優生ファシズムの暴風

 さてさて‥‥前記事、CDの話題を書く準備で、画像をデジカメから移送するUSBメモリを取りはずした途端、マウスが動かなくなった(マウスポインタも消えた)。
 あれれ、と思ってシャットダウン&起動などするが、起動時にメロディが鳴らなかったり、また同じくメモリを抜くとマウスポインタが消えたり、とおかしいので、シャットダウン→起動すると、今度は起動画面で[F2]キーを押してBIOSを起動するところがすっとばされる。

 「再起動」をかけて、起動時にちゃちゃっと[F2]を押してBIOSを起動、初期設定を読み込み、起動画面に、ただ、このパソコンはタッチパッドを使うとヘンにカーソルが跳ぶことが、Windows 8 使用時にあったので、「Internal Mouse」は Unableにして起動、とすると、まあまあ回復? のようだ。
 シャットダウンの時に[Shift]キーを押しながら終了すると、「完全終了」になるので、不具合が回復することもある、という情報もあるので、いちどやってみますか。

 パソコンのほうはまだ軽症、なのか‥‥社会のほうは、不快の上に不快の屋上屋を積み立てるようなことが続々、である。

優生思想、全盛

 上のスクリーンショットの記事(リテラ)が論評するごとく、ALSの患者を医師が、依頼には依るものではあるが、薬物で殺害した事件につき、賛同・理解を推進してゆこうという動きがなかなかにすさまじい。

 代表格が、石原慎太郎。

石原慎太郎ツイート

 見てのとおり。上引の記事にも論評されるとおりだ。
 維新の、松井一郎・大阪市長も、「維新の会国会議員のみなさんへ、非常に難しい問題ですが、尊厳死について真正面から受け止め国会で議論しましょう」とのこと。
 維新の音喜多 駿は、これに俊敏に反応している

 こちらの記事(BuzzFeed、岩永直子)にも詳しい。
 この記事によると、NPOの副理事長が、当時 難病当事者であった篠沢秀夫(元気なころは、よくテレビに出ていた、あの仏文学者だ)を連れて、難病相談員の増員を都に訴えに行った時、こんなことがあったそうだ。
石原氏が都知事の時、ALSとなった学習院大学名誉教授の篠沢秀夫さんと共に、東京都の難病相談員を増やしてほしいと陳情に行ったことがある。
「その時、篠沢教授を指差しながら、そばにいた医系技官に『この人あと何年生きるの?』と言い放った人です。本人が聞いているところでそんな言葉が言える神経の人ですよ」

 先引の記事にも、石原の発言として、
相模原障害者殺傷事件につい(て)も「この間の、障害者を十九人殺した相模原の事件。あれは僕、ある意味で分かるんですよ」と理解を示すなど、これまで日本社会に広がる“障害者排斥論”をさんざん煽ってきた。
 という。

 言葉の使い方。
 ALSを「業病」と称し、「切腹」という比喩を使う。作家である石原だからこそ、難病は前世の悪行が原因、死ななければならないと本人でさえ判断するに及ぶ状況は、「切腹」を命ぜられた事態に相当、という「論理」を、明らかに浸透させるものにほかなるまい。

 上に引いた記事の批判の姿勢を、「サヨク的な偏向姿勢からする批判」、「現実はそういうものでない」という反論、というか、罵詈は山のように ― たぶんツイッターなどでは ― 来るらしい。
 が、記事中に引用される、難病の支援者や当事者のことばは、たいへん、たいへんに重い。

 今度の事件にかかわった「大久保容疑者は、ツイッターなどで、高齢者や障害者、生活困窮者にかかる医療や福祉の費用は社会資源の無駄であり、日本国の財政を逼迫させるだけ、早く殺してしまったほうがいいという主張を繰り返していた」ということで、報道記事なども多い。

 ところで、私個人は、詳しいことは書きづらいが、生活に近接するところに重度の障害者がおり、知的障害者の発する奇声を、毎日聞いてい暮らしている。
 加えて、身内が突如 難病に陥り、回復に向かいつつあるとはいえ、障害を得た。
 その世話は、ほんとうに家族に介護対象のいる人たちに比べたら、まったく何もないようなほど軽いものだが、しかし、そこから今すぐにでもすべて放り出したい衝動が消えることはなく、そして、そんな身内が「当事者」として生き切ることはかけがえのないことであり、そして、それにはどうすればよいのか、ということから、私も逃れられないのである。

 重病・難病・障害。だれにでも、そして、瞬時に100%の重さでのしかかってくる ―。

 今回の石原の発言を、「さすが慎太郎さんと感心した」と称賛しているのが、フジテレビ上席解説委員・平井文夫という人物だ。
 別に平井だけが言っているわけではないけれど、安楽死・尊厳死の問題は、議論されるべきことではあるが、上引の記事が指弾するような、維新に顕著な新自由主義的効率最優先主義や、石原のような障害者排除思想が底流・根拠になってゆく危険は、陳腐な表現だが、極めて憂慮すべきだ。

