。ただ、火事で焼失した部屋は、掘っ建て小屋みたいな部屋で、響きが、時々、いびつなのが面白かった。いまは、ウエストミンスターを鳴らせる広さの部屋。Stirling HWが、まともになってしまった。しかし、大音量で聴けるのは快適! 二重窓、断熱材で防音しましたから。

>へうたむさんの切り口、M.エンデは、良い切り口ですが、難しい。
>ふむ〜、2文を併せて拝読すると、「へうたむの切り口はおもろくない」になります^^。

いいえ、そうじゃありません。へうたむさんは、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」(Die unendliche Geschichte)を原作でお読みなんでしょう? 私は、映画でしか見てないので、「はてしない物語」の意味するところが分からない。
この作品は、レベルの高い考察をするとき、よく引用されますね。

私は、ジャズもロックもPopsも、いま低迷しているんじゃないかと思います(これも低迷イコール必ずしも悪い意味ではありません)。

私は西山瞳さんを追っかけてたんですけど・・・彼女が博多に来た時、聴きに行ったら、彼女は私が彼女に送ったメールのことを覚えてくれてました。しかし、その後、火事になり、それ以来、彼女を聴かなくなりました。
大西順子はカムバックしたと思ったら、また消えてしまうし・・・。

ヒラリー・ハーンが「27の小品」という現代曲集を出しましたが、それらの作曲家は小粒に思えました。

新垣氏が書いた「鎮魂ソナタ」は、エンターテインメントとして聴くと、いい作品ですよ。この曲は、映画音楽として最適じゃないかな。
作品としては「鎮魂ソナタ」は長過ぎる。それに失敗作だと思います。しかし、ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番も、長過ぎたので改訂して短くされましたし・・・ブルックナーなんて、優柔不断作曲家の代表だったし・・・。
新垣氏も、少しずつ、良い曲を書けるようになったかも知れなかったのに・・・。

私は、佐村河内スキャンダルは、思わぬ方向に展開して欲しいと思っています。パンクロックみたいな現象が起きればいいと思っています。
  • KM
  • 2014/03/14 7:56 AM
KMさん、

>オーディオは、Stirling HW、Lux L-560、marantz sa-7s1が最強ですね。
すばらしいシステムでしょうね。私が何回生まれかわっても手にできないような品々です。

今手を入れている Marantz CD5001は、マランツのCDPで最安価帯だったものです。定価で SA-7S1の、たしか1/23です^^;。
これの回路図を入手し、少し換えて効果のあるパーツを換えてみよう、というところです。
回路図を睨んでいろいろ考えるのは、やはりやめられません。

>大音量で聴けるのは快適!
こちらも羨望の極みです^^。
私のところは、周囲が騒音に敏感ではなく、意外に大音量で文句を言われません。
ただ、そのために2LDKを借り、超-低収入者としてはあるまじき暮らし、なのかも><;。

>へうたむさんは、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」
>(Die unendliche Geschichte)を原作でお読みなんでしょう?
はい、原作、ですが邦訳の初版(現実界とファンタージエンとで印刷インク色を変えています)で読みました。
映画『ネバーエンディング・ストーリー』は、エンデ自身が「自分が原作者だというクレジットをはずせ」と訴訟を起こした(確か敗訴)と記憶します。
映画版は、バスチアンがファンタージエンに行ってから大いに迷う部分が、すっぱりカットされている、そのあたりがエンデの気に食わなかったのだと思われますが、映画版は映画版でよくできていたと思います。

EMIから出たサントラ盤は、愛聴盤でもあり…^^。リマールの歌ったテーマソングは、日本語版は羽賀研二が歌っていましたが…。

そっちはおいといて、エンデが同作で提起した「ファンタジーとは何か」というテーマは、じつに重いものがあります。
ナチスを経験した文化からこそ出てきた、という…。

西山 瞳さん、う〜ん、存じません。ジャズはさらにコンテンポラリーな方たちは聴かず…。

>私は、佐村河内スキャンダルは、思わぬ方向に展開して欲しいと思っています。
ふむ〜、そっちもありかも。‘思わぬ’ですから、今から予想しないほうが面白そうです^^。

で、では、パーツ屋さんに見積依頼メールも出したし、お酒飲んで寝ます〜。 (((^o^;)
  • へうたむ
  • 2014/03/14 8:25 AM
初めまして。
佐村河内氏問題を非常に興味深く感じ、様々な記事やブログを回りながら自身の考えを整理し・・・と続けている中で、こちらにたどり着きました。
この問題に「はてしない物語」を絡めて論じている方は初めてで、驚きをもって拝読いたしました。
私はクラシックに詳しくありません。問題が起こるまで、佐村河内という名を聞いたことすら無かったのです。
スタートラインにすら立っていなかった人間です。
ですが、この問題はそのような人間さえ惹きつけてしまう程、あまりに面白すぎます。
ブログ主様が指摘されているように、人間の心理、それも「触れられたくない」「タブーとされる」心理の問題が絡んでいるからです。
クラシックそのものを愛し、様々な角度で勉強されている方々にとっては、それほど大騒ぎする類の問題ではないと推測しています。
この手の問題で大きな心理的ショックを受けるのは
「世間的に高尚とされる趣味を嗜む自分、そのことにある種の自信と優越感を抱いている」
「障碍者を何の悪気もなく見下している(見下している事に本人は気づいていない。又は過剰に神聖視している。子供・老人・動物に対してもその傾向が強い)」
「折角美談と信じ切って酔ってたのに、俺に恥をかかすのか!」
「非常に純粋」
これらにあてはまる方々かと思います。

沢山のブログを回ってきたわたくしですが、コメントさせて頂きたいと思ったのは貴ブログが初めてです。決め手の文章はこちらです。

>佐村河内氏本人の心理は、たぶん、母親のためにと思ってネックレスなどを盗んだ子供が「何してるの!」と怒られ、
「お母さんが喜ぶと思ってやったことでどうして叱られるの?」と訝っている、というところでしょう。
この人物の倫理感はそのレヴェルです。

まさにこれです。ここを指摘している記事は、こちらの記事以外に見つかりませんでした。
先日の会見を見てすぐに感じたのですが、佐村河内氏は、一般的な詐欺師で言うところの「戦略的思考」を取れる方では無いと思います。
ヒーロー願望の大変強い、小さな子供の倫理観のまま身体だけ育ってしまった大人のように見えたのです。
「自分を認めてほしい、ヒーローになりたい」という欲求は強いですから、悪気なく嘘を重ねます。
バスチアンもこの状態でしたが。
本人に悪気がないのだから反省しようもなく、周囲の人間がいくら真摯な謝罪を求めても、おそらく無駄でしょう。
その意味で、本人も、巻き込まれた方々も、両方にとって悲劇です。

初見なのに長々と書き込んでしまい申し訳ありません。
佐村河内氏の言動や行動について、複雑にこねくり回しすぎた意見ばかりが目立っていて
「彼は(良くも悪くも)子供である」と指摘している所が無かったので、共感を得た思いでコメントさせて頂きました。
  • さおとめ
  • 2014/03/15 6:20 AM
さおとめさん、はじめまして。

>この問題に「はてしない物語」を絡めて論じている方は初めてで、
なるほど、そうでしたか。
私はむしろ、騒動の起きた時に、「あ、これ、エンデの警告にドンピシャの事例だ〜」と直感し、かなりの方が『はてしない物語』の「虚偽」とからめて言及しているのではないか、と、「佐村河内 エンデ 虚無(or 虚偽)」でググっておりました‥‥が、おっしゃるように期待した行文は見当たりませんでした。

>スタートラインにすら立っていなかった人間です。
この事件、クラシック音楽は、内容的に大いに関係はありますが、クラシック音楽自体とは無関係に、わが国社会のひとつの大きな「傾向」を表わしているという側面こそ重要だと思います。
それゆえ、
>そのような人間さえ惹きつけてしまう程、あまりに面白すぎ
るのだと思います。

>この手の問題で大きな心理的ショックを受けるのは
>(中略)
>これらにあてはまる方々かと思います。
たいへん簡潔かつ的を射抜いたご指摘、まさにそのとおりだと思います。
そうであるからこそ、今回の騒動は、佐村河内氏自身の問題もさることながら、偽装発覚以前も含めて“佐村河内現象”のほうにこそ考えなくてはならない病根が伏在しているのです。

そして、このような現象の内実が、まさに(真のファンタジーを軽んじるゆえに立ち現われる)「虚偽」が大活躍する事態である、というミヒャエル・エンデの警鐘だと思ったのです ― ‘真のファンタジー’とは何か、などはもちろん答えのないものですが。

>ヒーロー願望の大変強い、小さな子供の倫理観のまま身体だけ育ってしまった大人のように見えたのです。
そのとおりだと思います。
それゆえに、今回の騒動は、佐村河内氏自身が今後責任を追及されるべきである側面と、そのような、
>小さな子供の倫理観のまま身体だけ育ってしまった大人
を、ここまで「感動の物語」として喧伝してきた社会の側の病理の深刻さに気づくべき課題とがあり、後者のほうが当然重要なのです。

>バスチアンもこの状態でしたが。
そうでしたね^^。もう四半世紀前に読んだので、細部は‘印象’として残るくらいなのですが、あの、バスチアンのファンタージエンでの堕落と気づきが、エンデが「人間にとって物語、ファンタジーとは何か」を渾身で描いたものだったのでしょう。

ここ十数年のわが国社会を覆う、すべてを感動と美談に祭り上げようとする潮流には、エンデの警告は何ほどの役割も演じなかったようです。
とくに東日本大震災後の‘感動物語の押し売り[←テレビ番組批判の街の声として取り上げていました]’は、もはやエンデの言う「虚偽」をもって「真実」とする、そう受け取れない者は去れ、というような雰囲気です ― これはもちろん、伝えられる物語が[虚偽]であるということではなく、です(お分かりいただけると思いますが)。

