反-野党キャンペーン(?)

 選挙がらみで、いろんなチラシや文書が出回る。
 与党サポートと思しい、反-野党ドキュメント。こういうのは見るのも調べるのも愉快でないが、2件。

・反-日本共産党ビラ

反-共産党ビラ

 日本共産党を「コワいですよ〜、この党!」というチラシが入っていた。
 「JAPAN Guardians 日本共産党の真実を伝える団体」というところの発行で、代表者は、安東 幹という人物。

団体記名

 このヒトのことをググって、初めて知り、面白かったのは、自身共産党に入党し、そこでヒドい目にあったので反-日共活動家になったということだ。
 熱心に活動する以前に、「キミはオカシい」と精神疾患者扱いされた、というのだから、こちらも自分で共産党に入党し、相当期間、サヨク論者として活躍した、例の藤岡信勝と似てはいるが、ちょっと異なる。

 団体の「賛同者」には、映画『主戦場』で右派の代表の一人として、品位もクソもない発言を見せていた、加瀬英明がトップで加わっている。

 上の画像に見えるように、まずは、日本共産党は「「天皇制」の廃止」を謳っている、と“警告”する。
 初め、これを見たとき、皇室・元号トピックにもそうとう受容的になった共産党が、「ウチは最終的には天皇制廃止も考えに入れてます」的なアポロジーで、共産党の一派が作ったチラシなのか、と思った(笑)くらいだ。
 が、この安東 幹なる人物、もとより天皇制に愛着も畏敬もなかったからこそ日本共産党に入党したのではないか
 そのような連中に、「共産党は天皇制を廃止しようとしているトンデモない党ですよ!」と、言われてもなあ、ではないだろうか。

 “あの”藤岡もそうだが、共産党の天皇制廃止論を肯定して、彼らは共産党に入ったのである(天皇制に愛着があれば、共産党に入党したりするだろうか?)。
 そういう連中に、反-共産党、反-サヨクを言われても、なんだかなー、以外に感ずるところがない。

 そして、もうひとつ共産党は「「自衛隊を解消」し、中国共産党のように「憲法改正」して自衛のための軍隊を作る」と言ってますよ、コワいですね、という。

共産党国軍論

 ここまで来るともうギャグであるが、これ、自由民主党の改憲草案の第九条:

自民党改憲草案第九条部分

に、そっくりである。
 もちろん、日共の改憲は恐ろしい全体主義の軍隊、現政権与党のそれは民主的で日本防衛のための国防軍ですよ、ということだろうけれど、昨今のメディアに対する政権の抑圧的態度から見れば、“中国共産党のように「憲法改正」して”のくだりなんぞ、そっくりそのまま安倍自民党のことを言っているみたいではないか(笑)。

 さらに、この団体、あの、韓国の統一教会と同体の、国際勝共連合とも深い関係がありそうだ(← ここのリンク先は、ちょっとどういう性格かわかりかねるものではあるが)。
 言うまでもなく、統一教会=国際勝共連合は、基本的にはきわめて反日、というより「侮日」的姿勢を基本に持っている。

 もちろん、それだから信用ならぬ、というつもりはあんまりない。こういう手合いは、「同じ穴の」ナントカであるので、手は結ぶだろうし、“○○は反日だ!”という言い方で悪だと決めつける言い方は、採らない。
 ではあるけれど、ことあるごとに「あいつら反日!」を叫ぶ人たちが、国際勝共連合に関してはそれは言わないのである(笑)。

 ‥‥それはまあねえ、日本共産党の全体主義的性格は全否定する人も少なかろうが、う〜ん、なるほど共産党に率先入党するような手合いが、現今の与党の、反-野党戦略の走狗になりはてている、というのも、ヘンであると同時に、「なるほどなあ」な感じも濃厚にする。いやはや。

 日本共産党の独裁的性格および行為については、いずれきちんと「総括」すべき日が来ないといけない、と思うが、現今の共産党、とくに首脳部や人気のある議員・候補については、政権与党が以前に比ぶべくもないほど“中国共産党化”しつつある今日、カウンターパワーとしてはけっこう期待している。

 そして、天皇制や元号のあり方については、全国民が忌憚なく、その存廃も含めて議論できる状態でなくてはならない、というのが私見である。


・自民党が内部配布した謎の冊子(笑)

謎の冊子配布

 自民党内部で、自党総裁を礼讃し、敵対野党を非難する冊子が配布され‥‥とくにその中の、党首のマンガの描き方がトピックになっている。

謎の冊子の表紙とマンガ

 こちらは、上に上げた反-共産チラシとは違って(!)、「発行元の人物も不明、同名のサイトは検索にかからず広告もなし」だそうだ。
 「同名のサイト」というのは、いちおう発行元と名乗る「terrace PRESS」のことらしいが、正体不明のナゾのサイトのようだ。

 ま、ナンというか‥‥いや、以前からこういうことは選挙前を中心に、よくあったのだが、上記、『HUFFPOST』記事によれば、「自民党であっても2018年秋の総裁選で安倍晋三首相の対抗馬となった石破茂衆院議員について「それにしても空疎な石破氏の経済政策」「がっかりした石破氏のキャッチフレーズ」などと否定的な論調を展開」している、とのことだから、事実上の“出どころ”は見えみえである。

 そして、こういうものを、党本部が所属国会議員に配布する、という事態。
 自民党内部からも、さすがに違和感を覚えた人がいて、「この冊子の内容については、自民党の国会議員からも疑問の声が上がっている。/武井俊輔衆院議は自身のTwitterで届いた冊子について「ひいきの引き倒しもいいところです。しかも10冊余りも。 扱いに困ります」と投稿した」という。

 武井議員(この人は、決して党内でリベラルという人ではなく、安倍寄りである)は、「野党の党首の似顔絵と思われる数枚の絵を示し「このように相手を揶揄し、対立を煽ることからは何も生まれない。極めて“生産性”がない行為ではないでしょうか。政治が負の感情や劣情を煽るようなことをしてはならず、著しく品位に欠ける」と憤った」という。

 来るところまで来たなぁ、の観深し。
 他方、立憲民主は、トンデモ芸人をついに公認してしまうザマだし‥‥ええ国やねえ。

 おっと‥‥追記風に。
 映画『新聞記者』が、公開10日ほどで興行収入2億円突破、とのこと。この国、まだ捨てたものではない?

