《この世界の片隅に》再見。

 《メアリと魔女の花》を観てから、ちょっとばかり‘映画づいて’しまい、2週間後に《この世界の片隅に》の2度めを観た。

この世界の片隅に

 《この世界…》は、複数回映画館に足を運んだ人がそうとういるようで、観るたびに新しい発見と感動が云々という話も多い。
 9月にディスクが発売されるということで、さすがに長く続いた延長上映も8月末で終了するところが多いようだ。

 朝の上映は行けないので、夜やっているところ、というと、新百合ヶ丘の川崎市アートセンター内の、アルテリオ映像館というところ。
 駅を出てそう遠くないところにある。この地は、日本映画大学などという大学もあって、‘そういう’雰囲気である。

 110席ほどの定員制で、ここの音響設備は、メイヤーサウンドというところのものを使っている。悪くなかったけれど、スピーカーの設置様態からか、音の広がりはあまりない。

 当日は午後8時から上映、80席弱は埋まっていたようだった。年齢・条件に関わりなく、1,000円均一。

 いちど観ているので、展開は当然わかった上で、であるが、やはりほんとうに観応えがある。といって、‘涙が出てくる’ということはない‥‥これは私がそういう人間だからだ。
 2回観た価値はあった、というのが実感だけれど、DVDまで買うところまではいかない。むしろ、劇場での「すずさん」との出会いを、胸に沈めておこう、という感じ…。

 この作品の、まず第一の成功の元は、原作、だろう。稀有な原作と、片渕監督の恐るべき才能と執念とが、なにかある種超常的な力に結びあわされて、この世に現われ出た、というようなものとしか言いようがない。

 以下の YouTube動画(正確には音声)は、TBSラジオの《伊集院光とらじおと》の記録と思われるが‥‥


 前半のほうに、奇跡的に原作者とコンタクトがスムーズに取れたことが語られる。
 伊集院 光という人は、ラジオだと語りが大げさすぎて興ざめすることが多いのだが、この回は、相手が相手(!)であるせいか、地に足がついて説得力がある。
 この音声で、21分45秒以下あたりのところから一緒に仕事をした宮崎 駿の名前が出てくる。
 伊集院:「実際、ま、ざっくりですけど、どういう人ですか、宮崎 駿…。」 片渕:「え? めんどくさい」(笑) (23分くらい)
 伊集院:「高畑(勲)監督はどうですか?」 片渕:「高畑さんもめどくさいんですよ」(笑) (24分35秒くらい)
 の会話は、もうよく知られているらしいが、面白い。

 その「めんどくさい」宮崎 駿と高畑 勲両監督は、《風立ちぬ》(宮崎)と《かぐや姫の物語》(高畑)を、同時公開を期して制作し ― けっきょく高畑側の遅れから別途公開となったらしい‥‥この辺は、私はほとんど興味がなくリアルタイムには何も押さえていない。

 が、その制作過程の、宮崎サイドを詳細に、というか執拗に追ったドキュメンタリー映画:《夢と狂気の王国》(砂田麻美監督、川上量生[ドワンゴ]プロデューサー(← 実験的動画で宮崎監督を怒らせたヒト。))が、違法っぽいがスペイン語字幕でアップされた動画で ― 制作者には申しわけないが ― 観た:


 音声はモノラルの貧弱なものになっているが、画面は、スタジオの内部、周辺など、何ともいえないほど美しい箇所がいっぱいある‥‥といって、これをDVDを買って観ようとまでは思わないけれど、宮崎 駿・ドキュメントとして、非常に秀逸だ。

 この動画は、テレビではまず放映できないような、政権批判と取れる場面までネグレクトせずに収めている。

 宮崎氏は、改憲反対であることを明言しているものとみえ、「「風立ちぬ」宮崎駿監督の反日妄想を嗤う」(産経新聞サイト。『月刊正論』所載の文章とのこと)なんていう、吐き気のする‥‥いや吐き気もしないようなクソ言説の類いがカビのように生えてきている。

 筆者の三品なる人物は、終わりのほうに、宮崎氏が自身の父の思い出を語ったことばに対し、「こんな童心を今に留めているからこそ数々の名作を生み出せるのかもしれないが、どうもこの種の人々の特有の青臭さが鼻につく。それは「体験なき者の横暴」である」と結んでいる。
 《夢と狂気の王国》には、父に対する、もっと複雑な印象が語られている。三品某なる人物のほうこそ、「体験なき者の横暴」を無慙にブチまけて憚らない。
 加えて、こういう手合いが「数々の名作を生み出せるのかもしれないが…」などと言っているのにも違和感ただならぬものがある‥‥これはまあ、一般的に、この種の糞言説の生産者は、こういうところは‘世間の評価に従属的’ということだろう。

 ‥‥余談に入りすぎた。が…私は個人的に、宮崎 駿の「護憲論」に、あまりシンパシーは感じない。
 それから、私自身は宮崎アニメのファンでは、基本的に、ない。
 すばらしかったと記憶するのは、《耳をすませば》と《千と千尋の神隠し》だけで、それも、VHSを廃棄した今、DVDで買いなおそうとは思っていない。