毎年3万人を越える自殺者を、もう十数年輩出し続け ― これだけで都市ひとつ消滅しています! ― あげくのはてに「今年は自殺者が3万人を切りました!」と、年間2万数千人の自死をまるで慶事のように伝える口調。
かつては、文化史を伝えるために必要だった店舗や旅館の名称さえ、個々の企業名に当たるとして番組内で出演者に触れさせなかったNHKが、私企業の業績宣伝を、‘感動の物語’としてダダ流しに流す(←これらはどちらも異様で、硬直している証拠です)。
― こういったことは、異常さがあるレヴェルを超えて、だれも感じなくなっている重篤な状態と言わざるをえないと思うのです。

‥‥さて、当方こそ、長すぎるリコメになりまして恐縮です。
  • へうたむ
  • 2014/03/15 11:53 AM
KMより

STAP細胞ストーリーの主人公もまた、

>ヒーロー願望の大変強い、小さな子供の倫理観のまま身体だけ育ってしまった大人のように見えたのです。
>「自分を認めてほしい、ヒーローになりたい」という欲求は強いですから、悪気なく嘘を重ねます。

が、当てはまるような気がする。
  • KM
  • 2014/03/17 2:40 PM
KMさん、

STAP細胞の件は、まだ不明なことが多すぎて…。

小保方さんについては、博論のコピペ問題も出てきていて、研究者としての資質がどうなのかということ、それに理研の論文作成システムがどうなのか、という問題があります。

会見での野依氏の発言は、彼女へのしかるべき批判とともに、一人の若い研究者に重責を負わせすぎたのでは、という感想が言外に聞き取れました。

学部学生が、文系理系を問わず、レポートに‘無断コピペ’を繁用するのはもう慣習になっていますが、その慣習の中で育ってきた人が研究者になり、公の目に曝されるところでそれをやって露見し、バッシングされている、というような事情も読み取れて、情けない文化状況をこそ‘曝して’しまったわけです。

記事で重視しました、‘感動物語への病的依存’は、スポーツはもちろん、理系のノーベル賞受賞報道などにも顕著です。
今回もその現象が起きた、という次第です。

では、私個人は、この種の「物語」がキラいなのかというと、逆にたいへん好きで、ケーブルのブランド「ゴッサム」の創業者の話などを突っついたことがあります:
http://bluegourd.jugem.jp/?eid=197
(現在、このブランドのスピーカー・ケーブル使用中)

今回のことで、「理研」というブランドにも傷がつかざるをえないでしょう。
西洋近代科学・技術の、わが国への定着と発展のシンボルともいえる機関。
理研由来の企業は、「理研コンツェルン」:
http://www.riken.jp/outreach/applied/history/combine/
として我われにも親しまれてきています。

このうち、理研栄養薬品は‘ふえるワカメちゃん’の理研ビタミンの前身と思われますし、理研電具は、かつてオーディオ自作派が重宝した、リケノーム抵抗器の製造元です。
コンドームのオカモトも、一時期社名が「岡本理研」だったように、理研ゴム(理研護謨)を合併しています‥‥おっと。
‥‥‥というような「物語」がありますね^^。
  • へうたむ
  • 2014/03/17 7:03 PM
毎度、オーディオトピックじゃないKMです。すみません。

へうたむさんの「ゴッサム」「理研コンツェルン」分かりませんでした。睡眠不足で頭が冴えない。

さて、日曜日の「アッコにおまかせ」という番組には、チラッと出てきたが、
ウィキペディアには堂々と書いてある。

>研究室のピンクや黄色の壁や、実験時の割烹着などは、メディア戦略のための演出だったことが判明している。

>割烹着についても、小保方と理化学研究所広報チームや笹井芳樹によるメディア戦略の一環として生まれたアイディアだった。

似てます!!!
佐村河内氏の長髪、ヒゲ、サングラスと。
  • KM
  • 2014/03/18 12:03 AM
KMさん、おはようございます^^;。
Marantz CD5001のパーツ交換、やっと終わってメシ食ったところです;;。

理研コンツェルンについては、Wikipedia:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%86%E7%A0%94%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
にあります。

>ウィキペディアには堂々と書いてある。
その典拠:
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20140315070914336
のほうを見ますと、小保方さんはむしろ担ぎ出されたような感じで、チームとしての戦略だった、みたいです。
他にも、研究者を焦らせる異常なほどの業績主義、等々、‘裏側’の事情を指摘する書込みなども多いです。

関与した人びと、それぞれの責任と、何よりSTAP細胞の真偽がきちんと明かされるべきです。
  • へうたむ
  • 2014/03/18 5:09 AM
オーディオじゃない長文。KM(非番)です。

へうたむさん、女性に甘いですネ
私は女性に弱いけど甘くはない・・・つもり。

大和雅之東京女子医大教授 ←悪
米ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授 ←悪
笹井芳樹理研副センター長 ←悪
若山照彦山梨大教授 ←悪
丹羽仁史プロジェクトリーダー ←悪
早稲田大で常田(つねだ)聡教授 ←悪

しかし、一番の悪は、「悪のリーダー」すなわち、小保方(おぼかた)晴子ユニットリーダーだと思いますよ。
この人は、自分が正しくないと思いつつ、研究してたんでしょう? 急いでたんですって? つまり、自分の研究が間違っていることを知っていて、それをやめずに、終いには、発表してしまった。バレるのは分かりきっているのに・・・。いい度胸だ!というよりただの馬鹿!
この人、データの典拠も知らんし・・・「ファイルの色が似てたから間違えた」って、あんた幼稚園児ですか?

上記悪人たちは、STAPが本物かどうかはどうでもいい。
STAPは偽物でも構わん。ダメでもともと。

しかし、死に至る難病患者や、死を宣告された癌患者など、藁をつかむ人々には、「ぬか喜びさせてごめんネ」では、すまないでしょう。

身近な例で考えてみましょう。

>私の家が火事になりました。
>力を貸そうと色んな人がやって来ました。
>しかし、その人たちのうち多くの人の言うことは、でたらめでした。
>私の家の火事の場合、知ったかぶりの馬鹿の「でたらめ」によって「実害」を被りました。

小保方晴子氏の「でたらめ」もまた、場合によっては、人間の生命にかかわることで、実害を被らせるよ!

=

だが、「そんなことは、いまだから言える」と、思われるかも知れませんが、
やっぱり、科学者は、ムーミン、ピンクの壁、割烹着はダメ!
なぜなら、命がけで、人の命を救う人が、「ねえ、ムーミン」とか歌う余裕あります? そんな余裕ないよ。意識不明重体の人を蘇生させるって楽じゃないよ。たとえば、自分の肉親を助けるときに「ねえ、ムーミン」?
(小保方晴子氏は医師じゃないけど、仕事は人の命に関わることですよね)

ママを喜ばせるために嘘つく人が、人の命に関わる仕事をしていいの?
いいえ、ダメです! 私は、いますぐ言わせてもらいます:「いますぐやめなさい!」

佐村河内作品聴いて人が死ぬことはないでしょうが、「偽STAP」で人が死ぬことはあり得る。

最後に、本物の「STAP細胞」は、現在の科学では作り出すのは無理かもしれませんが、存在すると思います。
  • KM
  • 2014/03/18 8:38 AM
KMさん、

>女性に甘いですネ
う〜ん‥‥かもしれません。

>大和雅之東京女子医大教授 ←悪
>米ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授 ←悪
>笹井芳樹理研副センター長 ←悪
>若山照彦山梨大教授 ←悪
>丹羽仁史プロジェクトリーダー ←悪
>早稲田大で常田(つねだ)聡教授 ←悪
>しかし、一番の悪は、「悪のリーダー」すなわち、小保方(おぼかた)晴子ユニットリーダーだと思いますよ。
‥‥‥‥
実状がまだよくわかっていないので、私は何か決めつけ的な物言いはしたくないのです。

>佐村河内作品聴いて人が死ぬことはないでしょうが、
>「偽STAP」で人が死ぬことはあり得る。
この辺は、具体的にどのような事態なのか、ちょっと想像しがたく…。
そもそも、「偽STAP」=「STAP細胞は(小保方グループの言う形では)存在しない」のですから、「存在しないものの使用によって患者が死ぬ」ということは考えづらいことです。

ただし、おっしゃるとおり、
>死に至る難病患者や、死を宣告された癌患者など、藁をつかむ人々には、
>「ぬか喜びさせてごめんネ」では、すまない
ことは真実ですから、「象徴的には、人を殺す」行為だといえるでしょう。
しかし、その意味でならまさに、佐村河内氏の罪も決して軽いとは言えますまい。


>やっぱり、科学者は、ムーミン、ピンクの壁、割烹着はダメ!
これは、問題が発覚する前に感じられた、思われたことですね?

もし、問題が発覚してからそう感じられたのなら、彼女ら(とメディア)の「物語」にすっかりハマっておられたことになります。
おっと! …失礼しました!! こんな質問をする、疑問を抱くこと自体が KMさんに対してまことに非礼でした m(_ _)m。
これは、どうあっても、会見報道時にそうお感じになったということで、それ以外ありえない。

私は個人的には、科学者がどのような研究スタイルを取ろうが、勝手だと思っております。
今回の事件は、一般市民も長く忘れず、関わったそれぞれがどのような過失を犯したのか、責任があるのか、じっくり見つめて批判し続けることが不可欠だと思います。
  • へうたむ
  • 2014/03/18 2:55 PM
KMです。簡潔に書きます

私は3/24まで外泊予定。上のコメントを補足します・・・と書いてる最中に、へうたむさんのコメントが来ました。よかった。

結論
・この話題は、このブログの限界を超えていると思います。要専門家(要オブザーバーですね)。
理由
・クラシック音楽はすいすい分かる。
・それに比べると「生命科学」は意見交換や議論が難しいと思います。
・個人の思想・信条・倫理観・哲学その他にまで話題が拡大するでしょう。
・例えば「研究対象」と「研究スタイル」の問題について。
・私はハゲなのですがその場合、研究対象はハゲ。
・「研究スタイル」は基本的に自由でいいです(危険が無い範囲で。つまり育毛剤も要人体実験でしょうが、治療・技術のリスクは小さいと思う)。
・しかし・・・
・研究対象が「生命科学」の場合、目的は実用化。そして「研究スタイル」は人体実験です。医学および科学を臨床の場に持ってくると必ず人体を使って実験することになると思います(iPS細胞の場合、「加齢黄斑変性」を治療する臨床研究の実施を条件付きで了承(厚労省))。
・そもそも、オーディオ・トピックじゃない。