5月以降、観た映画 〜 『新聞記者』、他

 5月と、今月に入って観た映画。

 まず、ついこの間見た、『新聞記者』(藤井道人監督)。
 日本で、これほど政治的にキワドいトピックで映画が作れるか、という点で、空前絶後の価値を持つ。まずは Trailerを↓


 主演は、韓国女優のシム・ウンギョン(沈 恩敬)と、松坂桃李‥‥というようなことはもう周知だろう。
 望月衣塑子の『新聞記者』(角川新書)が「原案」ということで、それだけでアレルギー、みたいなことになる人も多そうだし、主演が韓国人ということで、日本の女優が出演「できなかった」理由、などを想像してみる向きも多そうだが。

 現実の加計問題や、詩織さん問題を織り込んでいる、というのは、それはそうなのだが、最終的にもっと大きな「陰謀」みたいな話を持ってくることで、一種「政治ファンタジー」のごとく仕上げている。
 主役の女性記者が、日本語がちょっとたどたどしく、むしろ英語が流暢な帰国子女だ、という設定にしたのは、韓国人女優を起用したことから設定したとも考えられるけれど、望月衣塑子本人からイメージを遠ざけようとしたとも見え、ここには、帰国子女だった NHK・クロ現の国谷裕子のイメージを重ねようとした、とも読める。

 登場人物の“気持ち”の描き方が浅薄、という指摘もあるようだけれど、一種の「政治ファンタジー」として、都心の光景や、夜景を美しく映し出すことで、そこに生きるさまざまな人びとの生活を、「ここに権力が踏み込むのだよ」と、あからさまにでなく、叙情的といってもいい筆致で描き出していて、それはいちおうエンタテインメント作品という形で、うまく仕上がっている。

 もう一人の主人公・杉原の妻が、本田 翼という、全然政治と関係なさそうな「かわいい奥さん」である、ということが、かえってそこに政治の毒牙が突然突きつけられかねないという対照を生んで、効果的だった。
 これは、『記者たち−衝撃と畏怖の真実』(後述)で、記者の一人の妻を旧ユーゴ出身者とし(演:ミラ・ジョヴォヴィッチ)、「“愛国心”が私たちの国をバラバラにしたのよ」(だったか)という台詞を言わせていたのとは、正反対の演出だが、あそこは『記者たち』のほうがワザとらしく感じられた。

 主題歌『Where have you gone』がとてもいい。その動画に、映画中の光景が用いられていて、それを。ぜひ全画面でどうぞ。


 吉祥寺でやっているので、観てから、三浦屋の米粉パンを買って帰ろうと思ったのだが、割引デーでもあり、満席とのこと。
 いや、吉祥寺のオーディエンスも捨てたもんじゃない♪

 この、アップリンク吉祥寺という映画館は、入口にもったいぶった迷路調のトンネルを設けていて、いかにも“意識高い吉祥寺のオーディエンス”向けなのがキライなのだが、そういうことで、立川まで足を延ばして、シネマシティ/シネマ・ワンで観たら、ガッラガラ。60歳以上のシニア割を70歳以上に引き上げたということもあってか‥‥わからないが、1,800円払った価値はたっぷりあった。


 次に、5月に観た、上にも触れた『記者たち−衝撃と畏怖の真実』(ロブ・ライナー監督)。
 米同時多発テロ後、イラク空爆の理由としての大量破壊兵器の有無を、他の全ての大ジャーナリズムに抗して疑い続けた、ナイト・リッダー社の記者たちを描いたもの。


 速い展開で、記者たちの「裏を取る」作業なども、電話1本で、だったり、ちょっとわかりづらいところもあり、限定された時間内に何とかまとめ上げようとした感じもある。
 が、アメリカ・ジャーナリズム史上消すことのできない“汚点”に咲いた一輪の花を描く、見逃せない映画だとはいえる。

 俳優たちが、実際のナイト・リッダー社の記者と語る映像も、貴重:



 で、最後は、右派を怒らせるだけの(笑)映画、『主戦場』(ミキ・デザキ/出崎幹根監督)。
 いわゆる「従軍慰安婦問題」を巡る、日本の右派と、それとは対立する側(一枚岩ではない)の Battleを描いたもの。


 この映画に対して、早速「騙されて出演させられた」と、ケント・ギルバート、藤岡信勝らが、上映停止と損害賠償を求める提訴をしたことも、すでに知られている。

 そっち側は、見たい人はいくらでも見られる。デザキ側の会見をひとつ↓


 どういうわけか、私の環境からだと、26秒のところで一回フリーズする。2〜3秒先をクリックすると再生されるので、どうぞ^^。

 上引映像でデザキが言っているように、ケント・ギルバートは映画の完成を祝い、宣伝してやるような旨のメールを、デザキに送っている。
 この件は、こちらにも指摘されている。

ケント・ギルバートのツイート

 なんだよ(大笑)。

 この映画の“主題”や“主登場人物”とはちょっと違う部分に目が向いてしまった。

 韓国で、この問題には“寄らば斬るぞ”型の最過激集団は、言うまでもなくいわゆる「挺対協」である。

 読んでいないので適切にはいえないのだが、挺対協のような立場とは大きく異なり、可能なかぎり、韓国人として誠実で客観的な論を立てようとしていると見える、パク・ユハ女史に対し、著書中の記述に関して名誉毀損の提訴がなされ、有罪判決が出ている(韓国)。
 挺対協の立場に少しでも異を唱えたり、わずかでも「日本側有利」となりかねないことを、事実であっても述べたりしたら、その瞬間、韓国では「国賊」になってしまいかねない雰囲気がある。

 パク女史のような立場は、どちらからも罵詈を受けることになりやすいが、最も大切な立ち位置ではないか、と思った。こういったところに論評がある。

 もうひとり、ネット上でのこの映画への論評にはほぼ全く登場しないのだが、観ていて最も印象に残ったのは、当初、日本会議/慰安婦問題の存在否定側の論客たるべく期待されていたものの、途中、運動を進めるうちに懐疑的になった、という、日砂恵ケネディという女性。
 映画監督・町山智浩のツイッターに、「櫻井よし子の後継者と呼ばれた日砂恵ケネディ氏の「自由になれた」という言葉が重い」と。

