ノーム・チョムスキー登場!

 神保哲生と宮台真司による YouTubeチャンネル、《Videonews.com》は、有料登録こそしていないけれど、無料で見られる部分は、よく見る。
 下のコメントには、宮台氏の、一種毒のある表現に、罵詈コメが入ったりしてキタないことになることが多いが、今回リンクさせてもらう映像には、さすがというのもヘンだけれど、罵詈コメが(まだ)ない(笑)

 今回は、アメリカの言語学者、“知の巨人”の称が大げさでなく、かつアメリカのリベラルとして、かなり過激な ― アメリカこそ世界最大のテロ国家である、というような ― 発言を続けてきた、ノーム・チョムスキー(Avram Noam Chomsky、1928−)に、神保さんがインタヴューしている。2回に分かれ、神保・宮台の対談コメント含んで、全篇無料で紹介されている。
 ともかく、見てもらいたいし、“拡散”もしてもらいたい、ということで、前半、後半とも埋め込ませていただきます。




 英語でやりとりする神保サン、このところちょっと太り気味だが、こ〜れはカッコイイ!

 最初の部分での、かつてチョムスキーの影響を受けた宮台氏の紹介は至当と思うが、後半、宮台氏はチョムスキーへの反対意見を述べている。
 これも面白い。

 宮台氏が、チョムスキー批判の論拠とする、ジョセフ・クラッパーの説(限定効果説、など)については寡聞にしてよくわからない。
 顕著なのは、チョムスキーが、徹底してユニヴァーサリズム、反ローカリティの立場を固持しようとするのに対して、宮台氏は、ローカリティ、あるいは「コミューナルな共同体」の可能性を重視しようとしているところだ。

 チョムスキーは、ユダヤ人であるが、イスラエル擁護の文人、たとえばかのエリ・ヴィーゼルには強い非難を浴びせていることでも知られる。

 チョムスキーが、頑ななまでに、デモクラシーとユニヴァーサリズムの立場に立つところには、まさに「欧米の知の良心」たらんとする、信念を感じさせる。
 20世紀の知の巨人の一人というべきユダヤ人の哲学者、エルンスト・カッシーラーを思い起こさせる。

 対する宮台氏の、「コミューナルなグループ」への参加が、偏った、あるいは誤った情報や考え方から、個人を守ることを可能にする、という見解。
 孤立した個人が、しばしば「思い込み」を脱することができず、それを相対化してくれる人が身近にいなくて、偏狭な考えに陥るということは、納得はしやすい。

 しかしながら、「コミューナルなグループ」は、いっぽうでは仲良しグループとして、自分たちの価値観・意見を、異なる価値観・意見を排除して結束し、仲間内でも、さまざまなレヴェルにおける異分子を牽制・排除する傾向を帯びやすいことも、忘れてはならないだろう。

 ヘイト・スピーチ集団も、自分たちは「コミューナルで、それゆえ公正・正当な考えを持ちえている」と思っているに相違ない。
 この「コミューナルである」という感覚は、戦前のドイツ国民や日本国民の国家観…というより、「国家感覚」にも ― 宮台氏は徹底して反論するだろうが ― 通底するところがあったことは、否めないのではないか、と思う。

 最近また、P.ヴィーレックの『ロマン派からヒトラーまで』(紀伊国屋書店)を最初から読んでいるのだが、ヴァーグナーをはじめ、19世紀のドイツ・ナショナリストたちは、ドイツの、あるべき愛国主義=民族主義は、コスモポリタンな市民革命思想を超越した、“魂の共同体”でなくてはならぬ、という信念を強靭にたずさえ、ナチス・ドイツに流れ込んでいったことを説く ― これ、反論も多いのだけれど。

 ひるがえって、私ごと ― 繰り言 ― を申せば、私自身は、きわめて孤立した人間である。
 幼少時からずっと、友人は、ほぼ一人もおらず、「コミューナルな交わり」からは遠い、というか無縁だ。
 小学4・5年と、中学2・3年は、不登校だった。
 初めて、そして人生で4年間だけ就いた正規職では、口舌にのぼしがたいほどのヒドい人間関係を作ってしまった。
 そのあとの非正規職でも、自分がいないほうがいいと感じることは多く、それでいて、他者を異常過ぎるほど意識する。

 ‥‥というわけで、宮台流に言うと、私のような「孤立」した人間は、過激な、あるいは誤った思考に陥りやすいことになる。
 なのだが、私生活がま〜ったく孤立しきった状態が、自分ではむしろ自分をニュートラルに、あえていえばユニヴァーサルに保つことに、かえってつながっている、と、強弁する自分を発見する。

 あ、また最後はグチになっちゃいました;;。

[付記]チョムスキーの言語学を「誤り」と断じる見解も多い。
 英語学習系サイトのブログらしいこちらの記事もそうだ。
 が、この記事のごとく、言語は脳のニューラルネットワークのパターン学習である、という説明で、言語現象、つまり文法も、幼時の言語習得も、そして言語が言語以外の他の知的現象ではなく、まさに「言語」であることを説明できるというのは、あまりに ― あまりに単純で乱暴だという気がするのだが。

「満足度」と「幸福度」?