・ところでSTAP細胞とは
ウィキペディアによると
>刺激惹起性多能性獲得
>これまでの学説では、いったん皮膚などに育ち、役割が定まった細胞が、万能細胞になることはありえないとされており、生命科学の常識を覆す
>STAP細胞に増殖能を持たせたものをSTAP幹細胞と呼ぶ[8]。医療への応用が期待されているのは、厳密にはSTAP幹細胞である[8]。
>iPS細胞との比較
>STAP細胞はiPS細胞では作ることができない胎盤を含むすべての細胞に分化できる
>マウスSTAP細胞の樹立(仮説)
>「植物のほか、動物の中でもイモリは傷つけるなど外からの刺激を与えれば、万能細胞化して再生する。ヒトを含めた哺乳類でも同様のことが考えられないか」

>小保方 晴子 (おぼかた はるこ、1983年6月29日 - )
>2014年1月28日、「外からの刺激で体細胞を初期化することにより、全ての生体組織と胎盤組織に分化できる多能性を持った細胞(STAP細胞)を作製する方法を世界で初めて確立した」と発表。
>『Nature』誌2014年1月30日号に論文が掲載
(以下、KMの文章)
STAP細胞は、仮説でしたが、小保方氏がそれを作製する方法を世界で初めて確立し『Nature』誌2014年1月30日号に論文が掲載された。しかし、それは捏造だったことは、ほぼ間違いない。

簡潔にするつもりが・・・まだあります。
失敗は成功のもとですから、小保方氏はさっさと謝ればいいのに。何故彼女は謝らないか。やっぱりやましいことがあるのです。バレると分かってやってしまう。なぜ、すぐれた頭脳を持った人があんなことやるかなあ〜。
それは病気ですね。
その病気治す方法を研究すべし。

佐村河内守の次は小保方晴子。その間、2ヶ月経ってないよ〜

しかし、、、気がついたら、次を期待する私であった。
  • KM
  • 2014/03/18 4:49 PM
KMさん、

>結論
>・この話題は、このブログの限界を超えていると思います。要専門家(要オブザーバーですね)。
そんなところではないでしょうか。
何より、要・経過観察、ですね。

>・研究対象が「生命科学」の場合、目的は実用化。そして「研究スタイル」は人体実験です。
>医学および科学を臨床の場に持ってくると必ず人体を使って実験することになると思います
そもそもいいかげんな研究だったら、ここまでたどりつけないでしょう。
はるか臨床以前の再現実験の段階で疑念が生じているわけですから。

>やっぱりやましいことがあるのです。バレると分かってやってしまう。
その辺のニオイはプンプンしますねえ。

>すぐれた頭脳を持った人があんなことやるかなあ〜。
もしかしたらそんなに優れた頭脳を持ってはいなかったかも。
とにかく今の状況では、消えたフィリピン機の如く、よくわかりません。

>気がついたら、次を期待する私であった。
あはは〜、正直な書きぶりと拝読します^^。
マジメな話を ― KMさんの論法で ― するなら、こんな「人を殺す」ようなウソは二度と起こってはいけないのでは。
ですが、この「期待」、私も無いといったらウソになります。

このところ連投でいただくコメントは ― 率直に申します ― ちょっと感情的過ぎるように感じます。
エンデの警告したような「物語」に乗っかって楽しんでおられる面がある、というように見受けられます。
ただ、意識的に「乗っかる」ことと、無意識に「乗せられる」ことは違い、意識的に楽しむ・批評するのはアリかと思います。

「ウソ」の話とは位相が異なりますが、・車を暴走させて人を轢きまくる ・すべての友人から乖離するほど狂った日常生活が殺人にまで至る ・有名漫画家を妬んで嫌がらせに熱狂する ・人道的見地から評価される図書を破壊しまくる、といった‘道(倫)’をはずれた若者たちの事件を連続して聞くにつけ、おぞましいと同時に、心中「オレ、もっと切れそうなんやけど」と思って、「次、何が起こるんかな〜」とテレビを見る、この自分の心のおぞましさと、そのおぞましさの中に厳と存する「自分が(生きられなくなりかけながら)生きている感覚」を、味わわない日はありません。
― おっとっと、ちょっとアブない話でした。
 こっちはまた別に記事を書こうかと思うのですが、書きづらいです。
  • へうたむ
  • 2014/03/18 7:05 PM
>消えたフィリピン機の如く、
マレーシア機でした…。
  • へうたむ
  • 2014/03/20 12:33 AM
KMです。

>このところ連投でいただくコメントはちょっと感情的過ぎるように感じます。

私には「焦り」があります。

失礼ながら、

へうたむさんが、しばしば、口にされること(経済的不安)を私は読み過ごしてはいません。私にも当てはまりますから。

その「焦り」の正体は何かと言うと、それは「死」です。私(54才)は火災によって「手を伸ばせば手が届くところに存在した私の過去」をすべて失いました。

私は、いま、どう生きるかじゃなくて、どう死ぬかを考えています。そして、私は、未来を強く知りたくなりました。それと同時に、何かを世に残したいのです。

「手を伸ばせば手が届くところに存在したものがすべて消える」
私は軽く考えてました。しかし、甘かった。
私がまだ20代か30代なら、リセット、リスタートができたと思います。
しかし、あと1月で50才になる日に火災に遭い、気がつけば、あっという間に、4年経ちました。

ご迷惑でなければ、今後もコメント続けさせて下さい。
  • KM
  • 2014/03/20 12:38 PM
KMさん、

>しばしば、口にされること(経済的不安)を私は読み過ごしてはいません。
いたみいります‥‥こういうおことばには、心底しみじみと感じます m(_ _)m。

>その「焦り」の正体は何かと言うと、それは「死」です。
>どう生きるかじゃなくて、どう死ぬかを考えています。
重いおことばです‥‥‥。
「生」の、いろいろな意味での「破れ」を経験したり、「破れ」への不安に寄り添って暮らしたりしていますと、生よりも「死」のほうに意識が向きます。
そのことは、私は異なる方向・位相からでしょうけれど、じわじわと気持ちに沁み込んでくる、あるいはゾッとする一瞬を味わいもします。

>「手を伸ばせば手が届くところに存在したものがすべて消える」
このような衝撃的な経験は、私はしておりませんので、このお気持ちは、真の意味では私には理解しえない、と申さざるをえないでしょう。

私の場合は、幼少時から、自分が社会で生きてゆけそうもないという精神的・身体的な脆弱さを感じ続け、社会化から逃げ、見せかけの社会化・就労も、当然のことながらどんどん失われてゆき、それは慮外の経験ではなく、「そうだろうな、仕方ないな〜」ということばかりでした。

ずっと築き上げてこられた人生を歩まれた方が突然の災厄に見舞われることは、これは私などには思い描きがたい衝撃であることでしょう。

>私がまだ20代か30代なら、リセット、リスタートができたと思います。
ふむ〜‥‥なるほど…。
私は、そのような「20代か30代」を一切持たず、もし幼少期に戻りえたとしても、同じことであるのがわかります。


>今後もコメント続けさせて下さい。
私のような反応でよろしければ、喜んで^^ノ!!

衝撃的な災難には幸い遭遇してはおらず、しかしずっと喪失と衰退を重ねて、ますますその不安に駆られ、「死」に並んで「老」と「貧」が迫りつつ、逃げに逃げまくっている私の「焦り」は、KMさんの「焦り」とは内容を異にするものと思いますが、そのような「焦り」とは、焦りつつもじっくりと同居しなくてはしようがないものか、と思う次第です。

やや反論するが如きリコメも許していただくなら、今後もお付き合いくださいませ m(^_^)m。

P.S.こちら:
http://www.geocities.jp/bluegourdscastle/bookreview/book-ueyamakazuki-01.html
に、自らの引きこもりを描いた上山和樹氏の著書への感想にことよせて、自分のことを書き散らしております…。
  • へうたむ
  • 2014/03/20 5:57 PM
KMです。箇条書き
・私を受け入れてくれてありがとうございます。反論大歓迎。私も反論します。
・私が自分の名前を最初に書く理由は、このページ、「本文」のあとに「名前」だから、です。便宜的な理由です。自己顕示ではありません。
・「『ひきこもり』だった僕から」を注文しましたよ。へうたむさんを理解するには必読。488円でした。
・「「おまえは異常ではない」「おまえには異常なところはないから、登校などを免れることはできない」「おまえは異常かもしれないが、その理由で登校などを免れることはできない」「おまえは、異常性を持っているにせよ、そのことを周囲は顧慮しないよ」というメッセージ。この4種のうち、あと2種はどうも最近になって気づいてきたようだ。」上山氏の著書とともに考えてみます。
・私がしばしば外泊する理由。私は父と二人住まいなのですが、自宅では眠れないのです。友人宅でないと、眠れない。今日は一時帰宅。父は今日からとうとう「おむつ着用」です。父は歩行できます。したがってトイレ、入浴は一人で出来ます。
・私も「手を伸ばせば手が届くところに存在したものがすべて消える」の意味が分かりません・・・「カオス」という言葉のほうがわかりやすいかも。
・あと16年で70才。カオスが消るまでに、あと何年? 時間が足りない。というのが私のいまの心境です。あ〜、こう書けば分かりやすいな〜。
・私も半ばニートですよ。父に食わせてもらってます。少し不労所得あります。将来は、生活保護かも知れない。
・さて、こんな文章ばかりを書いていると「KM」という書き出しは、無視される。

よって本題。

数日後到着予定のの佐村河内作曲交響曲《HIROSHIMA》私のブログで、感想書きます。
私は、まず、この作品を、先入観なしに聴いてみます。そうするよう努力します。