 それにしても、なぜ《この世界の片隅に》にはこんなに説得力、存在感があるのか。
 原作者と監督の、何かに結び合わされていったがごとき出会い、主演声優・のん さんをはじめとする適役声優の集合など、目に見えない‘何か’が地下水のような流れを作っていった‥‥。
 意識的・意志的に「反戦」を描こうとしたのではなく、死者たちの思いと生者たち ― クラウドファンディングの有志の人びともその底流だ ― の思いとが、どこかで重なり合い、融和して大河のような「流れ」を作っていった‥‥ような気がする。

 先の戦争において落命した我が国の人びとは230万を超え、その多くは餓死と病死だったのである。
 国家の無計画・無責任な戦争遂行のもたらした、こうした餓死者と病死者の「思い」が、生存して辛酸をなめた人びとの思いとともに、《この世界の片隅に》の制作過程と、映像に、沁みこんでいるように感じないでもない。
 それは、けっして声高でもイデオロギッシュでもない。「人が死ねば土に還る」、その土にまた、草が芽生えて花が咲く、ように‥‥。

 戦争体験を語ることに、とても消極的な人は少なくなく、それが「聞き取り」、「証言採取」を行なう人びとの作業を難しくしているということをよく聞くが、《この世界の片隅に》では、すずさんが目の前で、「その時」の姿を見せてくれる。

 「過去にもどる」タイプの、いわゆるタイム・ファンタジーは英国の児童文学の一ジャンルをなしていて、フィリパ・ピアス:『トムは真夜中の庭で』やジョーン・ロビンソン:『思い出のマーニー』はその分野の名作だ。
 読んだ方にしかわからない言い方になるけれど、『トムは真夜中の庭で』において、トムがハティに、『思い出のマーニー』において、アンナがマーニーに会うように、《この世界の片隅に》では、私たちは「すずさん」に会うことができるのだ。

 ‥‥長くなったので、米林版《思い出のマーニー》については、また別記事にて…。

《メアリと魔女の花》…雑感

 数週間前、立川でちょっとだけの仕事のあと、ちょうど1時間おいて上映開始だったので、立川の映画館は初めてだったが、立川シネマシティという館で映画を観た。
 お題は‥‥『メアリと魔女の花』。
 そうそう、去年還暦を越えたので、1,100円で入場できる。ちょっと割引きが大きすぎるようにも感じないでもない。というより、通常の1,800円が高過ぎる。

 これは、yositakaさん(ネコパパさん、がほんとう?)のブログにおける紹介で知り、私の感想はかなり yositakaさんのレビューに影響されている面、否めないことを書き添えて、私の雑感を‥‥。

メアリと魔女の花


 あらすじは、yositakaさんのブログにも引用される、Wikipediaでどうぞ。

 自分によいところを見つけられない女の子が、偶然見つけた魔法の花の影響で、魔法の世界に行って、最初大歓迎されるも、正体を知られると姿を変えられそうになり、知人の少年が巻き込まれ、彼を助けようと大活劇‥‥。

 スタジオ・ジブリ‘出身’の監督ということでジブリ‘ゆずり’の精細な絵、とくに風景画像の美しさ、精細さがまずは期待される。
 さすがに、美しい、のではあるが、イギリス‘ふう’のロケーション ― 明らかにイギリスの田園地帯を想定… ― の、まさにイギリス風庭園の、その植物の描写は、意外に粗雑に見えた。
 末尾には植物の実写と思しい絵が使われていたと記憶し、これなどは私には興ざめだった。

 描くのが困難といわれる、水の立体的描写に挑戦‥‥とも言われているが、‥‥


 魔法大学エンドアの、マンブルチューク校長のイメージが噴水から立体で飛び出す絵。立体感が、意外にない。これは技術的にしようがないのかもしれないけれど。

 その他、何しろ、子ども向けの冒険大活劇アニメなので、細かいところを云々する気持ちは起きず、まあ、楽しんだといえば、十分楽しんだのであるから、それでよいともいえる。

 ストーリーの重要点は、何といってもエンドア大学の首脳たちの‘大’魔法プロジェクトが、「暴走」すること、それゆえ、ヒロインが、最後、「魔法なんか要らない!」といって、秘密の書『呪文の神髄』の中から、「全ての魔法を解く呪文」を選んで使う、というところにある。

 すでに多くのレヴューに言われるように、これは明らかに原発事故への批判であり、科学暴走への警鐘だ、ということは明らかで、「魔法なんか要らない!」は、それらへの強い拒絶の意思表明だ。
 そこに収斂してゆくストーリー ― 原作は未読で、気にはなる ― では、「魔女の花・夜間飛行」が放つ、妖しいブルーの光の豊かなふくらみは、ただ「封印すべき危険なもの」としてのみ描かれる。