 暑いな〜‥‥。夏の仕事は次の水曜で一段落、4日の休みののち、2学期に突入。
 CD購入は、6月真ん中の、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集で、フシギにストップしたまま、再開のめどなし。善きかな善きかな^^♪
 今のライブラリーで、一生聴くに不足しないくらいの質と量はあるので、まずは満足‥‥「本」となると死ぬまでに部屋にある1/100も読まないだろうな、という分量がある。

 というわけで‥‥というフリでもないけれど、今は「満足」した暮らし、なのだろうか?

 いつも拝見するブログで、「「現在の生活に満足」74・7%、過去最高更新」=内閣府調査というのが紹介されていた。
 ブログ主は、「とても信じられない」旨、一種驚嘆されていた。

 このところこの「満足度」は、右肩上がりに上昇していて、今回のみならず、前回(昨年=平成29年)も、73.9%で過去最高、であった。

 この調査につき、感情的に「信じられん、政府の陰謀だ」式の疑念もネット上に多く、まあそれは無視するとして、こちらのサイトでは、2009年と2017年とを比べ、後者の回答者に、高齢者が異様に多くなってきている変化を指摘している。
 当該ページの、この指摘以外の、ネット上から引用してきた感想は、“ありがち”な印象批評であり、これらは「まあそういう気持ちもするわな」的に見ておくしかない。が、回答者に占める高齢者の急な増加は見逃せない。

 今回のデータから、男女合わせての年齢別回答者数は、以下のとおり。こちらから。

平成30年、満足度調査サンプリング

 まず、上引《ゆるねとにゅーす》所引の表から、2009年調査の標本数のうち、60歳以上は、(985+707)/4,943 なので34%、回答者のうちの60歳以上は、(596+446)/2,538 であるから、40%である。
 同じく、2017年は、標本数のうちの60歳以上が、(1,880+2,471)/10,000 なので、43.5%。回答者数中の60歳以上は、(1,333+1,532)/5,993 なので、48%。
 今年2018年調査では、標本数のうちの60歳以上は、(1,776)+(2,512)/10,000 で、43%。回答者数中の60歳以上は、(1,207+1,592)/5,969 なので、47%。

 去年より微々たるポイントだが、バランスがもどり、しかも、実際の満足度結果ページを見ると、60代が最も「不満」を多く表明しており、28.4%、約3割が不満だというから、高齢者ほど満足度が高いとは言い切れず、それゆえ、好結果を得るために高齢者を多くターゲットにした、とも言い切れない。

 とはいえ、2017、2018年とも、回答者年齢のバランスは、じつに悪い。

 この調査と合わせて頭に浮かぶのが、今年3月に国連が発表した、『世界幸福度ランキング』
 世界の中で、日本の「幸福度」は、54位だった、という結果。この調査は、各国1,000人のサンプリングだそうなので、内閣府のほうが大規模で、信頼度は高い、と日本政府は言いたいかもしれない。

 ともかく、この二つから窺える‥‥と言っていいかはビミョーだが、日本は、「満足度」が高いが、「幸福度」は低い国、と言えば言える。
 そして、そう言ってみると、「なるほどなぁ」という気もする。

 「満足」というのは、「足りている」という意味である。あることが、ある水準に達していて満足なら、それは同時に「幸福」でもあるはずだ。
 が、しかるべき水準に達していなくても、「しようがない」と考えることで、「足りている=満足」となる。が、それは「幸福」ではない。
 「幸福」ではないけれども、「幸福」まで到達することは、自分には無理、ないし分不相応である、と考えることによって、「満足」は得られる。

 どうも、日本人の「満足度」にはこういう側面があるような‥‥しかし「気がする」ていどではあるが‥‥印象がある。

 自分を振り返って‥‥私は、成人してのち、天職も伴侶も、家族も持ち家も、なかった。これで「満足」するかどうか、というより「満足しなくてはならない、それが私の「分」だ」という思いはある。
 還暦を超えて、1Kの激-狭部屋に閉じ込められ、しかしながら、余暇には好きな音楽を聴き、好きな本を読むことができる暮らし、これには感謝して満足しなくてはならない、という意識が、ある。

 が、将来まで見越して、これが「幸福」かというと、とても幸福ではなく、不安に苛まれ続けなくてはならない。
 そして加えて、この「幸福とは言えず、不安に苛まれ続けなくてはならない」暮らしでもって、同時に、十分「満足」すべきものと言わなくてはならない、という意識がある。

 “社会運動”的なものに参加している、ないし関心を持っている人びとは、こんな社会に「満足」なんて想像もできない、と言うだろう。その意識は共有している(からこんなことを書く)。
 しかし、大多数の巷の勤労者は、政権がどんな勝手放題をしても一向に「損害を被った」感は持たないし、そもそも戦後70年間、「議論で制度を築いてゆく」ということをやった経験が、ほぼないのである。

 最寄りの駅頭などで、護憲の署名を求めているのを見ると、私はたいてい署名をする。
 その時、「憲法を押し付けられた歴史を、忘れるわけにはいかない」と必ず言うようにしているのだが、そう言うと、署名を集めている人たちは、間違いなく私を真実に対する無理解者だという表情で見る。
 護憲も改憲も、固着したまま、ライヴならぬデッドな憲法を生きてきた、いや、生きてこなかった戦後。

 ‥‥なんかグダグダのグチになっちゃったな〜。ふひ〜。

サマータイム導入!?