 この人物は、問題の根幹に関わる部分でも重要な役割を担っていて、それは映画でどうぞ。

町山智浩のツイート

 この2人への取材は、私にはこの映画の白眉ではないか、と思えた。

 で、「誤解を受けるような切り取られ方をした」と、提訴者たちは言っているが、彼らの日常の言説が、映画の中で語っている“あのまんま”なのである。
 「新しい教科書を作る会」などでもご活躍の藤岡信勝先生(← あれ? このヒト“右派”からも論難されてまっせ(大笑))は、作中、「国家というものは、絶対に謝ってはいけないんです!」などとのたまっている。
 この人、元共産党員で、長いことガチガチの左翼論者だったのである。
 さ〜っすが、ガチガチの国家無謬観=旧ソ連的国家観♪ である。

 この映画を観たのは、青山のシアター・イメージフォーラムというところだった。こちらのアクセス図ではゼンゼンわからないほど込み入った場所で、到着に難儀した。
 同じく迷っている、高齢のお客さんが(高齢者多し。まあ平日昼間だし)近所の人に聞いてくれて、たどり着いた。

 さて、そんなとこですか。
 「映画」というジャンルは拙ブログに設けていなかったが、作ってみた。もうあまり観ないと思うのだが。 

ここ1〜2ヶ月の間に読み終わった本。

 ここ1〜2ヶ月の間に読んだ本‥‥もあるが、正確には「ここ1〜2ヶ月の間に読み終わった本、である。

ここ1〜2ヶ月の間に読み終わった本。

 いちばん長くかかっていたのが、E.カッシーラー Ernst Cassirer『人間』(宮城音弥訳、岩波文庫)。
 大学・学部の4年のゼミの教材になったものなので、当時1981年だったかと思うので、37年かかって、ようやくいちおう全部読んだことになる。
 カントやフッサールのような、難解な概念の迷路のような記述ではないのだが、各章、何が書いてあったかというと、とても「まとめ」など浮かばない。

 最初、現代仮名遣いではあるが、漢字はすべて正字体(一般に「旧字体」というが、やはり「正字体」といきたい…)で印刷されていた、「岩波現代叢書」の一冊であり、その部分は読みづらかった。
 現代叢書版を、学卒後もチビリチビリと、ほんとうにチビリチビリと読み進める中、岩波文庫に入ったことを知り、買い換え、現代叢書版で読み終わったあとを文庫で読んで、転室後も持って上がり、先月くらいだろうか、読み終わった。
 そういう点でも、最初のほうの記述は忘れている。

 この本は、著者が大著『シンボル形式の哲学 Philosophie der Symbolischen Formen』(これも岩波文庫で全巻訳刊)を完成したあと、ユダヤ人であったのでアメリカに亡命し、大著の内容を、再度吟味して英語で書き直した、というふうに言われる、しかしともかく「歴史的名著」であることは間違いない。

 第3章冒頭に、
 「人間を animal symbolicum(シンボルを操る動物)だとする、我々の、人間についての定義によって、我々は後の研究に対する最初の出発点に達した。しかし、ここで、この定義を、さらに正確にするために、是非ともこれを若干、発展させなければならないことになる。」(文庫版68頁)
 とあって、この animal symbolicum シンボルを操る動物 というのが、カッシーラー哲学のひとつのスーパー・キーワードになり、かつ今日の人間観のひとつの基礎となった。

 この「シンボル Symbol」は、一般に訳される「象徴」の含意するものだけでなく、広範囲の「記号」をも示す。
 その意味で言語も Symbolであるし、数学記号もマシン語も Symbolである。「記号論理学」は、Symbolic Logicの訳であるし…。
 が、カッシーラーはあくまでも「哲学者」であるので、個々の記号を扱う諸学科について論評を加えるだけというのではなく、諸学科の成果を検証しつつ、人間の本質を考える、というわけである。

 第6章に言う、
 「シンボル形式の哲学の出発点となる前提は、人間の本性または「本質」に関するなんらかの定義があるならば、この定義は、機能的なものであって実体的なものではないとしてのみ解し得るということである。」(文庫151頁)
の一文も、カッシーラーの言明の中、20世紀精神史における、記念碑的なことばだろうか。

 こういう考え方は、物質を、「実体」ではなく、「粒子」と「波動」の補完的機能性のうちに捉えざるをえなくなった物理学のほうでは、むしろ常識であるはずだし、諸現象を「因縁による生起」と捉える仏教思想からも肯えるはずであるが、「実体」観の解体というのは、精神・身体・国家・法律・民族の諸レヴェルで、とくに私たちの日常においては、けっこう困難である。

 ま、しかしゼミのテキスト、いちおう読みましたよ^^。このあと『シンボル形式の哲学』(岩波文庫で全4巻)に行くかどうか…。
 超-ヤヤコシい哲学書では、これまた学部時代から継続の、カント『純粋理性批判』(高峯一愚訳)や、フッサール『イデーン』(池上鎌三訳、岩波文庫)などが本棚に残っていて、死ぬまでに読むかどうか、覚束ないけれど、読んではおきたい…。

 写真右の、函入・A5判専門書は、会田雄次著『ルネサンスの美術と社会』(創元社、昭和32年)。
 以前に買って読もうと思ったものの、社会経済史から説きだす形式に、面白みを感じられず、捨てたのだったが、転室前くらいにネットで買いなおし、転室後に読み始めて、まあまあ読み通した。
 これも数ヶ月、いや2年くらいかかったかもしれず、内容は具体的には覚えていない。

 この本は、15〜16世紀の、毛織物工業を素地にしたフィレンツェなどルネサンス都市の「市民」の精神史から、ボッティチェルリ、ミケランジェロ、ラファエロ、それに、あのベルリオーズがオペラにした、ベンヴェヌート・チェルリーニを各章に描き出し、最後に、「ブルクハルトとニイチェ」の章を加えたもの。

 背景となる世界史の知識がまるでないところで読んだこともあるが、「ふ〜ん、そうなのか」という部分と、あとにも触れるが、会田氏は反-左翼的なところがあって、羽仁五郎説などに敏感に論駁したりするところ、イデオロギー臭を感じ、では、当時の美術評価の基準などをイタリアの原語(イタリア語、ラテン語)資料を博引して論じるというわけでもなく ― これは、当時の草分け的西洋史学の環境では、無理だったろう ― 著者の批評的視点で描くというものになっていて、その点はむしろ面白かった。

