新元号?

 音楽CDの記事を下書き中‥‥なのですが、肝心の聴く時間があまり取れない。

 ‥‥と言っているうちに、新元号の発表‥‥が、うまい具合に! エイプリル・フールと、相成りましたるはご愛嬌♪
 一両日、テレビなどは大騒ぎ、というより、読んで字の如くのバカ騒ぎだったらしい‥‥テレビはなく、新聞も取っていないので全然わかりませんが、わからなくてよかった。

 元号そのものは、なんとなくあるなぁ、という感じで、歴史は「通し」では西暦で考えるので、“日本独自の、お添えもの”くらいの感覚しかない。そういう人が大半ではないか。

 「昭和」と「平成」の時代にはともに、共通するあることがらに、この国は刻印された。Nuclear である。何をおいても、このことくらい、この二つの元号を持った時代を色濃く示すメルクマールは、あるまい。

 「令和」。「令」は、令名、令嬢の令、つまり wonderfulとか excellentの意味だとわかりはしても、それだけ取り出されると命令の「令」の感は強い。出典の用法や文脈とは無関係に、これはどうしようもない。
 マンマで訓読すれば、「和せしむ」。うっわ、同調圧力そのものだ^^。いや、同調圧力を超えて、上から強制している。

 『万葉集』巻第五、大宰府長官・大伴旅人邸における宴会での、梅花を詠んだ歌三十二首の序から採った、とのこと。
 あ、予備校の古文の先生が、この部分を注してくれています。ありがたい。

 で ― 手許では中西 進訳注の講談社文庫版を見ております。
 この「序」の文脈。これを、2019年の今に持ってくると、
 「忘言一室之裏 開衿煙霞之外 淡然自放 快然自足」が、超アットウ的に面白い。
 上引のリンク先では、「自放」を「自ら放ち」と訓読されていて、それもありかと思うけれど、中西本では、「自(みづか)ら放(ほしきまま)にし」と訓じている。

 で ― 揶揄ふうに読み換えると、「部屋の中での密談はさっさと忘れ、お友だちと胸襟を開いてゴルフでもすれば気分はサイコー。知らん顔してやりたい放題やれば、気持ちよ〜く自己満足♪」って、だれかさんたちにドンピシャで当たってこない?

 う〜ん、この候補を考えた学者さん、なかなかやるわい。
 安倍首相は、「初めて、典拠を国書に求めた」と、リヒァルト・ヴァーグナーばりの国粋趣味を会見で述べたてていたけれど、中西注には、「当時梅は外来の植物として珍重された」とある。こういう付注するの、国賊的国文学者、なんだろーなー。

 「♪梅は咲いたか、桜はまだかいな」 あ! そうか、次に「チャンネル桜」(=改憲)のご登場を用意していたか。これまた周到。

東日本大震災から8年、そして東電刑事裁判結審を迎えて。

 東日本大震災と福島第一原発クラッシュが起きて‥‥もうだいぶん経つなぁ、と感じつつ、まだ10年を経過していないのだ、ということと、その間の、世間や自分に起きた諸もろのことどもを考えて迎える3月11日。

 福島第一原発クラッシュに関して、東電の当時の最高幹部が、2013年9月と、2015年1月22日の両度にわたって不起訴になり、その後強制起訴され、その審理が続いており、来たる3月12、13日に結審を見るそうである。
 面白いこと(でもないか…)に、NHKのサイト内に、この裁判経過の詳しい経緯の情報が掲出されている。

 この、結審を控えての時期に、担当の海渡雄一弁護士を中心に、YouTubeチャンネル・《デモクラシータイムス》の「原発耕論」で、告訴団長・武藤類子氏も呼ばれ、経過が述べられている。


 海渡弁護士は、社民党・福島瑞穂氏の「事実婚上の夫」だそうで、ウヨ陣営からは、なるほど、の罵倒のされ方のヒトだが、この件では ― もちろん海渡氏は告発する側の立場だが ― そういう先入主があろうとなかろうと、経過の話は興味深い。

 今回の裁判の過程で、この件に関して、検察官/検察集団が、被告をできるだけ不起訴に持ってゆく方向で捜査・調書作りをしていたのではなく(海渡氏らは、当初そのように想像していた)、むしろ起訴の方向を見定めて調書作成などをしていた、ということが、調書の閲読や検察官の話から窺えてきた、と海渡氏は述べている。これはじつに興味深い。言い換えると、看過しがたい事実だ。

 こういった背景のある捜査のひとつの帰結として、2度にわたる不起訴決定がなされたことは、海渡氏のような“サヨク”弁護士や、“活動家”でなくとも、背後に政治的な力が加わったことは、容易に想像するだろう。

 で ― つらつら考えるのだが、幹部には予測は不能だったから刑事責任は問えない、というのは、なるほどそういう感触がこの事故にはありうる(ほんとうにそうかは、法廷での経過で議論されているし、今後も検証されるべきことだ)のではあるけれど、「予測不可能」だったとすると、この種の原子力施設の、自然災害(およびテロ)由来の大事故は、日本全国、どのような場所でも、どのような施設でも、「予測不能に起こりうる」ことにならざるをえないのである。