 ガーシュインの作になる、『サマータイム』は、いい曲である。アート・ペッパーのアラジン・セッションでときおり聴く。

 が! 社会の時刻制度としての「サマータイム」。
 これ、2020年オリンピック・パラリンピックの酷暑対策として、それも、森 喜朗組織委員長と、閣僚たちの、ほとんど思いつきだけで、何やらほとんど議論もせずに導入されんばかりの勢いだ。

 で、反対意見が出てきたら、麻生財務相が、「かつて不評で廃止したのは、朝日新聞の仕業だ」云々の言

麻生財務相、朝日に難癖。


 安保法、共謀罪と、やりたい放題‥‥というのは、右派からすれば“実行力”のある与党・内閣という評価になるだろう。
 しかし、それに次いで、水道民営化種子法廃止、と、国民のどこにその立法の要求=立法事実があるんだろう、という法案を、ほとんど有権者も知らないうちにどんどん立法してゆく。
 「丁寧な説明と議論」どころの騒ぎではない。「これ立法しよう。→ ハイ、立法!」というやり方だ。

 もちろん、今般のサマータイム制については、それ自体のメリットとデメリットが、専門家たちに十分議論され、国民の意思はどうなのか、ということをきっちり汲み取ってやるべきことなのである。

 加えて、東京五輪招致という事態には、こういうことも前もって議論しておくべきことだった。
 それは、競技場を建てるための木材についても、である。
 安く上げるために、ボルネオあたりの熱帯雨林の木を伐採して使うことになっていて、それが海外から批判されている、という事態も発生している。

 これら全て、招致運動を進める段階である意味わかっていたはずのことである。その上で、“あの日”、祝杯を挙げてバカ喜びしていた手合いは、かつて大日本帝国軍の満州進軍に大拍手していたわが国民と、じつによくイメージが重なる。

 こういう政権に、まだ任せておくのか?

どうなってんだろうね。

 “労働時間”は短いものの、全休日が日曜日だけというのは、ナンだかすぐ飛んでいってしまうし、休んだ気がしない‥‥いや、毎日、仕事場でも休んでいるようなもんだろ、と言われれば、ま、そうかな、‥‥でもないんですがねえ。

 この1週間、つまり6月が終われば、次週はほぼ全休です〜♪ 大腸内視鏡検査やら、口腔外科のレントゲンなどもあるんですが‥‥。

買い込んだCDセット

 CDは、セットものをしこたま買い込んだ6月であったが、これは「いいレコードを買った」という思いも一入である。
 アルフレート・ブレンデルの初回のベートーヴェン、音がじつに透明で、「これ、60年代の Vox録音なの?」、「これで Brilliantのマスタリングなの?」と訝るほど音がいい。

 アルテミスQの、ベートーヴェン:第2番の冒頭も聴いたが、ほんとうに「楽想が言いたいことを、言いたいように語っている」ような、目の詰んだ、しかし神経質ではない演奏。
 エルネスト・ブール/バーデン・バーデンのモーツァルト、これも聴くほどに、よろしい。輸入元の「帯」は、ディスクの出し入れにウザッタいので棄てた。が、帯に「深遠な精神世界に…」云々とか書いてあった文言が、実際に聴くと「なるほど」になってくる。
 第25番(小ト短調)は、低弦・対旋律を極力目立たせないレヴァイン/ウィーン・フィルよりも、楽曲の構造がしっかりと見えていて、かつ無機的では全然ない。

 さて ― テレビがないので、森加計の展開も追えないけれど、同時に某ドン・ファンなどのクソ・ニュースの山にも触れないで済んでいる。
 相も変わらず、もはや公文書改竄は「そんなの、いくらあったってかまわんでしょ」状態だし、そしてついに、現政権の、ある意味で「ミッション」であった、「働かせ放題改革法案」と「カジノ法案」の成立に至りつつある。

 ときおり YouTubeで目に入ってくる、「デモクラシー・タイムス」の最新号。


 18分くらいから竹信三恵子氏が言っているように、人件費=勤労所得を徹底的に押さえ込み、ますます内部留保を膨らませ、ダブつきまくった資金を、M&Aに湯水のごとく注ぎ込み、挙句のはてに大損を出す、という惨憺たる“大流行”が生じているようだ。

