さてさて‥‥街中などで “他者” と、いささか鋭角的な関係になる話は、今までもよく書いてきた。
今回も、もう 3週間くらい前になるだろうか、ある商業施設の、エレベーターの乗り口、その前のスペースで起きたこと。
エレベーターの乗り口は、基本的には並んで待つべきだけれど、必ずしも駅で電車を待つようには並ばないのではないか…と思うのは私だけなのかもしれない。
私の場合、先に乗り込んで「開ボタン」を押している、ということがあるのだが、そういう形で乗り込もうとしたら、40代と思しい男性から、「おい、ジイさん、みんな並んで待ってるだろ、オマエはなんで並ばんのだ?」と、カラまれ、もとい、叱られた。
私は、こういうカラまれ方に遭遇すると、一切譲らずにからカラみ返してしまう悪い癖があり、「電車の駅とは違うよ、先に入って開ボタンを押してあげてるってのもありだよ!」などと言い返した。
男性はさらに「それはルール違反だ、うっとおしいやつだな、出ろ!」とか言ってきて、エレベーター内で “マシンガン言い合い” の応酬となり、5階で男性は降り 「出ろ!」と言っていたが、私はそのまま乗って上階に行った。
思い出すだにイヤな感じだが、冷静に考えると、その場では 「すみません、悪かった」 と謝っておくべきだったか、という思いもする。なんといっても、ルール違反はこっちだったのだから。
もちろん、どう寛容に考えても、エレベーター前の並び方ひとつに関して、しかも衆人の前で私ひとりに “カラむ” という行為は、異様なほどのルール遵守意識=異様なほどの不寛容、かつ偏執狂的態度と言わざるをえない、とも思えるのだけれど‥‥。
これを別の機会に仕事先で話すと、それも 「いやボクには、人にカラみたくさせる背後霊が憑いているみたいなんスよ」と話すと、「お祓いでもしてもらった方がいいんじゃない?」という反応をもらった。
この種の経験は、私はよくする。
ある飲み会で、会の指導的立場の方から、いささか不条理にカラまれたことがあり、その時も猛然とカラみ返した。もちろん、すべての動詞・補助動詞・助動詞に敬語を付し、わずかの暴言も弄さなかったつもりだが、場はしらけきった。
メンバーは、「あんたは悪くなかった」的なメールをあとでくれたが、迷惑を被ったのは、参加していた若いメンバーだった。つまり、私は、その場にいないのがベストだったのである。
ほかでは、道で、車椅子の方が動きにくそうにしていた時、邪魔にならないように大きめによけた時、車椅子の方から、「私が障害を持っているからよけたんですか」 と非難されたことがあった。
その時も、礼を失せぬように、言葉を尽くして、「お動きになりやすいように配慮したつもりでした。ご不快でしたらお詫びします」 と返答し、その人とは、のちには道で会うと目礼くらいはするようにはなった。
思うに、ピンク・フロイドの楽曲、『あなたがここにいてほしい Wish You Were Here』 の曲名のデンで言うと、私は、「おまえはここにゼッタイおらんでほしい Wish You Were NEVER Here」 なのだ。
そして、カラまれると (昨今の状況下、不謹慎極まりない言い方になるが)、私、ネタニヤフが入ってしうまうのだ。
私は、自分の前世は、私が生まれる前に自死している伯父 ― 父の異母兄 ― だと、密かに “信じて” いる。
その伯父は、社会不適応で、しかも当時まだ浸透していなかったクラシック音楽に心酔し、彼の父(私から見ると祖父)から疎まれ、昭和初期にピストル自殺を遂げている…と父から聞いた。
「ボクも似てるかも」と父に言った時、「オマエは全然違うよ。兄さんはもっとずっと激しい性格で、怒ると手がつけられなかった」 と言っていた記憶もある。
ふむふむ、齢を重ねて、ますますその伯父に近づいてきた、言い換えると、霊的な深部が浮上してきたのかもしれないと思うこと頻りの昨今でありまス〜;;。
かつて、秋葉原無差別殺傷事件が起き、加害者の生活状況や屈折した心理が、人びとの同感さえ呼ぶ事態となり、たしか岩波書店の 『世界』 が 1号、特集を組んだ。私も買ったけれど、もう手許にない。
私の深層には、うっかりするとこの事件の加害者よりも深い攻撃性・他罰性が伏在しているのでは、と、恐れつつも、それをかんたんに 「反省」などもできない始末であります。
まったく他方、日常の些細なことに強迫的ルール遵守を求める生活態度が露呈することが出てくる反面、政治・行政のレヴェルでは、「ルール感覚、倫理感覚 一切無用」が、無制限に通用する、というきわめてアンバランスな、いな言い換えると、そこでバランスを取っている社会が現出している、という現象もなかなかすごい。
さてさて…こういうディープでダークな話題はこのくらいにして、また音楽CDの話などをアップしましょう。
