5月以降、観た映画 〜 『新聞記者』、他

 5月と、今月に入って観た映画。

 まず、ついこの間見た、『新聞記者』(藤井道人監督)。
 日本で、これほど政治的にキワドいトピックで映画が作れるか、という点で、空前絶後の価値を持つ。まずは Trailerを↓


 主演は、韓国女優のシム・ウンギョン(沈 恩敬)と、松坂桃李‥‥というようなことはもう周知だろう。
 望月衣塑子の『新聞記者』(角川新書)が「原案」ということで、それだけでアレルギー、みたいなことになる人も多そうだし、主演が韓国人ということで、日本の女優が出演「できなかった」理由、などを想像してみる向きも多そうだが。

 現実の加計問題や、詩織さん問題を織り込んでいる、というのは、それはそうなのだが、最終的にもっと大きな「陰謀」みたいな話を持ってくることで、一種「政治ファンタジー」のごとく仕上げている。
 主役の女性記者が、日本語がちょっとたどたどしく、むしろ英語が流暢な帰国子女だ、という設定にしたのは、韓国人女優を起用したことから設定したとも考えられるけれど、望月衣塑子本人からイメージを遠ざけようとしたとも見え、ここには、帰国子女だった NHK・クロ現の国谷裕子のイメージを重ねようとした、とも読める。

 登場人物の“気持ち”の描き方が浅薄、という指摘もあるようだけれど、一種の「政治ファンタジー」として、都心の光景や、夜景を美しく映し出すことで、そこに生きるさまざまな人びとの生活を、「ここに権力が踏み込むのだよ」と、あからさまにでなく、叙情的といってもいい筆致で描き出していて、それはいちおうエンタテインメント作品という形で、うまく仕上がっている。

 もう一人の主人公・杉原の妻が、本田 翼という、全然政治と関係なさそうな「かわいい奥さん」である、ということが、かえってそこに政治の毒牙が突然突きつけられかねないという対照を生んで、効果的だった。
 これは、『記者たち−衝撃と畏怖の真実』(後述)で、記者の一人の妻を旧ユーゴ出身者とし(演:ミラ・ジョヴォヴィッチ)、「“愛国心”が私たちの国をバラバラにしたのよ」(だったか)という台詞を言わせていたのとは、正反対の演出だが、あそこは『記者たち』のほうがワザとらしく感じられた。

 主題歌『Where have you gone』がとてもいい。その動画に、映画中の光景が用いられていて、それを。ぜひ全画面でどうぞ。


 吉祥寺でやっているので、観てから、三浦屋の米粉パンを買って帰ろうと思ったのだが、割引デーでもあり、満席とのこと。
 いや、吉祥寺のオーディエンスも捨てたもんじゃない♪

 この、アップリンク吉祥寺という映画館は、入口にもったいぶった迷路調のトンネルを設けていて、いかにも“意識高い吉祥寺のオーディエンス”向けなのがキライなのだが、そういうことで、立川まで足を延ばして、シネマシティ/シネマ・ワンで観たら、ガッラガラ。60歳以上のシニア割を70歳以上に引き上げたということもあってか‥‥わからないが、1,800円払った価値はたっぷりあった。


 次に、5月に観た、上にも触れた『記者たち−衝撃と畏怖の真実』(ロブ・ライナー監督)。
 米同時多発テロ後、イラク空爆の理由としての大量破壊兵器の有無を、他の全ての大ジャーナリズムに抗して疑い続けた、ナイト・リッダー社の記者たちを描いたもの。


 速い展開で、記者たちの「裏を取る」作業なども、電話1本で、だったり、ちょっとわかりづらいところもあり、限定された時間内に何とかまとめ上げようとした感じもある。
 が、アメリカ・ジャーナリズム史上消すことのできない“汚点”に咲いた一輪の花を描く、見逃せない映画だとはいえる。

 俳優たちが、実際のナイト・リッダー社の記者と語る映像も、貴重:



 で、最後は、右派を怒らせるだけの(笑)映画、『主戦場』(ミキ・デザキ/出崎幹根監督)。
 いわゆる「従軍慰安婦問題」を巡る、日本の右派と、それとは対立する側(一枚岩ではない)の Battleを描いたもの。