 平井という、フジテレビ解説委員の発言。
 「世論調査」を架空データに基づいて発表し、女子プロレスラー・木村 花を死に至らしめた“ほとんどやらせ演出”だった番組の制作局・フジテレビの人間やなあ、の観深し。
 あ、木村 花さん、ちょっと押してましたがねえ;;。

 この記事は、敬称なし。「敬称略」ではなく、ほとんどの登場人物に、敬称を付ける気もしないからだ。

 そうそう、こちらも同じく批判されているけれど、RADWIMPSのボーカル・野田洋次郎(RADWIMPSって、知らない;;)が「大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる」ツイートした件
 なんでこう、何でも「遺伝子」なんだろうなー。
 他方、新型コロナ対処では、児玉龍彦氏が提唱する、遺伝子基準のプレシジョン・メディシンは、いっこうに見向きもされないようだ。

7月購入のCD、だいたい揃いました…。

 明日、金曜まで仕事は入れていない。が、シンドい…;;。
 もうナニもしたくない、ず〜っと休みであり続けてほしい、しかしながら休んだからといって疲労感が取れるわけでもない、という状況。

 「どうしたらいいかわからない」のは、世のコロナ対処と同じだ。感染を避けるなら、一に蟄居 二に蟄居、経済と生活とは完全停止するのがベスト。
 「Go Toなんとか」とかやると、当たり前ながら感染拡大する。
 これも、PCR検査、抗体検査を気軽に、みんなが受けられるようになり、陽性の場合は、しかるべき公的援助・補償がただちに受けられる状態にすれば、「感染拡大と経済再始動」の両立は可能なのだが、わが政府も国民も、テコでもそうやろうとしない。

 ― それは置いといて(置いとけないけど) ― 頼んだCD、5点、枚数は1ダース、届きました(実質11枚だが、『こうもり』にはCD-ROMが入ってます)。

7月のCD、だいたい揃い。

 まだ性懲りもなく、今朝未明とさっき、2点注文(落札)した。
 ところで、7月29日で、「Yahoo! かんたん決済」の「インターネットバンキング」が終了したので、クレジットカードに換えた。売上金の移動なども、PayPayを中心に変えてきていて、なんかイヤ〜な感じだが、オクの出ものそのものが、「つまらない商品の高額化」でもって、魅力が薄れてきているのも事実だ。

 上段の2点は、左が、バロック・ヴァイオリンのルーシー・ファン・ダール女史の手になる、バッハの無伴奏と、チェンバロ付きソナタ。
 NAXOSの4枚組で、日本の旧輸入代理店・アイヴィでセットにして、安田和信氏執筆の解説書と、外箱を付けてセットにしたものらしい。NAXOSは、だいたいが1枚ケース入りで、ウォレット入りディスクをカートンに入れた薄型セットはなかなか出さないのが難点。
 が、これはちょい聴きだが音も演奏もよさそうだ。この4枚セットは、代理店の変更とともになくなっているようだが、1枚ものは今も入手可能で、評価も高い。

 「MADE IN HONGKONG」とある。あ〜、NAXOSって香港本拠だったんだ。もうぼつぼつ、ヨーロッパのどこかにでもヘッドクォーターを移したほうがいいよねえ。

 隣の、久しぶりにお迎えしたカザルス大先生の無伴奏。試聴ファイルを聴いてみて、岡崎マスタリングはちょっと荒っぽい音で、いっぽうワーナーの2011年リマスターになる国内盤は試聴でマイルドで、音場感もいい感じ。なので、少し安く、新品をヨドバシに頼んだ。
 ところが、聴いてみるとなんとも奥まった、おとなしすぎる音で、迫力皆無。

 カザルスの無伴奏は、最初 初期海外盤 Référenceシリーズを買って、もうちょっと音が、と思ううちに ARTリマスター海外盤が出て、これはよかったけれど、一部、SPのノイズがとくに大きい箇所が耳障りで、「もうカザルスはいいや」と処分したまま、ビルスマ旧盤(Seon/BMG)だけを手許に置いていた。
 ほか、一度は、フルニエ(Archiv)、トルトリエ(EMI、新旧両盤)、マイナルディ(Eurodisc原盤の日本コロムビア盤)なども手許に置いたものの、すべて手放している。
 中ではフルニエと、トルトリエの新盤(デジタル録音)はとくに秀逸だと思うけれど、もう買うことはなかろう。

 カザルスは、とりあえず、2008年くらいのリマスターと思しい外盤を、ポチ。これもダメなら、OPUS蔵に行く?