  • KM
  • 2014/03/20 7:52 PM
また、書き忘れ。

私は火事の前の日まで、『死』なんて、まったく、もう全然、考えたことありませんでした。
  • KM
  • 2014/03/20 8:31 PM
KMさん、こんばんは。へうたむです^^。

>へうたむさんを理解するには必読。488円でした。
ありがたいおことばです‥‥が、私とは別個に、この本はなかなか面白いと思います。

>‥‥上山氏の著書とともに考えてみます。
上山さんと私とは、これまた全く違うキャラだと思います。
上山さんは、小学生時代などはとても楽しく元気に過ごす、健康優良児タイプだったようです。
私は、小学校から学校生活が非常にイヤでした。

お父様の介護、に近いご状況なんですね。存じませんでした。

>あと16年で70才。カオスが消るまでに、あと何年? 時間が足りない。
う〜ん‥‥これも難解な表現でありながら、‘なるほどな〜’と合点する面も。

私のほうは、「時間が足りない」感は、あまりなかったり^^。
あと数百年あっても、何もしないかも、何も解決しないかも、わからないかもしれません。
寿命が延びれば、暮らし向きの不安が募るだけ‥‥(また言っちゃった^^)。

>数日後到着予定のの佐村河内作曲交響曲《HIROSHIMA》私のブログで、感想書きます。
楽しみです。

>火事の前の日まで、『死』なんて、まったく、もう全然、考えたことありませんでした。
なるほど。

私は、「死」そのものはいまだに深刻には考えたことはないのかもしれません。
むしろ「生きていいけるのか」ということばかり感じています。

世の多くの、正就職し、勤め上げた人なら、退職時にも周囲から労われ、社会生活・家庭生活でそれなりの役割を果たした感触を、精神的・経済的余裕とともに味わうことと推測します ― いや、そうでない人びとも多いとは思いますが。

非常勤職を事情で辞職した時、ある教授から「いやあ、もう身を退く時期だよ、ぼくも」と、同じラインにいる目線で、懇親会の席で声をかけられた記憶があります。
しかし、その教授は生涯賃金を得たあと、莫大な退職金を受け取り、同僚に「お疲れさまでした」と労われ、ことによれば名誉教授号も付く。

いっぽう、私は、なけなしの非常勤給をもらって終わりで、かつそれを「不遇」ではなく、「おれはそれでも厚遇されすぎたかもしれない、おれはこういう世界に来るべきではなかったかもしれない」ということぐらいは自覚しつつ生きるしかないのです。

今夏の誕生日で、私は58歳になります。世の「58歳」の男性、という意識もキャリアも、何ひとつないことに驚くばかりです。
何の「節目」もなく(イヤな経験はありましが)、非-社会化青年、いや少年がそのまま時を重ね、‘まだ首を吊らずに生きている’というのが実態です。
いつももそうですが、仕事の端境期にはとくに昼夜逆転し、中学時に不登校状態で昼夜逆転していた自分が、そっくりそのままいるのです。

こうした状態で生きているゆえか、この年齢にふさわしい? 「疲労感」、「衰退感」というものも、ありがたい(?)ことに、あまりありません。
というのも、若い時からいつも疲れ、衰えていたので、この歳になって、というものは極少です。
日々、トガってゆく感じです。

おっと、こちらが長くなりすぎました^^;;。
  • へうたむ
  • 2014/03/20 9:18 PM
KMです。

交響曲《HIROSHIMA》感想文を書きましたが、うまく書けませんでした。ぼろくそけなしました。

私はそれを数日前に書いて、私のブログにアップしましたが、その後、何度か書き直しました。今日(3/31)も書き直しました(誤字脱字・文章が変な箇所がありましたらお知らせ下さい)。

この作品を先入観なしに聴くのは難しかった。

私はこの作品の感想文を、「佐村河内スキャンダル」と、できるだけ、切り離して書いたつもりです・・・
しかし、私が、この交響曲を「ぼろくそにけなした」のは、やはり「佐村河内」(メッセージ2)」と切れなかったからだと思います。そうでなければ、この作品、褒めるべきところ、もしかしたら多々あったと思います。

「HIROSHIMA」(メッセージ全体)=「新垣」(メッセージ1)+「佐村河内」(メッセージ2)

この図式は強いと思います。

http://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/hiroshima-a6b1.html

追伸)トラックバック送りました。受け取って下さいませんか? へいたむさん

  • KM
  • 2014/03/31 2:12 PM
KMさん、

>交響曲《HIROSHIMA》感想文を書きましたが、
>うまく書けませんでした。ぼろくそけなしました。
拝読はしています。
楽譜は読めないので、YouTubeで聴いた印象を思い出しつつ読ませていただきましたが、おっしゃるように「ぼろくそ」で、コメントするとしたら「それはお気の毒でした」の一文になってしまい、投稿できていません。

>私が、この交響曲を「ぼろくそにけなした」のは、やはり
>「佐村河内」(メッセージ2)」と切れなかったからだと思います。
これはどなたでも仕方ないのではないでしょうか。

また感想 ― 貴記事に対する、そしてこの事件や音楽に関する ― を投じさせていただくかも…。

トラックバックというシステム、実はよくわからないのですが、とりあえずすべて許容状態にいたしました。
  • へうたむ
  • 2014/04/01 12:39 AM
長文のKM です。

トラックバック(Trackback)とは、ブログの主要機能の一つ。ある他人のブログの記事(へうたむさんのブログ)に自身のブログ(私のブログ)へのリンクを作成する機能のこと。(ウィキペディアより)

簡単に言って、トラックバックとはリンクを貼ること。それにより、第三の読者に対し、

自分(つまり、へいたむさん)が書いた記事を読む際に「参考になる記事(つまり私の記事)」が存在し、その所在を明らかにする。そのことによって、自分の記事は、へうたむさんの記事の「より深い理解につながる」ということを、へうたむさんに伝える、ある意味「おせっかい」な「機能」「システム」です・・・(場合によっては、トラックバックで他人にリンクを要請することは他人の迷惑になることがある・・または多い)。
私のブログの記事が、へうたむさんの記事を読むときに、役に立つか・・・それは、トラックバックを受け取った人(へうたむさん)の判断にゆだねられます。すなわち、トラックバックを受け取った人は、トラックバックを受付けることも受付けないこともできる。そういうシステムになっています。

そして、今回は、むしろ、へうたむさんの記事から私の記事にリンクするより、私の記事からへうたむさんの記事にリンクするほうが有意義ですね。なぜなら、私の記事「新垣隆作曲 交響曲第1番《HIROSHIMA》」を読んだ人が、へうたむさんのブログ「Bluegourds Diaryの佐村河内物語」のページを読むほうが、その逆より有意義で役に立つと思うからです。

長くなりますが、

へうたむさんの記事ーー>私の記事へのリンクを作る
それより、私の記事ーー>へうたむさんの記事へのリンクを作るほうが有意義である・・・ということです。

そこで、トラックバックで相互リンクしませんか?

私の記事「新垣隆作曲 交響曲第1番」のトラックバックURLは、
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/276661/55537611
です(私の記事のページの一番下に書いてある)。

(たとえば)これを、へうたむさんのブログの佐村河内物語の、(たとえば)記事を編集するページの、入力欄(相手先のトラックバックURLを入力する入力欄)にぶち込んで、(たとえば)その記事を保存すれば、自動的に、へうたむさんのその操作がメールで私に知らされます・・・。
  • KM
  • 2014/04/01 3:19 AM
(つづき)

私のレヴューの内容は極端です。褒める記事、貶す記事、その内容は両極端です。しかし、変なお話ですが、昔、2ch で、私のレビューが(私の知らぬ間に)晒されまして、いろいろ議論され、その結果、結論として、私のレビューは「まとも」ということになりました。
人を攻撃して楽しんでいる 2ch で、私のクラシック音楽レビューが議論され、その結果、私のレビューは良いレビューということに落ち着きました。そのとき、私は、全然、2ch のやり取りを見ていなかった。議論が終わったあとで、そのカキコをまとめて読んで、びっくりしましたし、また、おもしろかった^^。

私がブログにおいて「譜例」を多く引用していること。作品のアナリーゼ(分析)を書いていることが、2chの住人にみとめられ、なんとなく私のレビューは「まとも」だという結論に至ったようです。

私は、前に「クラシックの話題はすいすい分かる」と書きました。それはおごりではありません。私は分からないことは分かりませんと、レビューの冒頭に書きます(例えば、ブラームスは苦手だ・・・とか)。つまり、私のレビューは正直なレビューなのです。

分からないことは分からない。

しかし、分かることは分かります。そして、いまそれを書きます。

いま、分かることは、新垣氏作曲「交響曲第1番(メッセージ1)」が、「それのみ」では、決して10万枚以上のトップセラーになることはなかったこと・・・それは断言できます。そして、おそらく新垣氏作曲「交響曲第1番(メッセージ1)」は、演奏会で取り上げられることも、またレコードになることもなかっただろうこと。なぜなら、

この作品は長過ぎる。80分を越える交響曲に、クラシック音楽業界の誰もお金を出さない。

では、なぜ「決して起こらないはずのことが起こった」のか。その事実の・・・それの核心が、

「HIROSHIMA」(メッセージ全体)=「新垣」(メッセージ1)+「佐村河内」(メッセージ2)という図式・・・なのか?

さて、佐村河内事件発覚直後、私が、或るブログにて、そのブログの主宰者の女性に「クラシック愛好家のレベルは低くないよ」と反論しました。そうしたら、彼女からは、私は一蹴されました:

「聴力がないのに、作曲できるわけない」

「クラシック愛好家」は「佐村河内」(メッセージ2)を見抜けなかった。その意味で、「クラシック愛好家のレベルは低くい」と言われても、仕方ない・・・五木寛之をはじめ、どれだけ多くのクラシック音楽愛好家が・・・佐村河内を賞賛したか!!!!!