 この映画に対して、早速「騙されて出演させられた」と、ケント・ギルバート、藤岡信勝らが、上映停止と損害賠償を求める提訴をしたことも、すでに知られている。

 そっち側は、見たい人はいくらでも見られる。デザキ側の会見をひとつ↓


 どういうわけか、私の環境からだと、26秒のところで一回フリーズする。2〜3秒先をクリックすると再生されるので、どうぞ^^。

 上引映像でデザキが言っているように、ケント・ギルバートは映画の完成を祝い、宣伝してやるような旨のメールを、デザキに送っている。
 この件は、こちらにも指摘されている。

ケント・ギルバートのツイート

 なんだよ(大笑)。

 この映画の“主題”や“主登場人物”とはちょっと違う部分に目が向いてしまった。

 韓国で、この問題には“寄らば斬るぞ”型の最過激集団は、言うまでもなくいわゆる「挺対協」である。

 読んでいないので適切にはいえないのだが、挺対協のような立場とは大きく異なり、可能なかぎり、韓国人として誠実で客観的な論を立てようとしていると見える、パク・ユハ女史に対し、著書中の記述に関して名誉毀損の提訴がなされ、有罪判決が出ている(韓国)。
 挺対協の立場に少しでも異を唱えたり、わずかでも「日本側有利」となりかねないことを、事実であっても述べたりしたら、その瞬間、韓国では「国賊」になってしまいかねない雰囲気がある。

 パク女史のような立場は、どちらからも罵詈を受けることになりやすいが、最も大切な立ち位置ではないか、と思った。こういったところに論評がある。

 もうひとり、ネット上でのこの映画への論評にはほぼ全く登場しないのだが、観ていて最も印象に残ったのは、当初、日本会議/慰安婦問題の存在否定側の論客たるべく期待されていたものの、途中、運動を進めるうちに懐疑的になった、という、日砂恵ケネディという女性。
 映画監督・町山智浩のツイッターに、「櫻井よし子の後継者と呼ばれた日砂恵ケネディ氏の「自由になれた」という言葉が重い」と。

 この人物は、問題の根幹に関わる部分でも重要な役割を担っていて、それは映画でどうぞ。

町山智浩のツイート

 この2人への取材は、私にはこの映画の白眉ではないか、と思えた。

 で、「誤解を受けるような切り取られ方をした」と、提訴者たちは言っているが、彼らの日常の言説が、映画の中で語っている“あのまんま”なのである。
 「新しい教科書を作る会」などでもご活躍の藤岡信勝先生(← あれ? このヒト“右派”からも論難されてまっせ(大笑))は、作中、「国家というものは、絶対に謝ってはいけないんです!」などとのたまっている。
 この人、元共産党員で、長いことガチガチの左翼論者だったのである。
 さ〜っすが、ガチガチの国家無謬観=旧ソ連的国家観♪ である。

 この映画を観たのは、青山のシアター・イメージフォーラムというところだった。こちらのアクセス図ではゼンゼンわからないほど込み入った場所で、到着に難儀した。
 同じく迷っている、高齢のお客さんが(高齢者多し。まあ平日昼間だし)近所の人に聞いてくれて、たどり着いた。

 さて、そんなとこですか。
 「映画」というジャンルは拙ブログに設けていなかったが、作ってみた。もうあまり観ないと思うのだが。 

映画『ナディアの誓い On Her Shoulders』

 しばらく映画は観ていなかったが、昨日、久しぶりに観た。
 アップリンク吉祥寺、というちょっとマニアックな映画館で観たのは、もうたいへんにシリアスなドキュメンタリー映画、『ナディアの誓い On Her Shoulders』

ナディアの誓い

 イスラム国に拉致され、レイプされた女性たちの一人であり、かろうじて脱出し、支援者の支援を受けつつ、国連親善大使として世界に発信し、ノーベル平和賞を受賞したクルド地域のヤジーディー教徒の女性の物語。

 この映画を知ったのは、よく拝見するブログに依る。内容紹介は多いし、すでに多くの感想が、こういうところに上がっており、私などが付け加えることもあるまい、というくらい、単純に悲惨な事実であり、このヒロインの遭遇した事実は、過酷である。

