最近やっと読み終わった本2冊。

 もう1週間以上前になるが、ず〜っと読んでいた ― ので、初めのほうは忘れているかも;; ― 本を、2冊ほど読み了えた。

読み了わった本。

 1冊は、学部時代に求め、ずっと積ん読だった、プラトンの『ソクラテスの弁明』(「ソークラテースの弁明」、田中美知太郎訳、『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』、新潮文庫収載)。
 “世の青年たちの思想を壊乱した”廉(かど)で捕縛され、死刑判決(!)を受けることになる裁判における、ソクラテスの自己弁明を記した書、である。

 大学時代から積ん読のままだったものを、数ヶ月前から『ソクラテスの弁明』だけでも読んでしまおうと思って読み出したのだが、文字を追うのが、めんどくさかった〜。
 で、内容はシンプル過ぎるように感じられるのみで、示唆を受ける部分は、なかった(あちゃー)。

 読後感は、2,500年前の、デモクラシーと思弁との故郷のごときギリシャでも、やっぱりポピュリズムが社会を動かしたのだ、ということ、だけ。みごとだ。
 2,500年といえば、1万年の1/4である。このていどの短時日では、ヒトは考え方も生き方も変えられぬのだ、という確固たる事実。よ〜くわかりやした。

 もう1冊は、ちょっと前に、民主党大会で“大演説”をぶった、慶応大教授で財政学者の井手英策氏の『日本財政 転換の指針』(岩波新書、2013年、写真左)を読み、予想どおり(!)いまいち飲み込みづらく、ヤフオク上のブックオフのまとめ買いでいっしょに買っていた、同氏『財政赤字の淵源』(有斐閣、2012年)を読んだ。

 副題は「寛容な社会の条件を考える」であり、昨今の社会に一般化しつつある、生活保護受給者などへの攻撃的視線に代表される「不寛容」と、財政 ― は当然、税制のあり方に直結している ― との関係を模索したもの、ということになるのか。

 最終章が、今後の財政&税制への提言で、ここと、財政史研究(これが井手氏の評価されたこれまでの主業績分野)から日本財政を論じ、「土建国家」と定義し、その行き詰まりを指摘した第五章までとの間に、なかなかうまく繋ぐことができない溝を感じる‥‥と感じていたら、版元サイトにある著者自身のコメントで、著者自身もそのことを自覚している旨、告白している。
 加えて、予期せぬ大怪我からの回復時の執筆だったということも知られた。たしかにこれはたいへんだったろう。

 このコメントも、岩波新書の「あとがき」と同様、さすがに民主党大会でのアジぶりほどではないけれど、思い入れたっぷりで、こういった熱と説得力が、論著の本文からももっと感じられないものか、と、この人にはいつも思わせられる。

 Amazonにはまだレビューがないけれど(いずれ入れてみるつもりなので、ここでは詳論しない)、ネット上にいくつか見える読後感は、最後の提言にいささか「そうなるといいね」という感想を示すものばかり。
 井手氏は、このあとにものした『経済の時代の終焉』(岩波書店、シリーズ 現代経済の展望、2015年)が、大仏次郎論壇賞というものを受賞しているのだが、2冊の読後感から、『経済の…』を手に取る気持ちは、失せている。

本の廃棄・放出。

 吉田秀和の新書版随筆集『文学のとき』(白水社ブックス、1994年)を読んでいたら、中原中也に連れられて小林秀雄宅を訪れた時の印象を書いている。

 部屋には窓があって、その下の壁沿いに、二、三十冊の仮綴じのフランス語の本がひとならび、ならべてあった。本の少ないのが、ひどく私の気にいった。
 私は、本の少ない家に育ったためだろうか、むやみと本のたくさんある部屋とか住まいには、肉体的に嫌悪を覚える。贅沢とまではゆかなくとも、ゆったり場所をとってあったら、どうか知らない。しかし、日本の家屋の場合、たいていは、部屋中の壁が本でいっぱいだったり、その辺にごたごたと積み重ねてある図を見かける。そんな時、私には何だか、その部屋の主が、精神的にひどく貧寒とした人物に思えてくる。「ルンペン知識人」、もしこんな言葉があるなら、そんな感じである。金のない知識人が嫌いなのではない。質的な貧しさに鈍感で、そんなに知識ばかり求めて、どうするんだろう? と思ってしまうのである。
(120頁)

 吉田氏の文章としては、ちょっとイヤ〜な感じを得る文章だった。ふむ、やっぱり「金のない知識人」を嫌っておるじゃないか。収入がなくて部屋の狭い研究者なんか、嫌いなんだろうな。
 が ― 住む場所についての感覚という次元でなら、自分もこのようにも感じる。

 自分の、狭い1Kの借り部屋が、まさに「部屋中の壁が本でいっぱい」になっていることに、圧迫感だけを感じるようになっている。‥‥さすがに、現状、床に平積みの本はない‥‥書類や古新聞ならぬ古市報は畳の上だけれど。

 そこで、書籍の処分・廃棄計画‥‥まず放出すべきは、10巻本(縮刷)の『日本国語大辞典』(小学館、旧版。通称「にっこく」)。いちいちこれを披見することは、もうなかろう。それより、こまめに『広辞苑』や『大辞林』を引くほうがいい。

日国

 これは、オクに出して(1,000円くらい? もち、送料は落札者さん負担;; )落札されたとして、発送時の梱包がちょっとたいへんだ。
 おっと、写真でちょっと見えておりますが、『日国』の上の階は、ぬいぐるみさんたちの部屋になっております;; 。

 学生時代から、ちょっとずつ、気の向いた時だけ読んでいる哲学書は、けっこうあるのだが、これらは読み続けたい。
 それに対して、「こんなのも‥‥」と、“見栄”もあって買った、河出・世界の大思想『資本論』上製函入全巻;;; ‥‥数年前、オクで2,000円で落とした。箱、本ともにビニールカバーの付いた美本である。

資本論

 これは、放棄。
 これ、第1巻の最初の60頁ほど読んでいて、商品交換の具体的意味づけを行なってゆく論は、全く抽象的なカント:『純粋理性批判』などより、ず〜っと具体性があってわかりやすいのだが、大冊を読む気力も時間も、そして目的もある意味、ない。

 仕事(といえるものかどうかはともかく…)がら、日本古典の注釈書は、文庫、上製(岩波や小学館の「大系」や「全集」)ともに、できるだけ置いておきたい。
 が、底本が異本であるから両方置いておく(例:『保元物語』、『平治物語』における、岩波の新旧大系)、などというのは極力なくし、片方は廃棄する。

 CDは、ほぼ「聴くべきものは揃った」状態なので、今後は、「増やしすぎない」ことに注力するとして、本は、手放し手放し!!!