 レヴューを拝読した yositakaさんが言われたとおり、ここでは「魔法の多義性」は捨象されてしまっている。
 これはどうなんだろう‥‥と不満には思うのだが、短いアニメで、この辺を描き込むのは、無理だった、と解しておくしかないだろう…。

 最近、デュトワ/モントリオール響のCDで、デュカスの交響詩『魔法使いの弟子』を買い戻した。
 この楽曲は、ゲーテの原詩に基づき、魔法使いの未熟な弟子が、水汲みの仕事を箒にやらせようと呪文をかけるも、魔法を解く呪文を知らず、箒が汲んだ水で洪水になりそうになったところに師匠がもどり、事なきをえる、というストーリーを音楽化したもの。

 何といったらいいか‥‥《メアリと魔女の花》は、『魔法使いの弟子』を、逆ヴァージョンにした‥‥のでもなく、「師匠」と「弟子」だけが逆になったヴァージョン、なのである。
 こう考えると、ちょっとは面白いか。

 ゲーテ=デュカスのストーリーでは、「未熟者が奥義を使おうとしてはならない」ことの教訓であり、一般にはわかりやすい。
 《メアリと魔女の花》では、魔法の専門家で、達人であるはずの博士と校長が魔法を暴走させ、それを、「魔法素人」のヒロインが止める。

 そして「全ての魔法を解く呪文」‥‥これが原作にあったのなら、それはますます興味深い。

 話が飛ぶ。
 整体の創始者・野口晴哉は、相手を金縛りにする術を心得ていて、妻・昭子(この人は、近衛文麿の長女。つまり近衛秀麿の姪)が「私も修行して出来るようになりたい」というと、野口は「修行なんて無駄なことさ。みんなお互いに暗示し合って、相手を金縛りにしているじゃないか、自分もまた自分を金縛りにしているじゃないか。人間はもっと自由な筈なんだ」と答えた、という(参考ページ)。
 この話はなかなか有名な話なのである(整体を知っている人たちの間でだけ、か;;)。

 つまり、野口先生の整体への姿勢は、「不要な思い込み=(潜在意識的)自己暗示を解く」ことにひとつの主眼があった、わけだ。

 ‥‥とまあ、こういうことを連想すると興は尽きないのだけれど、こういうふうに「アタマ」で考えないとあまり面白くない、というのは、映画としては甚だよろしくない。
 声優陣は豪華だが、庭師ゼベディの声、遠藤憲一さんは、これは全く合っていない。
 別記事にしようと思うが、《思い出のマーニー》で「大岩さん」(原作のペグおじさん)役の寺島 進さんのほうが、合うのかな、と危惧したけれど、こっちはドンピシャのはまりだっただけに、残念。

 今回、還暦を超えていたので、じじぃ割引=シニア料金=1,100円で観られた。これが1,800円払って観ていたら、不満感はより強かっただろう。

 さて‥‥原作はどんなものなのか、という興味は募る。
 メアリ・スチュアートという、伝説的なスコットランド女王の名を、偶然にも結婚によって得てしまった作家が、どんな筆致で描いているのか。
 《思い出のマーニー》が「読んでから観る」になった(DVD、観ました^^)のと反対に、「観てから読む」か‥‥あ、これ、一時 KADOKAWA映画の宣伝キャッチだったな〜^^;;。

 末筆ながら、映画をご紹介くださった yositakaさんには厚く御礼を申し上げ、かつ冷やっこいレヴューになったこと、少々お詫びいたしまス^^;;。

 ※このあと、《この世界の片隅に》の2度めを観、DVDで《思い出のマーニー》も観ましたが、ちょっと長くなるので、また別記事ででも‥‥。

[付記]
 この映画で、魔法を暴走させてしまう「デクター・デイ」は、英語表記だと Doctor Dee である。
 だとすると、この人物の名は、まさにメアリ女王の時代に実在し、今日のルネサンス研究が解明してきた、占星術師 ドクター・ジョン・ディーにあやかっている。

 イギリスの児童向けファンタジーの秀作、A.アトリー:『時の旅人』には、ヒロインが、過去の人びとにとっての「未来」を知っているため、「エリザベス女王の占い師、ディー博士を訪ねたことがあるのか? 」と詰問される場面がある(岩波少年文庫版、158頁)。

 澁澤龍彦『黒魔術の手帖』では、第1章冒頭に、この人物が死者を呼び寄せている場面の挿絵が掲出される。澁澤の表記は「ジョン・デイ」であるが、映画ではこれを採った…のか?