 各場面が、どんなシチュエーションからのものか、いちいち説明はされないので、その辺のコンテクストがわかりやすいわけではないが、あ、これはバラク・オバマの声だ、というようなものも多い。
 ナディアさんを支え続けるヤジーディーの代表・ムラド・イスマエル氏が、もう一人の主人公でもあるが、彼女を支援する「人権派弁護士」で、ジョージ・クルーニーの妻、アマル・クルーニー Amal Clooneyが印象深い。

 オックスフォード大学を出ているアマルは、旧姓ではアマル・アラムッディーンであり、レバノン人だ。この人については、こちらが参考になる。
 彼女は、レバノン人に多いそうであるイスラーム教ドゥルーズ派の家庭に生まれたということだ。

 ヤジーディーもドゥルーズ派も、イスラーム主流(シーア派やスンニ派)からは「イスラームではない」と異端視されることも多いということで、そんな背景がナディアさんとアマル・クルーニーを結びつけた‥‥かどうかは定かではないが。
 アマルさんはレバノン出身でアラビア語を話し、作中では、通訳を介さずにナディアさんと話している場面(タブレットを使っての通話?)もあったように記憶するが、当然、流暢な英語も話す。

 彼女が国連会場で、ナディアさんのために弁舌を振るう場面、映画では抜粋だったようだが、より長く、YouTubeのこちら↓にアップされている。



 また、YouTubeの BBC News Japanチャンネルには、インタヴュー:


 もアップされていて、字幕で読める。

 この映画、監督も女性で、アレクサンドリア・ボンバック Alexandria Bombach(← この人は、サンタ・フェ出身のアメリカ人なので「ボンバッハ」というドイツ読みは合わないと思うので、このように。本人もそう発音しているように聞こえる[下引動画])という人。

アレクサンドリア・ボンバック

 この人も、美人ですぅ〜♪

 では、通常の予告編に代えて、監督自身のコメントを加えた紹介編を、どうぞ:



 「移民」、「難民」そのものに無縁(なんとか無縁であり続けようと、政府も国民も必死…)な私たちには、エモーションばかりでリアリティが伴なわない ― 米機の爆音のないところに住んでいる者が、沖縄のことが感じられないのと同様 ― で、どう受け止めてよいか、難しい。

 ひとつどうしても感じるのは、こういう、「国際」の場における「認識」や「振る舞い方」ということ。
 URLを見失ったが、ナディアさんの受賞などと比して、たとえば安倍首相がトランプをノーベル賞候補に推薦したとかしなかったとかいう話。あるいは、外国の代表たちに対して「Shut up!」と怒鳴ったわが国の外交代表。「平和ボケ」とはいかなる事態か、言うを俟つまい。

 映画は1時間40分ほどだったが、仕事まで時間が余ったので、いったん新宿に出てディスクユニオンでお目当てのCDをゲット、そこからさらに小田急線で仕事に行きましタ、はい。
 じゅーじつした一日だったぁ〜。

《この世界の片隅に》再見。

 《メアリと魔女の花》を観てから、ちょっとばかり‘映画づいて’しまい、2週間後に《この世界の片隅に》の2度めを観た。

この世界の片隅に

 《この世界…》は、複数回映画館に足を運んだ人がそうとういるようで、観るたびに新しい発見と感動が云々という話も多い。
 9月にディスクが発売されるということで、さすがに長く続いた延長上映も8月末で終了するところが多いようだ。

 朝の上映は行けないので、夜やっているところ、というと、新百合ヶ丘の川崎市アートセンター内の、アルテリオ映像館というところ。
 駅を出てそう遠くないところにある。この地は、日本映画大学などという大学もあって、‘そういう’雰囲気である。

 110席ほどの定員制で、ここの音響設備は、メイヤーサウンドというところのものを使っている。悪くなかったけれど、スピーカーの設置様態からか、音の広がりはあまりない。

 当日は午後8時から上映、80席弱は埋まっていたようだった。年齢・条件に関わりなく、1,000円均一。

 いちど観ているので、展開は当然わかった上で、であるが、やはりほんとうに観応えがある。といって、‘涙が出てくる’ということはない‥‥これは私がそういう人間だからだ。
 2回観た価値はあった、というのが実感だけれど、DVDまで買うところまではいかない。むしろ、劇場での「すずさん」との出会いを、胸に沈めておこう、という感じ…。

 この作品の、まず第一の成功の元は、原作、だろう。稀有な原作と、片渕監督の恐るべき才能と執念とが、なにかある種超常的な力に結びあわされて、この世に現われ出た、というようなものとしか言いようがない。