 といって、読むのならやっぱり「名著」を読むようにしたほうがいい。

 このところ読んだ「本」という「本」は、フィクション、ノンフィクションとも、ハズレ続きだ。
 原田マハ:『暗幕のゲルニカ』(新潮社)、ゼヴィン:『書店主フィクリーのものがたり』(早川書房)、ジェフリー・サックス:『世界を救う処方箋』(同前。客観的には良書)、井手英策『日本財政』(岩波新書。客観的にはいいのだろうが、インパクトなし)、内田 樹『下流志向』(講談社文庫)、鷲田清一『悲鳴をあげる身体』(PHP新書)。
 とくに、最後の2書は、クズ本だった。

 今、ゆ〜っくり読み進め中の会田雄次『ルネサンスの美術と社会』(創元社)は、著者が生前、テレビなどメディアへの露出が多かった ― ‘与党側’知識人として ― わりには、全く言及されなくなっている本だが、意外に面白い。

読んでいる本…。

 金曜の仕事がなくなったので、木〜日まで4連休になっちゃいました〜。
 ま、8月から10月、私としてはそ〜と〜働いたので、ちょっと休みたく、ちょうどいいかも。

 このところ(今年、というようなスパン)買ったCDを聴いていると、つくづく「いいレコードを買ったなー」という気持ちに包まれ、反比例してオクの出ものの魅力のなさは、節約にはちょうどいい。
 久しぶりに街の書店を見たけれど、ケント・ギルバートの顔ばかり、中には百田 某と並んで写っている表紙なども目につき、変わりなく書店店頭の不快さを味わって、外に出た。

 今までもよくあったが、新刊はもとより、古本屋でも、そして中古レコード店でも、その店の品揃えより自分の部屋の書棚のほうが、比べようもないほど魅力的だと思うことはしょっちゅうだ。

 ではあるが、「活字中毒」の真逆で、「活字拒否症」の私としては、本棚は、ほぼ積ン読本の保管場所でしかない。
 それでも、深夜や車中で、ちょっとずつ読み進めているのが、ひとつはジェフリー・サックスの『世界を救う処方箋』(早川書房)。
 ブックオフのヤフオク店でまとめ買いをした時に、198円で買っている。

 もう1冊は、500頁以上あるので、途中で読まなくなる可能性も高いが、ルーマニアの作家、コンスタンティン・ゲオルギウ(ゲオルギュー。1916-1992。なぜか日本語Wikipediaに項目なし)の『二十五時』(河盛好蔵訳、角川文庫、1967/1974年7版)。
 こっちは、弟の持っていたものを譲りうけたもの。

世界を救う処方箋  二十五時

 サックス先生の本は、これはもうカーター、レーガン時代以降のアメリカの政治と経済が、いかに大企業・金融界、ひいては最富裕層の支配に侵食されていったかについて、データを挙げつつ論じていて、この事実は、すでにいっぱんに、とくにトランプが大統領になる前後からネットでも言われていることで、とくに目新しいことは、実はないように感じる。

 前半が暗部の指摘、後半が「ではどうすべきか」の議論で、全13章のうち、第9章まで読んだところだ。
 中身は至極全うなことばかりで、とりたてて異論はないのだが、邦訳タイトルの「処方箋」という語の選択は、完全にミスリード misleadのように思える。
 本書には、「診断」と「患者へのアドヴァイス」のみあって、「薬の処方箋」は、出されていない。

 異論はない、と書いたけれど、トリヴィアにはなるが、ちょっと「?」なところはないではない。
 著者は、最先端テクノロジーには信頼を置いていて、「悪意のないアンチ科学の一例が、もっとシンプルな暮らしに戻るべきだという幻想である。彼らは有機農業、、地産地消、産業革命以前の知識を重んじる。だが、そんな思い込みは幻想でしかなく、気候変動を否定するようなものだ。産業革命以前の知識では、現在の世界人口の10分の1しか支えられないだろう」(198頁)と言っている。

 この文脈では、これは至当なことなのだが、有機農業や地産地消を全面的に否定することは、また危険でもあろう。
 このテクスト、原文はどうなのだろうと、Googleの中身検索(ググると、出てくる場合がある)で見てみると、どうやら、
 「One well-meaning variant of antiscience is the illusion that we should revert to simpler ways: all-organic farming, local foods, preindustrial knowledge. Yet these are illusions as great as denial of climate change. Preindustrial knowledge could support only around one in ten of the planet's residents today.」
という部分らしい。「p.172」と示されるが、原書のページ番号か。

 「All-organic farming」は、ググっても出てこず、どういう意味かわからないが、いわゆる「完全無農薬栽培」などを指すのかもしれない。
 そして、著者自身、この行文の直後に、「知識への共感とは、専門家にすべてをまかせればよいということではない」と言っている。まさにそのとおりである。
 著者は、もしかすると、遺伝子組み換え食品には賛成するかもしれない。そして、ニュートラルな視点では、これへの「絶対反対」も、もちろん合理的ではない。

 全体としては、本書は、あまりおもしろくない。読んで、得たところ、感じ入ったところは、あまりない。
 ネットのまとめ買いで198円で買ったからおトク感があるが、税込定価2,484円で新本を買っていたら、ちょっとどうだか…ま、こういう本、新刊では買いませんがね。
 ではあるが、この本を知るきっかけになったブロガーさんには感謝、です。

 後半の、今後のアメリカがどうあるべきかについては、アメリカ国民は、明らかにサックスの提案とは逆の選択をした。
 本書原書は2011年に刊行され、今年(2017年)、アメリカ国民はみごとにトランプを選んだのである。
 もちろん、内田 某先生の作物よりは、ずっと読みごたえもあり、何より知的誠実さがある。

 なお、サックスのコトバを紹介するサイトの、こ こで、「世界の貧困問題・環境問題に取り組んできた教授が、トランプ大統領のパリ協定離脱を米政治の企業民主主義化だとして批判している」としているが、ここで「企業民主主義」と訳されている原語は、たぶん「コーポレートクラシー corporatocracy」だろう。