私は素直に認めよう。

「そのブログの主宰者の女性」の言葉が正しかった・・・『聴力がないのに、作曲できるわけない』

たとえ、新垣氏作曲「交響曲第1番」(メッセージ1)を聴いて、なんだか作為的な音楽に聞こえたとしても、私はだまされたでしょう。

私は素直に認めます。それがいま、新垣氏作曲「交響曲第1番」を聴き終えての率直な私の思いです。

おわり
  • KM
  • 2014/04/01 3:56 AM
ていせい(最初の文章の6行目)

ある他人(つまり、へいたむさん)が書いた記事を読む際に「参考になる記事(つまり私の記事)」が存在しその所在を明らかにする。そのことによって、自分(つまり私)の記事は、へうたむさんの記事を「より深く理解することにつながる」ということを、へうたむさんや第三者に伝える、ある意味「おせっかい」な「機能」「システム」です。
  • KM
  • 2014/04/01 4:03 AM
KMさん、

>トラックバックで相互リンクしませんか?
わかりました。このあと、操作してみます。

>昔、2ch で、私のレビューが(私の知らぬ間に)晒されまして、いろいろ議論され、
>その結果、結論として、私のレビューは「まとも」ということになりました。
>‥‥
>私がブログにおいて「譜例」を多く引用していること。作品のアナリーゼ(分析)を
>書いていることが、2chの住人にみとめられ、なんとなく私のレビューは
>「まとも」だという結論に至ったようです。
なるほど、わかります。
私は楽譜が読めないので、譜例から楽想が想像できないのですが…。

>いま、分かることは、新垣氏作曲「交響曲第1番(メッセージ1)」が、
>「それのみ」では、決して10万枚以上のトップセラーになることは
>なかったこと・・・それは断言できます。
それは納得できますね。

レヴューに書いておられた、第3楽章(でしたっけ)の、異様な‘うるささ’は、全く「交響曲」とは聞こえず、劇伴音楽のようです。
このような‘うるささ’で、非人間的なものを表現するのは、ショスタコーヴィチの第8番で行なわれていて、ぎりぎり音楽が音楽でなくなる限界のような感じがします。
ショスタコーヴィチの第8番は、その辺が「聴いていられない」感じがして一度手放しました(ムラヴィンスキーの PHILIPS盤)。Regisのピッチ修正盤で買い戻しましたけれど。

ヒーリング・ミュージック的な効果が、あの喧騒のあとのコラール(でしたっけ)にあったのかな、と思わないでもなく…。

>私が、或るブログにて、そのブログの主宰者の女性に…
間違っていたら申しわけないのですが、「小森」さんのブログでしょうか?
だとすると、あのブログの主宰者は女性、なのでしょうか???
  • へうたむ
  • 2014/04/02 3:43 AM
(続き)

>「クラシック愛好家」は「佐村河内」(メッセージ2)を見抜けなかった。
ここは、そうである部分もあり、当たっていない部分もある、ように思います。
同曲に感動して Amazonなどに讃辞を寄せた人びとの中には、「クラシックをよく聴く者ではないが、この曲と作曲者の逸話に感銘した」旨のものがかなりあったように思うのですが…。
つまり、オーディオ機器でいうと、「ハイコンポしか聴いたことがないんですが、さすがに単品CDプレーヤーは音がすごくいいです♪」のような、ある経験を持った者には意味をなさないような讃辞が多く混じっていたこと。

いっぽう、同曲を、ヨーロッパ楽壇でヨーロッパ人作曲家が発表したとしたら、それはそれなりに聴かれたのではないかとも思います。
わが国では、それが、「物語」(=メッセージ2)の有無によって、全く無視されるか10万枚か、の両極になってしまう(「無視」は証拠はありませんが)、そこに、「クラシック愛好家」というより、「日本でクラシックが受容される素地」の問題が浮かび上がっている、ということではないかと思うのです。

生活の中にクラシック鑑賞が根づいているリスナーたちには、この楽曲や作曲家にそんなに反応してはいなかったのではないか、と思います。
KMさんも私も、そんな側にいたのではないでしょうか。

>『聴力がないのに、作曲できるわけない』
晩年のベートーヴェンの例がありますから、これはどうなのでしょう‥‥。
ただ、件んのブログの主宰者は、率直に自身の思いを語っていることは伝わります。

>五木寛之をはじめ、どれだけ多くのクラシック音楽愛好家が・・・佐村河内を賞賛したか!!!!!
やはり私には、クラシック音楽愛好家も含めて、異様なまでに「感動物語」好きな今日の日本社会の風潮が原動力となってできあがった事象だと言わざるをえない、という思いが強烈なのです。
  • へうたむ
  • 2014/04/02 3:47 AM
KM@お詫び
「へうたむ」<「へいたむ」

>第3楽章(でしたっけ)の、異様な‘うるささ’は、全く「交響曲」とは聞こえず、劇伴音楽のようです。

新垣氏は、マーラー1番やブル8の最終楽章を手本にしたと思います。

私はショスタコのシンフォニー全集を、多分、3種類持っていたと思うのですが(買い戻してない)、8番については、どんな曲だったか、まったく記憶がない(汗
ショスタコにお詳しく厳しく耳が肥えている「トロンボーン吹きさん」が「8番はショルティ盤が名演」と言ってたような気がします。私はそれを所有していたと思いますが、が焼失!

>ヒーリング
>あの喧騒のあとのコラール

新垣氏は、それを「定石通り」やってます。「苦悩を通して歓喜に至る」です。最後はコラールではなくて、「鐘」ですが・・・。「定石」がミエミエ。再度聴いて思わず笑ってしまいました。笑っていいとも!です。

「小森」さんって、男なの? プロフィール写真は女の子みたいだけど
私はこの人の意見は「好き(?)」ですね。

>しょせん曲を聴いてはいないのだ。順序として、曲がいいから佐村河内氏の存在を知るならまだ救いはあるが、佐村河内氏の作られた境遇から妄信的に彼の曲に取りつかれた消費者には救いがない。
曲の良しあしではなく、佐村河内氏の境遇からくるある種のブランドにマスコミを含め乗っかってしまい、ゴーストライターの存在が発覚したら曲の質まで落ちるかの如く騒ぎ立てるのは行き過ぎだ。
「この件の罪は消費者にもある。」という認識を多くの人が持つべきだと思うけどね。

「佐村河内氏の境遇からくるある種のブランドにマスコミを含め乗っかって」<そのとおり!

「ゴーストライターの存在が発覚したら曲の質まで落ちるかの如く」<私がいまやっていること。

「この件の罪は消費者にもある。」<私は、ウィキペディアを参考にしますし、引用もします(寄付もしています)。なぜなら、ウィキは、ある意味、情報の真偽を見分ける・・・見極める能力を鍛えてくれるからです。その能力が私に十分ではなかった、と、いう意味では、私という消費者は「この件の罪は消費者にもある。」の消費者の一人だ、と、言われても、返す言葉がない。

私は、13.12.02に、佐村河内守作曲「ドレンテ〜子どものために、ピアノ・ソナタ第1番、ピアノ・ソナタ第2番」を購入・・・。もしかしたら、当時、その感想文をブログにアップして「このアルバムは、障害を乗り越えた偉業」とか・・・書いていたとしたら・・・うっ、危ないところだった。私はレベルの低いクラシック愛好家、に、なることだった。
ただし、すぐにレビューしなかったのは、「美味しいものはあと回しとする私の性向から」だけではなく、
何となく、・・・飽くまでも・・・何となく、「変だ」ということを感じていたかも・・・。

しかし、一方、私は「佐村河内氏にゴーストライター」の報道を見た時、「どうでもいい」と思いました。
そして、その「どうでもいい」は(あえて書きます)世の世なら、私も、ユダヤ人を差別し、大陸で、慰安婦をレイプする、に、つながると思います。それは、飛躍じゃありません。

アンネの日記を破った事件
橋下氏曰く「その当時、女性は戦争の道具として必要だった」

トラックバックありがとうございました。
  • KM
  • 2014/04/03 9:59 AM
分かりにくいので、修正します。

世の世なら、私自身が、ユダヤ人を差別し、そして、大陸で、慰安婦をレイプする、に、つながる
  • KM
  • 2014/04/03 11:26 AM
世が世なら
  • KM
  • 2014/04/03 1:54 PM
KMさん、

ショスタコ#8は、全曲中で何度か、オケが爆発する箇所があり、私は、某独裁国での公開処刑をイメージしてしまいました。

私は、ショスタコーヴィチの交響曲、弦楽四重奏曲とも、全集で持っている必要はないように思い、交響曲全集はバルシャイ盤(Brilliant Classics)を買いましたが、録音がのっぺりしすぎていて、第4番など面白く感じず、売却しています。

ショスタコは、ネット上に詳しい方が数名いて、ディスク選びには参考になりますね。

>新垣氏は、それを「定石通り」やってます。「苦悩を通して歓喜に至る」です。
この「定石通り」こそ「感動物語」の必須条件だったのではないでしょう。
その‘デザイン’に、佐村河内氏の「指示」が入っていたのではないか、とはちょっと思わないでもないのです。

佐村河内氏の全-演出が「定石通り」以外の何者でもない、そして「定石通り」であればあるほど、メディアにも世にも大歓迎される。

>笑っていいとも!です。
超-長寿命でしたねえ^^。

>「小森」さんって、男なの?
少し失礼な物言いになってしまうのですが、率直に申します。
この「小森」さんの文体を女性のものとされる感覚には、少なからず驚愕、あるいは大きな違和感を抱いてしまいました。
もちろん、そこには、私に中にある「女のコはあんな理屈っぽい文章を書かないものだ」という、ステロタイプな、そして女性蔑視的思い込みがあることも自覚していますが。

証拠記事…になるかどうかは、わかりませんが:
http://magazine184.blog.fc2.com/blog-entry-28.html

>プロフィール写真は女の子みたいだけど
プロフィール画像を女の子やアニメの女の子キャラにする男性はい〜っぱいいるでしょう。
プロフィール「写真」ではなく、あくまでプロフィール「画像」です(だから加工してもOK‥‥おっと)。
  • へうたむ
  • 2014/04/03 5:20 PM
(続き)

>私という消費者は「この件の罪は消費者にもある。」
>の消費者の一人だ、と、言われても、返す言葉がない。
この辺の「小森」さんの行文と、KMさんの反応には、全く同感で、そのとおりだと思います。