 ボッティチェルリは、サヴォナローラの思想に「帰依」し、そのことが彼の創作力を平凡なものとし、最終的には奪い去った、というような説は、現在ではどのように評価されているのだろうか。
 会田氏のこの著作は、現在では美術史家に触れられることは、もはやほぼないものと化しているような気配だ。

 むしろ、会田氏は、このあと、名著(と言われるが未読)『アーロン収容所』(中公新書/中公文庫)をものして知られ、そのあとは保守=反進歩派の論客として、あとに触れるような、救いようのない駄本を量産した。今健在であれば、論客として政権や日本会議などに与したに違いない、と思しい人だ。
 単著で、まさに専門分野での最大の労作が、もはや顧みられることがないのは、なんとも、といったらいいか…。

 さて、あと3冊は、片山杜秀氏の著作。
 『歴史という教養』(河出新書)は、氏一流の語り口で「歴史とは何か」を論じたもの、というようなことになろうが、荻生徂徠あたりを出してくるので、具体性がないことはないけれど、とにかく「歴史観とは何か」みたいなことを、延々口述したその筆記、のようなもので、私には「うるところ、何もなし」に近かった(ネコパパ先生、すみませ〜ん;;)。
 ある種、嫉妬かもしれないが、これだけのことで一書を成して上梓できたのは、著者のネームヴァリューで、というのではないか、という気がする。

 次。『線量計と機関銃』(アルテスパブリッシング、片山杜秀の本5、ラジオ・カタヤマ【震災篇】)。
 2011年3月、震災+原発事故以降のラジオ放送の「起こし」であり、これはこの時期自体から来る容赦のない、ジャーナルでドキュメンタリーな緊迫感を伴なって、著者の博識が「上滑り」しない。
 それでも、設定した番組のトピックとの関わりが、やはりアンバランスになる感もあり、せっかくの重要な指摘も、読後、霧消しがちに覚えた。

 3冊め。『平成精神史−天皇・災害・ナショナリズム』(幻冬舎新書、2018年11月)。
 と〜もかく、これはもう大興奮の一書であった。「平成」を掲げつつ「昭和」を総覧し、語る。読書人必読の超-名著である。
 戦前の、高橋是清財政については、例の(!)井手英策氏が専門なのだが、氏の『財政赤字の淵源』(有斐閣)を読んでも意外によくわからないのに対し、高橋是清に加えて山本達雄を描くことで、むしろずっとわかりやすく感じた。著者の博識の面目躍如といえる。
 が、個々の情報出典は、注など一切ないので、検証は必要かもしれない。

 日本会議設立の立役者ともいえる黛 敏郎のことなど、音楽評論家でもある片山氏にして初めて書けること、かもしれない。
 が、他方で、この種の「上部構造」(死語だけど;;)にあまりにこだわるところには、罠もあるような ― これは読者の視点として ― 気もした。

 話が変わる‥‥ちょっと選挙ネタみたいになる‥‥が、このところ安倍首相が機会があれば言うことは、「あの民主党政権の暗黒時代」である。

 「平成の暗黒時代」といえば、何を措いても、1998(平成10)年から2011(平成23)年まで、13年も続いた自殺者年間3万人超の時代という以外、私には何ものも思い浮かばない典拠資料)。

日本の自殺者
グラフは、こちらから。

 民主党政権時代も3万人超は続くが、政権交代後、明らかに減り始める。
 ここに至る政権は、小渕恵三・森 喜朗・小泉純一郎・安倍晋三・福田康夫・麻生太郎の各内閣であった。
 いったいどっちが「暗黒時代」だったのか、まあ考えない有権者ばっかりなんだろうけれど

 こういうことは、片山本には全く出てこない。いや、そのことを難じるつもりは全くない。片山さんにそんなことを求めてもしようがない。
 だが、「平成精神史」を考える場合、この視点 ― 湯浅 誠サイド、とでもいったらよいか ― も絶対抜かせない、と思う。

 上にちょっと書いた、右派イデオローグとしての会田雄次。

会田雄次の本

 『アーロン収容所』は、氏の視点の最も鋭い部分の活きた本であるようなので、ぜひ読みたい。
 文庫で写っている『新選 日本人の忘れもの』(PHP文庫)は、ナンでこんなものを持っているのかというと、以前バイトをしていた塾で、中学生向けのワークに、この本の一節が問題文として使われていて、「アッホな文章だな〜」と驚倒したので、である。

 全篇は読んでいないが、ところどころ拾い読みをすると(寄せ集め本だから、それでもよい)、まだ“戦後”の、いわゆるサヨク的感覚が学生や市民を、氏の見方では「毒していた」有様が、なんとも呪わしく描かれている。会田氏が今生きていたら、「日本人も健全さを取り戻したものだ♪」と静かに喜んだに相違ない。

 もちろん氏の見解に、なるほどと思う部分もある。が、総動員体制の戦争と、敗戦を経た日本人の中に芽生えるドス黒い反国家主義や共産主義的搾取観を、この歴史学者は全く「活きたもの」として捉えられていないばかりか、一切、捉えようとはしない。
‥‥またこれは別に記事にしましょうか。

 上の「読書メーター」のサイトには、好意的なレビューが2点投じられているけれど、まさに今の世は氏のような見方が「ふつう」になったのだなぁ、と実感する。やれやれ。

セブン・ペイへの不正アクセスと、シーサイドライン逆走事故。

 さて、参院選公示。
 いっろいろ書きたいことは山ほどある。消費税や年金は、じつは個人的にあんまり「争点」ではない。
 なんといったって、現今の国会運営公文書管理、である。
 財政をどうするのか、憲法は、などと言っても、現今のような国会審議と文書管理で行なわれる政治というようなものは、いったいなんなのか。

 それはまた別記事で、として、最近の気になったニュースは‥‥IT+AIのハナシ。

 ホットなニュースでは、セブン・ペイへの不正アクセス=実質IT盗難5,500万円発生。

セブンペイ不正アクセス
画像は、IT Mediaから。

 こちらなどに報道は多い。
 ポイントは、パスワード変更時のセキュリティが甘かった、とか。

 記事によると、「セブン&アイの清水健執行役員は「あらゆるサービスについて、事前にセキュリティ審査をやっている。7payもきちんと確認したが、脆弱性(ぜいじゃくせい)はなかった」と繰り返し強調した」ということだ。
 だとすると、この社のセキュリティ担当陣のセキュリティ能力は、基本的に欠如しているのではないか、ということ。