今回も、もう 3週間くらい前になるだろうか、ある商業施設の、エレベーターの乗り口、その前のスペースで起きたこと。
エレベーターの乗り口は、基本的には並んで待つべきだけれど、必ずしも駅で電車を待つようには並ばないのではないか…と思うのは私だけなのかもしれない。
私の場合、先に乗り込んで「開ボタン」を押している、ということがあるのだが、そういう形で乗り込もうとしたら、40代と思しい男性から、「おい、ジイさん、みんな並んで待ってるだろ、オマエはなんで並ばんのだ?」と、カラまれ、もとい、叱られた。
私は、こういうカラまれ方に遭遇すると、一切譲らずにからカラみ返してしまう悪い癖があり、「電車の駅とは違うよ、先に入って開ボタンを押してあげてるってのもありだよ!」などと言い返した。
男性はさらに「それはルール違反だ、うっとおしいやつだな、出ろ!」とか言ってきて、エレベーター内で “マシンガン言い合い” の応酬となり、5階で男性は降り 「出ろ!」と言っていたが、私はそのまま乗って上階に行った。
思い出すだにイヤな感じだが、冷静に考えると、その場では 「すみません、悪かった」 と謝っておくべきだったか、という思いもする。なんといっても、ルール違反はこっちだったのだから。
もちろん、どう寛容に考えても、エレベーター前の並び方ひとつに関して、しかも衆人の前で私ひとりに “カラむ” という行為は、異様なほどのルール遵守意識=異様なほどの不寛容、かつ偏執狂的態度と言わざるをえない、とも思えるのだけれど‥‥。
これを別の機会に仕事先で話すと、それも 「いやボクには、人にカラみたくさせる背後霊が憑いているみたいなんスよ」と話すと、「お祓いでもしてもらった方がいいんじゃない?」という反応をもらった。
この種の経験は、私はよくする。
ある飲み会で、会の指導的立場の方から、いささか不条理にカラまれたことがあり、その時も猛然とカラみ返した。もちろん、すべての動詞・補助動詞・助動詞に敬語を付し、わずかの暴言も弄さなかったつもりだが、場はしらけきった。
メンバーは、「あんたは悪くなかった」的なメールをあとでくれたが、迷惑を被ったのは、参加していた若いメンバーだった。つまり、私は、その場にいないのがベストだったのである。
ほかでは、道で、車椅子の方が動きにくそうにしていた時、邪魔にならないように大きめによけた時、車椅子の方から、「私が障害を持っているからよけたんですか」 と非難されたことがあった。
その時も、礼を失せぬように、言葉を尽くして、「お動きになりやすいように配慮したつもりでした。ご不快でしたらお詫びします」 と返答し、その人とは、のちには道で会うと目礼くらいはするようにはなった。
思うに、ピンク・フロイドの楽曲、『あなたがここにいてほしい Wish You Were Here』 の曲名のデンで言うと、私は、「おまえはここにゼッタイおらんでほしい Wish You Were NEVER Here」 なのだ。
そして、カラまれると (昨今の状況下、不謹慎極まりない言い方になるが)、私、ネタニヤフが入ってしうまうのだ。
私は、自分の前世は、私が生まれる前に自死している伯父 ― 父の異母兄 ― だと、密かに “信じて” いる。
その伯父は、社会不適応で、しかも当時まだ浸透していなかったクラシック音楽に心酔し、彼の父(私から見ると祖父)から疎まれ、昭和初期にピストル自殺を遂げている…と父から聞いた。
「ボクも似てるかも」と父に言った時、「オマエは全然違うよ。兄さんはもっとずっと激しい性格で、怒ると手がつけられなかった」 と言っていた記憶もある。
ふむふむ、齢を重ねて、ますますその伯父に近づいてきた、言い換えると、霊的な深部が浮上してきたのかもしれないと思うこと頻りの昨今でありまス〜;;。
かつて、秋葉原無差別殺傷事件が起き、加害者の生活状況や屈折した心理が、人びとの同感さえ呼ぶ事態となり、たしか岩波書店の 『世界』 が 1号、特集を組んだ。私も買ったけれど、もう手許にない。
私の深層には、うっかりするとこの事件の加害者よりも深い攻撃性・他罰性が伏在しているのでは、と、恐れつつも、それをかんたんに 「反省」などもできない始末であります。
まったく他方、日常の些細なことに強迫的ルール遵守を求める生活態度が露呈することが出てくる反面、政治・行政のレヴェルでは、「ルール感覚、倫理感覚 一切無用」が、無制限に通用する、というきわめてアンバランスな、いな言い換えると、そこでバランスを取っている社会が現出している、という現象もなかなかすごい。
さてさて…こういうディープでダークな話題はこのくらいにして、また音楽CDの話などをアップしましょう。