からまれ屋。Wish You Were NEVER Here.

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     さてさて‥‥街中などで “他者” と、いささか鋭角的な関係になる話は、今までもよく書いてきた。

     今回も、もう 3週間くらい前になるだろうか、ある商業施設の、エレベーターの乗り口、その前のスペースで起きたこと。
     エレベーターの乗り口は、基本的には並んで待つべきだけれど、必ずしも駅で電車を待つようには並ばないのではないか…と思うのは私だけなのかもしれない。
     私の場合、先に乗り込んで「開ボタン」を押している、ということがあるのだが、そういう形で乗り込もうとしたら、40代と思しい男性から、「おい、ジイさん、みんな並んで待ってるだろ、オマエはなんで並ばんのだ?」と、カラまれ、もとい、叱られた。

     私は、こういうカラまれ方に遭遇すると、一切譲らずにからカラみ返してしまう悪い癖があり、「電車の駅とは違うよ、先に入って開ボタンを押してあげてるってのもありだよ!」などと言い返した。
     男性はさらに「それはルール違反だ、うっとおしいやつだな、出ろ!」とか言ってきて、エレベーター内で “マシンガン言い合い” の応酬となり、5階で男性は降り 「出ろ!」と言っていたが、私はそのまま乗って上階に行った。

     思い出すだにイヤな感じだが、冷静に考えると、その場では 「すみません、悪かった」 と謝っておくべきだったか、という思いもする。なんといっても、ルール違反はこっちだったのだから。
     もちろん、どう寛容に考えても、エレベーター前の並び方ひとつに関して、しかも衆人の前で私ひとりに “カラむ” という行為は、異様なほどのルール遵守意識=異様なほどの不寛容、かつ偏執狂的態度と言わざるをえない、とも思えるのだけれど‥‥。

     これを別の機会に仕事先で話すと、それも 「いやボクには、人にカラみたくさせる背後霊が憑いているみたいなんスよ」と話すと、「お祓いでもしてもらった方がいいんじゃない?」という反応をもらった。
     この種の経験は、私はよくする。

     ある飲み会で、会の指導的立場の方から、いささか不条理にカラまれたことがあり、その時も猛然とカラみ返した。もちろん、すべての動詞・補助動詞・助動詞に敬語を付し、わずかの暴言も弄さなかったつもりだが、場はしらけきった。
     メンバーは、「あんたは悪くなかった」的なメールをあとでくれたが、迷惑を被ったのは、参加していた若いメンバーだった。つまり、私は、その場にいないのがベストだったのである。

     ほかでは、道で、車椅子の方が動きにくそうにしていた時、邪魔にならないように大きめによけた時、車椅子の方から、「私が障害を持っているからよけたんですか」 と非難されたことがあった。
     その時も、礼を失せぬように、言葉を尽くして、「お動きになりやすいように配慮したつもりでした。ご不快でしたらお詫びします」 と返答し、その人とは、のちには道で会うと目礼くらいはするようにはなった。

     思うに、ピンク・フロイドの楽曲、『あなたがここにいてほしい Wish You Were Here』 の曲名のデンで言うと、私は、「おまえはここにゼッタイおらんでほしい Wish You Were NEVER Here」 なのだ。
     そして、カラまれると (昨今の状況下、不謹慎極まりない言い方になるが)、私、ネタニヤフが入ってしうまうのだ。

     私は、自分の前世は、私が生まれる前に自死している伯父 ― 父の異母兄 ― だと、密かに “信じて” いる。
     その伯父は、社会不適応で、しかも当時まだ浸透していなかったクラシック音楽に心酔し、彼の父(私から見ると祖父)から疎まれ、昭和初期にピストル自殺を遂げている…と父から聞いた。
     「ボクも似てるかも」と父に言った時、「オマエは全然違うよ。兄さんはもっとずっと激しい性格で、怒ると手がつけられなかった」 と言っていた記憶もある。
     ふむふむ、齢を重ねて、ますますその伯父に近づいてきた、言い換えると、霊的な深部が浮上してきたのかもしれないと思うこと頻りの昨今でありまス〜;;。

     かつて、秋葉原無差別殺傷事件が起き、加害者の生活状況や屈折した心理が、人びとの同感さえ呼ぶ事態となり、たしか岩波書店の 『世界』 が 1号、特集を組んだ。私も買ったけれど、もう手許にない。
     私の深層には、うっかりするとこの事件の加害者よりも深い攻撃性・他罰性が伏在しているのでは、と、恐れつつも、それをかんたんに 「反省」などもできない始末であります。

     まったく他方、日常の些細なことに強迫的ルール遵守を求める生活態度が露呈することが出てくる反面、政治・行政のレヴェルでは、「ルール感覚、倫理感覚 一切無用」が、無制限に通用する、というきわめてアンバランスな、いな言い換えると、そこでバランスを取っている社会が現出している、という現象もなかなかすごい。