 この動画でもうひとつ面白かったのは、東電の子会社・東電設計株式会社の人たちと、幹部とのやりとり、および、それらに関する裁判での証言、である。
 加えて、出席者たちも言っているとおり、裁判を起こさなければ、こういった内部の経緯の詳細は、いっさい明らかにされなかった、ということが重要だ。
 この裁判では、元幹部の責任を問う、ということよりも、そういった諸事を徹底的に明らかにする、ということのほうがずっと大きな意義を持つものだ。

 あの日、駐車場に出ようとして、大揺れの賃貸の階段をおりていきながら「あ〜、これでまた仕事がトブなぁ〜」と思っていたことを、そこそこ鮮明に思い出す。
 そのあと‥‥仕事は減ってゆき、家賃も税金も払いがたくなり、転室‥‥。アッという間に過ぎる時間、とくに歳をとってからは早い、というし、そう感じるけれど、それなりに、長かったなぁ〜。
 避難を強制された人たち、生業を失った人たちは‥‥と考える想像力を持ち合わせない。米軍機もまずは落ちてはこない環境にいて‥‥。

民 意! 民 意?

 沖縄県民投票。
 結果もそうだが、投票率にそもそも「民意」が在る、と思った。

投票結果

 上は、Wikipediaページを加工した画像。

 これを、八幡和郎などという人物は、「茶番劇に感じる」と言い、「英国のEU離脱国民投票もそうだが、直接民主主義の危険性を感じる結果だ」と言う。さすが『夕刊フジ』 w。

 上、引用を中略したところには、まんざらでもない見解もあるのだが‥‥それに、イギリスのEU離脱の件を考えると、この種の直接的な住民の意思表示というものに伴なう「無理さ」や「曖昧さ」が残りはする。
 もちろん、これを、明瞭に「茶番劇に感じる」という八幡なる人物は、「茶番劇」という単語を選んだことも含めて、沖縄の基地問題と沖縄県民との関係を、「そういうふうに感じ、言う」人物だ、ということを、まずは明瞭に示している。

 といって、初めから明らかなように、投票結果には何ら法的効果はないし、政権側も、埋立箇所に近づく者の顔写真を撮りまくり、情報集約することを警備会社にさせ続ける(25日《荻上チキ Session-22》報告)だろう。

 で、議論がこういうレヴェルのところに行く前に、このところの政権側の「受け答え」のありさまというと、常軌を逸している以外の何ものでもない。
 言い換えると、与党、与党政治家がやりたい放題やると、こういうふうになるのか、という、「行き着くところまで行った」、「理想の境地」がこれなのだな、というひとつの「作品」のような政権である。


 桜田義孝・五輪担当大臣・サイバーセキュリティ担当大臣の、挙措。う〜ん。オモシロ過ぎだ(動画、挿し換え)。
 池江選手の件については、「がっかりした」というのは、かなりの国民の率直な第一印象ではあると思う。それが口をついて出た。
 桜田大臣に関しては、上の動画が伝えているとおり、その他の受け答えが、もうスバラシすぎる。

 国会そのものでは、各種「統計」の真偽問題のやりとり。これは、「その種の、労働問題を政府が云々する際の統計というものは、数値・実態はどうでもよいのだから、政府案に NOを言わないのが国会だ」という姿勢、ひたすらそれのみ、ということで、これはもうピュアだ。

 続いて出てきたのが、自由民主党・田畑 毅議員の、“あの”件‥‥であるけれども、ソッチはまあ司直のほうに任せる (だけでもマズいのだが…選良であるから) として、これに関して、伊吹文明・元衆議院議長の、会派例会におけるご発言。


 こっちは、立ち居振る舞いからして喜劇役者の桜田氏とは違い、こういう世界を生き抜いてきた“オトナ”の言である。

 どちらも、ここ数十年歩んできた、与党自由民主党と、これを与党として信任し続けてきた有権者の、なるほど、これまた偉大な「民意」の総体だ。

 次の国政選挙は、政権選択ではない。それでもなお、この政党が多数を占めるというのなら、それはもう、国民の多数が「これでいいぞ! 行け〜!!」と賛同している、ということだ。
 そんなにこんなのが大好きなんだな〜。

 さてさて、けっこうよく見ている 《Monthly日刊ゲンダイ》の、最新号。
 日刊ゲンダイの社長と、神保哲生氏が登場。


 司会の目黒サンは、よく知らぬと見えて「じんぼさん」と発音しているが、この人の名前は「じんぼう」と長音らしい。

 安倍首相とトランプとの関係性‥‥どうなのだろう。ここまで「トランプの下僕」みたいになってまでわが国の国益を守っている立派な宰相‥‥というべきなのかもしれないのだが。