KMさんは、「小森」さんの、
>これを考えれば今の消費者(クラシック愛好家)が実にレベルの低い存在か分かる。
という、消費者・イコール・クラシック愛好家、という図式に反発を感じて最初のコメントを同記事に寄せられたのではないか、というのが私の推測 or 邪推です。
最初のコメントが全文にわたって敬体(です・ます体)ではなく常体であることからもそれを感じました。
初めてコメントする/される場合、常体でコメントされると、「これはやや無礼な人物か、ないしは記事に大きな反感・反対意見を持っている人だな」とふつう判断するでしょう。

このあとのやりとりには、ダイレクトな意見をもらった「小森」さんがいささか戸惑ったようすでリコメされているのが伺えます。

私としてはやはり「(「佐村河内物語」の)消費者」=「クラシック愛好家」と直結させる「小森」さんの行文には賛同できません。
もっとも、「小森」さんは、訪問者がそんな違和感を抱くとは全く考えないで、軽く書かれたのだと思います。

>もしかしたら、当時、その感想文をブログにアップして「このアルバムは、
>障害を乗り越えた偉業」とか・・・書いていたとしたら・・・うっ、
>危ないところだった。私はレベルの低いクラシック愛好家、に、なることだった。
ふむ〜‥‥「危ないところ」でしたねえ^^。
でも、この「危ないところ」は、歴史上の事実に関して、また日々の報道されることがらについて、常につきまとうことでもあります。

まさに「危ない」のは、この「危ない」要素のほうに極度に、極度に大きな比重を持たせる心理的傾向だと思います。

>私は「佐村河内氏にゴーストライター」の報道を見た時、「どうでもいい」と思いました。
>そして、その「どうでもいい」は(あえて書きます)世の[が]世なら、私も、
>ユダヤ人を差別し、大陸で、慰安婦をレイプする、に、つながると思います。
ふむ〜。この「どうでもいい」のあと、この問題をかなり執念深く^^取扱われるようになる心境の変化のプロセスや如何に?

私は、発覚の際に、何とも言えない‘快感’を感じました。「ほ〜〜れ、見ろ!」的な。
この「ほ〜れ、見ろ!」は、佐村河内氏に対する感情と、同「物語」に乗っかって感動した人びと、乗せて儲けた連中、のいずれに対してもの感情です。
これもまた、他者に言われない差別・蔑視を加える心理を伏在していることを自覚しつつ。

最後のテーマは、おっしゃっていることがまだ十分理解できず、かつ面白い/重要なことを含んでいると思います。(以上)
  • へうたむ
  • 2014/04/03 5:23 PM
>この「定石通り」こそ「感動物語」の必須条件だったのではないでしょう。(私のリコメ)

この「定石通り」こそ「感動物語」の必須条件だったのではないでしょう‘か’。
― です^^;。
  • へうたむ
  • 2014/04/03 5:26 PM
死を考える&タバコ吸い過ぎのKM@長文しかも私事ばかり。

びっくりしました<昨日の夕刻、父がダイニングルームで、気を失いかける>意識がもうろう>私が支える>その場で寝転がる>救急車で病院へ搬送>検査の結果、只の失神とのこと>父はその日のうちに病院から帰宅>本日>父、ダイニングルームで昼食カレーライス。

さて、最近、どうも私は、ヒステリックであるのは確かだと思います。したがって、以下の文章も変なところがあるならば、ご容赦下さい。

エンデの果てしない物語の中の「虚無」はドイツ語で「das Nichts」英語で「the Nothing」ですね。nichts, nothing なら怖くない言葉です。日常会話で使う言葉です。
日本語の「虚無」という言葉は怖いですが、「das Nichts」は、怖くない・・というのはウソです。訂正します。自慢するようで悪いですが、私はドイツ語のニュアンスが分かります。「das Nichts」は怖い表現です。vor dem Nichts stehen<絶望的だ;破産は避けられない(直訳すれば「Nichtsの前に立っている」)。そういう意味で(つまりミヒャエル・エンデとは関係ないかも知れないが)いまの時代は、世の中は「das Nichts」に浸食されているという気がしなくもない・・・佐村河内と小保方だけじゃなく・・・安倍と日銀総裁・・・日本は輸出に依存する国ですから、異常な円高を是正したのは評価すべし。しかし、その手段、1万円札という「紙」を大量印刷して、円の価値を下げる・・・
「nichts als〜」で、「〜よりほかは何もない」という意味があります。「nichts als『次元が違う金融緩和』」「『次元が違う金融緩和』よりほかは何もない」

政治の話はしないほうがいいので、話題を戻します・・・

>ふむ〜。この「どうでもいい」のあと、この問題をかなり執念深く^^取扱われるようになる心境の変化のプロセスや如何に?

それは私自身、整理できていません。
私は人にだまされて、大金を失った経験があります。
そして・・・この際、家庭の事情を告白しますが、弟が自己破産しました。父は、弟に甘い! 私は、弟が父にまた金を借りに来るのではないか?という不安でいっぱいです>>>>いつのまにか父名義の私の自宅が虚無に浸食されるのが怖い(父名義の私の自宅が差し押さえられる。命がけで建てたリスニングルームを失う)。杞憂ならいいが・・・

2010年、火事
2010年、「いままで私が生きて来た中、私にとって一番いい年になる」と思っていたら震災&父が倒れる
2012年、私が健康を害す
2013年、私の放浪生活が始まる
2014年、佐村河内・小保方スキャンダル

結論を言うと、世の中と私のプライベートにおける「奇怪な出来事」が、この4年、次から次へと起こった。それで、どうなったかと言うと、もしかしたら、私自身が物語のヒーローになる・・・私が他人からだまされるより、だます側になりたくなったのかも・・・私が「自分自身も慰安婦をレイプしたかも知れない」というようなことを書くのも、他人を私の「物語」に引きずり込もうとする欲求かも・・。

また、面白くない書き込みになってしまった。

最後にまとめます(まとめというよりイイワケですが)。私にとって、「私が信じることができるもの」であり「生の証」と言っていい「科学(私は相対性理論を勉強しています)」と「クラシック音楽」の分野で発生したスキャンダル、それが、多分、(精神的にも)私の病状を悪化させているのです。

それとも、単なる、歳のせいか?

【私の病状】

CDに傷をつけることが多くなった(CDケースを取り違えて、1枚用のCDケースに一生懸命無理矢理CD2枚を入れようとしたりetc)。漢字の間違い、または書けない。頭がボ〜ッとする。文章書くのがきつい。<と言いながら長文書いてます^^



追伸)むかし、カール・セーガンの「コスモス」で、セーガンがこういうことを言ってました。
「もし、宇宙の膨張が収縮に転じたら、因果関係が逆になるだろう」
それを試聴した私は思いました:因果関係が逆になるなら、まず死があって、その後、生がある。人生の始まりは死であり、人生の終わりは出産。出産と殺人が逆転する? 出産が悪、殺人が善???
殺人は悪ではなくなる。大量殺人も悪ではなくなるのか。


  • KM
  • 2014/04/04 3:45 PM
KMさん、

うむむ〜‥‥深刻なお話に‥‥呼応して、私も遠慮なく…。

>びっくりしました<昨日の夕刻、
御父上、大事なくてようございました。
しかし介護の毎日、たいへんであろうと拜察します。

>エンデの果てしない物語の中の「虚無」はドイツ語で「das Nichts」
>英語で「the Nothing」ですね。nichts, nothing なら怖くない言葉です。
なるほど。「das Nichts」には「破産」の意味もあるんですね。

>いまの時代は、世の中は「das Nichts」に浸食されているという気がしなくもない・・・
エンデ『はてしない物語』では、ファンタージエンが「虚無」に侵され、「虚無」に飲み込まれて人間界にやってきたファンタージエンの住人が「虚偽」になる、という言い方をしています。

この「虚偽」はドイツ語では「Luege」(JUGEMは、記事本文では文字実体参照[&uuml; のように]を使ってウムラウトが表示できますが、コメントでは受け付けないようなので「e」を付けて代用します)のようです:
http://de.wikipedia.org/wiki/Figuren_und_magische_Gegenst%C3%A4nde_in_der_Unendlichen_Geschichte#Das_Nichts

昨今のわが国は、私の感触では「虚無」より「虚偽」に侵食されている印象が極めて強く、30年近く昔のエンデの警告、どんぴしゃ、の感を強くします。

>この際、家庭の事情を告白しますが、
私の母も、晩年、友人(を装った人物)にほぼ全財産を持っていかれ、全家族が被害を被りました。
この原因のうちには、私が社会化できていないことが大きく関わっていたと思います。
生前の母に「あんたの長男(=私)は自立できないんやから、私がお金を増やしたげる」みたいな言葉がかけられたことは想像に難くありません。
その意味では、私の存在・存在の仕方が、一家の災禍なのです。

KMさんのところとは逆で、弟は大学の専任教員をしていて、私がバイト暮らしの破産寸前です。
  • へうたむ
  • 2014/04/04 6:35 PM
KMさん、(続き)

>世の中と私のプライベートにおける「奇怪な出来事」が、
>この4年、次から次へと起こった。
全くたいへんなことの連続、何ともことばもありません。

私ごときがこのお言葉を引き取らせていただくのは僭越極まりないとは思いつつ、この「世の中と私のプライベート」の共振のようなものは、私の場合、4年をこえて続いているように思います。

私は、一時期の任期制正就職(この間も、ヒッドい人間関係を経験しましたが、高給でした…)のあと、どんどん仕事も収入も減り、その恐怖に怯える日々のあと、みごとに大腸ガン(ポリープ)を発症:
http://bluegourd.jugem.jp/?eid=31
実際にその仕事がなくなる時はあっさり受け容れる以外なく、2009年春、研究用の蔵書を放出:
http://bluegourd.jugem.jp/?eid=61
しました。

実は、阪神大震災(直前に上京して、一家で無被害)の起きた時も、自分の心と自然災害の共時的な何かを感じたのですが(これについては、‘言ってはいけない’ことを、心中に持っています)、ここ十数年の「内と外」の共振的(と感じる)事象も「奇怪」そのものに感じます。