 次のトピックの、カジノ法案ゴリ押し成立も、キモは、海外の国際カジノ資本に、湯水のごとくカネを貢ぎ倒す、というハナシだ。
 その“親分”みたいな、シェルドン・ゲイリー・アデルソンなる人物は、在イスラエル米大使館のエルサレム移転を、トランプにさせた人物として知られる。

 野党や一部“サヨク”ジャーナリズムは、安倍政権の「揚げ足取り」ばかりし、「反日」だ、というのだけれど、このところの現政権の、経済における舵取りは、これははたして「利日」なのか?
 これでも、政権は4割近い支持率を獲得しているのだから、たしかに国民のかなりの部分は、こういった経済政策に賛成なのだ。
 摩訶不思議。

フェイクニュース・パブリッシャー

 YouTubeで、ウルトラマンの配信とか‥‥も見ておりまスが、こういう↓ニュース系で「お!」というものにも遭遇する。



 TBSラジオ『荒川強啓デイ・キャッチ!』の音声で、アップが今年2月2日とあるので、放送はその直前か。

 昨年(2017年)12月に沖縄で起きた交通事故に際し、アメリカ海兵隊曹長が、日本人を救出したのに、沖縄の新聞(具体的には『琉球新報』と『沖縄タイムス』)はこれを伝えず無視した、ゆえに「救出を報じない沖縄メディアを「報道機関を名乗る資格はない」などと批判した」『琉球新報』の反論記事より)という。

琉球新報サイト


 『産経』当該紙はというと、こう↓である

『産経』、削除記事

 産経支持者(=政権翼賛派)に言わせれば、「それ見い! 『産経』は『朝日』なんかと違ってマジメに訂正しとるぞ!」となる記事である。

 このニュースは、ある意味、もうこういう↓形で拡散済みなのである。一例、だが。

「沖縄左翼死ね」

 きちんと(!)ライブドア・ニュースが引用元としてリンクされている形を取るので、「そうなんだ」と思う手合いが出てきそうだが、当該ライブドア記事は、「提供社の都合により、削除されました」となってしまっている(そりゃそうだろ)。

 もちろん、これらの経緯を押さえた上で、逆方向で『産経』の資質を批判 or 嘲笑するサイトも多い。

 この事故で、この曹長が重傷を負われたことは事実のようで、回復は心から祈りたい。
 問題は、『産経新聞』の記事が、「海兵隊曹長の誠実な行為を顕彰したい」ということだったのか、という点だ。

 『産経新聞』の該ページは、すでに「記事は取材が不十分であり削除します」となっているが、当初の印刷記事は、こちらで確認できる。
 この論調に似た、「アメリカ軍への感謝を、沖縄の(左翼的な)者たちは忘れている」という論は、他の件にまつわる評論家・研究者の意見にも、けっこう見かける。
 「アメリカは、日本を、命を懸けて守ってくれているのだから、常に謝意を持つべきだ」ということなのだが、これは、逆方向に向かうファクターが重要で、「それなのに、米軍や、米軍との地位協定などを批判するのは、日本国家に対する反逆的態度だ」というところが、ポイントだ。

 この視線は、しばしば「沖縄のメディア」に向けられ、「沖縄の政治家、メディア、知識人には反-日本的な者が多く、これらを排除しなければならなない」というメッセージが常に底流している。
 『産経』の“誤報”、というより、重点は「沖縄メディア叩き」であるが、これは『週刊金曜日』の、こちらのページが伝える、櫻井よしこ氏の講演発言:「『朝日新聞』はひどい新聞です。‥‥(中略)‥‥それと同じくらい悪いのが『琉球新報』と『沖縄タイムス』です(拍手)」にも通底する。

 上のリンクにある、『産経』当初記事の末尾に、「米軍がらみの事件・事故が起きればことさら騒ぎ立て、善行に対しては無視を決め込むのが沖縄メディアの常となっている」と明示しているところ、これが「言いたいこと」なのである。

 このコンテクストで見る(以外にないが)と、『産経』が、フェイクを報じたのは、取材が杜撰だったからではなく、このようなフェイク・ニュースをひとつ垂れ流したかったからやった、としか読めない。
 そこで‥‥この交通事故自体を考えると‥‥とりあえず、英語で、この曹長さんの氏名:ヘクター・トルヒーヨ Hector Trujilloと、「help Japanese」などでググると、私的に書いているサイトを除き、ニュース・メデアと考えられるところでは、《NBC Sandiego》のページと、《CBS8》のページが見つかった。

 前者は、「Hector Trujillo pulled over to help someone who’d had an accident, according to his wife, and was hit trying to protect the other person」と記している。
 たしかに、トルヒーヨさんは「事故に巻き込まれていた人を引っ張り出し、他者を助けようとして轢かれた」と書いているが、あくまでも「according to his wife」なのである。