 以下の YouTube動画(正確には音声)は、TBSラジオの《伊集院光とらじおと》の記録と思われるが‥‥


 前半のほうに、奇跡的に原作者とコンタクトがスムーズに取れたことが語られる。
 伊集院 光という人は、ラジオだと語りが大げさすぎて興ざめすることが多いのだが、この回は、相手が相手(!)であるせいか、地に足がついて説得力がある。
 この音声で、21分45秒以下あたりのところから一緒に仕事をした宮崎 駿の名前が出てくる。
 伊集院:「実際、ま、ざっくりですけど、どういう人ですか、宮崎 駿…。」 片渕:「え? めんどくさい」(笑) (23分くらい)
 伊集院:「高畑(勲)監督はどうですか?」 片渕:「高畑さんもめどくさいんですよ」(笑) (24分35秒くらい)
 の会話は、もうよく知られているらしいが、面白い。

 その「めんどくさい」宮崎 駿と高畑 勲両監督は、《風立ちぬ》(宮崎)と《かぐや姫の物語》(高畑)を、同時公開を期して制作し ― けっきょく高畑側の遅れから別途公開となったらしい‥‥この辺は、私はほとんど興味がなくリアルタイムには何も押さえていない。

 が、その制作過程の、宮崎サイドを詳細に、というか執拗に追ったドキュメンタリー映画:《夢と狂気の王国》(砂田麻美監督、川上量生[ドワンゴ]プロデューサー(← 実験的動画で宮崎監督を怒らせたヒト。))が、違法っぽいがスペイン語字幕でアップされた動画で ― 制作者には申しわけないが ― 観た:


 音声はモノラルの貧弱なものになっているが、画面は、スタジオの内部、周辺など、何ともいえないほど美しい箇所がいっぱいある‥‥といって、これをDVDを買って観ようとまでは思わないけれど、宮崎 駿・ドキュメントとして、非常に秀逸だ。

 この動画は、テレビではまず放映できないような、政権批判と取れる場面までネグレクトせずに収めている。

 宮崎氏は、改憲反対であることを明言しているものとみえ、「「風立ちぬ」宮崎駿監督の反日妄想を嗤う」(産経新聞サイト。『月刊正論』所載の文章とのこと)なんていう、吐き気のする‥‥いや吐き気もしないようなクソ言説の類いがカビのように生えてきている。

 筆者の三品なる人物は、終わりのほうに、宮崎氏が自身の父の思い出を語ったことばに対し、「こんな童心を今に留めているからこそ数々の名作を生み出せるのかもしれないが、どうもこの種の人々の特有の青臭さが鼻につく。それは「体験なき者の横暴」である」と結んでいる。
 《夢と狂気の王国》には、父に対する、もっと複雑な印象が語られている。三品某なる人物のほうこそ、「体験なき者の横暴」を無慙にブチまけて憚らない。
 加えて、こういう手合いが「数々の名作を生み出せるのかもしれないが…」などと言っているのにも違和感ただならぬものがある‥‥これはまあ、一般的に、この種の糞言説の生産者は、こういうところは‘世間の評価に従属的’ということだろう。

 ‥‥余談に入りすぎた。が…私は個人的に、宮崎 駿の「護憲論」に、あまりシンパシーは感じない。
 それから、私自身は宮崎アニメのファンでは、基本的に、ない。
 すばらしかったと記憶するのは、《耳をすませば》と《千と千尋の神隠し》だけで、それも、VHSを廃棄した今、DVDで買いなおそうとは思っていない。

 それにしても、なぜ《この世界の片隅に》にはこんなに説得力、存在感があるのか。
 原作者と監督の、何かに結び合わされていったがごとき出会い、主演声優・のん さんをはじめとする適役声優の集合など、目に見えない‘何か’が地下水のような流れを作っていった‥‥。
 意識的・意志的に「反戦」を描こうとしたのではなく、死者たちの思いと生者たち ― クラウドファンディングの有志の人びともその底流だ ― の思いとが、どこかで重なり合い、融和して大河のような「流れ」を作っていった‥‥ような気がする。