 「Democracy」は、大衆=demosの支配=kratiaであるが、corporatocracyは、「大衆」ではなく「企業 corporation」が「支配」する体制、という意味である。だから、「企業民主主義」という訳は、完全に誤訳だ。
 おもしろいことに ― おもしろくないか… ― この「コーポレートクラシー」も Wikipedia日本語版には、ない。
 そうそう、この語を知ったのは、明らかに本書の恩恵である。

 『二十五時』は、まだ1/5くらいしか読み進んでいないし、読むのがシンドいが、力作だ。
 アンソニー・クイン主演、アンリ・ヴェルヌイユ監督で映画化(1967年)され、カバーにはその画像が使われている。
 BGMには、ショスタコーヴィチが合いそうだ。
 
 このところ、小説類はハズレばかりだったので、これはいい本でよかったが、ブ厚い〜。

前原誠司&バノン

 で‥‥昨日今日、有名になったこの写真。前原誠司とスティーヴ・バノンのツーショット。
 「え? なんで?」とかいうコメも多いそうだけれど、これ、ある意味前原誠司という人の“本性そのまま”、お化粧なしの彼自身なのではないか。
 小池百合子と握手し、小池党と野合する、「そのまんま前原」なのだ。

『下流志向』にレビューを…。

 読んでからもう数ヶ月、懸案だった、内田 樹氏の『下流志向』(講談社文庫)への、Amazonレビューを、投稿した。

下流志向
 読んだ第一印象で批難している人が多く、私もそういう気持ちが、読み進めながらずっとあったのだが、少しばかり同意できるところは同意しつつ、しかし辛口になってしまった(すでに数ヶ所、編集ずみ)。

 入試によく出る論者としては、内田氏よりも、哲学者・鷲田清一氏のほうがよく採用される。
 鷲田氏の『悲鳴をあげる身体』(PHP新書)も読んだ。本書も、『下流志向』同様、『最新国語便覧』(浜島書店)では、著者の代表作とされ、「評論50」に入れられている。
 内田氏以上に、現場で知見を磨く諸論者の説を博引傍証しつつ、しかしご本人の説はというと、そこから何も得られるものがない。
 こっちもそのうちレビューを投じようと思っている。

 内田氏『下流志向』については、こちらの書評が、たいへん参考になる。

 内田氏は、精神を「精心」、矛盾を「無純」と書く女子大生の劣化に呆れている。
 その類いの受験生に日々おつきあいしている身としては、‥‥「評論50」に、丸山真男『日本の思想』とともに、上掲『下流志向』や『悲鳴をあげる身体』が並ぶという事態に、大げさに驚倒することとしよう。

 さてさて、こちらはむしろ評価のほうなのだが、HMVにもレビューを投じた。
 ジャン=フィリップ・コラールらを中心とする、旧・仏EMIのフォーレ室内楽全集が、「室内楽曲集 第1集」、「同 第2集」として、ワーナーから、旧EMIフランス盤と同じジャケット、曲目編成で出ており、特筆すべきは、ピアノ四重奏曲は、第1番、第2番ともEMI海外盤では左右逆転の‘裏焼き’状態であったものが訂正され、東芝EMIのような劣化したマスターをHS2088で無理にリマスターするというのでなく、よいマスターに当たっていると見えて、硬質ながら音質もよいこと。

 ただし、ピアノ四重奏曲第2番の弦楽奏者も、第1番と同じくデュメー(Vn.)、パスキエ(Vla.)、ロデオン(Vc.)としている。第2番は、パレナン四重奏団のメンバーだったはずだ。
 この件もレビューで指摘しておいたが、別途、ワーナーミュージック・ジャパンに問い合わせていたところ、やはり誤りだったので、今後訂正のブックレット、インレイを作成して配布したい、云々とのこと。
 評論家もリスナーも、だれも指摘していないのだ(といって、鬼の首を取ったようにいうまでもないけれど)。

 このアルバム、最近あまり聴いていない。
 今日は、トスカニーニで第九の終楽章(す〜っごい迫力!)、フォルデシュで、シューベルトの D.960のソナタ、ルドルフ・ゼルキン+クーベリックでベートーヴェンの第1協奏曲、などなどを聴きましタ♪

本の爆買い…第二弾;;

 オク上のブックオフでの本の‘爆買い’、第二弾。

爆買い第二弾

 まずは、前記事で「注文中」と書いた、加藤陽子先生の最新著『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(朝日出版社、2016)。
 上段その右は、音楽関係の文庫。渡辺 裕『聴衆の誕生』(中公文庫)。サントリー学芸賞受賞作とのこと。
 それと、吉田秀和『音楽紀行』(同前)。あとで書くように、この本は新潮社のオリジナル版を持っている。

 下段は、左から、橋爪大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書)、鷲田清一『悲鳴をあげる身体』(PHP新書)、内田 樹『下流志向』(講談社文庫)、村瀬秀信『気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている』(講談社文庫)。

 左3冊は‘お勉強用’の本でありま〜す^^。
 「構造主義」の「構造」って何? というのがいつも気になるところ。以前、というより学生時代に、同じ講談社現代新書で北沢方邦(きたざわ まさくに)『構造主義』を求め、なっが〜い積ン読期間ののち、最近一応読んで、しかし「構造主義」については何にもわからないまま来ている。

 鷲田さんの文章は、仕事の教材(入試過去問)でムリヤリ読まされることになるが、入試で採られる文章の一部にしても、著書 ― といっても『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫)と『「聴く」ことの力』(TBSブリタニカ)の2作しか読んでいないけれど ― を読んでみても、「この文章/著書を書いた‘意味’はなんなんだろう?」という疑問を抱かされることばかりなのである。

 ちょっと先入見があるのではないかとも思うが(入試に多く採られる著者は、つまらない、というような。実際はそうとは言えない)、『モードの迷宮』は、「衣服」の持つ機能を、クリティカルな、たとえばエロスとの関わりで鋭く論じよう、という‘ふり’だけはスマートなのだが、真に突っ込んだ議論は一切しないように感じた。
 対照的だったのは、上野千鶴子『スカートの下の劇場』(河出文庫)。‥‥これ、突っ込んで論じると、ワタシのほうがヤバいことになりまス。