『この世界の片隅に』、観ました。

 これも(この「も」は前記事の『This Is JAPAN』に続いて、という意味…)、よくお邪魔するブログで知った、映画『この世界の片隅に』。ついに観ました!(← タイトル、間違ってましたね ;;。訂正)

『この世界の片隅で』とオマケ。

 上は、‘アリバイ’として買ったパンフレット。千円也。左に重なっているのは、入場者プレゼントのポストカード。

 昨日(月曜)、仕事の前に新宿で観た。土・休日だと座れないかもしれなさそうな情報もあったし、ちょうど月曜の仕事が午後4時過ぎから吉祥寺だったので、テアトル新宿で、13:05の回を観よう、と家を出た。

 スニーカーを買い換えたが、ビジネスシューズのほうも10年が経過して、足に合いづらくなり、また着地の衝撃も増えてきている。
 西武新宿から、新宿五丁目近くにあるテアトル新宿まで歩くと、足指がつりそうな感じで痛む。足の不自由な人のように歩いて、到着。

 全席指定とは知らず、けっこうお客さんが来ている ― 月曜なので、さすがに若い人と、大多数は中年女性と高齢者だったが ― ので、のんびり勝手な席に座り、トイレに行きたくなれば出場して、またもどって勝手に座る、というわけにいかないのは窮屈‥‥というか、そういう映画しかだいたい観ないのである‥‥前回観たのが、もう何年前になるか、『僕の彼女はサイボーグ』というやつであった^^(あ、8年前;;)。

 通常の上映情報では、この日のこの回が字幕付き上映であることはわからなかった。が、発話者の名前がわかるというのは、便利なところもある。

 もうネット上、汗牛充棟のレビューが溢れていて、そして観た感想は、シンプルに、とにもかくにも力作、だった。
 「商品として作り上げよう」という方向ではない、「とにかく表現したかった、表現しなければならないものがあった」という、圧倒的なインプレッション

 戦時下の庶民の「暮らし」を、ていねいな、とてもていねいな筆致で描き上げ、「幻想」味も、ヒロインの心のありようのひだに添った形で流れ出し、詩的だ‥‥というような感想は何の役にも立つまいけれど。

 音響装置は、映画館サイトにあるように JBLのシステムで、音楽の表現には歪み感があってちょっと合わず、しかし爆音系の迫力は満点。で、空襲の爆弾の炸裂音などはリアルだ。

 会話音声の定位がよいのにはびっくりした。隣の部屋からの声は左の、画面が切れた場所から聞こえ、スクリーンの中心にいる人物の声は、スクリーン中央に定位する。券を買う時点でそうとう席が埋まっており、買えた指定席が劇場右寄りだったにもかかわらず、中央に定位する。これには感心した。

 さて、こういう作品が、予想を超えて集客しているらしく、現実に大勢がつめかけているのを見ると、日本人の「戦時下と、戦争への思い」といったものもそう「風化」してはいないのではないか、などとも思ったのだけれど…。

 上映時間は、冗長では決してないけれど、2時間ちょっとと長いほうで、後半はトイレを我慢して観た。そういう人は多かったようで、終演後のトイレは満員^^。コーヒーをちょっと控えて出かけるべきでした〜。

 ま、ひとことで申せば、観るべし !!


 音楽のほうは‥‥マーラーの交響曲第8番『一千人の交響曲』。

マーラー:交響曲第8番、小澤

 テンシュテットのライヴ盤のテノールがあまりに聴きづらいので、小澤/ボストン響盤(Philips)に買い換え。
 この小澤盤は、日本盤のみCD 1枚 ― 80分には至っていない。79分内にとどまる ― にカッティングされている。オクで、送料込み600円でした。

 ネット上での試聴では、この小澤盤が、第2部の叙情的な部分がとても美しかったので、考えていたが、帯付きのきれいな国内盤で安価なものは、オクでも Amazonでも、あまり見ないのだった(この1枚もの廉価盤は廃盤。現行盤は第7との2枚組)。

 であるが、このディスク、やはりテノール=マリア崇拝の博士は、テンシュテット盤における‘吼え声’が聴きづらい、あのケネス・リーゲルさんなのである^^;。
 ヘッドフォンでちょっと聴いてみたところでは、テンシュテットのライヴ盤ほどは‘吼えて’いない。テンシュテットのライヴは、もはやひとつの祝祭だったのだろう。

不思議に朝型に転換…。

 いや〜、ヘンである。ここ1週間、すごい朝型。

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』
 エックハルト・トールの『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』をカバンにしのばせて、通勤の移動時に気が向いたら読んでいる。

 限りなく‘今’を大切にしなさい、過去も未来もないんですよ、というトールの言説は、整体の野口晴哉の説とも響き合って、生活が狭められる現在、とても気持ちに沁み込んでくる。
 どうもその影響が著しいように感じるのだが、ここ1週間、体のほうが朝型になり、自分としては睡眠不足のまま、しかし体のほうが寝ていられない状態になって起き出してしまう。

 通常なら、睡眠不足では起きづらく「あと○○時間、寝よう」と二度寝するのだが、それができないのが不思議だ。
 野口整体では、二度寝はよくないことをよく警告する。

 野口先生の言葉では、
 /目が醒めたら、直ぐ起きよう。/寝過ぎた後悔や、/寝足りぬ不平は、口にしまい。/(中略)/寝よう。(後略)」(「生きているということ(二)」(『全生』本年7月号より)
 とある。
 全くこういう生き方でなかった私だが、不思議に今これに近づいている。