 先の戦争において落命した我が国の人びとは230万を超え、その多くは餓死と病死だったのである。
 国家の無計画・無責任な戦争遂行のもたらした、こうした餓死者と病死者の「思い」が、生存して辛酸をなめた人びとの思いとともに、《この世界の片隅に》の制作過程と、映像に、沁みこんでいるように感じないでもない。
 それは、けっして声高でもイデオロギッシュでもない。「人が死ねば土に還る」、その土にまた、草が芽生えて花が咲く、ように‥‥。

 戦争体験を語ることに、とても消極的な人は少なくなく、それが「聞き取り」、「証言採取」を行なう人びとの作業を難しくしているということをよく聞くが、《この世界の片隅に》では、すずさんが目の前で、「その時」の姿を見せてくれる。

 「過去にもどる」タイプの、いわゆるタイム・ファンタジーは英国の児童文学の一ジャンルをなしていて、フィリパ・ピアス:『トムは真夜中の庭で』やジョーン・ロビンソン:『思い出のマーニー』はその分野の名作だ。
 読んだ方にしかわからない言い方になるけれど、『トムは真夜中の庭で』において、トムがハティに、『思い出のマーニー』において、アンナがマーニーに会うように、《この世界の片隅に》では、私たちは「すずさん」に会うことができるのだ。

 ‥‥長くなったので、米林版《思い出のマーニー》については、また別記事にて…。

《メアリと魔女の花》…雑感

 数週間前、立川でちょっとだけの仕事のあと、ちょうど1時間おいて上映開始だったので、立川の映画館は初めてだったが、立川シネマシティという館で映画を観た。
 お題は‥‥『メアリと魔女の花』。
 そうそう、去年還暦を越えたので、1,100円で入場できる。ちょっと割引きが大きすぎるようにも感じないでもない。というより、通常の1,800円が高過ぎる。

 これは、yositakaさん(ネコパパさん、がほんとう?)のブログにおける紹介で知り、私の感想はかなり yositakaさんのレビューに影響されている面、否めないことを書き添えて、私の雑感を‥‥。

メアリと魔女の花


 あらすじは、yositakaさんのブログにも引用される、Wikipediaでどうぞ。

 自分によいところを見つけられない女の子が、偶然見つけた魔法の花の影響で、魔法の世界に行って、最初大歓迎されるも、正体を知られると姿を変えられそうになり、知人の少年が巻き込まれ、彼を助けようと大活劇‥‥。

 スタジオ・ジブリ‘出身’の監督ということでジブリ‘ゆずり’の精細な絵、とくに風景画像の美しさ、精細さがまずは期待される。
 さすがに、美しい、のではあるが、イギリス‘ふう’のロケーション ― 明らかにイギリスの田園地帯を想定… ― の、まさにイギリス風庭園の、その植物の描写は、意外に粗雑に見えた。
 末尾には植物の実写と思しい絵が使われていたと記憶し、これなどは私には興ざめだった。

 描くのが困難といわれる、水の立体的描写に挑戦‥‥とも言われているが、‥‥


 魔法大学エンドアの、マンブルチューク校長のイメージが噴水から立体で飛び出す絵。立体感が、意外にない。これは技術的にしようがないのかもしれないけれど。

 その他、何しろ、子ども向けの冒険大活劇アニメなので、細かいところを云々する気持ちは起きず、まあ、楽しんだといえば、十分楽しんだのであるから、それでよいともいえる。

 ストーリーの重要点は、何といってもエンドア大学の首脳たちの‘大’魔法プロジェクトが、「暴走」すること、それゆえ、ヒロインが、最後、「魔法なんか要らない!」といって、秘密の書『呪文の神髄』の中から、「全ての魔法を解く呪文」を選んで使う、というところにある。

 すでに多くのレヴューに言われるように、これは明らかに原発事故への批判であり、科学暴走への警鐘だ、ということは明らかで、「魔法なんか要らない!」は、それらへの強い拒絶の意思表明だ。
 そこに収斂してゆくストーリー ― 原作は未読で、気にはなる ― では、「魔女の花・夜間飛行」が放つ、妖しいブルーの光の豊かなふくらみは、ただ「封印すべき危険なもの」としてのみ描かれる。

 レヴューを拝読した yositakaさんが言われたとおり、ここでは「魔法の多義性」は捨象されてしまっている。
 これはどうなんだろう‥‥と不満には思うのだが、短いアニメで、この辺を描き込むのは、無理だった、と解しておくしかないだろう…。