     さてさて…こういうディープでダークな話題はこのくらいにして、また音楽CDの話などをアップしましょう。

    待てども…。

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       相変わらずの“コロナ鬱”の続く、世相+自分の心理。
       ぼつぼつ映画なども見に行きたいけれど、また、「ワクチン、2回接種しているのだから、密を避ければいいのでは?」という言葉もいただくのだが、私の場合、車を持たず(免許もない)、週6日、公共交通機関を使って働きに出なくてはならず、日曜には食料の買い出しも必須の生活である。

       ウイルス感染は、ウイルスに対する接触および被曝の濃度・頻度を下げて接触確率を下げるしか、感染可能性を下げる方途はないのだから、とくに首都圏では、来夏、ヘタをすると2024年くらいまで、不要の外出は危険、という事態が続くかもしれない。

       このところ、発熱ばかりではないだろうけれど、救急車のサイレンを聞く頻度が上がっている。外で救急車の走行に目が触れる度数も、圧倒的に増えている感じがする。
       かかるのも、重症化も、最悪 死も、ロシアン・ルーレットの観がますます強まる首都圏・阪神圏、くわえて福岡や中京圏も危険度爆増中である。

       世も、コロナ鬱が影響しているのやらいないのやら、小田急や地下鉄での通り魔的襲撃など、気になる事件が目につく。
       もちろん、日本全体では殺人事件の発生は、諸外国より際立って少なく、「殺人多発、重罰化だぁ〜」という定番の愚見には要注意。
       が、小田急車内のメッタ刺し事件は、明らかに「女性」を狙った、いわゆるフェミサイドであることは明らかだ。

       今、武田砂鉄『マチズモもを削り取れ』(集英社)を、ちょっとずつ読み進めている。
       同書の Amazonレビューには、「マチズモ」という語がラテン差別だ、とだけ言い張り、「思考停止になっている」と言ったり、「はっきり言って他の男性に迷惑です。自虐はあなただけにしてください」と言ったり、あるいは「時流に乗った無責任さが気持ち悪かった」云々、などと、いわゆる“リベラル系”に対してありがちな罵詈コメがけっこう寄せられており、「やっぱりなあ」の観はいつもながら。

       こういうレビューに、完々璧々の「思考停止」と「時流に乗りまくった無責任」がみごとに漲っていて、小田急の事件の心理のバックグラウンドも見えると同時に、この国は「超バカ男どもの大集団」ではないか、と思うこと頻り。当方も、そんなバカ男の一人ではありまするがね。

       「鬱」続きの割りには、お蔭さまで、このところほんとうに〇痢をしない。ダノンビオが合っているのかな、とも思うのだが、不思議なくらい。

       音楽のほうは、欲しいアンプが、もう2ヶ月入荷遅れで、ショップに問い合わせると、一度は「取り下げる予定なので、別ブランドをお勧めする」と返ってきた。
       代理店のほうに、再度問い合わせ、「このままでは、入荷した時に国内のリテーラーがなくなっていますよ」と言うと、さすがに担当に聞いてくれて「9月中旬くらいです」との答え。
       つたない英語で、メーカーのヘッドクォーターにメールしてみっかな。「I recommend that you would change the dealer in Japan.」…とか書きたいが、今換えられたらよけい遅れるので、別テクスト考案中。

       そして、7月8日に、残額全額を、一括で返還した奨学金。

      奨学金払込み領収証

       日本学生支援機構のサイトには、返還完了通知は、「払込取扱票により郵便局から払込んだ場合・・・・・払込日から概ね1か月〜1か月半後」に送る、と記されている。
       先週に「1か月半後」を迎えたけれど、な〜んにも音沙汰なし。

       いわゆる「報奨金」が出るそうなので(定額小為替らしい)、その調査と決裁に時間がかかっているのかもしれず、コロナ禍の影響もあろうかとは思われるので、頭ごなしに怒るのは憚られるが、ちょっとヒドいんじゃない? という一件であります。
       3ヶ月 ― 10月頭まで ― 待っても何もなかったら、簡易書留郵便で問い合わせるとともに、メディアにも報告してみようかと思っている。

       Reluctant という形容詞、な〜っかなか意味を覚えないのだったが、今、政府、行政、公共的サービス、オーディオ・メーカーまで、この語の意味が「あ〜あ」としみじみ感じられる対応ばかり見受ける。
       そういや、Deccaにバリレラ型カートリッジってのがありましたっけね(GEが先かな)。
       Reluctance って、磁気抵抗なんだ。それが variable。人間界のほうは、fixed なのかな^^;;。

      体調不良と食べ物…。

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         う〜ん‥‥なんなんでしょう‥‥脱力・疲労感がスゴい一週間が終わった。食欲は少なく、だから、無理に食べないようにしている。
         このまま倒れる or 起きられなくなるんじゃないか、起きられても仕事に行けないんじゃないだろうか、という感触の中、週6日の仕事は、した。