 あ、そうそう。現内閣は、「日本会議内閣」とも呼ばれておるんですなあ。

日本会議内閣

IWC脱退、とか…。

 いつものように‥‥いや、講習期なので、約1時間早く帰宅できるので、だいたい頭から、《荻上チキ Session-22》(TBSラジオ、AM)を聞き始めることができている。
 いつもながら尖鋭だが、この番組が特異的に尖鋭なのは、じつにこの国の後進性マルわかりなところでもある。

 今夜(20日夜)のニュースの項目から、日本の IWCからの脱退決定(加入は1951年=67年間加入)を報じ、コメンテーターの言も含め、「安倍首相の国際協調路線と違うし、脱退は国民の大多数意見でもないだろうに、だいじょうぶ?」という具合に、マイナス評価的だった。

 政府の側に百歩譲って言えば、反捕鯨的感情論が占拠している IWC内では、もはや日本の立場の理解を得ることなど不能、というような感じだ。

FNN

 上のスクリーンショットは、FNN PRIMEの記事で、「世界と対立…」というタイトルながら、全体としては IWCの「機能不全」を批判し、「89カ国が加盟する、国際機関からの脱退は、日本の捕鯨文化を守るための異例の決断といえる」と、支持方向だ。
 「道の駅」で鯨を食べた人の感想としても「(国際的な)周りとのつながりをとるか、日本の伝統をとるか」なんてのを取り上げている。

 この「FNN」は「Fuji News Network」なので、フジ・サンケイ系の、つまり産経新聞系の臭気は強い。
 “本家”?の『産経新聞』「産経抄・正論」

産経抄

では、「感情論に振り回されたIWC 脱退は正常化の出発点」と、さらに後押し調だ。

 じっさい、ノルウェーやアイスランドはすでに IWCを脱退ないし脱退同然の形になっており、では、これらの国がキ○○ョーセンのように国際社会から孤立した独善路線を歩んでいると見なされているかというと、全然そうではないわけだし(その辺、チキ氏とコメンテーターは言及せず)、何も一方的に IWCさまさまで合意ばかりするというのが筋でもないとは思うのだが、では、商業捕鯨保護・育成の、意味というのは何なのだろうか、というところが気になってくる。

 それを考えていて、こちらのブログ記事に逢着した。

mazemazeinfo.work

 新聞系よりも主観的にコミットしない姿勢が、むしろ面白いのだが、ここに引用されている、映画監督・森 達也氏のツイートが、目を惹いた。

森達也ツイート

 曰く、「5000トン以上の鯨肉が冷凍のまま備蓄されている。需要はほぼない。商業捕鯨を再開する理由は何か。捕鯨がナショナリズムのアイコンになっている。だから引けない。」
 FNN、産経が“強力あと押し”していることからわかるように、自民党捕鯨議連の議員たちを中心に、経済合理性や多くの民意とはかなり乖離したところで、「捕鯨文化を守らなければ!」という感情的イデオロギーが、IWCからの脱退にまで至らせた、という感触が濃厚だ‥‥まさかあの太地町漁協が、そんな政治力を持っていた、ということはないだろうし。

 わが国の捕鯨文化は守らなくては、という趣旨のブログ記事を見ると、たいていは「ウヨ」系だし、IWCなどの言説を、欧米の感情的反捕鯨論、と非難している。
 その語調は、先方の感情的反捕鯨論の上を行くほど超感情的-反-反捕鯨論なのである。

 上に見た森氏の言にもある、また《Session》のコメンテーターの言にもあったのだが、捕鯨は、ビジネスとしてそんなにペイする、あるいは将来性が見込めるものなのか?

 捕鯨船の修復などには、かなりの予算が必要なはずだが(「調査捕鯨は、現在でも水産庁所管財団法人の「日本鯨類研究所(鯨研)」のもとで年間45億から50億円規模の予算で例年二回…」Wikipedia 日本の捕鯨)、このところ、LGBT対策に予算を投じすぎでは? などという国会議員の発言もあるのだから、こちらも検証の対象でなくてはなるまい。

 率直に言って、捕鯨や対IWCの問題は、ある種どうでもよさそうなところを感じるのである。
 が、文化イデオロギーのために国際団体から脱退するという選択が、国民の大多数も関知しないままに行なわれ、報道も「感情的な欧米の反捕鯨主義に、敢然と意思表明をした」部分ばかり見ていると、どうもヘンだな、という感を強くする。

 ビジネスとしての推進の必然性がないのに、「変えることができない=変えてはならない」という理由で変えない、というなら、これはこの国の原発政策とどれほど酷似していることだろう
 もはや諸外国がソッポを向きだした原発を、「わが国の高い技術で」と、なお売り込む路線に固執し続ける政府

 IWCは、くり返すが小さいことかもしれない。
 こんな間にも、水道民営化法も、カジノ法も、高額なイージス・アショア購入も決定・施行されてゆく。
 イージス・アショアは、額に見合う効果が疑問視されるだけでなく、強力な電磁波放射による国民の健康被害が懸念される‥‥いやむしろ、通信・エレクトロニクス系に大障害が出て問題になったら、私は面白いと思っているのだが。