 内田 樹センセイは、有名なのに1冊も持っていない。『国語便覧』でもこの本が代表作のように上げられていて、しかしなぁ、なのではありますが…。

 村瀬サンのご本は、《荻上チキの Session-22》に出演して紹介されていた本。2014年、交通新聞社刊のものを、2年経過で去年文庫化したもの。
 今後、仕事モードになって、外食がどうしても増えてくると思う時期に読んでみよう、と思って。
 が、「文庫版あとがき」に「‥‥酷使してきた胃袋はすっかり翌日にもたれるようになり、‥‥腹には食べた分以上の何かが潤沢に載ってくる始末。」
 アカンやん(笑)。やっぱり自炊しますか。

 文庫と新書は軒並み税込み198円だったが、それでも吉田秀和『音楽紀行』など美本で、帯も付いていたいっぽう、渡辺 裕『聴衆の誕生』は、帯落ちで、表紙カバーにデコボコがあるのに税込み598円。
 まあ、全体として美本で、前回と合わせて、新刊定価で16,000円相当の本を、6,000円で買ったことになるので、よしとしましょう。
 これで数ヶ月、いや数年は本は買わなくていいかも。

音楽紀行

 吉田秀和『音楽紀行』は、新潮社の四六判上製の原版(1957年)を持っている。
 じつは、中公文庫で文庫化されたものは、原版にふんだんに挿入された写真・図版が、1枚を除いてすべて省かれている。
 1枚、というのは、エドガー・ヴァレーズとのツーショット。文庫版では目次裏に収められ、「遠山一行氏撮影」とあり、これだけが著作権などの問題がないものだったのだろう。

ヴァレーズとの写真

 ぞれぞれの写真・画像は、今日、ネット上でググればいくらでも見られるようなものだろう。
 が、「この人とこの人が並んで?」のような面白い写真もあるにはある。

3人の作曲家

 ↑ヘンツェ、ダラピッコラ、カール・アマデウス・ハルトマンのスリーショットなんか、なかなか「おお〜」ものである。上の写真はシェルヘン。

お買物

 そして、CDも本も当分買うものはない‥‥状態になって、いや、ならなくても買うのが、ごちそう^^。

 今夜のおかずは、スーパーで調理されている、ネギ塩チキンとサバの竜田揚げ。両方とも3割引で、半分を食べ、あとは明晩のおかずに。
 あと、菓子パン系が3種類4点のうち、オリンピックの店内ベーカリー品が半額。
 イチゴは本体298円の「あまおう」、チョコは、原材料欄の冒頭に「砂糖」ではなく「カカオマス」が表記されるもの、専門店のロースハム、それを酒肴に飲む赤ワイン‥‥は本体550円の「ピエヴァネッラ」。
 以上、まとめて2,716円でした〜。

 本をガバッと買ったので、本棚はますますギュウギュウになるが、ゼヴィン『書店主フィクリーのものがたり』と原田マハ『暗幕のゲルニカ』は、Amazon.co.jpにレビュー(リンク)を投じて、ブックオフに売り飛ばす書籍群に入れた。

 文庫版に買い換えた河合隼雄の本などといっしょに、四六判5冊、文庫判4冊ほど(…たったそれだけ?^^;;)を放出分として選出。暉峻淑子さんの岩波新書は、井手さんの本などとの突き合わせも出てくるか、と置いておくことにした。

 『音楽紀行』オリジナル版はオク出し、としましょう。

 井手さんの『財政赤字の淵源』、専門書だからたいへんかと思ったけれど、具体的なので比較的読みやすい。これはこの著者の文才もあるだろう。

 私自身が、外からの情報でなく、自分で「読みたい」と思って読み進め中の本は、じつに読む進めづらいものがほとんどだ。
 最近、数十年前に買ったまま積ん読の、ダン・スペルベル『象徴表現とはなにか』(菅野盾樹訳、紀伊國屋書店、1981年第2刷。四六判268頁なのに当時2,300円[消費税のなかった時代]と高価)を、やっと読み始めたが、もうヤヤコシくて、全然進まない。

本の爆買い^^;。

 家にいる時間は、さながら“ネット・ショッピング依存症”である。

 CDは、今のところ、前記事の室内楽4枚に加え、シェーンベルクの『モーゼとアロン』(ギーレン指揮の PHILIPS原盤の Brilliant Classics)、ベルクの『ヴォツェック』(ブーレーズ、Sony)の、新ウィーン楽派の代表となるオペラを買った。
 『モーゼとアロン』はブーレーズ盤を、『ベルク』は『ルル』とカップリングのベーム盤を持っていたけれど、たいして聴かないままに両方とも手放している。
 やはり何といっても、一聴して耳に快い音楽ではない。

 そんなところで、もちろん先日の、ペトレンコのショスタコーヴィチ全集も少しずつ聴き進めていて、オーケストラの精緻な合奏と、澄明な録音に驚嘆するのであるが‥‥ま〜だまだじっくり聴かないといけないディスクがた〜っぷりあって、ちょっとCDはストップ‥‥と言っていて、またすぐ買い出すのだが。

本の袋

 そこで今度は、本の、ちょっとした爆買い。
 オク上のブックオフのショップはいくつかあるが、そのうちの1店は、全品即落、かつ、まとめてオーダーフォームに反映されるので、その購入合計が3,000円(たぶん税込み)以上だと送料無料になる。

 一ショップだけだと分野によっては商品の種類が貧しいこともある。ブックオフの場合は、「構造主義」とかになると1ページで終わり、くらい。
 まあブックオフに本を売るような人たちは、そんなに構造主義には興味を持たないだろう。
 が、世の中で評判になっている本は、ものによっては激安で美本が買える。
 いつもお邪魔して、情報や考え方の参考にさせていただいている諸ブログで知った本の中などから、「これはちょっと読んでみたい」というもの、3,000円を超えさせるために、まあ受験生に現代文を教える身なのだから、これくらい手許にあっても、という新書などを混ぜて7冊。3,000円ちょい超え。

爆買い本。

 とりあえず目玉に、戦中・戦後史の研究で注目される加藤陽子氏の著書。
 『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社、2009年)‥‥あとから、文庫になっていることに気づいたし、加藤さんなら、最新著の『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』(同前、2016年)のほうを買うべきだったのだろうが、ちょっと勇み足。じつは、第二弾、今夜注文した中に、こっちが入ってます。