>「私が信じることができるもの」であり「生の証」と言っていい
>「科学(私は相対性理論を勉強しています)」と「クラシック音楽」の分野
なるほど。
「科学」のほうは、私はオーディオをいじることで接している、という感じです。
私にとっては、「オーディオ」は、いかに安ものばかりのシステムでも、そこで「クラシック音楽」に触れ、「電子回路」にも触れられるという世界です。

「科学」に関しては、極めて当たり前の(しかし理解しているとは言いがたい)エレクトロニクスの原理に、文系ならではの魅力を覚えているのだと思います。
そのいっぽうで、量子論のような、日常的観念からは理解しがたい、しかしこれも「科学」の次元である部分にも惹かれつつ、勉強はしていません。
「量子もつれ」には興味津々、なのですが。

>【私の病状】
>CDに傷をつけることが多くなった
この辺、私は、電子工作をするので、少しは老化防止になっているのでは、と思うことはあります。(とりあえず、以上)
  • へうたむ
  • 2014/04/04 6:37 PM
KM@
4月4日の私のコメントは余計なこと変なこと書きました
そこは無視して下さい

>ファンタージエンが「虚無」に侵され、「虚無」に飲み込まれて人間界にやってきたファンタージエンの住人が「虚偽」になる

そうでしたね。
「Luege」
お知らせ頂いたウィキの当該ページ「Beitrag(寄稿)」は充実してますね。ということは、小説「Die unendliche Geschichte」は、私が思ったより、ありきたりな言い方ですが、奥が深い。
佐村河内現象と「Die unendliche Geschichte」を結びつける意味・意義。それを理解するには、私は後者を読む必要があると思うのですが、いまの私の体力・健康状態では物理的に、それができません。

>私の母も、晩年、友人(を装った人物)にほぼ全財産を持っていかれ、全家族が被害を被りました。
(中略)
>「世の中と私のプライベート」の共振

へうたむさんの告白、重く受け止めました。特に、癌手術。

>すべて除去し切れていた、とのことで、ひとまずほっとした。

それに対し、「よかったですね」と言う人がいます。
しかし、「よかったですね」を、「癌手術をした人に投げつける人」は、癌手術をした人の不安・恐怖・苦しみを理解してない。癌に罹って「よい」わけない!
たとえ手術が成功しても、癌手術をした人に「よかったですね」は、むしろ、癌手術をした人を落ち込ませる・・・と、思う。
「とても、苦しかったでしょう」と言うべきです。

私の場合、多くの人から「火事になったけど、誰もけがせずに、よかった」「不幸中の幸い」って、言われました。しかし、火事になって「よい」わけない。火事は「幸い」ではありません。

他人の「災い」を「自分のこととして考えること」「自分にも起こりうることとして考えること」。そういう危機意識(ひいては危機管理能力)について、日本人は、欧米人に「遅れている」と思う。詳しいことは書きませんが近所に住んでる日本人とアメリカ人の(私の被災に対する)反応は、全然違いました。

>阪神大震災(直前に上京して、一家で無被害)の起きた時も、自分の心と自然災害の共時的な何か
前後しますが、
>「世の中と私のプライベート」の共振のようなものは、私の場合、4年をこえて続いている

共時、共振ですね。しかし、それは偶然ではないのだと思いますよ。私は、このスレッド(?)や私のブログで、それを一番言いたかった。おのれと外界の共時、共振。それには科学的根拠はない。しかし、その共時、共振は、「未来」を考えるときに多いに役に立つアイデア(?)かも知れない・・・。
(また変なことを書きますが)最近、私は、自分が予言した(主にプライベートな)「悪い予言」が、よく当たるので、びっくりしています。

・本題、「佐村河内物語」について
10万人以上の人が、彼のCDを買った。私は、そのうちの一人(昨年の12月に、ピアノ・ソナタ2枚組を私は購入しました)。
10万人以上の人が、友人や知人の家で、佐村河内の《HIROSHIMA》を聴いて、その上で、購入したのではなく、多分、その10万人の購買者のほとんどが、「《HIROSHIMA》がCDショップで山積みされているのを見て買った」または、「『NHKスペシャル』を見て買った。」

やはり「クラシック愛好家が実にレベルの低い存在か分かる」か? もし、50万枚売れてたら、と思うと、ぞっとする。

さて、「佐村河内物語」については、今後、佐村河内がしばし地下に潜伏してのちまた悪さをするか、または、佐村河内作品を、もの好きなレコード会社が制作・発売するとか・・・そういう発展がない限りは、私、もうそろそろ話のネタを持ちません。


・前のコメントのていせい
>2010年、火事
>2011年、「いままで私が生きて来た中、私にとって一番いい年になる」と思っていたら震災&父が倒れる

>カール・セーガンの「コスモス」
>それを視聴した私は

>善悪が逆になる < 善悪が逆になる訳ないね(コレ、私は何で書いたんだろう?)

・最後に
「私が他人からだまされるより、だます側になりたくなったのかも」
これは、少し肯定的に受けて下さい。
そのこころは、
他者にだまされないためには、また、詐欺師のだましの手口を知るためには、だます側になるのが手っ取り早い。
たとえば、暴力団にだまされないためには、自分が暴力団になるのが手っ取り早い。
(私は福岡県在住ですが、福岡県の名物は暴力団と飲酒運転です)
また、アホなこと書いてしまったか(汗
  • KM
  • 2014/04/06 3:13 PM
KMさん、

>4月4日の私のコメントは余計なこと変なこと書きました
あ〜れ〜、私も釣られてプライヴェートなこと、カミングアウトしちゃったじゃないですか〜^^;;。
いや、こうしたやりとりも意味が深いような気がします。

>私は後者を読む必要があると思うのですが、いまの
>私の体力・健康状態では物理的に、それができません。
たしかにA5判589頁の大冊、ちょっと気合いが要ります。KMさんなら原書がふさわしいでしょうか。
単行版の訳書は、原書どおり、‘こちら’側の記述はマルーン、ファンタージエンでのことがらはダークグリーンの活字で印刷し分けられていて、この記事の引用もフォント・カラーを合わせてみました。

1冊手許に置かれて、気が向いた時に少しずつ読み進められるとよろしいかと。
しかし KMさんのご性格だと、一気に読了したくなるかもしれず、そうだと健康によくありません><;。

>へうたむさんの告白、重く受け止めました。
いたみいります。

>癌手術をした人に「よかったですね」は、むしろ、
>癌手術をした人を落ち込ませる・・・と、思う。
ふむ〜‥‥開腹手術だったなら、そうだったと思います。
私の場合、幸い(←自分でそう思います)内視鏡手術だけですんだので、自分でも「よかった〜」でした。
私の場合は、「とても、苦しかったでしょう」の対象(であってほしかったもの)は、癌発症に繋がるほどの経済上の不安だったのです。

言い換えると、「失職の不安はたいへんだったろうね、でも内視鏡で取れるポリープ癌で終わって、まだ最低限の収入は得て生きているのはよかったよね」ということになり、この論法でも KMさんの論理からいうと、私を落ち込ませるのです。

実際、このような言葉がかけられたら私は大きな違和感を感じたでしょう。
しかし、百歩譲るなら、このような言葉にも一分の正しさがあることも、私は認めざるをえません。


>他人の「災い」を「自分のこととして考えること」
>「自分にも起こりうることとして考えること」。
「不幸中の幸い」‥‥この物言いのニュアンスは、何でしょう。
相手の苦しみそのものを理解しない皮相的な同情、でもありえますし、「自分に起こった時も、何らか救いがあってほしい」という、「自分のこととして考える」思いでもありうるのでは、とか…。
  • へうたむ
  • 2014/04/06 7:40 PM
KMさん、(続き)

>そういう危機意識(ひいては危機管理能力)について、
>日本人は、欧米人に「遅れている」と思う。
理性的・知的な部分に関しては全くそう思います。
いっぽうで、「植民地にされる」とか「核爆弾を落とされる」ことにおいて、「他者」へのシンパシー、エンパシーは、欧米人の中には、微塵ほどすらも無い人がいるという印象もあります。

では、日本人(正しくは日本社会に住まう人)にはそうしたエンパシーが持ちうるかというと、「持っているように思い込むことで安心している」に過ぎないところがあります。

>詳しいことは書きませんが近所に住んでる日本人とアメリカ人の
>(私の被災に対する)反応は、全然違いました。
ここ、‘詳しいこと’に興味が湧きます。

>共時、共振ですね。しかし、それは偶然ではないのだと思いますよ。
>私は、このスレッド(?)や私のブログで、それを一番言いたかった。
おお〜、何だか核心部分に近づいてきた、ような^^;;。

>おのれと外界の共時、共振。それには科学的根拠はない。しかし、その共時、
>共振は、「未来」を考えるときに多いに役に立つアイデア(?)かも知れない・・・。
Carl Gutav Jungの説の中で、最も非科学的とされるシンクロニシティ‥‥には、「信仰」にしない注意を最大限払いつつ、大きな興味を感じます。
拙ブログのリコメンド商品欄に、デイヴィッド・ピート『シンクロニシティ』(朝日出版社→サンマーク文庫)を挙げていますが、これは良心的に述べていると思いました。

日本人の通弊として、オカルト的人生観がしばしば経営などに持ち込まれることを、中山 治氏などは強く批判し、それはそのとおりだと思い、‘スピリチュアル’が跋扈しすぎる風潮(じつはこれもまた、そしてこれこそが「物語」過剰の、エンデの言う「虚偽」の瀰漫する社会なのです)は快くありません。
しかしいっぽう、「私」という意識 Bewusstseinも、ある種オカルト的なるものとしか言えず、合理的思考だけでは「意味」が霧消する、ないし「支えの無い」事態に陥ります。

>やはり「クラシック愛好家が実にレベルの低い存在か分かる」か?
ふむ〜‥‥この「10万人」の中に、「クラシック愛好家」は何割?
>もし、50万枚売れてたら、と思うと、ぞっとする。
逆に、だからこそ50万枚も売れはしなかったのでしょう。