         木曜は夜だけの仕事で、正午前後、起き出す前に、フトンの中で、一生懸命背骨に気を通す「脊椎(脊髄)行気(ぎょうき)」をしていた。
         ※脊椎行気に関しては、こちらなど参照のこと(若干、誤変換あり)。
         野口晴哉先生曰く、
         「呼吸は鼻でするものと決めてしまっている人がある。中でも大切なことは背骨で呼吸することだ。特に心を背骨に集中して背骨で腰髄まで吸い込むことは、一切の健康問題を解決する力を持っている。」

         これは、野口先生の他の著書にも、くりかえして説かれている。
         で ― 木曜のお昼、ず〜っと背骨に息を通していると、どうも(未熟者の感触だが)胸椎の下端部、胸椎10〜12番あたりのところで、気が閊(つか)える。
         もちろん、頚椎のあたりから意識して下ろしてくると、肺活量の小さい私などはすぐに息が切れてくるからでもあろうが、この部分に「つかえ」を感じ、ず〜っとここに集中して「行気」をしていた。

         すると、息を深くするとともに、両鼻が通り ― 口腔外科治療完了のお蔭で、元々通りがよいが ― 閉じたまぶたに、真っ青な青空、それも、リアルな、ちょっと暗めの空が見えてくる感じを受けた。
         で、フラフラではあるが、起き出し、仕事に出られた。
         カラダはフッラフラだが、心のほうは、いつもよりずっと澄んだ感じだった。

         身体的には「もう、休ませてくれ〜」なのだが、生徒に話す、という仕事をむしろやりたい、という気持ちが高じていもする。
         こんなにシンドくても「行きたくなる」仕事というのは、ある意味、ありがたいものではある。

         しかしいったい、身体に何が起こっているのだろう。去年だったか一昨年だったかも、秋に、下痢だけでなく、食欲までなくなる時期があり、今年はそれのヒドいヴァージョンのような気もする。
         ここ数年、耳鼻咽喉系の風邪には一切かからないので、そっちの「補償」をしている感じもある…。

         痛みはどこにもなく、だとすると肝臓か、腎臓あたり?
         週明けに病院、行くかなぁ‥‥ま、倒れるまで働かないとどう〜っしようもない暮らしではあります。

         さて ― 夕食も、食欲は少ないので、スープとパンとサラダ、ていどで。
         以前の食欲減退期にもお世話になったのだが(ブログに書いていると思ったけれど、書いていなかった)、吉祥寺のアンテンドゥ ANTENDOというパン屋さんのパンが、おいしくて、閉店前の480円売れ残りバラエティ袋を買って帰った。

         ここのパンは、とくに食欲減退期・胃腸不調期には、ひと口食べただけで、大げさにいえば神秘体験のようにおいしかった。
         正札は、いつも食べている百均やファミマ・ベーカリーの比ではないほど高価なので、体調がもどればやめる(笑)ようにはしている。

         下の写真右のパンは、そのアンテンドゥ(← この読みは、どうにも不可解(笑))の、「コフレ・セゾン」のハーフ、すでにひと切れ食べたあとだが、3切れで税込みとはいえ700円!

        ビスケットとパン

         プレザーヴの重厚なイチゴ、それにクランベリーとかレーズンとかも入っている。

         左は、インドネシア製の「ティムタム TimTam」という、チョコレートコーティングされたビスケット。
         メーカーはオーストラリア本拠だそうだ。
         ドンキホーテで、4ヶ入り税抜き60円で売っていたのを、ほとんど全部買ってしまった。これ、なかなかおいしい^^。

         はてさて、私の身体はどうなっているのでしょう。来週は、病院に行こうかなぁ〜。
         おっと、こういう記事は読む方に心配させちゃうかもな〜;; ‥‥。

        冷蔵庫内の水漏れ。

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           もう老朽化の極みを超えて、まだ使っている冷蔵庫‥‥というのも、玄関に置いた大きな食器棚(旧室から移転)のせいで、冷蔵庫など大きなものが玄関から出し入れできない状態なので、しようがなく使っている。

           冷却部のフィンに結氷して冷却機能が落ちることは、拙ブログでもしょっちゅうボヤいていたのだが、ここ1年ほどは、保冷剤4パックを、2パックずつ凍らせ、あと2パックを冷蔵室トップの引き出しに置くようにし、常に冷却補助をさせて、そのお蔭でフィンに結氷しないようになっている(写真省略)。

           が、いったん付いた氷が溶けた水が、しかるべき経路を通って背部の、水を溜めておいて蒸発させるパーツに落ちず、たぶん途中の経路にゴミが詰まっているのか、庫内に出てくるのである。

          冷蔵庫内に水。

           棚を、ちょっと前にずらしておけば、棚に水が溜まる ― 何度かあった ― ことはないが、いちばん下に溜まってしまい、時には床に流れ出していることもある。
           写真は、百均で買った、何の用途か失念しているプラ・トレイを、ドアの前に敷いている図。もっともうまくこれに流れず、床に流れることも多く、どちらにせよ、ティッシュで庫内を、雑巾で床を拭かないといけない。
           ふひ〜い。