 ともかく、今の「安倍一強体制」は、こういった諸事項を、問答無用で可決・施行してはばからない体制であり、有権者はほんとうにこれらを望んでいるのだろうか、不審至極だ。
 野党に対し「期待薄」という批判も懸念もある。が、この国でい〜っちばん「期待薄」なのは、「有権者」である

NHKから、また文書。

 ‥‥ひ〜っさしぶりにノド風邪。お腹にも来てますが;;。
 月曜から冬のお仕事、けっこう立て込んでいるので、早めに風邪は「経過」させておきたいです〜。

 去年、この記事で書いている(← この記事が、拙ブログのアクセス・トップ記事!;; )が、また同じNHKからの文書が投函されていた。

NHKからまた文書が。

 「契約を促す」文書、ということだが、前回と同じく、「○月○日までに」と期限を切った形式は、「督促」状としかいえない。
 しかも、こんどのは、手書きの「1」も「4」も、なぐり書きのような、およそ一般企業で、顧客になる可能性のある者に対して差し出すものとも思えない粗雑・無礼ぶり、というか、「オマエが受信していながら受信契約していない不法者だからこういう態度を取るんだぞ!」という意味しか持ちえない筆跡だ。

 私は、テレビ受信が可能な機器を持てば、放送法にしたがって NHKとは契約し、受信料は支払うべきだと考えている者なので、テレビを買えば契約しようと思う者だけれど、これほど無礼極まりない「営業」を、同会(日本放送協会だから、「同会」)の基本方針として固持しつづけるなら、どんな人間でも「ぼつぼつテレビを導入してNHKでも見ようか」という意思は、瞬殺されてしまうこと請け合いである。
 こんなことはバカ以下でもわかることだ。

 このような記事が多くのアクセスを受けることは、あんまり愉快ではない。
 NHKの受信料、受信契約に関して、契約・支払いをせずに見続けたいのだが、という意思が明瞭に読み取れるサイトや「教えて」ページを見るごとに、何だか情けない気持ちになるし、イギリスのように、BBCとの契約証明を見せないとテレビ受信可能機器が購入できない方式、なんてのもよい方法ではないか、と思う。

 もちろん、現今の NHKと民放、そして新聞なども含めたメディア全般が、よりマトモな報道姿勢を持つことも同時に前提されなくてはならない ― こっちは日本人にとって、まず不可能そうだけれど。
 それゆえ、NHKが税金を財源とした「国営放送」になることには、反対だ。

 が、ともかくもテレビ受信可能機器をひとつも所有していないのだから、上のごとき文書を投函するというのは、営業として、オカシ過ぎる。
 何を言っても同会は方針を変えはするまい。
 とりあえず、不快であることを記した手紙1枚を添えて、そっくりそのまま ― なぐり書きの文字のある封筒のまま ― 簡易書留で NHKに返送した。

市議会議員選挙と学校司書

 住んでいる市では、暮れも押しつまった23日(日・祝)に、市議会議員選挙がある。

 だいたい入れる方向は決まっているのだが、夏ごろ配布された、当市の『議会だより』に、少しばかり「おっ!?」と思わせる記事が目についた。

 ネット上では、こちらに報道がある

ひばりタイムス

 記事末尾に、ほんのオマケていどに、「学校図書館の司書配置の意見書も同じく、賛成少数で否決された」とあるだけ、のことなのだが…。

 これについて、共産党所属の一議員が自身のブログで触れている
 曰く、
  「たいへん残念だったことがあります。
 それは、共産党市議団が議員提案をした「学校図書館に、専門、専任、正規の学校司書の配置を義務づけることを求める意見」が、反対多数で否決されてしまったことです。
 反対したのは、自民党、公明党、立憲民主党・改革フォーラムの、15名です。賛成は、日本共産党、統一会派みらい、生活者ネットワーク、無所属2名の、11名です。
 学校図書館を豊かに発展させるためには、専門、専任、正規の学校司書がいることが大事なのに、否決され国に送ることができないのは、残念で残念でたまりません。」
(太字化は引用者)

 目を惹いたのは、立憲民主党(当地では、「立憲民主党・改革フォーラム」と称している)所属議員が、自・公与党(と言ってよかろう)に与して「反対」した、というところだ。

 『議会だより』(第79号)の当該部分をスキャンし、途中をはしょった画像を示すと、下の図になる↓。

『議会だより』

 立憲民主の議員の方のサイトから問い合わせてみたところ、予想どおりともいえたが ― ざっと言うと ― 市の、決して余裕があるといえない財政を考えると、教員給与が都や国の負担であるに対して、司書給与は市の負担になるので、反対の立場を採った、ということだった。

 給与=人件費負担が、教員と司書とで異なるというのは初めて知ったので、勉強になると同時に、この面がなぜ改善できないのか、そこのところこそが市議会の役割ではないのかな、とも考えた。

 この件に関して、賛成の立場を採り、私個人も好意的に感じている「生活者ネットワーク」のサイトからも問い合わせたところ、複数の、きわめて詳細な情報提供のメールをもらった。
 人件費の実態や、その改善に関して市に対して要求するとともに、アクティヴ・ラーニングの重要性を鑑みて、意見書に賛同した、というような(これもざっとまとめて…)ことだった。