 勝手な想像をしても仕方がないが、社長以下、“上の人たち”に、ITセキュリティ感覚がそうとう希薄だったんじゃないか、と思った。
 これが「政治家」だったら、“あの”桜田サイバーセキュリティ担当大臣(当時!)の件のごとく、「私は技術的な実地ではなく、総合的視点で統括するから、わからなくてもいいのだ!」とかなんとか吼えていれば済んだのだが、実企業ではそうはいかないので、たいへんだ。

 もうひとつは、横浜シーサイドラインの、逆走&衝突事故。

シーサイドライン事故
画像は、ニッポン放送サイトから

 神奈川新聞/カナロコ・サイトなどニュース記事多し。
 原因は、進行方向を切り換える信号が、断線のために伝わらなかったこと、という。
 こちらは、デジタル制御の時代に、まことにアナログな、そしてオデオ・マニアから見ると、実に“ありそうな”現象だ。

 異常を示すサインは出なかった、ということなので、進行方向切り換えの信号が全車両に届いたかどうかを確認する、いわば自己診断システムが組み込まれていなかった、ということになろう。
 自動車の、AIによる自動運転の試みが進んでいく中、軌道によって導かれる交通システムでさえもこのようなことが起こったということは、今後に大きな暗雲をもたらすものと言うしかないが、センサー&ネットワークの情報をフル活用して行なう(であろう)自動運転には、こういう、アナログ的局面でのトラブルによる事故が、十分考えられる。

 AI、ITの万能化によって、働く場を失う人がどれだけ出てくるか、という議論も深刻なのだが、突然起こる不具合、そして大規模で自動化のレヴェルが高いほど、その不具合は広範囲に一斉に起こるわけで、被害の甚大さもさることながら、対応に当たる技術陣および営業畑の人たちのストレスは並みのものではなくなる。

 画像を引いたこちらのサイト記事には、1993年10月、大阪ニュートラム南港ポートタウン線で、車止めに衝突して乗客が負傷する事故が起きたことも挙げている。
 こちらは、ずっと原因未解明のままだそうだ。

 その中、ネットワークを利用した制御における、ハッキングによる乗っ取りの危険性にも触れている。
 「桜田サイバーセキュリティ担当相」は、こういう時代の幕開けのダーク・(&コミカル?)シンボルとしては、ふさわしい人物だったのかもしれない。

6月に買ったCD。

 もう7月だぁ〜‥‥と、時の経つ早さを嘆くのが通常なれど、意外に個人的には「まだ6月だったのか〜」な感じがある。

 7月第1週は、6日ほど休みがある。そんなにCDを聴いてばかりはいられない‥‥というか、これだけオーディオと音楽CDに入れあげておいてなんだよ、なのではあるが、歳をとって体力が落ち、“西洋音楽”がちょいとシンドくなってきているような感触もある。

 Wharfedale Diamond 220は、なかなかスムーズな音を奏でていて、かつ、本箱のCD収納スペースが、今月のCD購入でほぼ満杯となった。
 ― で、今月買ったCD。もうブログに出したものも含まれる。

2019年6月に買ったCD

 左に、箱物2点。
 ポリャンスキー指揮のグラズノフ交響曲全集(Brillinat Classics、7CD)。今日、第3番を聴いた。これは買ってよかったセットだ。正直、「延々、ロシア風抒情の世界」なのだが、チャイコフスキーの第2、第3交響曲よりは、いずれも質が高いような気もする。

 そのチャイコフスキーの、交響曲全集+管弦楽曲集、ハイティンク盤(Decca、6CD)。中古では、新しい Deccaのボックス(Collectors Edition)のほうが、PHILIPSの箱より安い。
 『ロメオとジュリエット』なんか、しばらく棚に1枚もなかった。ハイティンク先生の『ロメオ…』は、やはりちょっとエキサイト感がないな〜、なのだが、響きが実に充実し、美しい。

 で、そのハイティンク盤とは正反対のような、エキサイトもりもりの、カラヤン/ベルリン・フィル 1971年の『後期交響曲』
 ワーナーの国内盤3枚組(WPCS-51027/9)。すでに EMI GEMINIのリマスター2枚組を持っているのに、なんで買い直したのかというと、ステレオ初期の、フィルハーモニア管を振った『白鳥の湖』と『眠りの森の美女』抜粋が入っていて、それによって枚数は増えているが、交響曲第5番の途中でのディスク交替がない、などのメリットがあったから。

 加えて、私がポチッた時には、Amazonが、なんと 698円で出していた。オーバーストックか何かわからないが、異様な安値であり、2,000円未満は送料がかかるけれど、それでも安いので買った。
 このセットは、定価自体が安く、1枚千円未満に設定しているので、そのまま買ってもおトクだ。

 ちょい聴きだが、交響曲も、第4番の冒頭などは、ARTリマスター相当の GEMINI盤では、トゥッティのあと急に音量が下がって、通常のボリューム位置では木管が聞こえなくなるほど小さくなるのだが、その辺がちょっと聴きやすくなっている感がある。

 チャイコフスキーの三大バレエのLPは、このカラヤン/フィルハーモニアの東芝音楽工業エンジェル盤を最初に聴いた ― 母親が買ってきた。
 『くるみ割り人形』だけは疑似ステレオで、これはステレオ・テイクはなかったようだ。海外EMIの、「The KARAJAN Collection」で出たものは、3作品全てモノラル・ヴァージョンで、ステレオ・テイクの『白鳥』と『美女』は東芝EMIでのみ HS2088でCDリリースしていたはずだが、稀少化しているし、マスター・テープもよくないと思われる(海外では、古い『悲愴』のフィルアップに入っていたかも)。

 そういう思い出のある音源が、Warnerのことだから、よいマスター・テープを使ってCD化していることも期待して購入。『白鳥』もちょい聴きだが、悪くなさそう。
 上記リンクの Amazonレビューには、「4番の第4楽章、聴けたものではない。昔、カセットデッキでオーバーレベルで録音したときと同じ音。こんなものを商品として出すなんていい加減なものだ」というような酷評が入っているけれど、これは東芝EMI発売の TOCE-56060/2とレビュー欄が共有されているため、東芝盤に投じられたレビューだと思われる。
 間違っても東芝盤を買ってはいけない(が、比較したら面白そう)。