 それから、ジェフリー・サックスの『世界を救う処方箋』(早川書房、2012年)。本体2,300円もする本だが、税込み198円で。あれま〜。
 こういう本は、全く専門ではないが、それだけに信頼できるところの推薦がある本に触れたい。が、読み終わるかな〜^^。

 それから、財政学者・井手英策氏の本、2冊。有斐閣のほうは専門書扱いだろうか、それでも定価の1/4くらいだ。
 この人の本を買ったのは、↓のせいだ。


 先月の民進党大会で、聞いていてちょっと恥ずかしくなるほど‘立派’な「大演説」をブった「学者」。
 私の感覚では、研究者は、だいたいにおいて自身のことを「研究者」や「学徒」と自称はするが、「学者」と、しかも大勢の前でいうだろうか、というところがあるので、ともあれ「たいへんな自信家」という印象が強い。

 「不安におびえる国民が待ち望んでいるのは、このパラダイムシフト、勇気ある一歩、発想の大転換だ、と申し上げたくて今日はこの場に参りました。」(上の動画で約10分の箇所から)
 そうなのだろうか。そいういうものを待ち望んでなどいないから、選挙で自公政権を選んだのではないか?

 そんなあたりを、ちょいと確かめてみたい、と思って、氏の著書2冊、である。
 J.サックスの本とは、‘「税制」と「格差」’という点で重なり合うもののようだ。

 あとは、河合隼雄の文庫2点、これは単行版からの買い換えによるスペース節約目的(ほんまかいな^^)。
 『日本人とアイデンティティ』(講談社プラスα文庫。原版は創元社)は、短いエッセーを集めたものだが、創元社版は部分的にずいぶん読み返している。
 河合さんの本は、『母性社会日本の病理』、『明恵 夢を生きる』などが講談社プラスα文庫で文庫化されており、すでに買い換えている。

 河合さんは、晩年に道徳の副読本『心のノート』の作成に関わったことで、「権力よりになった(であった)」、「晩節を汚した」という非難を受けている。
 この裏の事情は複雑なものがありそうだ。が、リベラル云々と言わずとも、「ふつうにものを考える」立場からは、彼のそれぞれの言説にはまだ味読する価値はあると思うのだが。

 ‥‥今、「河合隼雄 心のノート」でググってみると、河合隼雄批判、というより、河合氏を下劣な悪人として激越に罵詈するページに出会う。
 河合氏の仕事のひとつ、‘「影」の投影’説(『影の現象学』)の、ある種好例を見る思いがする。
 と同時に、彼と『心のノート』の問題点との関わり、そして彼の「権力」へのスタンスも、もっと実証的に研究されてよい。

 ユングを敬愛する者の中に、ネオナチがいたこと(リンク先の記事の細部にわたる実証性については「ミゲル・セラノに詳しい某氏」というような書きぶりが暗示するように、保証の限りではない)も事実である。

 『昔話と日本人の心』(岩波現代文庫)は、単行版は積ン読のままブックオフへ行きそうだ。この本は大佛次郎賞を受賞していて、一般教養書としては河合氏の代表作だろう。

 中村雄二郎『臨床の知とは何か』(岩波新書、1992年)は、大学入試によく出題もされる、ようである‥‥。

 というわけで、ちょっと‘大人買い’…というのだろうか、新刊で買えば1万円を超えるところ、1/3以下で買った。出費的には「お小遣い買い」である^^。
 今夜また同じくらい ― 送料がタダになるくらい ― ポチった。

 加えて、ここ数年はほんっと〜に「本を買う」という行為が少なくなっている。

小説を1冊、読みました。& 愛読書。

 ‥‥家にいる時は、ネット中毒、とくに ヤフオク! ないし Amazonでの‘CD探し中毒’であります。
 夕刻から夜にかけて家にいられる日にはちょっとオーディオでCDを聴くこともあるが、何といってもネットの比重が大。

 というわけで、転室前には、引っ越したら本を読もうと思っていたものの、読書はいちばんあとまわし。
 要するうに、ものを読むことがめんどうでしようがなく、「活字中毒」の逆人間なのである。

 そして、期待して読み、とりあえず通読しても、読んでいるあいだ、わくわくしたり、「面白い〜」と感じる本は、たいへん少ない。
 先日読んだ原田マハ『暗幕のゲルニカ』は、読み進めている間はなかなか手に汗握る冒険譚、だったのだが、最後の一文を読み終えるや印象が完全にゼロに帰してしまい、もう脳中に存在していない。

『書店主フィクリー』と EMIのCD

 かなり時間がかかり、とぎれとぎれ読んで、やっと読み終わった小説は‥‥ガブリエル・ゼヴィンの『書店主フィクリーのものがたり』(小尾芙佐訳、早川書房、2015年)。

 島の書店主を主人公に置いた物語で、店に棄てて行かれた女の子を育てつつ、主人公とその周囲でさまざまに展開するお話。
 妻を失った主人公が血のつながりもない女の子を育てていくうちに再婚したり、いろいろ展開し、「人間のドラマ」としては『暗幕の‥‥』よりは格段に面白い。
 が、作中、本の話がよく出てきて、本(小説)が読者に「合う」、「合わない」という表現がされるのだが、この伝で言うと、この本は私にはあまり「合わない」ものだった。

 アメリカの現代小説というものに通底するのだろうか、記述のディテールがあっさりしていて、ムダな描写がなく、スピード感をもって進められる。
 これが私にはあまり合わないらしい。

 この作品は、各章の扉に主人公・フィクリーが実在の作品へのレビューを書き込むほか、さまざまな薀蓄がちりばめられているそうで、「訳者はつい「訳注」をつけたくなった」(「訳者あとがき」)が、煩雑になったのでやめた、とある。

 ところで、最初から2番めの扉の銘、「さあ、いとしい人よ、/たがいに敬い愛しあおう、/きみとぼくがいなくなってしまうまえに。/ ― ルミ」の「ルミ」が気になった。注も説明もない。

 「ルミ」ってだれ? 英語圏のネットを調べても、「come on, sweetheart let's adore one another before there is no more of you and me. — RUMI」が出てくるだけである。
 この「ルミ」は、思うに、イスラーム学の権威・井筒俊彦氏によって『ルーミー語録』などの形で紹介されている、イスラーム・スーフィズムの詩人ルーミー(1207〜1273)に違いあるまい。
 このことを突っ込んだ紹介記事、ブログ記事、レビューを、寡聞にしてひとつも見たことがない。これはちょっと異常に感じる。