 財政と人件費の問題を等閑視して、「未来の子どもたちのために!」とだけいうなら、これは党略的宣伝政策だ、という謗りを免れない。
 だから、立憲民主・改革フォーラムの立場も、一概に「なんだ、与党と同じか!」とも非難しきれない。

 そもそも、地方政治に「政党」の看板は必要があるか、というより、「政党」は機能しないのではないか、と考えると、ここで「どの党・派が賛成/反対した」という議論も意味が薄れるかもしれないが、とりあえず現状のフォーマットで考える。

 それゆえ、地方政治は中央とは違う地域の実情に合わせることが第一なのだから、もし、立憲民主の執行部が、「西東京の議員の決定はおかしい、変えろ!」とでもいうのなら、これは言語道断である。
 ではあるのだけれど、では、学校図書館の専任司書の重要性というものを問題とせず、「財政負担を考えると、置けない」とだけいうのも、選良としてのヴィジョンがあるのだろうか、という疑問を感じないではいられない。

 「立憲民主」にしても「都民ファースト」にしても、何よりまず有権者に好イメージを与えるネーミングだ。
 立憲民主所属の政治家諸氏は、各氏、それなりの「立憲」の意味づけがあってしかるべきだろう。
 この点を深く考える時、子どもたちが図書館・図書室で、自ら調べ考えるという教育は、「立憲」思想の基盤づくりに不可欠なことではないだろうか、と私自身は考える。
 そのために、どうやったら学校図書館教育をより充実したものにできるか知恵を絞るのが、市と市議会・市議会議員の役割ではないか、というと、ムシがよすぎるだろうか。

 財政面から、学校の司書は現状でやってもらいたい、という当地の「立憲民主党・改革フォーラム」の姿勢には、客観的には理解すべき点があることは認めつつ、私は、採らない。

[参考]
 意見書PDFファイル

ノーム・チョムスキー登場!

 神保哲生と宮台真司による YouTubeチャンネル、《Videonews.com》は、有料登録こそしていないけれど、無料で見られる部分は、よく見る。
 下のコメントには、宮台氏の、一種毒のある表現に、罵詈コメが入ったりしてキタないことになることが多いが、今回リンクさせてもらう映像には、さすがというのもヘンだけれど、罵詈コメが(まだ)ない(笑)

 今回は、アメリカの言語学者、“知の巨人”の称が大げさでなく、かつアメリカのリベラルとして、かなり過激な ― アメリカこそ世界最大のテロ国家である、というような ― 発言を続けてきた、ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky、1928−)に、神保さんがインタヴューしている。2回に分かれ、神保・宮台の対談コメント含んで、全篇無料で紹介されている。
 ともかく、見てもらいたいし、“拡散”もしてもらいたい、ということで、前半、後半とも埋め込ませていただきます。




 英語でやりとりする神保サン、このところちょっと太り気味だが、こ〜れはカッコイイ!

 最初の部分での、かつてチョムスキーの影響を受けた宮台氏の紹介は至当と思うが、後半、宮台氏はチョムスキーへの反対意見を述べている。
 これも面白い。

 宮台氏が、チョムスキー批判の論拠とする、ジョセフ・クラッパーの説(限定効果説、など)については寡聞にしてよくわからない。
 顕著なのは、チョムスキーが、徹底してユニヴァーサリズム、反ローカリティの立場を固持しようとするのに対して、宮台氏は、ローカリティ、あるいは「コミューナルな共同体」の可能性を重視しようとしているところだ。

 チョムスキーは、ユダヤ人であるが、イスラエル擁護の文人、たとえばかのエリ・ヴィーゼルには強い非難を浴びせていることでも知られる。

 チョムスキーが、頑ななまでに、デモクラシーとユニヴァーサリズムの立場に立つところには、まさに「欧米の知の良心」たらんとする、信念を感じさせる。
 20世紀の知の巨人の一人というべきユダヤ人の哲学者、エルンスト・カッシーラーを思い起こさせる。

 対する宮台氏の、「コミューナルなグループ」への参加が、偏った、あるいは誤った情報や考え方から、個人を守ることを可能にする、という見解。
 孤立した個人が、しばしば「思い込み」を脱することができず、それを相対化してくれる人が身近にいなくて、偏狭な考えに陥るということは、納得はしやすい。

 しかしながら、「コミューナルなグループ」は、いっぽうでは仲良しグループとして、自分たちの価値観・意見を、異なる価値観・意見を排除して結束し、仲間内でも、さまざまなレヴェルにおける異分子を牽制・排除する傾向を帯びやすいことも、忘れてはならないだろう。

 ヘイト・スピーチ集団も、自分たちは「コミューナルで、それゆえ公正・正当な考えを持ちえている」と思っているに相違ない。
 この「コミューナルである」という感覚は、戦前のドイツ国民や日本国民の国家観…というより、「国家感覚」にも ― 宮台氏は徹底して反論するだろうが ― 通底するところがあったことは、否めないのではないか、と思う。