          私学共済 vs 年金事務所 ‥‥加入期間確認通知書(合算用)。

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            私学共済本部と年金事務所
            写真 左・ガーデンパレス東京 右・武蔵野年金事務所

             前週は1日だけ休みがあったので、こ こに書いていた、私学共済年金の請求書を提出するために、お茶の水・東京医科歯科大裏にある、ガーデンパレス東京の建物内の私学共済事業本部の相談室に出向いた。

             入口で氏名と電話番号を記入し、IC入りという入館証をもらって、エレベーターへ。エレベーターの利用には、IC入館証をかざすことが必要、と言われたが、どこにかざすのか「?」。とりあえず乗れたので、4階の相談室に。

             待たずに相談を受けてもらえたけれど、案の定というべきか、こ こに書いていた、「年金加入期間確認通知書(合算用)」が、「合算用」ではない、と言われ、年金事務所に行って、書類をすべて見せて請求した、と言うと、担当者の上司が、「それはちょっとヒドい」という感じで、年金事務所担当者をなじらんばかりの口調になった。

             「「年金加入期間確認通知書(合算用)」は、年金事務所に行って請求する、とだけ、私学共済案内書にはあるので、それでいいと思っていたのだが、齟齬は、けっきょく「カラ期間」が算入されているかどうかであった。

             ある部分、想定しないでもなかったのだが、私が学生であった期間としての「カラ期間」は、日本年金機構にも情報はないわけであって、私が各卒業校に請求(手数料+往復送料は、私負担。当然だが)をして、在学期間を証明する証明書を取り寄せ、加えて私学共済の加入期間確認書 ― これは当日、相談室で請求させられ、すぐ出してくれた ― も、当然必要なのだった。

             こういう手続きが必要、とまでは送付された案内には書いてなく、これを書いてあるプリントは、今回相談室で手渡された。


             「年金事務所で受け付けていただけない場合は、その場で私学事業団 年金第一係にご連絡ください」と、枠内網掛けの注意書きまであることを見ると、年金事務所にもこの書類の件があまり周知されていないことが窺える。

             というわけで、高校(20歳を過ぎてからも、中学不登校による留年のため、在学期間がある)・大学・大学院の、それぞれの事務課に、書類請求を始め、それを入手し終えたら、また年金事務所に出向きましょう。
             そのあと、通知書はまた2週間くらいして届くだろうから、私学共済への提出は9月下旬以降になるだろうか。

             この件、年金支給は加入10年=120ヶ月でOKになったはずなのだが、私学共済は、ドンピシャで300ヶ月=25年にできる条件のある者なら、それを証明できる書類を提出させる、のである。
             「煩雑ですね〜。案内の記述では理解に及びがたい」旨を言っても、担当者はけっして「もうしわけない」方向の物言いをしない。

             規則がそうなっているので、それに加入者を合わせさせるのは、丁寧な応対でもあるし、当方も書類をそろえるのは嫌いなほうではない。
             それと、ふつうの勤労者は、会社員であれ教員であれ公務員であれ、学卒で就職して300ヶ月以上在職して退職する人がほとんどだろうから、私のようなケースは少数派で、扱うほうも煩瑣なのだ。

             が、大学などに一時的にせよ関わる人物は、経歴が複雑で例外的な人もそこそこいるのではないかと思う。
             それと、すでに昨年夏・8月1日には、「公的年金制度の財政基盤及び最低保障機能の強化等のための国民年金法等の一部を改正する法律の一部を改正する法律」(平成28年法律第84号) ― すさまじい複雑名称である ― が施工されているのに、なぜ300ヶ月=25年にこだわるのか、というところにはひっかかる。
             これは、上記改正が、国民年金=日本年金機構に、特に関わることだから、私学共済は旧来の25年ルールを基本とし続ける、ということなのか。

             ‥‥今回、こういうところなのだが、「入館証」を必要とし、入館時には氏名と電話番号の記入を求められた(ガーデンパレスとは別の玄関)。
             これで思い出したのが、総理官邸の「入館記録]。加計問題で国会の議論になった際、入館記録が全然出てこなかったことは印象深かったが、“しもじも”の入館はきっちり記録し、“大物”関係の出入りについては、自由に抹消したい、というところが見えてくる。

            [追記]
             今気がついたが、各学校は今は夏期休暇なので、事務室は閉室しているところが多いだろう。
             となると、さらに証明書の入手は遅れ、通知書はさらに遅れ、書類提出は10月にずれ込みそうだ。

            聴覚過敏?

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               今日は、8時半過ぎ、仕事を終えて外へ出ると、久しぶりに昨日までより涼しかった。
               と思ったら、台風が来るようだ。

               で‥‥帰宅して風呂に入ると、水が排水口に流れ去る際の音の、とくに、まるで水琴窟のごとき、高周波倍音的音だけが、右耳からだけ、とくに強調して、「シャリシャリ…」聞こえる!