 後者のほうは、「Master Sergeant Hector Trujillo was hit by a car in Japan moments after he came across a car crash on an expressway and pushed another man to safety」と記していて、独自取材による情報とも読めるのだが、上に、「Trujillo’s best friend, Jason Texeira, said it was Trujillo’s selfless nature ‥‥」という行文があり、「トルヒーヨ氏のベスト・フレンド、ジェイソン・テシェイラ氏は、このことはトルヒーヨさんの無私な性格の賜物だと言っている」と言っているので、どこまでが「裏の取れた情報」で、どこからが「妻や友人からの聞き取り」なのか、ニュース記事としては曖昧な感じだ。

 トルヒーヨさんが頭蓋骨骨折(skull fracture)を負っていることは間違いないようで、これについては一刻も早く全快してほしいものだ。
 が、『産経新聞』当初記事は、「意識不明の重体」と明記しており、トルヒーヨさん自ら日本人救出を語ったとはいささか考えにくく、非常にわかりにくい。

 『産経』は、「削除」後記事で、「「日本人を救助した」は確認できませんでした。現在、米海兵隊は「目撃者によると、事故に巻き込まれた人のために何ができるか確認しようとして車にはねられた。実際に救出活動を行ったかは確認できなかった」と説明しています」と言うのみだ。

 少なくとも、トルヒーヨ曹長は、何かできることはないかと自分の車の外に出て見たことは確かなわけで、誠実な人であることは間違いなかろう。
 明らかに、『産経新聞』は、その「顕彰」のためにではなく、沖縄のメディアを「日本会議」的視線で貶めようとして当該記事を仕立てたのである。

 そして結果的に曹長とその家族に対しても礼を失した、「事故を自分たちの政治性のために利用する」がごとき醜悪極まりないものになった
、としか言いようがない。

 この点に関しては、上にリンクした『琉球新報』の反論記事のほうがずっと詳細かつ誠実であり、曹長と家族に対する配慮もうかがえる。一読をお勧めしたい。

 『産経新聞』の削除の言い訳は、曹長の予後などにも一切触れず、「え? ちゃんとフォロー取材しないの?」という感を持つほどドライだ。

 さらに視線を広げて、政権+政権翼賛メディアと沖縄県民との関係という点では、第二次世界大戦末期の、沖縄における住民「集団自決」の問題と二重映しとなる。
 政権が「鬼畜米英」を謳う時には、英米を鬼畜と見て敵視することが求められ、かつ自国の利益とされるならば自殺への決断を促され、その戦争が終わると同時に、「米」は「政府の友」となったのだから、これを大切に遇せよ、というのだ。

 つまり、「政権・政府の言うとおりにせよ」というロジックだ。
 さしあたっては、沖縄がクリティカルな地政学的位置にあるゆえ(近世以降ずっと)、沖縄に対して向けられるのだが、もちろん全国民への「見せしめ」に直結する。

#0316 首相官邸前(=国会議事堂前)抗議集会。

 テレビも新聞も購読していなくとも、このところの政治の世界のヒド過ぎる展開には、ことばがない。

 「森友問題」に関し、公文書改ざん=公文書偽造の情報が否みえないものとなってきて、もはや行政の透明性もクソもなくなってきている。
 首相たる者の態度が、ここまで「なんっとしてでも保身する!」以外の何ものでもないとなってくると、むしろ事柄がほうっておいても自己増殖してゆく。

 バラエティ番組で、出演者のタレントたちに、空気を入れて膨らみ続けるゴム風船を持たせ、クイズに答えさせつつ風船を次の参加者に手渡し、どこで破裂するかを見て楽しませるゲームが‥‥今はあるんだろうか^^。

 参加者は、自分の番が回ってくると、早く答えて風船を次にまわすのだが、またまわってくると、より膨らんでいて、「破裂」に遭遇した参加者は悲鳴、で終わり。
 ‥‥なのだが、「文書改ざん・解明回避ゲーム」は、破裂に遭遇するするのは行政当局と政権と決まった上で、逃げて延ばそうとした分だけ、風船は膨らんだ

 3月後半の仕事は、書いたように歯の治療が入るかということで入れなかったので、この金曜(16日)の夜は空き、で、こ れ

#0316 首相官邸前抗議行動

に行ってみた。

 ちょっと予想はしていたけれど、も〜っのスゴい警察官の人数。
 私は(19時30分までの「反原発」には出ず)19時30分からの、“文書改ざん抗議集会”のほうだけに出たのだが、東京メトロ・国会議事堂前駅を出た時、警察は、4番出口から出るよう誘導していた。
 他の時間帯や出口では、不必要なほどの規制が行なわれたとか、「妨害だ」というような声もネット上に散見するのだが、実態はいかが?