 最近また、P.ヴィーレックの『ロマン派からヒトラーまで』(紀伊国屋書店)を最初から読んでいるのだが、ヴァーグナーをはじめ、19世紀のドイツ・ナショナリストたちは、ドイツの、あるべき愛国主義=民族主義は、コスモポリタンな市民革命思想を超越した、“魂の共同体”でなくてはならぬ、という信念を強靭にたずさえ、ナチス・ドイツに流れ込んでいったことを説く ― これ、反論も多いのだけれど。

 ひるがえって、私ごと ― 繰り言 ― を申せば、私自身は、きわめて孤立した人間である。
 幼少時からずっと、友人は、ほぼ一人もおらず、「コミューナルな交わり」からは遠い、というか無縁だ。
 小学4・5年と、中学2・3年は、不登校だった。
 初めて、そして人生で4年間だけ就いた正規職では、口舌にのぼしがたいほどのヒドい人間関係を作ってしまった。
 そのあとの非正規職でも、自分がいないほうがいいと感じることは多く、それでいて、他者を異常過ぎるほど意識する。

 ‥‥というわけで、宮台流に言うと、私のような「孤立」した人間は、過激な、あるいは誤った思考に陥りやすいことになる。
 なのだが、私生活がま〜ったく孤立しきった状態が、自分ではむしろ自分をニュートラルに、あえていえばユニヴァーサルに保つことに、かえってつながっている、と、強弁する自分を発見する。

 あ、また最後はグチになっちゃいました;;。

[付記]チョムスキーの言語学を「誤り」と断じる見解も多い。
 英語学習系サイトのブログらしいこちらの記事もそうだ。
 が、この記事のごとく、言語は脳のニューラルネットワークのパターン学習である、という説明で、言語現象、つまり文法も、幼時の言語習得も、そして言語が言語以外の他の知的現象ではなく、まさに「言語」であることを説明できるというのは、あまりに ― あまりに単純で乱暴だという気がするのだが。

「満足度」と「幸福度」?

 暑いな〜‥‥。夏の仕事は次の水曜で一段落、4日の休みののち、2学期に突入。
 CD購入は、6月真ん中の、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集で、フシギにストップしたまま、再開のめどなし。善きかな善きかな^^♪
 今のライブラリーで、一生聴くに不足しないくらいの質と量はあるので、まずは満足‥‥「本」となると死ぬまでに部屋にある1/100も読まないだろうな、という分量がある。

 というわけで‥‥というフリでもないけれど、今は「満足」した暮らし、なのだろうか?

 いつも拝見するブログで、「「現在の生活に満足」74・7%、過去最高更新」=内閣府調査というのが紹介されていた。
 ブログ主は、「とても信じられない」旨、一種驚嘆されていた。

 このところこの「満足度」は、右肩上がりに上昇していて、今回のみならず、前回(昨年=平成29年)も、73.9%で過去最高、であった。

 この調査につき、感情的に「信じられん、政府の陰謀だ」式の疑念もネット上に多く、まあそれは無視するとして、こちらのサイトでは、2009年と2017年とを比べ、後者の回答者に、高齢者が異様に多くなってきている変化を指摘している。
 当該ページの、この指摘以外の、ネット上から引用してきた感想は、“ありがち”な印象批評であり、これらは「まあそういう気持ちもするわな」的に見ておくしかない。が、回答者に占める高齢者の急な増加は見逃せない。

 今回のデータから、男女合わせての年齢別回答者数は、以下のとおり。こちらから。

平成30年、満足度調査サンプリング

 まず、上引《ゆるねとにゅーす》所引の表から、2009年調査の標本数のうち、60歳以上は、(985+707)/4,943 なので34%、回答者のうちの60歳以上は、(596+446)/2,538 であるから、40%である。
 同じく、2017年は、標本数のうちの60歳以上が、(1,880+2,471)/10,000 なので、43.5%。回答者数中の60歳以上は、(1,333+1,532)/5,993 なので、48%。
 今年2018年調査では、標本数のうちの60歳以上は、(1,776)+(2,512)/10,000 で、43%。回答者数中の60歳以上は、(1,207+1,592)/5,969 なので、47%。

 去年より微々たるポイントだが、バランスがもどり、しかも、実際の満足度結果ページを見ると、60代が最も「不満」を多く表明しており、28.4%、約3割が不満だというから、高齢者ほど満足度が高いとは言い切れず、それゆえ、好結果を得るために高齢者を多くターゲットにした、とも言い切れない。

 とはいえ、2017、2018年とも、回答者年齢のバランスは、じつに悪い。

 この調査と合わせて頭に浮かぶのが、今年3月に国連が発表した、『世界幸福度ランキング』
 世界の中で、日本の「幸福度」は、54位だった、という結果。この調査は、各国1,000人のサンプリングだそうなので、内閣府のほうが大規模で、信頼度は高い、と日本政府は言いたいかもしれない。