               ふむ〜、これ、聴覚過敏かな〜‥‥。

              聴覚過敏…サイトから

               風呂から上がるとちょうど午後10時を回り、《荻上チキの Session-22》を、アイワの(もうそうとう劣化した)AMラジオで聞くと、AM放送に多いノイズや、バックグラウンドに流される音楽の、ちょうど電車の中でイヤホンから漏れる高周波音の部分だけが、やはり右から聞こえる。

               う〜ん、これ、原因は過労などのストレス、とされているようだ。
               とくに例年に比べてストレスが多くはないんですがねえ。

               そ、それとも‥‥音楽の聴きすぎかな ‥‥;;;。

              [後記]
               あ、治ってきたみたいです ;;。

              > 音楽の聴きすぎかな ‥‥;;;。
              いや、このところ、週日の帰宅は少し早いけれど、22時前にはなるので、だいたい日曜以外、スピーカーでは聴けていないのでした。あ、だとすると禁断症状のほうか ;;。

              け、血便、出ましたぁ〜;;;。

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                 やっと木曜から、4日間だけのGW。

                 今回は、belowトピックにて、ご注意ください orz...。

                 このところ ― いつものことながら ― 腸の具合が悪く、ガスがすさまじい;;。
                 水曜日は、仕事先でも下痢ではないが1〜2回トイレに行き、帰宅後、何度もトイレに。

                 深夜、本を読んでいて、風邪の時にありがちな、体がゾクゾクしてくる感じが出てきて、そのゾクゾクが強まると、便意;;。
                 こんなに続くのは初めてだというくらいトイレに行き、最後は粘液‥‥はけっこうあることだが、鮮血が混じっている!

                 あわわわわ、こりゃまた大腸がんなのかな。12年ほど前、落とし紙に血が付いているような感じがし、通常の便にも少し赤いものが、となった時、内視鏡検査&手術で、ポリープを取ってもらい、がんだった。

                 その時は、痛みは全くなく、ただし、その約半年前に、失職の恐怖で心臓バクバクで起きることが続き、あげくのはてに手に凄まじい湿疹が出た、ということがある。

                 今回は、下腹部に痛みがあるし、「風邪状態」が明白でありそうな関節ゾクゾク感が高まった時点での下血なので、対照的と言ってもいいほど違う。
                 おサイフのほうは、むしろ若干だが余裕が(笑)‥‥。

                 が、1回癌をやっているから、検査をするのが一番なのだが、検査のためには最低1日、3コマの仕事をキャンセルしないといけないだろう。仕事先には、代講を見つけるなど、明らかにこちら都合で迷惑をかける。

                出血〜。

                 さて。久しぶりの自作漫画スキャン。でもって GT-S650での最初の漫画スキャンが、こんなトピックになって、かなぴぃ〜です〜 (~o~;)。

                 3月末から、抗生剤(クラリスロマイシン)と排膿剤(カルボシステイン)を服用し始め、鼻からのクサいニオイはぱったりやんでいるが、まだ左の上顎洞には膿が溜まっている(レントゲン)ということで、薬の服用はもう5週間めぐらいになる。

                 副作用はきわめて少ない薬剤らしいのだが、飲み始めてから、昼間の疲労感はやや強まり、寝ても回復しない感もつのっている。
                 クラリスロマイシンの副作用には、稀ながら出血性大腸炎があるという記事もある。
                 もともと劣悪な腸内フローラ(=腹黒いんですなあ…;;)だった上に、抗生物質がさらにアンバランスにし、そこへ風邪を引いた、という感じもする。

                 水曜の夜から木曜未明にかけては、目が覚めている間ず〜っと、下腹部と、それから肝臓に愉気をしていた。起き出した時の体温は37.0度。通常、起き抜けは35.5〜35.8度くらいなので、明らかに熱がある状態だった。夜になって36.6度くらいまで‘冷却’。これでも私としては高い。

                 ま、この4日間は、診察だの検査だの言っても病院はお休みなので、服薬はちょっとお休みし、のんびり音楽を聴いて過ごしませう。

                天皇退位論、とか雑感。

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                   今回は画像なし。カテゴリーも「愚痴」です。

                   いつものとおり、帰宅時には始まっているけれど、TBSラジオ《荻上チキの Session-22》を聞いた。

                   今夜(4日)の特集は、天皇の退位日程等の決定に関する議論。
                   ゲストの放送大教授・原 武史氏が、平成天皇の「祈り」=宮中祭祀と全国行幸への熱意は、単に「よい人」というイメージだけでなく、すでに明治以降、戦前の天皇イメージ構築の中核だった部分を、国民に定着させてきており、それは新たな「国体」となってきている、という、氏の最近の天皇観でもある見解を述べていた(原氏の見解については、こちら、など)。

                   今上天皇・皇后の、こうした活動は、庶民一般はもちろん、リベラル派の人びとにも共感を以て迎えられてきているが、その歴史的意味は、憲法のあり方とともに、十分に考察されねばならない、と聞き取れた。