 スムーズに出られはしたものの、参加者の数もはんぱなく、上は歩道なので、当然、混む。
 雨はやや強まったりやみかけたり、全体にそうとう寒く、21時まで、約90分、コールにお付き合いするのは、けっこうシンドかった。

 こういう集会は、いわゆる「オールド左翼」老男女が多く、考えが凝り固まっていて、フランクに話す機会は得にくいものだ、と、去年の憲法記念日の集会などから感じていたのだが、二人のおじさんと話すことができた。

 二人とも私より間違いなく年上、コールにも気炎を上げていた。
 この二人、自民党支持者だと言っていた。なんと一人 ― 「安倍やめろ〜っ」とコールをはずれて大声で罵詈していた ― は、自民党員だということだった。
 二人とも、反-自由民主党、なのではない。安倍晋三個人の振舞いが許せん、というのである。

 警官の集団は、何かのはずみに、数人が慌てて走り出す場面、交通整理にムダに笛ばかり吹く場面が多く、「ほんとうの暴動やテロが起きたら、だいじょうぶなの?」と思うほどの不安定ぶりだった。
 事前に、「デモ集団を官邸だけには近づかせるな」というような指示を、周到に、ではなく、「忖度せよ!」とばかりに出していた、と思しい。
 集会・警備とも、その様子が YouTubeを含む諸サイトに上っているので見られるが、単調なので面白くなく、リンクはしないでおく。

 午後までの時点で、YouTubeで「0316 国会議事堂」などで検索すると、あの“チャンネル桜”の安倍応援=煽動ビデオの動画が出てくるだけだった。

チャンネル桜・煽動ビデオ

 この記事内で再生されるのも不快なので、埋め込みはしない。

 いっやもうねえ‥‥“こういう手合い”からしか応援してもらえない政権、っていったいナンだろうな、と思う。
 「反日サヨク」ってねえ‥‥サヨクってそんなにいないよ。逆に、昭和20年8月の、あの、皇室存亡の危機に、再度立ち至らせたい「破日ウヨク」はだれか。

 私個人は、皇室の存廃は国民がオープンに議論できるのでない限り、民主制の原則は活きていない、と考えるが、ともかくも昭和20年8月に、もういっぺん持ってゆきたい手合いが、現政権の応援者であることは間違いない。

 ところで、この煽動ビデオ、BGMがマーラーの交響曲第6番冒頭である(あっれま)。
 ずいぶん速いテンポである。
 手持ちの3音源‥‥ホーレンシュタイン/ストックホルム・フィル(1966年、Unicorn、Live)、バルビローリ/ニュー・フィルハーモニア(1969年、EMI)、テンシュテット/ロンドン・フィル(1991年、EMI、Live)のいずれよりも速いようだ。
 著作権を主張されないように、そういうディスクから選んだとすると、ホルヴァート盤かもしれない。ホルヴァート盤は、一時期持っていて、悪い演奏ではなかったですよ (‥)。

 ‥‥国会議事堂前駅からは乗れそうになかったので、霞ヶ関駅から乗り、新宿まで。いつも(いつもって、こういうのは2回めじゃん;;)どおり沖縄そばを食べて、ドトールでスイートポテトとコーヒー、千円を超すゴージャスな夕食をしたため、西武新宿から始発で座って帰宅。

 ほかにも、政治ネタ、メディア・ネタで気になることにいっぱい遭遇する昨今である。

[追記 3.17]
 上に書いた、「チャンネル桜」の“呼びかけ”に乗っかって、安倍応援派も、実際に集まっていたようで、あるサイトに引用された、Twitterの画像だと思うが、撮っている。

安倍シンパ側集会

 むふ〜。
「いろいろあるけど」

 が付いている(大笑)。いっや、いろいろありすぎまっせ。
 こんなの付けたくなかっただろうけれど、ストレートに讃美・応援したら、バカ過ぎて笑いもの以下にもならないのだ。

兵庫県西宮市。大恥の上塗り?

 このヒト↓、領収書などもない政務活動費に関する記者会見で、“号泣”しだして有名になった、“西宮維新の会”の、野々村竜太郎・元兵庫県議。

号泣県議

 このヒトは兵庫県西宮市とは、直接の関係はない ― 大阪出身で、北野高校から関西大卒 ― が、「大阪維新の会」の虎の威を借りて「西宮維新の会」を名乗って、兵庫県議会議員選挙に、西宮選挙区から出馬、当選していた。

 2014年のことということで、もう忘れかけていたところに、別のニュースサイトへのリンクで、今度は、正真正銘(?)、西宮市の市長が、記者に対して「殺すぞ」などの暴言を吐いたという件が出来している。

西宮市長、暴言辞任

 この件については、神戸新聞のこちらのページで、録音された音声(動画であるが、静止画に音声を乗せてある)がアップされていて、テクストにも起こしてある。
 あの、“松本復興相”を思い出させる音声だ。

 この人物は、野村氏と違って、外貌はなはだかっこよく、甲陽学院(関西屈指の進学校)から京大卒というほんもののエリートコースを歩むと同時に、若いころはそうとうヤンチャでもあったところが、有権者にもエラく魅力だったみたいだ。