 Amazonの商品説明にあるとおり、この本は全米図書館員が運営する“Library Reads”に選ばれている
 こういうタイプの“お墨付き”に、書店員の団体による推薦、日本では「本屋大賞」みたいなのがある。
 そういう1冊だった、ジェリー・スピネッリ『スターガール』(理論社。現行は角川文庫)を読んだ時は、もう形容もできないほどのつまらない文体と内容に、辟易したのだった。
 この本は「全米書店員が選ぶ2000年いちばん好きだった小説」とのこと。ええ〜!? さっすがバカ大統領を選ぶ国だけある‥‥ってそのあとにはオバマを選んだのか^^;;。

 私は、活字を追うのはキライでありながら、せっかく読むのなら描写の精緻なものを好む。
 イギリスの児童文学、たとえばアリソン・アトリーの『時の旅人』(岩波少年文庫。初めて読んだのは別の訳で、評論社版)のような。
 ネット上ではいっしょに紹介されることも多い、ジョーン・ロビンソン『思い出のマーニー』(岩波少年文庫、上・下。‘日本化’したアニメは未見)も、ディテールの表現がきわめてていねいだ。
 これは、あの、映画『この世界の片隅に』の描写の精緻さともつながるものだ。
 こういったものを楽しんでしまうと、スピネッリはもとより、今回のゼヴィンの文体も素っ気なさすぎた。

 イギリスの「時間を越えるファンタジー」タイプの児童文学では、他にフィリッパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』(岩波少年文庫)も秀作だ。
 これらは、ユング心理学の河合隼雄氏の本で知ったはずである。ユング系の本はまた別に挙げよう。

 ‥‥CDのほうは、オイストラフのベートーヴェンと同じシリーズの、アルゲリッチ/デュトワによるショパンの協奏曲を。
 これも岡崎氏のリマスターで、元盤のレビューに、残響がやや過多でオケが混濁する、というようなのがあったので、岡崎流のビシッとしたリマスターで輪郭が明瞭な音が聴けるか、と思ったのだが、ピアノの音の、高音の強打鍵が耳にビリッとくる部分が無きにしもあらず。
 送料込み664円だったので、とりあえずこれで?

 ‥‥さて、今まで読んだ本を思い返し、量的にじつに微々たるものであるだけでなく、「楽しく、面白く」読んだ本は、きわめて限られた、そして偏ったものだ。

愛読書^^;

 小説類からいくと、まずはウンベルト・エーコの『薔薇の名前』(上・下、河島英昭訳、東京創元社、1990年)。こ〜っれはすばらしい。が、ストーリーが面白いというものではなく、全篇に満ち満ちたペダントリーに惚れ込んだのだろう。

 これに似た、西欧文化の香りの染み込んだペダントリー…では、やはりジョリ・カルル・ユイスマンスの『さかしま』(澁澤龍彦訳、河出文庫。読んだのは桃源社版)。
 その名訳をものした澁澤さんの創作『高丘親王航海記』(文春文庫)は、日本人の作家が描くとほとんどの場合‘臭く’なってしまう、異国の光景・文物・人物、そして架空の生物の、みごとにファンタスティックなこと!
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「山口昌男」の文庫本

 CDに続いて本も、少しばかりではあるが入れ換え・手放し検討中。

山口昌男文庫本集

 並べてみたのは、文化人類学者・山口昌男氏の、手持ちの文庫本群。
 この中では、今回の単行版からの買い替えは下段左の『知の遠近法』のみ。
 文庫・新書にはほとんど書店でくれる紙カバーをかけているが、はぎとって並べた。なかなかカラフルだ。

 文化人類学者が専門という‘公称’ながら、ものすごい多読・博識により、文化全体の批評家といった趣きがある人だ。
 取扱うテーマ、論述の鋭さと超-博引傍証の資料とにより、すでにカリスマの位置にあるが、このところはさすがに「過去の人」になりつつあるようにも感じる。

 上の6冊の中で、お恥ずかしいが通読しているのは右上の『本の神話学』(中公文庫。文庫につき刊年を記してもあまり意味ないので省略)だけ。学部時代に単行書を入手し、興奮しつつ読み終えた。
 今は、この文庫版も品切れのままらしく、これは残念。

 下段右『道化の民俗学』は、ちくま‘学芸’文庫に入っており、まとまった連載の単行化で、寄せ集めではない。これはちゃんと読まねば、とこれは置いておこう。

 上段左の『道化の宇宙』(講談社文庫)などは版元の性格もあって、すぐ消えて久しい。白水社刊の単行版のほうが古本市場に多いかも。
 この本は、手放してしまおうと思ったのだが、古書価が出ているわけでもないし、拾い読みしていた本だが、「コラージュとしての伝記」の中で、当時続けて出版されたシャネル関係の本への言及があって、手許の‘シャネル本’について記事にしようと思っていた折から、手放せなくなってしまった。

 この本では、著者は他のところ(「ヤポネシアの彼方へ」)で、
 「数年前あるアフリカ人の教育家と話をした折、日本の近代をどう説明するかときかれた。その時、私は失敗に対する狭量、非寛容性、異質なものに対する憎悪と言えるのではないか、と説明した。この糞まじめ主義と結びついた異質なものに対するむき出しの憎悪感情の根は意外に深いようであり…」(146頁)
云々と言っている。

 これだけだと、よく言われていることでもある、といえるかもしれない。山口氏のトレードマークは、この‘糞まじめ主義’を笑い飛ばして転倒させる「道化」であった。
 私自身は、周囲から異質扱いされると同時に、自分の中に、この山口氏のいう「糞まじめ主義」による「非寛容性」がずいぶん巣食っているようにも実感するので、複雑に受け止める。

 山口氏の著書が、若いインテリたちに熱狂的に読まれていった時期が通り過ぎ、見えてくるのは、この山口氏の「道化による引っ繰り返し」が、さして成功を見ないうちに失効してしまった光景のような気がする。

 山口氏は、音楽に関してもいろいろ書いていて、エリック・サティ論(「エリック・サティとその世界」、『道化的世界』所収)なども面白そうだが、サティは実は私には最も無用な作曲家なのである。
 ヒンデミットやミヨーのレコードを集め始めていた時期、山口氏の論に触れられる海外盤は、「手に入れてみたい」憧れだったが、今はほとんど手放している。
 私にはフルトヴェングラーやクレンペラーの‘糞まじめベートーヴェン’のほうがぴったりくるのだ^^;。