                   原氏は、NHKが天皇退位問題を、異様なまでの長時間と、国民間にさも異論が存しないかのような形で報じる番組を組んだことを取り上げ、その番組中、インタビューを受けた女子高校生が「天皇のことを私みたいな者が語るのは畏れ多くて…」云々と答えていたことを挙げて、「驚いた」と言っていたのには、むしろ私のほうが驚いた。

                   氏のような専門家ならば、天皇が、我が国において、「上から押しつけられた」権威という次元とは異なる、「人びとの敬愛・畏敬の対象たる王」という「神話性」を、常に負わされる存在であることは当然理解しているはずだからだ。

                   とはいえ厄介なのは、この「神話性」は、「だから、我われ日本人には、上から押しつけられた《天皇》ではなく、自発的に敬愛する《天皇》があるのだ」という論に、短絡する要素があることだ。
                   「自発的に敬愛する」のは、自発的に敬愛するように、公教育と報道と‘世間’が、押しつけてきたからにほかならない。
                   と同時に、これも軽々に無視できないのは、そのように「自発的に押しつけられる」=言い換えれば、まさに「内発的に、自然に天皇を敬愛する」要素も十分に、国民にあったということである。

                   すぐに「原氏のように女子高生の言に驚いたのは‘鈍感’ではないか」とTBSラジオにメールしてしまったが、原氏が鈍感だと非難するようなことは本意ではない。

                   今上天皇の「人間として」の被災地巡幸などに共感と敬愛を覚える、きわめて普通の人間的感情が、明治期から太平洋戦争へと推移した時代の「天皇」=「国体」に、ある意味直結していることには、十二分の注意を払わなくてはならないのと同時に、そのような感情を一概に否定することが困難な理由も、じっくり考えなければならないだろう。

                   その際に、最も避くべからざる重要事項は、日本は昭和20年8月に、主権を失った国だ、ということだ。
                   今流行の「教育勅語」を「拳拳服膺」し抜いた挙句のはてに主権を失ったのである。

                   それでも、民は、「王の行幸(みゆき)」を待ち、仰ぎ、喜ぶ。
                   ジョン・ブアマン監督の《エクスカリバー》では、アーサー王の疾駆していったあとには、枯れた草も再び蘇生し、花ひらく演出があるが、それが「王の徳」なのだ。

                   《Session-22》では、原氏が、そういった国民の中に澎湃と流れ始めた親和的かつ神話的天皇観に乗っかるように、あの内田 樹氏が、天皇賛美ともいえる言説をなしている、と言っていた。
                   ネット上には、『月刊日本』掲載の、内田氏の「私が天皇主義者になったわけ」の一部として読むことができる。

                   この発言に、原氏は大きな疑問を呈していた。
                   上にリンクした原説と読み比べてみるとよろしいかと思うが、この内田氏の、調子がよすぎる今上天皇賛美には、まったくこの男の知性のありようを知らしむるものがある。

                   いっぽうでこの男、あの SEALDsに熱い賛意を表明したりもしている。
                   「僕たちはいま、2015年の夏に、戦争法案の参院審議のさなかにあって、日本の平和主義と立憲デモクラシーの「死」と「再生」の劇に立ち合っているということです」などと、イケシャアシャアとのたまっている

                   もちろん、このような氏のスタンスであるからこそ、一般には受けがよく、本もよく売れるのである。
                   そのスタンスは、私たちの内面に、意識されないまま蟠っている、「戦前からつながっている要素の心地よさ」と「結果がよかったからというだけで受け容れ、固持する憲法と立憲主義」という、「私たちのいちばん脆弱なところ」と、実にうまくシンクロするのだ。

                   こうなんだから、女子大生の「無純」と「精心」に慨嘆するくらいしか、言いようもないのだろう。あ〜あ。

                  アタマの緊張、などなど。

                  0
                     ‥‥しんどい〜。
                     さすがに週6日、仕事に出て行き、だだぁ〜っとシャベっているとしんどい。
                     いや、仕事より、「毎日出てゆく」ことがしんどいのである。

                     このところ摂取していた、オルニチン入りの味噌汁と、雑穀米。どうもお腹によくないような感触なので、オルニチン入り味噌汁の、オルニチンの入った顆粒スープはすべて廃棄し、味噌だけ利用することとした。
                     雑穀は、先週はずっとやめていて、昨夜の夕飯にだけ、ちょっと混ぜた。

                     1週間、下痢はしなかったが、今日、《サマーフェスティバル》(要するに‘よさこい’である)をちょっと覗いて、おねえさんの筋肉質な腕でも見よっかな〜と、買物もたいしてないのに出て行き、帰るとお腹が! 「腹痛」というものではないけれど、帰宅後トイレに駆け込むこと5回。

                     野口晴哉先生の「整体」では、「頭の緊張を緩めるために下痢をする」参考になる記事)ということを言う。
                     私の場合、夜間の冷えや、寝る前の飲酒(かなり量は減っている)も原因していようけれど、やはり一週間のアタマの緊張 ― そんなに使ってねえじゃん、という勿かれ^^! ― をほぐす目的らしい、と自覚している。