>他者にだまされないためには、また、詐欺師のだましの
>手口を知るためには、だます側になるのが手っ取り早い。
これ、我田引水になりますが、私がオーディオの中身(=回路とパーツ)に興味を持った動機に通じるかも。
もちろんオーディオ・メーカーは詐欺師ではありませんが、高価な機器を買えないことから始まった自作や改造のプロセスで、「あ〜、こんなふうにやってるんだ/なってるんだ」的な発見があります。
そうすると、中を見ない/知らないオーディオ・マニアがさも科学的・合理的と思って実行していることが、かなり(全部ではありません)ズレていることがわかってきます。

とりあえず、以上にて。
  • へうたむ
  • 2014/04/06 7:44 PM
KMです。

へうたむさんへ


>私の場合は、「とても、苦しかったでしょう」の対象(であってほしかったもの)は、癌発症に繋がるほどの経済上の不安だったのです。

そうでしたか。すみません、そのコンテキストを読み取ることができませんでした。


>(果てしない物語)A5判589頁の大冊
4月6日にも書いた通り、いま「果てしない物語」を読む自信がありません<体力・健康・父のこと。
アマゾンで、¥ 3,089(和書)なので、値段は高くないですね。しかし、最近、(近視の)私は、リーディングラスをかけないと「字」を読めない(パソコンの字も読めない。視力の低下)。そして、たとえ大きな活字であっても、589頁はきついですね〜(体力低下)。
「『ひきこもり』だった僕から」は、読んでます。少しずつ。


>>近所に住んでる日本人とアメリカ人の
>>(私の被災に対する)反応は、全然違いました。
私の家が火事になった翌々日に、焼け跡に私が立っていたら、近所に住む親しい一人のアメリカ人男性(50代後半)が、私のそばに来て、私に、
「KMさ〜〜〜ん。
こわかったよ〜〜〜。
家が爆発したよ〜〜〜〜。
炎がすごかった〜〜〜
地獄のようだった〜〜〜」と、日本語で叫びました。そのアメリカ人は、声がでかいし、身体が大きいし、その声は、近所中に聞こえるほどの音量。
(私は火災発生時、現場にいなかったから分かりませんが)火事は大男をビビらせるぐらい怖いのでしょう・・・そのアメリカ人の発言は「怖かった」の連発でした。そして、彼は「よかった」という言葉をまったく言いませんでした。


ところで、今後、このやり取りをどう続けますか?
というのも、私は上にも書いた通り「果てしない物語」を読む予定なし。したがって私は、タイトル「佐村河内物語」を「エンデの警告」という視点から、論じることができません。
そして、このエントリーは、すでにコメント数が57。そのほとんどが、へうたむさんと私。それはイレギュラだし、カッコ悪いし・・。


一方、タイトル「佐村河内物語」を無視して、このままのこのページをその他のトピック(共時、共振など)で盛り上げる。それは面白いと思います。
私は、ここは居心地いいです。知的対話を楽しめるし、何よりフラストレーション解消になる。身の上話もできるし、いま悩んでいることや、過去のこと、これからのこと、人生相談の場として。すなおになれる場として。言いたいことが言える場として。自分の考えを言える場として利用させて頂ければそれこそ「幸い」です。

  • KM
  • 2014/04/07 8:09 PM
KMさん、

>すみません、そのコンテキストを読み取ることができませんでした。
あ、いえいえ^^;。これは特殊すぎる文脈ですから、読んでほしいというほうがムリです。

『はてしない物語』、けっしてご無理なさらず。

>そのアメリカ人の発言は「怖かった」の連発でした。そして、
>彼は「よかった」という言葉をまったく言いませんでした。
災禍に見舞われた人に、その最低限の幸運を「よかったね」というのは、よく社会学的分野で言われる、わが国特有の「世間」の倫理、でしょう。
同じ「世間」に身を置く者どうしは、先方の状況をプラスに評価することで心理的ストレスを和らげようとする、ということです。和らぐかどうかは別ですが。
欧米人はそのような「世間」内にいないのですね。

>ところで、今後、このやり取りをどう続けますか?
>このエントリーは、すでにコメント数が57。そのほとんどが、
>へうたむさんと私。それはイレギュラだし、カッコ悪いし・・。
ですよねえ〜 (^_^;)。
たまたまググって来た人はビックリするでしょう^^。なんじゃこいつら、って。

>タイトル「佐村河内物語」を無視して、このままのこのページをその他の
>トピック(共時、共振など)で盛り上げる。それは面白いと思います。
それもありですねえ‥‥ですが、上におっしゃっている如く、コメント欄があまりに長くなりすぎました。
そのうち、シンクロニシティなどで記事を書きますので(未定 汗;;)、それらの記事に、ということで、当記事へは、ひとまずお互いあと1〜2本、にいたしましょうか^^;。

>ここは居心地いいです。‥‥
こんなふうに言っていただけると無上の喜びですし、そしてまた、私も書きたい放題書かせてもらっていますので、大きな発散になっています。
このようなやりとりをさせていただけたことに、深く感謝しています。

私は、一般的な当たり障りのないやりとりは、リアルな人間関係もネット上も、むしろ難しいようです。
ダークな側面も含め、お互い注意深く言葉を選んで発信することが、かなり深い次元における救い…という単語は陳腐ですが…の模索になりうるのでは、と…。

むろん、「オデオ」の世界での、趣味を介した、しかし決して深みには踏み込まない「清談」をみなさんがなさっているのも、けっして否定はしませんし、すばらしいことだと思っています。
  • へうたむ
  • 2014/04/08 1:49 AM
 オーディオとクラッシックについてのご考察感服致しました(笑)
と言いますか「なるほど」と。

 そうですよね…PAやコンプと言うことを最近勉強し「なるほど」と感じていたところ「さてクラッシックに対し異議申し立てた私のコメントにへうたむさんは、どんな感想を書かれているんだろう…」と恐る恐るやっと見た次第です(笑)
意外なへうたむさんの優しさに触れて…。
へうたむさんは、ニヒルですけど、優しい方ですから…。

 クラッシックの話ついでに、私は車通勤者なんですけど、何故か朝夕にNHKのクラッシック番組を聞いてます。
(ここで「聴く」と「聞く」は分けてます(笑))
でも最近やたらラフマニノフとかが多いですね…生誕記念とブームなんでしょうか?

はい「良きオーディオとは眠たい音」それは私も感じています。

佐村河内さんの話に「美談頂戴 in Japan」も痛感しています、大衆よ目覚めなさい、もっと勉強しなさい。

 全く話は変わりますが、色々な時事ネタを家内と話す時に「あんたはさ、義務教育で何を習ってきたの?このレベルの話は義務教育で教えてもらったよ、確かこの話は、中学校の公民でさ」なんて説教をして嫌な顔をされています。

自分で考えること、自分の言葉で話すこと、自分の考えを貫き通せること(間違った時は素直に認めること(笑))

自分の言葉を使えない、使わない人のなんと多いことか…がっかりします。
自分の言葉を使うことに何を恐れているんでしょう?

私、来月あたりでブログを止める予定です(笑)

何を書いてるんでしょう…へうたむさんのブログは不思議なブログですm(__)m
  • Nally
  • 2014/04/19 2:51 AM
Nallyさん、

>でも最近やたらラフマニノフとかが多いですね…生誕記念とブームなんでしょうか?
>はい「良きオーディオとは眠たい音」それは私も感じています。
「眠たい音」は、いい意味で解釈すると「不快さを出さない音」ということでしょう。

クラシックには、眠たい要素と、破壊的なまでに暴力的な要素とが共存します。
その双方が表現できることが、優れたオーディオ・システムには求められる、ということだけは言えると思います。

>自分の言葉を使えない、使わない人のなんと多いことか…がっかりします。
>自分の言葉を使うことに何を恐れているんでしょう?
お〜っと‥‥急にエッラく深い話題に‥‥。
「自分の言葉」‥‥ムズカシいですねえ。
「ことば」というものは、元来、広域・狭域の別はあれ、社会で流通している言葉の使い方に従ってしか、語ることはできません。
しかしいっぽうで、語る言葉があまりにも「世に流通している言い方」のコピペのようになれば、「その人」が語っているようには思えなくなってしまいます。

「自分の言葉を使う」とは、「自分の目でものを見る」、「自分の論理で言葉を組立て直す」ということになるのでしょうか。

>私、来月あたりでブログを止める予定です(笑)
え〜っ??? バクダン発言です〜 (◎o◎;)。みなさん惜しみますよう〜!

>へうたむさんのブログは不思議なブログですm(__)m
そ、そうですか‥‥今回は Nallyさんのコメントも、不思議さを湛えています。むむ〜。
  • へうたむ
  • 2014/04/20 3:25 AM
佐村河内問題は、フルトヴェングラー・マニア、野口剛夫の売名行為です。「全聾の天才作曲家 佐村河内守は本物か」、「佐村河内問題とは何だったのか」、「佐村河内問題とフルトヴェングラー」を読んで、週刊誌の三文記事でした。こんな文章に踊らされるような音楽ファンたちにはびっくりします。こんな文章に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を出すようでは、日本のジャーナリズムの恥です。おまけにテレビ出演とは厚かましいものです。
野口は「フルトヴェングラーの遺言」、「フルトヴェングラーを越えて」という本を出したとはいえ、下らない内容のマニア本です。こんなものを出すために持ち出したようなものです。
また、某音楽団体の機関誌、編集長の地位を利用し、雑誌を私物化したあげく、音楽団体からも追放となった曰くつきの人物ということも申し添えておきます。
  • ズッチャン
  • 2014/12/06 3:13 PM
ズッチャンさん、

そうなのですか。
申しわけありませんが、私は野口剛夫なる人物に関してもその行為に関しても、一切、何の興味もありません。
  • へうたむ
  • 2014/12/07 2:11 AM
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新垣隆作曲 交響曲第1番《HIROSHIMA》 【収録情報】 新垣隆作曲 交響曲第1番《HIROSHIMA》[81:34
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