 下段左の『知の遠近法』(岩波現代文庫)は、単行版からの置き換え。2章ほど割愛されているが、まあいいだろう。
 この本は、大学の研究者が、初めて野口晴哉の整体に言及した、という点で捨てられないのである。
 『風邪の効用』は、『知の遠近法』の言及で‘整体村’から外に飛び出した感もある。

 『本の神話学』にもどると、この本の随一の功績は、アビ・ワールブルク(ヴァールブルク Aby Warburg)と、その蒐集資料を元に大きな研究を成した‘ヴァールブルク学派’の意義を明らかにしたことだ ― とまあ書く必要もないけれど。
 『本の神話学』中、3つの章がこれに関わる。これらが、その後の日本の、西洋ルネサンス思想史・美術史研究に及ぼした影響は測り知れないのではないか。

 周知ではあるが、このヴァールブルクの一族は、銀行家として活躍した一族で、ちょっと前、この事件だったかで不名誉な報道をされた「UBSウォーバーグ証券」という名を耳にしたけれど、この「ウォーバーグ」がヴァールブルクなのである。

 アビ・ヴァールブルクの著書(講演)が岩波文庫に入ったというのは知らなかった。
 こちらには、その紹介とともに銀行家ヴァールブルクのことも触れてあり、ブロガーの識見の広さが感じられる。

 それによると、現・UBSの源流のひとつにある SGウォーバーグの創立者・シグムンド・ウォーバーグが、銀行家として大成したようだ。
 こちらには、その‘社風’みたいなものを、好悪こもごもながら書いていて、面白い。
 シグムンド・ウォーバーグについては、あちらの Wikiをどうぞ。
 顔写真があるが、漱石ふうに俯いて手を額にあて、‘考える人’のアビの肖像に対し、いかにも実業家。

 ちなみに、この一族からチェリストが出ている。 ジェラルド・ウォーバーグ Gerald Warburgという人だ。
 レイモンド・コーエン Raymond Cohenのヴァイオリン、ノーマン・デル・マー指揮ロイヤル・フィルで、ディーリアスのヴァイオリンとチェロのための協奏曲を、英Pyeレーベルに録音している。

 手許にある、ボッロボロの『Penguin Guide to Bargain Records』(Penguin Books、1966)では、
 「This performance was made possible by the generosity of Gerlad Wauburg, a member of an American banking family as well as a talented player …」(118頁)
とある。「Gerlad Warburg」は‘ママ’で、珍しい名前だなー、と思っていたが、ネット時代になって調べると、Geraldの誤植だったようだ。

 この音源は、Pyeの版権が EMIに買い取られ、バルビローリの録音などがたくさんCD化されたのちもCD化されていない。
 YouTubeのこちらに、2ファイルに分けてアップされている(後半もリンクあり)。
 上記『Penguin Guide』によれば(ネット上にもあるが)、英PyeのLPの番号は、モノ盤 GGC 4073、ステレオ盤 GSGC 14073。

 指揮者ノーマン・デル・マーは、イギリス音楽好きにはよく知られた人で、子息のジョナサン・デル・マーは、あのベーレンライター版ベートーヴェン交響曲全集を校訂した人だ。この版は、私は今のところ、キライ^^。

 では〜。

福永武彦『死の島』を読んだ。

福永武彦 『死の島』 上・下 新潮文庫

 福永武彦の長編小説『死の島』(1971年発表)は、10年以上も前に、当時すでに版元品切だったが、古本屋に頼んでおいて入手し、いちど読み始めたもののすぐ頓挫して、積ん読にしていたのだけれど、3月の震災以後、再び通勤の車中で読み出した。

 このような‘文芸大作’にネタバレ云々はないと思うので、超-簡単にあらすじを言えば、出版社員の青年・相馬 鼎と、彼に関わる、また二人どうしも親密な若い女性、萌木素子、相見綾子の三人が主たる登場人物で、もう一人、男性の登場人物の独白部分が重要ではあるが、ほとんど三人のからみだけで進んでいくといっていい。

 萌木素子が広島での被爆者であり、相馬の書く小説中で、彼女の広島での人間関係に被爆者が関わっていることで、この作品は「原爆文学」のジャンルにも入っている。

 構成はえっらく凝っていて、相馬の視点から、二人の女性が広島で睡眠薬心中を図り、相馬が病院に急行して二人の安否を確認する時点を終結とし、これがメイン・ライン。
 その他に相馬の執筆中の三つの小説、素子の心内の情景を描く「内部」【=ここにのみ象徴化された被爆体験が描かれ、相馬の書く小説よりむしろ優れた創作、という感がある】、もう一人の男性の独白「或る男の〜」が途中から加わる(った、と思う…)。

 相馬の視点から描かれるメイン・ストーリーも、二人の女性の安否確認のために、相馬が鹿児島行き急行「きりしま」に乗ってからは、「○○日前」という、ことの起こる前の日数で表記される章と、車中での章が交錯、つまり2本の時間の進行軸が交錯する、という手の込んだもので、読むのははなはだシンドイ。

 この作品の主テーマは、男女の愛と被爆、さらに自殺が全篇に通低するテーマになっているように思える。
 最後に二人の女性が服薬心中するが、その他にも、相馬の創作中における被爆した反戦運動中の大学生「K」の自殺など、被爆者の中にこのような人々がいたのか無知にしてわからないが、「自殺」は通奏低音のように明滅し、やがて炸裂する終末を迎える。

 …震災以降、家を出る前のニュースでは福島第一原発とそれを取り巻く政治の混乱を見、駅に着いては節電で暗くなった車内でこの作品を少しずつ読み進めることは、不謹慎なことでもあるけれど、なんとも‘合う’のだった。

 最も流布した版もたぶんこの新潮文庫だったろう。上巻460頁、下巻450頁(加賀乙彦氏の解説含め)の、押しも押されもしない「長編」である。
 3月下旬から読み始め、ちょうど広島・長崎の被爆から終戦記念日までの週に読み了えた。