 朝や昼に、ご飯を炊いて食べる。
 朝、朝食を作ってゆ〜っくり食べ、皿洗いをすませても午前9時。
 こうなると、夜だけしか仕事のない曜日には、遅く起きていたころより、まして失業感が募る(爆)。

 中井貴一さんの軽妙な「○○さんに、昼が来た」のセリフで、見ているてよだれの出るNHKの『サラメシ』(← タイトルはキライ^^)。

 基本、‘昼’=昼食のない生活をしている私には、どうやっても縁のない生活行動である。

 それが、このところちゃんと昼が近づけば腹が減ってくるのである。外食はご法度だが、何らか追加の買物をすることもあるので、サイフはますます激貧〜。

 いやはや。ま、どう考えてもこっちのほうがまとも、健康的なので良しとし、しかし‘時間だから’とルーティン的に食べることを避け(整体流)、食欲にしたがって食べることにしませう。

 4〜5時間睡眠で起きてしまうので、メインの仕事時間がツラくなりそうだな、と心配してしまうのだが、意外に意識がはっきりして仕事をしている。
 それにしても、何か深層意識や身体レヴェルで、大変動が起きているような予感が;;;。

CD-P4500

 いろいろ手を加えてきた CD-P4500だが、依然としていちばん気になるのは、元々歪み感のある音源を聴いた時に、音そのものよりも耳元のあたりで、ちょうど耳に水が入ったような違和感を覚えることである。

 LPFをいろいろいじっても、そのような問題が起こることは考えづらいので、DACのD/A変換動作そのものに劣化が生じているのか、とまで懸念させる。
 このCDPはもう改善の余地がないような気もするが、パーツ交換そのものを楽しむという理由で、あと1回くらい手を入れてみようかと思う。

 入手前の易の占言で、之卦が「噬嗑」であったのだが、「障害物を排して吉」の卦辞であり、またこの卦は処罰を象意するものでもあるので、最終的にうまくいかなければ廃棄する、という意味にもなってくる。
 とりあえず、ほかにディスクを再生できるハードがないので、いじってみようか、と。

 このCDPの改造では、予算がないこともあって、C0Gなど精度の問題のないセラミック・コンデンサーを多用し、ディップマイカや導電性高分子電解など、高価品は使わないようにしている。

 その部分、たとえば SAA7350出力の68pFや、X-talのバイパスの10pFなど、セラミックでもC0G特性なので、容量変化も歪み(=ピエゾ効果)も全くないはずで、むしろマイカやポリプロピレンより特性はいいと言われる品種だから、これをディップマイカに交換しても改善は、ないはずである。

 が、あえて換えてみると‥‥ということで、ちょっとお高いディップマイカや導電性高分子アルミ電解の購入を検討中。
 LPFの PHILIPS化も、解除の予定。

 もっとも、無改造状態の時から、耳元で歪みを感じることはあったので、導入したパーツや変更したLPF回路の問題ではないだろうと思う。
 ということは、もうパーツ交換しても意味はなさそうなのだが、それしか今、「楽しみ」がないもので。

…また昼夜逆転。

 またもや簡単に昼夜逆転〜;;。

 日曜深夜に終了するようにネットオク出品しようとすると、どうしても日曜深夜を過ぎ、月曜未明の間に出品しないと、最大の露出時間を確保できないので、この時間に集中せざるをえない。

 金、土曜から画像をスキャンしたりしつつも、けっきょく商品説明テキストを書き、全部アップできるのは、3〜6点であっても、月曜の0時〜6時くらいまでかかる。

 このところの暮らし向き大転落で、心理的にも、研究的関心で音楽を聴いていこうという気持ちがフッ飛んでしまった。
 そういう方向で漁っていたのが、英国現代の作曲家・マイケル・ティペット Michael Tippettで、オペラ2組、交響曲全集など、それにタワーレコードでたしか大枚6,000円近くした自叙伝。

 ティペットは、音楽界では珍しい? ‘ユング派’で、自伝の索引に数箇処、C.G.Jungの名が出る。
 『真夏の結婚』の原案には、『易経』のアイディアも入っているらしい。

 が、彼の音楽は、同時代の、ある種‘かぶる’キャラだったベンジャミン・ブリテン同様、旋律的魅力には欠けていて、今の私にはそういう音楽は入ってこない。

 で、まとめて買ってくださる方は、と、一生懸命、画像込みの説明を書いたのだが、最初アップした時、テキストまで中央寄せになってしまった。
 理由がすぐにはわからなかったが、たくさんのサイト外画像(FASTPICを利用している)を使った中、1枚の画像の閉じタグを忘れていたのだった。

 まあ、6週くらい曝して入札がなければ、むしろ私自身に何らかの縁があると見て手許に置きましょうかね。
 ※3週で落札なく終了し、CDは中古ショップに売却した。自伝は、中古ショップも買い取らなかったので、オクに出すか、廃棄する予定。10.19追記。


 中古ショップに出したCD約200点、枚数にして250枚くらい? CDの価値大下落の昨今、2万円に届くだろうかと思っていたが、その3倍になりました…。
 うち、査定額と、手許に置いておきたい気持ちとのバランスがちょっと、というアイテムを数点戻してもらおうかと思案中。

 ヨッフム/ドレスデンのブルックナー交響曲全集が400円。ベートーヴェン、ブラームスも入った新セットが出ているので、そっちは多分リマスターもされているだろうから、安くなるのはしようがないが、だったら持っていようか?