 カラヤンの『こうもり』は、モノだが音がよく、とりあえず『こうもり』はこの1セットでいいか。対訳がありませんが…。
 カルロス・クライバー盤を手放したのは‥‥なぜだろう‥‥あ、オルロフスキーの、レブロフさんの裏声が、イヤなんだな〜(笑;;)。

 で! 真打(っておかしいか…)、ロジェ・デゾルミエールのアルバム2点、3枚。
 とくに、仏EMIの Les Rarissmes de …シリーズの2枚組が激レアである。
 先日、1,000円ほどで開始され、1,800円くらいまでで入札しておいたら、もっと競り上げる人がいて、これは欲しい人なんだろうと思い、こっちはそれほどでも、と引いた。
 HMVが中古で在庫していた時も、3,000円以上のプレミア価を付けていて、消えてしまっているので、買った人がいるのだろう。

 今回も終了間際にだれかぜったい競ってくるだろうと思っていたが、ナンと! だ〜れも来なかった;;。で、1,000円+送料でゲット。
 キズはないが、ブックレットもディスクも、そ〜と〜カビくさかった。ご時世でもあり、ディスクは中性洗剤と流水(お湯)で洗浄したけれど、まだニオイが残っている。

 これが落札できたので、英Deccaのほうに入れている『眠れる森の美女』の入った Testament盤も、安く Amazonで入手。こっちは Testamentだが音が悪〜い;;。
 とまれ、チャイコフスキーの三大バレエが、デゾルミエールで揃いましタ♪ 詳細はまた別記事で。

 新盤・未開封盤は心配ないけれど、開封中古は、やはりちょっと、ケース、ブックレット、ディスクの、触りやすい部分は消毒しますねえ。厄介な事態です〜。

依然…雑事です。CD棚雑談。

 なんだか熱っぽい感じ‥‥ということで、病院に連絡を入れ、「…ということなら、不安ならキャンセルしましょうか」とあいなり、内視鏡検査は取りやめにした。
 また後日 ― 8月後半は、身内の部屋の改修なども考えて、ガバ〜ッと仕事をカットしてある;; ― 診察を受けて、予定取り直しである。
 5月の血便の感じは、ポリープの感触ではないので、正直 もういいだろうという気もしている。

 で ― 今日の起き抜けは、熱っぽい感じはほとんどなく、体温35.4度。
 倦怠感は、もう去年末からズ〜ッとハンパなくあり、いくら寝ても疲れが取れた気がしない日々が続いている。

 どうなんだろ〜。
 新型コロナについては、「デマに惑わされず、科学的・専門的知見に基づいて判断」云々が喧伝されるけれど、その「科学的・専門的知見」が、実際に市民の暮らしに安定と安心をもたらしてくれるものではありえていない感触が極めて強い。
 要するに、最も安全な生活法は、一切の接触を断って暮らすこと、というだけなのである。ということは、経済的には餓死するのがベストな生き方…。

 アメリカ・ニューヨークで、PCR+抗体検査を(無料で!! )受けた記事がある。
 日本では、とてもこういう体制/態勢ではないだろう。保健所に伺いを立て、検査の必要ありと認定された場合のみ、所定の機関で受けられる、ということらしい。
 もちろん、こんな違いはいくら指摘できても、日本はアットウ的に感染者が少なく、欧米はすさまじい感染と重症化と死者を出しているのだから、日本のポリシーは間違っていない、ということも、できるのかもしれない‥‥が、そうなんだろうか?

 都知事選は、当日までに1記事は書きたかったけれど、雑事煩瑣でかなわず。
 じつは、当日は弟の部屋のCD搬出などで、そちらにスタンバっていたので、期日前投票をしていた。
 当日、業者さんが来る前、日常は、自室にはないので見ないテレビを、ちょっと見ていた。
 選挙の「せ」のアナウンスもなく、NHK、民放ともども、ナ〜ンの役にも立たず、楽しくも面白くもない、作っている側も退屈そのものだろうとしか思えない番組ばかり流していて、「あ〜、テレビなくてよかった」を再認識したのだった。
 といって、車中でスマホを見る趣味への志向も、一向に起こらない。

 今の国政、都政、テレビ、スマホ。まさに今の日本国民・庶民に、これほどふさわしいものはなかろう、と実感体感嘆息欠伸。

 ― な世相であるが、自室のプア・オーディオは、聞きたいジャンルの音源を楽しむには、まあまあよく調整された状態になっている(と、感じている;;)。
 4月にグレゴリオ聖歌2枚のCDを買ったあと、まったく導入はない。
 いろいろ鬱な状況から、オクを明け方まで検索していたらちょっと体調が、という次第だったのだが、土曜から昨日まで、オク、Amazon、ヨドバシ、と、計5アイテム、12枚のCDを発注してしまったので、今度はCD棚の空きスペースが必要になってきた。