 ともかく、この二つから窺える‥‥と言っていいかはビミョーだが、日本は、「満足度」が高いが、「幸福度」は低い国、と言えば言える。
 そして、そう言ってみると、「なるほどなぁ」という気もする。

 「満足」というのは、「足りている」という意味である。あることが、ある水準に達していて満足なら、それは同時に「幸福」でもあるはずだ。
 が、しかるべき水準に達していなくても、「しようがない」と考えることで、「足りている=満足」となる。が、それは「幸福」ではない。
 「幸福」ではないけれども、「幸福」まで到達することは、自分には無理、ないし分不相応である、と考えることによって、「満足」は得られる。

 どうも、日本人の「満足度」にはこういう側面があるような‥‥しかし「気がする」ていどではあるが‥‥印象がある。

 自分を振り返って‥‥私は、成人してのち、天職も伴侶も、家族も持ち家も、なかった。これで「満足」するかどうか、というより「満足しなくてはならない、それが私の「分」だ」という思いはある。
 還暦を超えて、1Kの激-狭部屋に閉じ込められ、しかしながら、余暇には好きな音楽を聴き、好きな本を読むことができる暮らし、これには感謝して満足しなくてはならない、という意識が、ある。

 が、将来まで見越して、これが「幸福」かというと、とても幸福ではなく、不安に苛まれ続けなくてはならない。
 そして加えて、この「幸福とは言えず、不安に苛まれ続けなくてはならない」暮らしでもって、同時に、十分「満足」すべきものと言わなくてはならない、という意識がある。

 “社会運動”的なものに参加している、ないし関心を持っている人びとは、こんな社会に「満足」なんて想像もできない、と言うだろう。その意識は共有している(からこんなことを書く)。
 しかし、大多数の巷の勤労者は、政権がどんな勝手放題をしても一向に「損害を被った」感は持たないし、そもそも戦後70年間、「議論で制度を築いてゆく」ということをやった経験が、ほぼないのである。

 最寄りの駅頭などで、護憲の署名を求めているのを見ると、私はたいてい署名をする。
 その時、「憲法を押し付けられた歴史を、忘れるわけにはいかない」と必ず言うようにしているのだが、そう言うと、署名を集めている人たちは、間違いなく私を真実に対する無理解者だという表情で見る。
 護憲も改憲も、固着したまま、ライヴならぬデッドな憲法を生きてきた、いや、生きてこなかった戦後。

 ‥‥なんかグダグダのグチになっちゃったな〜。ふひ〜。

サマータイム導入!?

 ガーシュインの作になる、『サマータイム』は、いい曲である。アート・ペッパーのアラジン・セッションでときおり聴く。

 が! 社会の時刻制度としての「サマータイム」。
 これ、2020年オリンピック・パラリンピックの酷暑対策として、それも、森 喜朗組織委員長と、閣僚たちの、ほとんど思いつきだけで、何やらほとんど議論もせずに導入されんばかりの勢いだ。

 で、反対意見が出てきたら、麻生財務相が、「かつて不評で廃止したのは、朝日新聞の仕業だ」云々の言

麻生財務相、朝日に難癖。


 安保法、共謀罪と、やりたい放題‥‥というのは、右派からすれば“実行力”のある与党・内閣という評価になるだろう。
 しかし、それに次いで、水道民営化種子法廃止、と、国民のどこにその立法の要求=立法事実があるんだろう、という法案を、ほとんど有権者も知らないうちにどんどん立法してゆく。
 「丁寧な説明と議論」どころの騒ぎではない。「これ立法しよう。→ ハイ、立法!」というやり方だ。

 もちろん、今般のサマータイム制については、それ自体のメリットとデメリットが、専門家たちに十分議論され、国民の意思はどうなのか、ということをきっちり汲み取ってやるべきことなのである。

 加えて、東京五輪招致という事態には、こういうことも前もって議論しておくべきことだった。
 それは、競技場を建てるための木材についても、である。
 安く上げるために、ボルネオあたりの熱帯雨林の木を伐採して使うことになっていて、それが海外から批判されている、という事態も発生している。

 これら全て、招致運動を進める段階である意味わかっていたはずのことである。その上で、“あの日”、祝杯を挙げてバカ喜びしていた手合いは、かつて大日本帝国軍の満州進軍に大拍手していたわが国民と、じつによくイメージが重なる。

 こういう政権に、まだ任せておくのか?