 もうこの町から離脱して30年以上になりますかねえ。何ともねえ。

 政治家の「レヴェル」が、「優秀さ」ではなく「劣悪さの少なさ」で、そのポストが上がっていくような感じである。
・想像もできない異常行動に出る → 県会議員。
・人に罵詈・暴言を浴びせる → 市長、ないしは、復興担当大臣のようなあまり重要でない大臣。
・発言がころころ変わり、政府翼賛的新聞からさえ「お子さま」と批判される → 防衛大臣のような、かなり重要な大臣。
・矛盾した発言を繰り返すも、前三者ほどひどくはない → 内閣総理大臣。

 む〜〜‥‥。

落語家のツイート。

 このエッセイを読んでいて遭遇したのだが、こちらの、桂 春蝶なる落語家のツイートが、炎上を呼んでいるらしい。

桂春蝶ツイート

 単純にまとめれば、「すばらしい国・日本における貧困は、絶対的に自己責任なのだから、これについて政府の責任・政策を云々する者は、強欲または売名の意思が強いのだ」ということになろう。

 ふむ。「炎上」に恰好のエサたる言説! であるし、“突っ込み”の声を、また「サヨク!」と嗤う恰好のネタでもあり。
 しかしまあ、ここに綴られたことば ― 書いた人も「ことば」を職業にする人間である ― を、そのままに読み解いてみたい。

 まず「世界中が憧れるこの日本で」と始まる。ふ〜ん、この筆者は、日本は世界中が憧れるすばらしい国だ、と認識している、ということになる。
 そのような「思い」を持つ人は多いだろう。が、その「事実」よりも、ここで押し出されてくるのは、「私は日本、なかんずく国家としての日本を讃美したい」という意思だ。
 ここで、この筆者は、自国の政府を讃美する(中国や北朝鮮でよく映像化される?)「政府讃美者」であるぞ、という主張が臭ってくる。

 次に、「「貧困問題」などを曰う方々は」のテクスト。珍しい「曰」字を使っているのは、まあいい(変換したら出たのだろうか。さっすが噺家さん!)。
 ここで「「貧困問題」などを曰う方々」というのは、想定するに二つ‥‥ひとつは貧困の当事者で、自らの貧困を訴える者。
 もうひとつは、「貧困」を「問題」として論じている人びと。

 この二者のどちらかわかりづらく、それゆえ、曖昧に両者を指して指弾し、「自らの貧困を訴える者も、「貧困問題」から政府・行政批判をする者たちも、みな「強欲」か「売名」の者たちだ」という理解が成り立つ。

 画像で4行めになる、「我が貧困を政府のせいにしている」というテクストは、明らかに「貧困の当事者」、かつそれを「政府が悪いから」と表明している者たち、ということになる。
 実際にこのような「自分の貧困が政治に由来する」と考え、また主張している貧困当事者が、そんなにいるのかどうか、大いに疑問ではある。
 一例だが、貧困などの問題に取り組む田中俊英氏が、G.スピヴァックの「当事者は語れない」という見解を援用しつつ書いている「文京区の貧困当事者は、語ることができるか」の記事がある。

 こういったことは社会学者の調査などが求められよう。
 が、春蝶師匠は、そうした研究者・支援当事者こそ、「「貧困問題」などを曰う」けしからぬ輩である、と言いたそうだ。

 ところが、この文中に、「働けないなら生活保護もある」というテクストが唐突に現われるのには、違和感も並ではないものを感じる。
 「生活保護」は、ある部分、「自己責任」論からはみだすことがらだ。

 いちいちリンクを示すまでもないくらい多くのサイトが指摘するように、わが国の生活保護必要者の捕捉率は、低い。「保護なめんなよ」事件でも見えてきたように、「低くすること」が行政職員に求められる。

 で、春蝶さんが言いたいのは、やはり「生活保護はちゃんとあるんだから、捕捉率が問題だ、とか行政上の運用を議論する輩は強欲 or 売名だ」ということなのだろう。

 問題のテクストをつらつら読んできて、はっきり見えてくるのは、この人は貧困者や貧困問題について何か言いたい、というより、「日本はすばらしい」、「現政府はすばらしい」ということを宣伝したいのだ、ということだ。

 弱者の立場に立つ、という形で政策・行政に批判を加える者こそが、社会・国家を危うくする「サヨク」なのだ、という、大勢の、意味をいっさい思考・定義しない「サヨク」なる語も、こうした、政府讃美のコンテクストで用いられる単語だ。
 それは措いておいても、こういう“政権翼賛落語家”が出てくるなんざ、面白いのか面白くないのか…。

 お父さんの先代春蝶師匠、頬のこけた風貌が、庶民的でしたけどねえ。

また、NHKの営業の話。

 拙ブログに、時折り1日のアクセスが1,700前後になる日がある。

アクセス元URL

 前にも書いたことだが、その「リンク元URL」の上位に、記事ID=729「NHKから封筒が。」が来る。

 じ〜っつにまあ NHKの“契約=受信料取り営業”に対する関心、というより反感・不快感なのだろうが、これが甚だしいことを知らされる。

 2015年2月にテレビ廃棄 → NHKとの契約終了
 2017年7月に、上記記事に書いた、「○月○日までに書類を返送せよ」という高圧文書の投函

という流れなのだったが、昨年(2017年)末だったと記憶するが、NHKの委託を受けた契約締結営業の営業マンが訪問してきた。

営業名刺

 株式会社ネクスレプトというところの人で、この人はちゃんと営業の常識を心得た人で、こちらの ― 7月の“高圧文書”の件も伝えた ― 説明も「おっしゃるとおりです。申しわけありません」と一応態度の上で理解を示し、自分たちの業務上の義務でこのように回っている、上の者にはあなたの言うところを伝える、ということで、帰っていった。