 今年の報道番組やドキュメンタリーは、とくに原発事故と敗戦66年という時機を得て、それなりに気合いの入った報道もないことはない。
 その今年 ― 今再びの放射能被曝と、毎年3万人超続きの自殺者 ― に発表後40年を経て、すでに「文学史」の中の1項目でしかなくなっている小説を読んで、いろいろ感じた。

 素子の心内「内部」でのみ、それも漢字カタカナ交じりで散文詩のように描かれる部分にだけ(象徴化された)「被爆」がある。
 現実の、人体が焼け爛れるありさまを如実に描くことを避けることで、かえって象徴化・結晶化された悲惨を描こうとしたことが伺えるが、これはやはりどう考えても、核爆弾被爆の実態から遠く、それでいて被爆ゆえの「死にとり憑かれる」(作中で「それ」と呼ばれ、暗示される)ことのおぞましさが、描ききれているかというと、私にはそうとは言い切れない。

 福永の子息・池澤夏樹氏の作品は、わずかに斜め読みしたことがあるが、じつに平明な人間・家庭描写だった。『死の島』から被爆と自死と(放蕩も、か)を取り去ると、池澤さんの作風に近づくのかな、とちょっと思った…。

 『死の島』のタイトルは、作中でも言われるとおりベックリンの絵『死の島』である。文庫のカバー絵は上・下巻ともムンクで、上巻のはメロス四重奏団のシューベルト弦楽四重奏曲集(Harmonia mundi France、2CD、売却ずみ)にも使われていた。

 ラフマニノフに、ベックリンから印象を得た交響詩『死の島』があるが、そちらは登場せず、作中で語られる音楽は、シベリウスである。
 相馬の小説中、最も力の入っているものが「トゥオネラの白鳥」であることも、シベリウスの音楽をそこそこ重要な要素としていることがわかるが、シベリウスと「死」とが作のように結びつくかどうかは、読者の感覚によるだろう。

 一読 ― 文字どおり一読のていどで、熟読とはいかない ― しての感想は複雑だ。
 このような作品を忘却の彼方に追いやってしまったわが国の読書人は、ちょっと情けないのではないか、と思うと同時に、劇中劇ならぬ相馬の‘作中小説’で描かれる、戦後広島の反戦地下運動というのが、どうにも薄っぺらく感じられる。こういうものだった、あるいはこういう運動があったのだろうか…。

 アンジェイエフスキ『灰とダイヤモンド』の浅薄な描出といっしょにするのは酷に過ぎるにしても、やはり、この作品の筆致では、核被爆のもたらした尋常ならざる悲劇と、そこに関わる「自死」の深い闇とは、描ききれていない、と感じてしまった。
 核に限らなければ、戦争の本質を剔抉した文学を読みたければ、大岡昇平などのほうが優れているのだろうか…。

本の処分、残った本…。

先週、資源ゴミとして廃棄分 〜 14束に。

ダイニングの本棚は空ッポ。

寝室1室に詰め込み。あ、オーディオ工具が^^;!

 1年前にドッカ〜〜〜ンンと蔵書処分したのだが、「まだこれも、これも仕事の準備で使うかも…」と未練タッラタラ残し過ぎた本が、3部屋に散らばっているのを、1室に集めてみた。これだけでも、3〜4晩を要した。1室の本棚に収まる分量だと、1LDK or 1DK or 最悪1K (T_T)の部屋に持って行ける。

 この中からも、売れるものは抽出、と《日本の古本屋》で相場を当たったり。古書価が1,000円前後で数十件検索されるような書目は、古書店には迷惑なのでできるだけハジく。古書価値はないが見ためがきれいなのは、ブック○フ行き候補。

 残すものの中では、岩波の日本古典文学大系、同新大系、日本思想大系といった叢書類が、最も嵩ばるところで、しかし意外にコンパクトに本棚に収まる。その前列に、相当数の文庫、新書が並んで、奥の本の背が見えなくなるのは、以前同様、仕方がない。いずれ、新書は読んだら捨てよう。

 残っている書目を見ると、とっもかく歴史的評価を受けている‘名著’が多い^^。研究の世界で、私がいた(振りをしていた^^)分野と、私が扱った素材は、古典として歴史的評価の定まったところでない、マイナーなところばかりだった感が強く、その分野で第一線の研究者たちは、“評価の定まった古典のみを「主流」と見る文学史、文化史はオカシイ”という姿勢を、とくに昨今強く押し出している。

 が、皮肉にも、そういう世界から‘下野’し、きわめて限られた<時間>と<読書力>と<読書欲>の中で、何を読んで‘読み応え’を感じるか、読みたいと思うか、と問われる身となると、圧倒的に歴史的に高く評価されてきた名著だけを読みたくなる。

アンジェイェフスキ『灰とダイヤモンド』旺文社文庫 本の整理、処分の中で、未読の本も山ほど棄てたが、「まあ棄てる前にいちど…」と、530頁を超える文庫本、アンジェイェフスキの『灰とダイヤモンド』(川上 洸訳、旺文社文庫[現在は岩波文庫])を通勤の車中に持ち込んだ。

 意外にすいすいと読めて、読み終わった。で、決定的に面白くなかった。とぎれとぎれ、これも電車の中で読んでいるドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(米川正夫訳、岩波文庫)と比べると、人間の心というものを、全然描いていないかと思うほど、浅薄な筆致に感じた。
 収容所内でのナチスへの協力を問われる、重要人物、コセツキ判事。この人物の内面がなんにもわからない。
 これは、こういう手法なのだ、ということかもしれないし、『カラマーゾフ』の饒舌すぎる表現に慣れてしまったから(というほど集中して読んではいない^^;)なのかもしれないが、ポーランドの戦後、という特殊状況への関心がないかぎり、この小説から何らかの感銘を得るということは、私にはほとんど考えられない。
 アンジェイ・ヴァイダ監督になる映画は見ていないが、訳者解説によれば、映画ではコセツキ判事は登場しないそうだ。原作中の稀薄な描写では、映像化の意味はないと考えて登場させなかったのなら、さすがヴァイダだ(この人の映画、見たことないが^^)。

 ことほど左様に、マニアックな(マニアックぶった)興味で買い集めていた本も、読んでみると落胆というケースは多い。山口昌男氏の『本の神話学』(中公文庫)で読みたくなり、古書で探して読んだ、カレン・ブリクセン『ノルダーナイの大洪水』(山室 静訳、新潮社)もそうだった。抜群の物語性を楽しませつつ、最後のどんでん返しで落胆。
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