 余談だが、『眠りの森の美女』という呼称が一般的だが、「眠りの森」という地名が登場するのではないはずだし、原・英題は「Sleeping Beauty」なのだから、「眠れる森の美女」という呼称のほうが正しい。
 「眠れる」は、文語的表現であり、「眠る」の已然形に完了・存続の助動詞「り」の連体形「る」が付い形、意味は存続=ingの形で解釈するので、「眠っている美女」という意味になる。
 なんでこれが廃れたのか、文語=古文的表現をみんなが知らなくなったからだろう。

 その上は、またも! グールドの『平均律』全巻、SX4K 60150(THE GLENN GOULD EDITION、「…remixed by Andrew Kazdin (Producer) and Knneth Abeling (Engineer)」とあり、(P)1997と古い)。
 フィリップ・ネーデル/b-sharpスタジオ・マスタリングのセットが気に入らず、リマスター表記のない欧盤4CDセット(51970 2。レーベルに「This compilation (P)2004 Sony Music Entertainment (France) S.A. (C)2004 SME Subsidiary BV.」とある)に買い換えていたのだが、なんともショボく響く。

 SBMリマスター盤が欲しく、しかしSBM盤は2枚組×2セットになって場所を取る。これの4枚組は‥‥あったはずだがな〜、と思いつつ、なかなか見つからなかったものが、オクで、送料込み1,000円即決だったので、ポチ。

 中身のディスクは、2CD版(GLENN GOULD EDITION)の第1巻のディスク SM2K 52600の[DISC 1]と[DISC 2]、それと第2巻のディスク SM2K 52603の[DISC 1]と[DISC 2]の4枚が、4枚・全2巻セット用に制作したブックレットとインレイとともにケースに入れられていた。ディスクが入れ替わったことも考えられはするが、たぶんこの仕様なのだろう。
 音は、マスタリング情報不記載の欧盤よりちょっと余韻を付加している感じがあり、椅子の音なども自然で、よろしい。

 その他、下段の右3枚は、いずれもシューベルト。
 弦楽五重奏曲は、手許にあるのはウェラーQの Decca盤(←これ、たぶんけっこうレア)だけだったので、名曲でもあるし、あと1枚、何にしようかと思っていたのだが、メロスQ+ロストロポーヴィチのDG盤、今は GRAND PRIXという廉価盤シリーズに入っていて、HMVで890円ほどだった。ハーゲンQ+シフのなど(こちらもDG)もよさそうだ。

 それから、CDを持っていなかった八重奏曲。超-定番の、ウィーン室内合奏団のDG盤。「SCHUBERT MEISTERWERKE」という、録音データも記載のない廉価シリーズの1枚。このシリーズは、たしかシューベルトの生誕200年記念(1997年)ということで、いろいろ出ていた。こちらは最新リマスターはなさそうで、オクで安価に購入。

 で、すでにもう写真を出した、ピレシュの弾く即興曲集も。SHM-CDのご利益は、ハタとわからないのだが、HMVの未開封中古が1,080円と安かったという理由で購入。

 上段右端は、ストラヴィンスキー:交響曲集、アシュケナージ/ベルリン放送交響楽団(Decca)。
 以前にほぼ同じ楽曲カップリングのデュトワ盤を持っていて、しかしど〜っにもツマラナい曲ばかりだなー、と売ってしまったもの。アシュケナージは、ある種「ロシアの交響曲」という気合の入れ方でマジメに演奏していて、これは聴き応えがあった(「ハ調の交響曲」だけ聴いた)。

 その左は、単発盤を持っていた記憶のある、アンセルメ中心の『マルタン作品集』(London、2CD国内盤)。20世紀スイスの作曲家、フランク・マルタン Frank Martin(1890−1974)の代表的作品集成だ。
 『地に平和を』の、歌詞対訳も付いている。Amazon中古で、配送料込みで950円と安かったが、品物はきれいだった。

 アート・ペッパー『モダン・アート』は、ずっと前に海外初出CDを持っていて、売ってしまっていたが、国内リマスター盤で買い戻し。初期の、HS2088リマスター盤は、『アート・オブ・ペッパー』ではマスター・テープがよくないと思しく、カスカスでノイジーな音だったのだが(それで、海外初出盤に買い換え)、「24bitデジタル・リマスタリング」を公称するものは、どういうわけかよくなっているようだ。

 カラヤンのチャイコフスキーと、グールドの平均律の“買い換え比較”。旧盤はユニオンに持っていきやしょう。

買い換え比較

 オーディオも行くところまで行った感があり、CDも聴ききれないほどの分量、増えました。やっとこれで倹約生活、かな。

Diamond 220、試聴記−続。

 ‥‥さて、Diamond 220、試聴記−続。
 今日は、夕刻、いろいろ聴いてから、夜に入って Pioneer A-40AEに切り換えて聴いてみた。

Diamond 220、試聴CD-2

 Diamond 220は、PM6005の高域のエッジもソフトにしてくれるので、いろいろなアンプに対してトレランスが広いかも、と期待して、ロスバウトのブルックナー:7番(Zyx)の第2楽章を聴いてみたが、A-40AEでは、高弦のラインはシャアシャアして、全体に厚みがなく、こちらは居眠りしてしまった。

 ベーム/ベルリン・フィルの、O.I.B.P.化国内盤の、ブラームス第1。サウンドはさらにうっすぅ〜く、どこがベルリン・フィルやねん、な感じ。

 ピヒラー氏のヴァイオリンが“鬼門”の、アルバン・ベルクQのモーツァルト(Teldec)は、むしろ PM6005+Mercury F1の時の鋭さがもどってきた? みたいな感じで、いいとこなし。
 最近、国内リマスターで買い戻した、アート・ペッパーの『モダン・アート』は、低域の膨らんだところがベースと重なって、ふくよかではあるが、ペッパーのアルトの音色にさして魅力なし。

 全体にやはり、Mercury F1で聴いた時と同じく、前後の奥行き感がなく、音場の広がりがいかにも最近のCGっぽいモニターふうだ。

 まだずっと PM6005の下に格納してあった、Cambridge Audio Topaz AM10が、むしろ合うかと思ってつないでみた。
 なかなか合います^^。

 とくに、このアンプと Marantz CD5000(=PHILIPS TDA1549T)はよく合い、アート・ペッパーが、なかなか味わいがある。
 CD5000+AM10+Diamond 220では、入口から出口まで欧州設計であり、チープ・ユーロピアン、といった風情だ。