 ブルックナーは好きな作曲家であるほうだが、第1〜第4番というのは、ほとんど聴かないのである。
 今夜少し考えて、未明までには返信しておこう。
 ‥‥予想の3倍はありがたいけれど、滞納している保険料・地方税を納めたら、けっきょく次の家賃にまで回らない (T_T)。

『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』
 そんな中、先日1時間半を超える動画を見た、例のエックハルト・トールの『さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる』(徳間書店)を、定価の半額以下のオク出品で落札した。

 こういうところに行っちゃいますねえ。
 読むと、どうなんでしょうか。

 それから、TEAC CD-P4500の、DAC周りと、デジタル信号系のコンデンサーをもうちょっとと、アスカさんに送料込み1,000円ほど注文。


 さて‥‥飲んで寝るかな。酒量は増えてます ― 悪酔いは一切しないんですけど。

…思うこと…。

 ‘スピリチュアル系’のサイトをググっていて、まさに私のような態度に対する鉄槌のような言説が、こ こにあった。
 このブロガーさんは、スピリチュアルをビジネスのツールとして活かすという態度であることを明言していて、むしろ自己啓発系で、私にはいちばん苦手なタイプでもある。

 「楽して生きたいは最も反スピリチュアルな生き方なのでは」 ― いや全く、私は楽をして生きたい。
 ほんとうに問題を解決したかったら、春から、9時−5時のアルバイトを探し、しんどくても始めていればよかったのだ。

 結局、その「楽をして生きたい」が、私に何度も人間関係トラブルや就労トラブルを味わわせている元凶なのだ、とは、もうずっとわかっている。
 わかっているがどうしようもない、ので、何度も、サイクルのようにトラブルが襲ってくるのだろう。

 すでに持っていて、一部読んでいる本なのにこちらで知らされたのだが、ユングから派生したプロセス志向心理学のアーノルド・ミンデルは「プロセスワークの基本的な考え方は、自分が体験できるすべての体験は、それ自身の展開、解決、成長を含んでいる、ということです」(『自分さがしの瞑想』地湧社、70頁)と言っている。

 「問題」はすでに「解決」を含んでいる‥‥そう考えたい‥‥。

 「瞑想」というのは、どんなやり方でも私には効果的にできたことはなく、基本的に、やらない。
 せめて瞑想にいちばん近いのは、私には活元運動だろう。

 エックハルト・トールのような‘悟り’=‘気づき’のような体験は全くない。
 それゆえ、精神科医・安藤 治氏の『私を変えた〈聖なる体験〉』(春秋社)に挙げられているような事例は、とても‘憧れる’対象だ。
 安藤氏の著書の事例でも、瞑想が契機になっている例が多い。


 ‥‥今日で完全に昼夜逆転した。来週から、依然としてコマ数の少ない仕事が再開するが、できるんだろうか?
 今夜は早めにパスタを茹でて軽く食べ ― 具はアサリとマイタケだけ ― 寝ましょう…。

エックハルト・トールさんのお話を聞きました。

 相変らず、スピリチュアル系を探索しております。

 今日は、エックハルト・トールさんのお話(YouTube)を聞きました。

エックハルト・トール

 スピリチュアル系、トランスパーソナル系のサイトを探っていると、「エックハルト・トール」という名前によくぶつかる(画像は、動画とは異なる場面のもの)。
 ドイツ中世の神秘家・マイスター・エックハルトの名前をパクったようなのがちょっとどうも、だったのだが、あんまりよく出てくるし、眉唾っぽい評価でもないので、動画をひとつ、視聴しました。

 ナレーターの発音からも、「トール」よりは、「トーレ」がよさそう‥‥元はドイツ人のウルリッヒ・レオナルト・トーレさん。
 Wikipediaでも、独・英語ともに語末の曖昧母音が発音される。

 ま、そんなことはどうでもよく‥‥29歳である種の‘悟り’を開いた、ということ。
 この動画、1時間38分にわたり、午後の川べりの公園のベンチで始まり、部屋に移動し、しだいに日が落ちてゆくのがわかり、インタビューの終了とともに日が暮れる、という心にくい演出。

 ともかく、ふつ〜のオジサンであることで、かえって安心しました。
 経歴の、大卒後数年間無職だったというのに共感した部分あり。
 半分くらいしか聞き取れず、理解したのは3割くらいだったでしょうけれど、お説教がましい感じの正反対で、しかし重要なところは、静かにしっかりと説いておられた、ような。