                     といって、一昨年の転居前の4階の旧室では、生活はずっと困窮していたのに、お腹の具合はずっとよく、食欲もずっとあって、体重は48kg以上になっていた。
                     この辺のところは、やはり、転居自体のストレスがそうとうあって、まだ残っているのに加えて、何より新室の狭さのストレスだろうと感じる。

                     帰宅すると、「自分がいられる/寝られるスペースのみ、あとは、無し」という住居面積に、「ウッ!」と来る圧迫感というか、逼塞感を感じる。
                     アタマでは「必要なだけのスペースで、合理的だし、管理もしやすいはず」とわかっていても、感覚が不快を感じるのである。

                     たぶん、「自分が、最低限の生活しかできない状態に追い込まれた」という自覚は、あまりないままに転居し、「(頭で)こりゃなかなか快適だ」と思っている、というより「思おうとしている」ことに、身体が正直に反応・反逆している、ような感じ。

                     私は「おとなしい」人間で、「自罰傾向」が強く、それゆえ身体症状を起こしやすくて学校もキツかった、というのが、カウンセラーの見解でもあったと思うし、ある時期までの自分の自己評価でもあったのだが、実際は180度逆であり、他罰性が非常に強いのである。

                     あまりにも「他罰傾向」が強すぎ、恐ろしくて「自罰」を装ってきたのである。
                     世に「瞬間湯沸かし器」と称される、‘キレやすい人間’がいるけれど、私の場合、「瞬間沸かし器」で、キレ度が、アブナ過ぎる。

                     さきほども、スーパーで、レジで並んでいた時に、前で清算中の子連れの主婦が、「ちょっと○○も…」と言って、買い忘れの商品を取りに、場を離れた。その間、レジ係の人も、次の番の私も、待っている。
                     さほど長時間ではないけれど、いつもどってくるかわからない。たぶん20〜40秒ほどでもどって来たと思うが、レジ係にも私にも、「すみません」のひと言もなく、ゆ〜っくりお戻り。

                     こういう場で、私の心中に殺意 もとい、激怒の核分裂が起きる^^。
                     そのおばさんの清算が終わるやいなや、彼女が前に進むのとほとんど同時に、私はこれみよがしに、いささか暴力的に手を伸ばしてレジのトレイに千円札を叩きつけた。
                     清算がすみ、彼女の隣の袋詰めテーブルに、買ったものの入ったカゴを、わざと大きな音を立てて「バシャッ!」と置き、買物を袋詰めして、彼女がカゴを、すでに重ねられているカゴに重ねた直後、これまた大きな音を立てて「バシャッ!」と重ねた。

                     いっや〜、小せえなぁ〜、と我ながら反省の段、であるが、こういうこと、しょっちゅうなのである。アブナい、アブナい。
                     こういうようなことで、安い外食チェーンのメシがまずくなることも多いし、仕事先で緊張が生じると、職を失いかねない ― もちろんそれゆえ、自分の中に緊張が起きても、最大限、安全に処理しようと努めるけれど、それだからますます“週末にはハデに下痢”となるのだろう、とも思う。

                     藤原智美『暴走老人!』(文藝春秋)、まだ積ん読っす〜。

                    端境期…。

                    0
                       3月は、仕事面が例年端境期で、4月末の振込み額は雀の涙ほどもない。
                       が、30ヶ月ぶりに引いた風邪の経過のためにはせめてこれでよかったのかもしれない。

                       歯のブリッジ部の奥の炎症(と思しいもの)は、くっさ〜い膿に血が混じるところまで行き、続くとさすがにマズいと思ったけれど、すぐなくなってしまい、身体というものは実によく考えてくれているなあ、と感心。
                       やはり、「身体の深層の働き」を徹底して信頼することが重要だと思った。

                       もちろん、変化に敏感であることも、身体を信頼することのうちに入るもので、食事を「ほんとうに食べたい」分量以上に食べないことも肝心。
                       ただし実行は難しい。どうしても、炊いた分のご飯は食べ、皿に乗っているおかずは食べきってしまう。
                       これが、のちの諸病の根源になるのだが、最も追放しがたい惰性でもある。

                       このところ、それで、食欲が落ちている。仕事のない日はとくに運動不足というより運動欠如、なのだが、1回めの軽い食事のあと、7〜10時間たっても、そんなに‘お腹が空いた’感が起こらない。
                       折りからの収入急減期でもあり、食費を節約するいい機会とも考え、ご飯は少なめに炊き、おかずも最小限で済ませるようにしている。

                       その他にも、体調は不安定で、5時間くらい眠って、あと眠れなくなる日と、10時間以上寝て起きられない日が、交互に来たり。

                       今日は安保法制の施行日ということで、よくお邪魔するブログでも抗議デモの記事があったりして読む。この件でググると、反対派への罵詈軽侮を並べ立てる「ネトウヨ」群のサイトにもぶつかり、不愉快極まりない。
                       だいたい‘右派’のほうは、そのリテラシーで“人品骨柄”が丸わかりで、ネット上でやりたいことは、事の本質より、自分が反対する対象をキタナいことばで罵ることだとわかる。