 最近、デュトワ/モントリオール響のCDで、デュカスの交響詩『魔法使いの弟子』を買い戻した。
 この楽曲は、ゲーテの原詩に基づき、魔法使いの未熟な弟子が、水汲みの仕事を箒にやらせようと呪文をかけるも、魔法を解く呪文を知らず、箒が汲んだ水で洪水になりそうになったところに師匠がもどり、事なきをえる、というストーリーを音楽化したもの。

 何といったらいいか‥‥《メアリと魔女の花》は、『魔法使いの弟子』を、逆ヴァージョンにした‥‥のでもなく、「師匠」と「弟子」だけが逆になったヴァージョン、なのである。
 こう考えると、ちょっとは面白いか。

 ゲーテ=デュカスのストーリーでは、「未熟者が奥義を使おうとしてはならない」ことの教訓であり、一般にはわかりやすい。
 《メアリと魔女の花》では、魔法の専門家で、達人であるはずの博士と校長が魔法を暴走させ、それを、「魔法素人」のヒロインが止める。

 そして「全ての魔法を解く呪文」‥‥これが原作にあったのなら、それはますます興味深い。

 話が飛ぶ。
 整体の創始者・野口晴哉は、相手を金縛りにする術を心得ていて、妻・昭子(この人は、近衛文麿の長女。つまり近衛秀麿の姪)が「私も修行して出来るようになりたい」というと、野口は「修行なんて無駄なことさ。みんなお互いに暗示し合って、相手を金縛りにしているじゃないか、自分もまた自分を金縛りにしているじゃないか。人間はもっと自由な筈なんだ」と答えた、という(参考ページ)。
 この話はなかなか有名な話なのである(整体を知っている人たちの間でだけ、か;;)。

 つまり、野口先生の整体への姿勢は、「不要な思い込み=(潜在意識的)自己暗示を解く」ことにひとつの主眼があった、わけだ。

 ‥‥とまあ、こういうことを連想すると興は尽きないのだけれど、こういうふうに「アタマ」で考えないとあまり面白くない、というのは、映画としては甚だよろしくない。
 声優陣は豪華だが、庭師ゼベディの声、遠藤憲一さんは、これは全く合っていない。
 別記事にしようと思うが、《思い出のマーニー》で「大岩さん」(原作のペグおじさん)役の寺島 進さんのほうが、合うのかな、と危惧したけれど、こっちはドンピシャのはまりだっただけに、残念。

 今回、還暦を超えていたので、じじぃ割引=シニア料金=1,100円で観られた。これが1,800円払って観ていたら、不満感はより強かっただろう。

 さて‥‥原作はどんなものなのか、という興味は募る。
 メアリ・スチュアートという、伝説的なスコットランド女王の名を、偶然にも結婚によって得てしまった作家が、どんな筆致で描いているのか。
 《思い出のマーニー》が「読んでから観る」になった(DVD、観ました^^)のと反対に、「観てから読む」か‥‥あ、これ、一時 KADOKAWA映画の宣伝キャッチだったな〜^^;;。

 末筆ながら、映画をご紹介くださった yositakaさんには厚く御礼を申し上げ、かつ冷やっこいレヴューになったこと、少々お詫びいたしまス^^;;。

 ※このあと、《この世界の片隅に》の2度めを観、DVDで《思い出のマーニー》も観ましたが、ちょっと長くなるので、また別記事ででも‥‥。

[付記]
 この映画で、魔法を暴走させてしまう「デクター・デイ」は、英語表記だと Doctor Dee である。
 だとすると、この人物の名は、まさにメアリ女王の時代に実在し、今日のルネサンス研究が解明してきた、占星術師 ドクター・ジョン・ディーにあやかっている。

 イギリスの児童向けファンタジーの秀作、A.アトリー:『時の旅人』には、ヒロインが、過去の人びとにとっての「未来」を知っているため、「エリザベス女王の占い師、ディー博士を訪ねたことがあるのか? 」と詰問される場面がある(岩波少年文庫版、158頁)。

 澁澤龍彦『黒魔術の手帖』では、第1章冒頭に、この人物が死者を呼び寄せている場面の挿絵が掲出される。澁澤の表記は「ジョン・デイ」であるが、映画ではこれを採った…のか?