 トールさんは、ドイツ人で、ロンドン大学で勉強したためか、英語ネイティヴより日本人にはわかりやすいイギリス英語(なのかな)。

 興味深かったのは最初から1/3くらい進んだあたり以降でしたが、終わりのほうの「愛」を語る部分、少し起こしてみました。
 「Love is to feel you are ultimately not separated, you are one. That can only come out of the SPATIOUSNESS that is part of NOW. NOW is SPACE. What happens in the NOW is form. Don't confuse the two.」
 特別な意味を持つと思しい名詞は大文字にしました…。

 「愛というのは、あなたが‘分離されていない’、ひとつだ、と感じることだ。それは、SPATIOSNESS、広がりからのみ、やって来る。そしてそれは「今」の一部だ。「今」は宇宙、スペースだ。この「今」の中で起こることは形を持つ。この二つ ― スペースとしての「今」そのものと、その「今」の中で生起すること ― を混同しないように。」
 合ってるかな?

 ‘運気’が変わるかどうかはともかく、考える参考になったし、何より英語のお勉強になりました^^♪

洗顔フォームのこと、など…。

 しんどいしんどいといいながら、けっきょく何もしていないのである‥‥何も‘できない’と、自分では言いたいのだけど…。

 こんなふうに「シンドい…」を連発するからよけいに運気が下がる、今日一日生きることができ、おいしく食事もいただけたことを、もっと感謝しないと、と、スピリチュアル系のサイトなどを見ると、思う。

 今日は、ネットオク落札品2点と、中古ショップに売却査定依頼CD 200点(枚数だと250枚くらい?)=宅急便2箱を発送した。ふ〜…。

 発送を終えると、また不安感がのしかかってくる。
 が、オク売り上げは実収入3,800円ほどになり、百均のパスタなど、マツキヨでいつも使っていたマツキヨ・オリジナルの洗顔フォームなどを買う。

洗顔フォーム

 マツモトキヨシのオリジナルの、最も安価な洗顔フォームは、長く愛用してきており、私のように顔面の皮脂分泌がハンパない者には、たいへんいい。

 が、本体198円税込み204円で、内容量120g。となりのハックドラッグ(イオン系)には、イオンの「保湿洗顔フォーム」があり、本体価格184円税込み198円で内容量130gと、わずかにお安い。

 現今のサイフ状況だと、こんな差でも安いほうを選ばないといけない ― もう石ケンで洗えや、と言われそうだが。

 使用感は‥‥イオン/トップバリュのほうは、洗顔後のしっとり感は大きいが、皮脂の除去作用は明らかにマツキヨ版のほうが優れている。
 というわけで、ゼイタクだが、久しぶりにマツキヨ版購入。
 1度めはマツキヨで、仕上げはイオンで、がいいかも‥‥おい! オレがそんなゼイタクしてていいのか!!

 ともあれ、皮脂の多い方には、マツキヨ版洗顔フォームがお勧めである。


 以下、余談。
 ‥‥以前より、「心の安らぎ」で易に問うと、必ず之卦として「坎」を得て、しかも、6月は本卦が「地水師」で、戦闘を表わす卦で、実際、活元運動などで必死に気持ちを落ち着けようとしていたが、先日の本卦は「天地否」、もうどうにも塞がって動きは取れんよ、と、ほんとうに心境のままの卦が現われて、大落胆&大感嘆‥‥。

 「坎」は「水」の意味がある。
 「水」といえば、『老子』の「上善は水の若し。水は善く万物を利して争はず、衆人の悪む所に処(を)る。故に道に幾(ちか)し」というのを思い出す。
 『老子』の言に拠るなら、「坎」は「道(タオ)に近い」ことになるのだが!?

 ただ、高田 淳『易のはなし』(岩波新書)の「坎」の項には、
 「聖人は陽剛の孚(まこと)有りの徳をあらわすのであって、決して「上善は水の如し」(『老子』8章)という坎の水を尚ぶことをしない。孚のない坎は小人の険なのであり、君子の尚ぶところではない。」
と言っているのには注意を要するかも(易に関しては、朝日文庫、岩波文庫、それに本書しか手許に参考書がない)。

 『老子』の文言は、あくまでも「水」は「上善」の一比喩でしかなく、「水」=「上善」とはなりえないのだ、と考えると、やっぱり「坎」卦は凶、なのでしょうか… (´_`)。
 「道に幾し」の主語は、「水」とも読めそうなんですがねえ‥‥「習坎」の境地、ある部分、タオに近づいているのでは、は都合のよすぎる解釈かな。

CD売却計画。

 ‥‥もう、「つらい」という思い以外に心中に起こるものは、ほとんどない‥‥のではあるが、不思議なことに食欲もそう減退しないし、湿疹はここ数年で最も快癒してきている。
 ナンなんだろう…。

 昼夜逆転で徒手空拳の毎日。
 そうばかりはしていられないので、部屋に残った、ほぼ唯一換金可能なものの一部、CDライブラリーから約45%を抽出してみた。

売却予定CD

 心情的には手放したくない、ほんものの「名盤」がた〜くさんある。
 が、実際の話、そんなに聴いていないのである。

 この山の中には、オーディオ機器テスト用にはよく使うもの ― バーンスタイン盤のマーラー:交響曲第8番《一千人の交響曲》とか ― はたくさんあるけれど、楽しんで聴く音源は、じつはとても少ない。