 それから3ヶ月も経たない今日、正午ごろ、寝ていたのだが、配達にしてはありえない大声で、加えてドアをがんがん叩く音。
 ほうっておこうかとも思ったが、とりあえずパジャマのままドアを開けると、前回とは(たぶん)別の会社の、NHKから受託した契約取り営業マン。

 今回の人は、そのような研修を受けた演技かもしれなかったが、じつに事情を理解しない明らかに「アホな(を装った?)営業マン」氏だった。

 受信設備を持っていないことを伝えればそれで終わりで、退去するのだが、異なる受託業者をここまで頻繁に同じ宅に通わせる NHKのやり方は、“高圧文書”と、追っての訪問に、さらに加えての不快感を募らせるものだ。

 異なる受託業者間に、情報の共有があるのかどうかわからない。勘ぐれば、長期に契約していない世帯には、異なる業者を頻繁に訪問させ、「ほかの業者のことは把握してませんで…」と言わせる作戦なのかもしれない。
 今日の営業氏は名刺を置いていかず、聞くと「すみません、切らしてまして」とのことだったが、意図的に名刺を渡さない(名札は提げている)ポリシーなのかも、とも思った。

 ただ、私のようにほんとうに受信設備・装置をひとつも有していない世帯への訪問は、無駄足であるだけで、逆に正規の受信料支払いユーザーにとっては、これらの人件費も受信料から賄われている、という、つまり契約者負担になるのである。

 個人的には、NHK受信・視聴者、さらにいえば受信可能状態にある人は、契約して受信料は払うべきだ、という考えを持っている。
 いっぽうで、昨今のこのような NHKのなりふりかまわぬ“契約取り”行動は、どう見ても NHKの印象を下げているし、再度テレビを導入して視聴しようという意思を、著しく毀損する。

 加えて、大勢の人びとには、「受信料を払わないで見る」のではなく、「テレビを棄て、見ない」ことをお勧めする
 NHKは、ETV特集など高品質な番組も制作していることはお人のブログからなどで知りうるが、もしそれだけを試聴したいなら、ネットのオンデマンドだけでいい。
 その他の“政権放送”と民放のクズ番組は、日本社会の中で最低のクソ文化といっても過言でなく、大勢がこれらから離脱することも悪くないのではないかと思う。

 もうひとつ、個人的には、NHKが「国営放送」になってしまうことには賛成できない部分も強く感じる。
 その点では、上の文と矛盾することになるが、テレビを再導入して契約するほうがいい面も感じないわけではない。

 池上 彰氏が《荻上チキの Session-22》で言っていたのは、「NHKの職員がいちばんキラうのは、自分たちが“国営放送”だと言われることだ」ということだった。
 が、自らがそうなる方向性を突っ走ってゆく ― 番組制作面でも営業面でも ― のなら、NHK所属員の人たち自らの責任以外の何ものでもない。

アベノミクスでほんとにいいの?

 来たる衆院選は、自公与党の圧勝、になるということだ。

 ふ〜ん‥‥だいたいの有権者は、為政者が恣意的に学校設立の認可などをしたとしても、何も思わないらしい。

 経済政策についても、現政権の政策への追認と期待は、そうとう大きそうだ。
 が、ここ、ほんとうにこれでダイジョウブなのか、という部分が見落とされていないか?

 ↓下の動画。インタビュアーで主宰者の神保哲生氏は、こちらははっきりとリベラルのほうなんだけど、日本総研・河村小百合氏の見解は、ニュートラルな立場では、と思う。



 テキストとして、彼女へのインタビューをまとめたものは、こちらにある。

 河村氏は、アベノミクスの“異次元の量的緩和”の帰結を、強く危惧する。
 「異次元」というのは、この辺(こちらは一般的解説。河村氏のではない):
 「今まで、日銀は金融緩和を行い、デフレ脱却を目指すと言いながらも、反面バブルのトラウマでインフレに対して、相当なアレルギーを持っていました。デフレを脱却すれば、当然インフレ。つまりアクセルを踏みながら、知らず知らずのうちにブレーキを掛けていたのが今までの日銀の金融政策でした。言葉を変えて言うならば出し惜しみです。
 今回は、そのブレーキを外し、現政権がかかげる2%の物価上昇に向かって、できることはすべて行うという政策を発表されました。」

を読むと、「ノーブレーキの量的緩和」ということらしい‥‥経済は、よくわかりませんが。

 こちらの、野口悠紀雄氏の意見も、通底するのでは?

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