                       安保法制反対派の方のブログの中で、スタンディングやデモの発信を受け止めてくれない通行人たちについて、「人は聞きたいことしか聞かない」と嘆いておられるのを見た。
                       が、これは、戦後からずっと、「護憲派」およびそちらに近い側の人びとにも、かなりの部分、判で押したごとくに該当するように思う

                       こと政治に関しては、インターネット上の発言というのは、「事の性質」はどうでもよく、自分の見解を発し、反対者を罵詈するという機能がほとんどを占めているような気がする。
                       それぞれのサイト・ブログには、稀に反対者からの罵倒が入る以外は、「お説ごもっとも」的‘仲間内賛意’のみがコメントされる。

                       こうしたことを見ていると、とくに安保法制などに関しては、ネットからは何も情報は得られないのだなぁ、と痛感する。
                       中東では、あの、ネット・SNSの威力絶大だったという「アラブの春」以降、かえってイスラーム過激派のテロが増え、ついにISなどというものが現われた、という目を背けられない現実がある。

                       私のブログは、オーディオという、ネットのやりとりがなかった時から多くの人たちが趣味としてきたものを、まず中心にしている。
                       こういう、まずは「リアル」が存在する世界では、見解の合致や対立はあるのだが、「コトバだけの暴走」ということは、あまり起こらない(のではないか)と思う。

                       どのようなものであれ、オーディオ機器はエレクトロニクスがまず基本にある。
                       テレビでは、「重力波」とか「量子もつれ」とか、最新の科学トピックが紹介されるが、一般の生活者の人びとの中には、たとえば、AC100V電源を使うテレビやAV機器の中には、100Vの電灯線のラインが、途中で低圧化されたりしつつ、そのまま機器の中に入っていると思っている人が多いのではないだろうか(いや、それはないかな^^;)。

                       少しでもオーディオに突っ込んでいる人は、エレクトロニクスの基本は押さえている、ないし、押さえようと努めているので、議論は、個々の嗜好とともに、事実と論理に基いたものとなりやすい。

                       この辺が、ネット以前にリアルとして存在する分野の、ネットにおける、ある種‘安定’と‘堅牢さ’のもとなのだと思う。

                       ところが、こと政治となると、ことばのやり取りで相互の考えを精密化してゆくというプロセスに、我われ非-欧米人は、あまりにも、あまりにも馴れていない。

                       ‥‥さて、明日(日付は今日、か)、交換されたアンプの良品が到着予定。
                       ほんとうに、昨年11月以降、私の経済状況ではトンデモナいオデオ浪費の嵐だった。
                       もうちょっと残高を残しておかないと、ほんとうに5月以降の生活がたいへんになる可能性もあるのに、こんなことをしてしまう。

                       世の、景気のお話になると、テーマになるのが、内需=消費の拡大。
                       ‘エントリー・クラス’の趣味の品を購うのに、こんなに無理をしているのだから、一般的な消費は、ひたすら緊縮となる。

                       世の中一般は、どうなのだろうと思うが、アベノミクスが成功したとか失敗したとか言ってみても、すでに野党のどんな党・政治家が政権担当しても、国内消費なんかよくなるはずもないし、消費税を5%に戻したってよくはならない。

                       そうなると、選挙直前に「消費税の再増税は敢然と延期!」をブチあげる安倍自民党がまた大勝する=国民が大勝させる のは疑いない

                       それで景気がよくならなくても、だれもさして不満は持たないし、経済的に少し上層にいる人びとは、株価高などでおいしい汁が吸える。

                       非正規雇用を中心に、「下」のほうにいる市民は、せめて消費税が10%にならないほうを選ぶし、だからといって、可処分所得はもうギッチギチの状態で、その上、最近は生活上出てくるゴミの処理も多くの自治体で有料化しているし、家電を廃棄するにもお金がかかるから、ますますモノを買う意思が殺がれる
                       エコノミストや経済・消費アナリストといった連中の口から、こういうテーマが出たことは、ほとんど聞かない。

                       が、今夜聞いていた、《荻上チキの Session-22》で、チキ氏が、「もう内需の拡大なんていっても、可能性のある分野なんかないよとよくおっしゃる方がいるが、今問題になっている保育の分野などは、保育士さんの待遇を改善して子どもたちをどんどん受け容れれば、そこに需要はいっぱいあるじゃん!」と言っていた。
                       いっぽうでこういうことなのである。

                       ではあるが、私のいる分野などは、人件費、超キ〜ッチキチでやるしか方向性のないところであるし、その中でも私自身などは、いないほうがよい存在かもしれないことを時に感じつつ、それをわかって生きているって、なんだかなぁ、ではあるが、「今」の時を過ごすだけである。

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