 バッハでは、《平均律ピアノ曲集》、《マタイ受難曲》、《フーガの技法》、《音楽の捧げもの》なんか、私でも‘辛気くさくて’全曲を聴きとおすことはないし、だからといってこういう作品は部分的に聴くともっとしんきくさい。

 また、ジョン・バルビローリ、カール・シューリヒト、ピエール・モントゥー、カルロ・マリア・ジュリーニといった、個々に敬愛するマエストロたちのディスクも多くあるが、大好きな彼らのディスクだからといって、そんなに頻繁に聴くわけではない。

 一時は永く愛蔵・愛聴しようと心に決めていたエルネスト・ショーソンの室内楽も、じつはもうあんまりCDプレーヤーに乗らなくなっている。

残ったCD

 残ったCD。スライド式の本箱のスライド部分 ― 本来は文庫本を入れるスペースだ ― に全部入る数になった。
 今までは、立てて並べた上に、横にして突っ込んでおり、その部分が空いた勘定になる。
 他の本箱に溢れていた、カートン入りの廉価セットをそこに置き換えても埋まらない。

 とはいえ、これでも、激-貧乏の私などには不相応なほどのぜいたくなコレクションであることはわかっている。
 せめて最低限の、「音楽を聴き始めた人のコレクション」ていどは、まだ残しておきたいという未練からである。

残したモーツァルト

 モーツァルトは、この棚の、これだけ。あと、他の作曲家のフィルアップで入っているCDはあるが。

残したベートーヴェン

 ベートーヴェンはこれだけ ― あ、グレコとミルヴァは違います^^。

 ベートーヴェンは、ピアノ・ソナタ全集(グルダ。協奏曲付き)は処分。
 いっぽう、交響曲は、フルトヴェングラー、ワルター、クレンペラーの3セット全部残した。

夕食

 あまり昼夜逆転がひどくても、発送もできないので、今夜は早めにお寿司でお酒飲んで寝ようかな。
 税込み350円の半額、175円のお寿司でも、今の私にはぜいたくかも。

 いやいや、その前にオク出しするディスクの商品説明テクストを書いて、ゆうべスキャンした画像とともにアップしないと。
 オクは、本やCDはまことにアクセスそのものが少ないけれど、落札されれば中古買取よりは高額になる。

 どんどんCDを放出しているが、かりに私の経済状況がうんと好転したとしても、もう手放したディスクを買い直したりはしないだろうという気がする。

告白。

 このヒドい状況で、冷蔵庫が故障までいかないが機能低下しているみたいだ。
 シャープの SJ-14Dという機種だが、冷蔵室が冷えなくなり、説明書では冷凍室を「強」にしすぎていると冷蔵室が冷えなくなるという。

 冷凍室の調整つまみを戻しても、冷蔵室が回復しない。冷凍室の奥に氷が張っていることもあり、どうもこちらにある症状のようにも思われる。
 なんてこった!! このヒドい困窮の上に冷蔵庫が、よりによって去年ではなく、今夏、故障とは! 買い替え代金どころか修理代すら出ないのに!

 こんなに‘泣きっ面に蜂’のマイナスのシンクロニシティって!?!?


 こんな状態で、「私はいったいどういうことになっているんだろう」と考えること、もう3〜4ヶ月に及ぶ。
 そんなことを考え考え、私自身の「深層」に淀む‘闇’を、カミングアウトすれば‥‥。
 じつはもう、ある方のブログのコメントで部分的にカミングアウトしてはいるのだが…。
 以下は、かなり個人的でかつダークな内容なので、不快な方はどうぞお読みにならないよう。


 これは、ここ数ヶ月などの話ではなく、20年を遡る。
 1994年=平成6年、関西にいた私の母がちょっととんでもないトラブルに巻き込まれ、将来もないオーバードクターだった私は、バイトをやめて一時母のところに戻っていた。
 一時的に関西でバイトでもと思い、大阪市内だったかと思うが、ある塾の面接を受けた。

 塾長と思しい老人は、「こっちがアカンと思たらすぐやめてもらうで。けどアンタのほうから学期途中でやめたりせえへんやろな?」と。
 最後に「アンタ、癲癇とか持ってへんやろな?」
 ちょっと首都圏では考えられない面接の言辞だ。

 実家で母も含めてとんでもない事件に巻き込まれた上、かかる言辞。
 このとき、はっきりと「こんな阪神地区、跡形もなくツブれてしまえ!」と、心の底から思った。
 その年の内に任期制職が決まって、秋には東京に戻った。母も東京で同居し、弟はアメリカに渡った。

 そして ― あの大震災である。ほんとうに阪神地区がブッ壊れた。
 3人の家族は、だれも被災しなかった。前年に家族が見舞われたヒドい災禍や面接での言辞と、免れた大災害。
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