『この世界の片隅に』、観ました。

 これも(この「も」は前記事の『This Is JAPAN』に続いて、という意味…)、よくお邪魔するブログで知った、映画『この世界の片隅に』。ついに観ました!(← タイトル、間違ってましたね ;;。訂正)

『この世界の片隅で』とオマケ。

 上は、‘アリバイ’として買ったパンフレット。千円也。左に重なっているのは、入場者プレゼントのポストカード。

 昨日(月曜)、仕事の前に新宿で観た。土・休日だと座れないかもしれなさそうな情報もあったし、ちょうど月曜の仕事が午後4時過ぎから吉祥寺だったので、テアトル新宿で、13:05の回を観よう、と家を出た。

 スニーカーを買い換えたが、ビジネスシューズのほうも10年が経過して、足に合いづらくなり、また着地の衝撃も増えてきている。
 西武新宿から、新宿五丁目近くにあるテアトル新宿まで歩くと、足指がつりそうな感じで痛む。足の不自由な人のように歩いて、到着。

 全席指定とは知らず、けっこうお客さんが来ている ― 月曜なので、さすがに若い人と、大多数は中年女性と高齢者だったが ― ので、のんびり勝手な席に座り、トイレに行きたくなれば出場して、またもどって勝手に座る、というわけにいかないのは窮屈‥‥というか、そういう映画しかだいたい観ないのである‥‥前回観たのが、もう何年前になるか、『僕の彼女はサイボーグ』というやつであった^^(あ、8年前;;)。

 通常の上映情報では、この日のこの回が字幕付き上映であることはわからなかった。が、発話者の名前がわかるというのは、便利なところもある。

 もうネット上、汗牛充棟のレビューが溢れていて、そして観た感想は、シンプルに、とにもかくにも力作、だった。
 「商品として作り上げよう」という方向ではない、「とにかく表現したかった、表現しなければならないものがあった」という、圧倒的なインプレッション

 戦時下の庶民の「暮らし」を、ていねいな、とてもていねいな筆致で描き上げ、「幻想」味も、ヒロインの心のありようのひだに添った形で流れ出し、詩的だ‥‥というような感想は何の役にも立つまいけれど。

 音響装置は、映画館サイトにあるように JBLのシステムで、音楽の表現には歪み感があってちょっと合わず、しかし爆音系の迫力は満点。で、空襲の爆弾の炸裂音などはリアルだ。

 会話音声の定位がよいのにはびっくりした。隣の部屋からの声は左の、画面が切れた場所から聞こえ、スクリーンの中心にいる人物の声は、スクリーン中央に定位する。券を買う時点でそうとう席が埋まっており、買えた指定席が劇場右寄りだったにもかかわらず、中央に定位する。これには感心した。

 さて、こういう作品が、予想を超えて集客しているらしく、現実に大勢がつめかけているのを見ると、日本人の「戦時下と、戦争への思い」といったものもそう「風化」してはいないのではないか、などとも思ったのだけれど…。

 上映時間は、冗長では決してないけれど、2時間ちょっとと長いほうで、後半はトイレを我慢して観た。そういう人は多かったようで、終演後のトイレは満員^^。コーヒーをちょっと控えて出かけるべきでした〜。

 ま、ひとことで申せば、観るべし !!


 音楽のほうは‥‥マーラーの交響曲第8番『一千人の交響曲』。

マーラー:交響曲第8番、小澤

 テンシュテットのライヴ盤のテノールがあまりに聴きづらいので、小澤/ボストン響盤(Philips)に買い換え。
 この小澤盤は、日本盤のみCD 1枚 ― 80分には至っていない。79分内にとどまる ― にカッティングされている。オクで、送料込み600円でした。

 ネット上での試聴では、この小澤盤が、第2部の叙情的な部分がとても美しかったので、考えていたが、帯付きのきれいな国内盤で安価なものは、オクでも Amazonでも、あまり見ないのだった(この1枚もの廉価盤は廃盤。現行盤は第7との2枚組)。

 であるが、このディスク、やはりテノール=マリア崇拝の博士は、テンシュテット盤における‘吼え声’が聴きづらい、あのケネス・リーゲルさんなのである^^;。
 ヘッドフォンでちょっと聴いてみたところでは、テンシュテットのライヴ盤ほどは‘吼えて’いない。テンシュテットのライヴは、もはやひとつの祝祭だったのだろう。

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