どうなってんだろうね。

 “労働時間”は短いものの、全休日が日曜日だけというのは、ナンだかすぐ飛んでいってしまうし、休んだ気がしない‥‥いや、毎日、仕事場でも休んでいるようなもんだろ、と言われれば、ま、そうかな、‥‥でもないんですがねえ。

 この1週間、つまり6月が終われば、次週はほぼ全休です〜♪ 大腸内視鏡検査やら、口腔外科のレントゲンなどもあるんですが‥‥。

買い込んだCDセット

 CDは、セットものをしこたま買い込んだ6月であったが、これは「いいレコードを買った」という思いも一入である。
 アルフレート・ブレンデルの初回のベートーヴェン、音がじつに透明で、「これ、60年代の Vox録音なの?」、「これで Brilliantのマスタリングなの?」と訝るほど音がいい。

 アルテミスQの、ベートーヴェン:第2番の冒頭も聴いたが、ほんとうに「楽想が言いたいことを、言いたいように語っている」ような、目の詰んだ、しかし神経質ではない演奏。
 エルネスト・ブール/バーデン・バーデンのモーツァルト、これも聴くほどに、よろしい。輸入元の「帯」は、ディスクの出し入れにウザッタいので棄てた。が、帯に「深遠な精神世界に…」云々とか書いてあった文言が、実際に聴くと「なるほど」になってくる。
 第25番(小ト短調)は、低弦・対旋律を極力目立たせないレヴァイン/ウィーン・フィルよりも、楽曲の構造がしっかりと見えていて、かつ無機的では全然ない。

 さて ― テレビがないので、森加計の展開も追えないけれど、同時に某ドン・ファンなどのクソ・ニュースの山にも触れないで済んでいる。
 相も変わらず、もはや公文書改竄は「そんなの、いくらあったってかまわんでしょ」状態だし、そしてついに、現政権の、ある意味で「ミッション」であった、「働かせ放題改革法案」と「カジノ法案」の成立に至りつつある。

 ときおり YouTubeで目に入ってくる、「デモクラシー・タイムス」の最新号。


 18分くらいから竹信三恵子氏が言っているように、人件費=勤労所得を徹底的に押さえ込み、ますます内部留保を膨らませ、ダブつきまくった資金を、M&Aに湯水のごとく注ぎ込み、挙句のはてに大損を出す、という惨憺たる“大流行”が生じているようだ。

 次のトピックの、カジノ法案ゴリ押し成立も、キモは、海外の国際カジノ資本に、湯水のごとくカネを貢ぎ倒す、というハナシだ。
 その“親分”みたいな、シェルドン・ゲイリー・アデルソンなる人物は、在イスラエル米大使館のエルサレム移転を、トランプにさせた人物として知られる。

 野党や一部“サヨク”ジャーナリズムは、安倍政権の「揚げ足取り」ばかりし、「反日」だ、というのだけれど、このところの現政権の、経済における舵取りは、これははたして「利日」なのか?
 これでも、政権は4割近い支持率を獲得しているのだから、たしかに国民のかなりの部分は、こういった経済政策に賛成なのだ。
 摩訶不思議。

calendar
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    
<< April 2019 >>
PR
selected entries
categories
archives
recent comment
recent trackback
recommend
ライヴ・イン・コンサート1991
ライヴ・イン・コンサート1991 (JUGEMレビュー »)
内田光子,モーツァルト
神韻縹渺。
recommend
Symphony 7
Symphony 7 (JUGEMレビュー »)
Bruckner,Berlin Philharmonic Orchestra,Wand
やっぱりこれは、音楽の世界遺産!
recommend
チャイコフスキー : 交響曲第6番ロ短調<悲愴>
チャイコフスキー : 交響曲第6番ロ短調<悲愴> (JUGEMレビュー »)
ベルリン放送交響楽団,チャイコフスキー,フリッチャイ(フェレンツ)
※クラシックで1枚、といったらコレ!! 新しい国内盤が出ています。
recommend
Symphony No. 8
Symphony No. 8 (JUGEMレビュー »)
D. Shostakovich
ムラヴィンスキー/レニングラードの決定盤!!
求めやすい alto盤が、Amazon.co.jpにも入りましたので、入替えておきます^^。
recommend
はてしない物語
はてしない物語 (JUGEMレビュー »)
ミヒャエル・エンデ
“虚偽”の時代への警鐘!
recommend
風邪の効用 (ちくま文庫)
風邪の効用 (ちくま文庫) (JUGEMレビュー »)
野口 晴哉
やっぱりこれは入れておかないと…。
recommend
野生の哲学―野口晴哉の生命宇宙 (ちくま文庫 な 38-1)
野生の哲学―野口晴哉の生命宇宙 (ちくま文庫 な 38-1) (JUGEMレビュー »)
永沢 哲
整体の創始者・野口晴哉の核心に初めて思想研究として迫った力作!!
recommend
「ひきこもり」だった僕から
「ひきこもり」だった僕から (JUGEMレビュー »)
上山 和樹
‘本館’に所感をアップしてます(^^)。
recommend
言葉と無意識 (講談社現代新書)
言葉と無意識 (講談社現代新書) (JUGEMレビュー »)
丸山 圭三郎
小冊子ながら、限りない示唆に満ちた名著
recommend
シンクロニシティ (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ)
シンクロニシティ (サンマーク文庫―エヴァ・シリーズ) (JUGEMレビュー »)
F.デヴィッド ピート
‘シンクロニシティ’を可能なかぎり、‘トンデモ’から離れて説いた良心的な一書。
recommend
links
profile
search this site.
others
mobile
qrcode
powered
無料ブログ作成サービス JUGEM