 が、やっぱり本命は、Diamond 220でも PM6005のようだ。
 ペッパーのアルトのニュアンスが段違いだし、写真上段左端の、Diskyのリリースしたヴァイオリン名曲集から、ジン・リーの弾く『ツィゴイネルワイゼン』は、今まで聴いたことのないリアリティだった。
 このCDは、EMI音源で、ライセンス廉価盤を出していた Diskyにありがちな、ビット落ちしたようなプアな音色のマスタリングになっているのだが、高域は突き抜けるように透明でかつ耳に刺さらず、中域のアナログ的“擦(こす)れ”感がなんともいえない。
 悪くいえば付帯音的部分が強調されているうるささはあるのだが、ニュアンスのほうに耳を傾けさせる。

 この辺の付帯音的感触が、バーン・インとともに滑らかになっていったらありがたいなぁ、と思う次第。

 けっきょく、アンプは10機種くらいオーディションしたものの、3年間聴いてきた Marantz PM6005に落ち着き、スピーカーを Diamond 220に換えるだけでよかった、という結果になるのかも。
 やっぱり たっちんさんのお勧めに素直に従っておくべきでしたね〜。

Diamond 220、聴いてます♪

 Diamond 220、聴いております♪

 やはり Mercury F1より1kg重いのは、上げ下ろしの際に感じる。

 以前、つまり2011年3月11日までは、6kgほどある DENON SC-E252B&W DM601 S2を使っていた時も、ずっとスタンドに乗せたままだった‥‥SC-E252の時は、スタンドはダイヤトーン DK-200ZAで、その後 ハミレックス SB-162に換え、使うスピーカーが小さくなるのに合わせて、SB-302(現行)に換えた。

 Diamond 220は SB-320の天板にちょうど合うサイズだが、震度4くらいが来たらスピーカーは落下しそうだし、スタンドごと転倒の恐れもある。

 ま、世の中には、片腕で14kgのウェイトを上げ下げするトレーニングをなさる女子もおられるとのこと:

池田佐和子トレ記事

 ということで、5kgのブックシェルフを両手でそっと動かすていどは、いい運動かも。

 おっとととっと*とっとっと;;♪ 出ちゃいましたね;;。

 このおねえさまは、池田佐和子女史とおっしゃる、いわゆるフィットネス・トレーナーの先生です。
 あ、上の画像はネット上にはありません。ある雑誌をスキャンしてPCに保存してあるものでス;;。
 片手で14kgということなので、昔の、このくらいのアンプを片腕で上げ下げしている‥‥ということになりましょうか‥‥うひょ〜っ !!

 あたしなんざ7〜8kgのアンプを両手でふうふう言いながら動かしておりますが;;。

 おっと、女史にはこんなご著書もございます。ビルダーばりのムキムキではないですが‥‥。

池田佐和子、著書


 う〜ん‥‥チガうトピックになっちゃったな〜。ということで試聴記は次 w。

Diamond 220、来てます〜♪

 Wharfedale Diamond 220、来てます〜♪
 仕事前に開梱し、ファースト・コンタクト&ファースト・インプレッション。

Diamond 220、設置

 今度は真ん前からの写真ですぅ〜^^。

 「Good sound but grotesquely ugly」なんていうレビューが米Amazon.comに入っている‥‥もっとも、「listen to the music not look at the speakers , amazing speakers(スピーカーを観るんじゃなく、音楽を聴こうよ。すばらしいスピーカーだ)」というコメントもちゃんと入っているが w。

 ユニットごとにサランネットをはめ込んだスタイルは、ちょっと珍しく、それが醜悪に見える人はいるのかも。
 「ここにユニットが付いとるぞぉ〜」という主張は、リスニング中、若干ウザったいが、このスタイルは、振動版やフレームにホコリが付着するのを防いでくれて、いいと思う。

 ターミナルが、要りもしないのにバイワイヤ対応である上、角度をつけてあったりして、ヤヤコシい。
 各国語取説には、バナナプラグへの言及が見当たらないが、赤・黒の小さなキャップをはずすと可能だ。
 このキャップが、Mercury F1や S-CN301のようには簡単に抜けない(Oberon 1は付いていなかったと思う)。

 価格.comの、本機種への「クチコミ」のこちらに、苦労話^^が投稿されている。
 私も、このページを見る前だったかと思うが、この方法ではずした。

Diamon 220、キャップはずし

 いちおう、モガミ 3103のシングル・ワイヤリングで、ウーファーのほうに接続した。いずれタスキがけもやってみてもいいかも。

 このスピーカーは、ボトム・バスレフで、底面の下にさらに4本、短い支柱を設け、ボトムと同じ寸法の台座底板 plinthを付け、その間隙からエアを排出する。
 なので、設置位置に神経質でないのがいいが、大きな重量をかけると、支柱がつぶれる‥‥ことは、まあないか。支柱は、動画で3本ではないかと見えたものがあったが、4本である。

 5.3kgと、Oberon 1や Mercury F1より1kg重いのだが、上げ下ろしの重さは、あまり変わらない。
 ずっと使っているハミレックス SB-302の天板は幅が178mmなので、幅174mmの Diamond 220は、ちょうどサイズとなる。
 逸品館の試聴動画では、底面にすでに緩衝用ゴムが付いているような紹介だったが、これは付属していてユーザーが付ける。ということで、SB-302の天板にすでに貼ってあるすべり止めを使用し、付属のものはとりあえず取説の袋に入れておきます。

 で、ファースト・コンタクト‥‥アンプは Marantz PM6005で。

試聴CD

 まず、タリス・スコラーズの歌唱で、パレストリーナのモテット『マリアは天に昇らされたまいぬ(聖母被昇天)』(Gimel)。
 よい加減でアナログ的ザラつき感があり、DALIのような余韻付与の感じは少なく、しかし空間感はいい。

 次いで、ウォルター・ライター、他による、古楽器の、ビーバー:『ロザリオのソナタ』から少し(Signum原盤の Brilliant Classics)。
 とりわけての甘美さはないのだが、バランスが取れて、とても心地いい。低音も出過ぎない。

 アルバン・ベルクQのモーツァルト(Teldec)‥‥は K.387『春』の緩徐楽章を少し。
 これも刺激感がなく、ちょっと物足りないくらいで、かつ各声部がよく聴き分けられる。
 これもややザラつき感が目だつ‥‥演奏雑音、指が弦の上を移動する「シュ〜」というような音がちょっと耳障りだが、こういうところはブレイク・インで変わるのだろうか。

 ジャズ・ヴォーカルから、ジーン・フライ・シドウェルを1曲。
 ジャズは、インストものもヴォーカルも、Oberon 1ではベースがボヨンボヨンと出過ぎ、「あ、こらアカンわ!」となってしまい、あれでは S-CN301-LRとさして変わらないボワンボワンぶりだったのだが、Diamond 220は、そうした“ボヨヨン”は聴かせない。

 まだ本格的なオーケストラ曲は聴いていないのだが、聴いている間、なんとも幸福感があった♪
 あ、もうこれだね、という感じ。

 あとは、交響曲などの試聴と、アンプを A-40AEで聴いてみることなど。
 たぶん PM6005がよいだろう、と予測はしている。案外 Topaz Am10でも面白いかもしれないが、AM10は聴き続けるアンプではなかろう。

 やれやれ。やっぱり極めて多くのユーザーから好評を以て迎えられるコンポーネントには、否みがたい長所があるのでしょうか。

DALI Oberon 1、聴きました…。

 DALI Oberon 1、聴いております。 ええ音ですぅ〜♪

Oberon 1

 DALIの現在のカタログでは、どの機種も、いわゆる“内振り”をせず、まずはまっすぐ前方を向けて設置することを、最初の設定として推奨している。
 なので、スタンドをちょっと外に向ける。
 が、完全に前方を向いた設置では、高域は十分に聞こえるのだが、ちょっと、いわゆる「中抜け」した感じになる。

試聴CD

 最近、こんなのも買っております‥‥ハイティンク指揮のチャイコフスキー:交響曲全集。
 ディスクユニオンでは、PHILIPS盤のほうがちょっと高く設定してある‥‥ので、Deccaのロゴのものを買った。

 この中から第3番『ポーランド』。チャイコフスキーの交響曲の中で、最もツマラナい曲か、と思う(笑)。
 それが、律儀なだけがとりえのハイティンク先生の棒になるので、ツマラナさ炸裂‥‥のはずなのだが、交響曲というより管弦楽組曲として、とってもスイートな響きを満喫させてくれた。
 終楽章の最後で盛り上がるところは盛り上がり、そのサウンドもすばらしい。
 この、コンセルトヘボウのオーケストラとホールの響きは、DALIによく合っている。

 次は、アルゲリッチ/デュトワによるショパンの第2協奏曲。海外EMIのオリジナル・マスタリングではこもりすぎる感じだったので、オカザキ・マスタリングの国内盤に換えたのだったが、これはそれほどよくなかった。
 マスタリングも、ヨーロピアン・テイストのものが、DALIに合うような気がする。
 しかし全曲聴いてしまった。

 ヴォーカルがいいのは評判どおり。
 クミコさんの歌う『愛の讃歌』。感動ものです♪
 マーティーナ・マクブライドのアルバムから、ライヴで、『Over The Rainbow』、こ〜れで決まりっ!

 ‥‥と、なんとも心地よい日曜午後のリスニングだったのだが、このスピーカーで、音楽を楽しんで聴き続けられそうな気分は、しない orz...。
 オーケストラをじっくり聴いて感じたことは、パイオニアのアンプ:A-40AEにちょっと似て、前後の奥行き感がほぼまったく無いこと。

 そして、どの音源も美音で再生し、聴いていてすこぶる心地いいのだけれど、どんな音源もすべて「DALIの音」にしてしまう
 極端にいえば、どの音源も同じホールで、同じエンジニアが録音したように聞こえるのである。

 とまあ、そんなところです。

 Mercuryのほうは、最後になってびっくりするほど競り上げてもらい、「あ〜、そんなに上げないでください〜」と言いそうになったくらい(笑)。
 ありがたいことです。欲しい方がいるのだから、丁寧に送ってあげましょう。

DALI Oberon 1、到着…。

 DALI Oberon 1 ‥‥もう到着して、少し聴きました。

Oberon 1

 Pioneer S-CN301なら、小さいし、安いので留守中に地震で落下して壊れても、そう残念ということもないので、スタンドに乗せていたけれど、さすがに5諭吉(=延長補償加入)になんなんとする Oberon 1は、スタンドからおろして出かける‥‥もっとも、Mercury F1の場合、スタンドの乗せ降ろしの軽い衝撃でユニットが傷んで音が悪くなった‥‥というのは、まず考えられないが、上げ降ろしもよくないかもしれない。

 正面の写真を掲げていないのは、やはりその‥‥「お〜、これで決まり!」という感触ではなかった、というところにあります。

 ヴァイオリンの高域端などは、Mercury F1よりずっと聴きやすく、Mercury F1ってけっこう harshな部分があったんだなぁ、と思わせられる。
 が、ヴァイオリンの場合、中音域〜低音域(G線)がちょっと鋭く出る感じがある。
 ピアノは柔らかく、そして Mercury F1ではストレートに crispに聞こえていたピアノが、ある種の「余韻のオブラート」の中で鳴っているという感じがある。

 俗っぽい喩えになるが、ウルトラマンのような子ども向けヒーローものにおいて、ヒーローでもヴィランでも、自分が有利に動ける「フィールド」を発生させ、そこに敵ごと連れ込んでやっつける、というパターンがある。
 DALIのやり方というのは、この「フィールド」という感覚なのである。
 よくも悪くも、DALIの作り出す仮想フィールドの中で、音楽を DALIが美しいとする傾向に染めて鳴らす、という雰囲気がある。
 そこに引き込まれて快適だと感じるリスナーには、DALIの音はこの上なく好ましいものに聞こえるだろう。

 ロスバウト指揮のブルックナー:第7の第2楽章は、Mercury F1よりかなり高品位で美しい音色で鳴った‥‥内声部にザラつき感があったが、これはバーンインでこなれそうな感じもある。
 「美音」系スピーカーであるが、やはり高域にちょっと神経質さがほの見える。
 また、ヴォーカルの美しさに比して、楽器音のほうはそんなに‥‥という面も感じる。

 というわけで、気持ちは Wharfedale Diamond 220に行っております。
 この2機種を聴き比べれば、かなり「見えて」きそうな気はするのだが…。

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