 現在のCD収納のメインは、文庫用スライド部を持った本棚の、そのスライド部分をメインにしていて、その左側の最下段の、それも左半分だけ、余裕分、というか、売却予定品置き場にしていた。

CD棚-売却分

 上写真の黄色で囲んだ部分。Warner盤に買い換えていらなくなったEMI Art盤のカラヤン:『薔薇の騎士』とか、非リマスター盤に買い換えたので処分する、SBMのワルターの『巨人』とか。

 その一段上。横重ねの左のほうに、カラスの歌ったオペラ全曲盤が3点あるが、

CD棚-一段上

 このうち、幅のある、デ・サバタ指揮の『トスカ』を、空いた下段に移し、そこに、さらに一つ上から、ラフマニノフのディスク3点を下ろした。

CD-一段上、入換え。

 これで、上の段 3枚分があくので、今回購入した、ロジェ・デゾルミエール! のチャイコフスキー 2点を入れ、バレンボイム/ECOの、チャイコフスキーの弦セレも並びに。
 バレンボイムをどけてあいたところに、上からヘンデルの合奏協奏曲を下ろし、そこに、久しぶりにお迎えするカザルスの無伴奏を、とか考えてます。

 ほ〜んとに隙間隙間を調整しながらの、ちょっとばかりのCD購入、貧困住環境は情けない限りでありまス〜。

ひ〜っさしぶりの更新&あれれ?

 ふっひ〜‥‥40日間、新エントリ、なし。
 6月末には、入院中の弟は、気管切開孔の閉鎖手術を終え、先週、またリハビリ系専門病院に転院した。
 6月は、通常の仕事はすべて入ったので、7月末はまあまあな振込みがある。

 CD購入はといえば、4月に、それまで1枚もなかったグレゴリオ聖歌のCDを2枚買い込んだきりだった。
 2ヶ月間、まったくCDは買っていないのだけれど、気分を紛らわすためにオクなどを漁りまくっても、いやもうほんとに欲しいものがない。
 出ものに、手ごろの価格でよいものがないこともあるが、何しろ手許のライブラリーが、「実際に聴く」ことを基準にして見た場合、もうこれ以上付け加えるものがないほど、完成状態にあるのだ。

 仕事に使えるかな、と買ったスマホとタブレット‥‥は、連絡用だけになり、Galaxy A20は、電話としては使い勝手が悪くはなく、しかし仕事には使わないことになった。
 で、Asusのタブレットのほうは、片側のスピーカーから音が出ないので、返品を申し出た。
 約27,000円が、いったんはクレジットで落ちたが、月明けにもどってくる。なので、それで電気・ガス・水道代がまかなえそうだ。

モバイル端末

 Wonder Womanがよく映ってますな^^;。それが悪かったわけ…ではなく、スピーカーは壊れてたんでしょう(笑)。ヘッドフォンはよく聞こえたので、スピーカーへの配線が切れたのかな。
 ま、要りません、もう。

 本のほうは、小田嶋 隆氏のコラムが言及している、「電話帳のように分厚い朝日新聞社の社内誌」、『朝日人』をオクでググると、昭和天皇崩御特集号(これは小さくて薄っぺらい)が出ていて、だれも入札しないので落札。

 あと、紀伊國屋書店が出した単行版を読んだあと捨てている、コリン・ウィルソン:『アウトサイダー』の文庫版(集英社文庫)が、けっこう高くなっているのだが、500円ほどでオクで買えたので、買った。
 本はこの2冊のみ。
 『アウトサイダー』なんてもう要らないだろうと思っていたが、C.ウィルソンの出世作だし、『オカルト』なんかよりも力作の匂いがする(← もうウン十年前に読了)。

古本、2点。

 さて ― そんなところなのだが、金曜の深夜、つまり土曜の未明あたりにオクを漁っていたら、ちょっと「寒け」ではないが寒さを感じ、土曜の起き抜けには反対に身体が熱く、体温を計ったら36.2度ほどもあった。
 だいたい起き抜けの私の体温は35.1〜35.8度くらいなので、「え? あれ? コロナ、来た?? 」という思いが頭をよぎった。
 仕事先に連絡すると、平温より1度高いと考えられるので、出講は控えてくれ、とのことで、欠勤した。
 じつのところ、もういっろいろシンドくて、何より「休みたい!」のだった。

 今日(日曜)になって、起き抜けは35.9度、とやはり高めだ。
 が、夕刻になって、エアコンの効いた部屋で測ると、35.0度。

夕方の体温

 う〜ん、どうなんだろう。
 おっと、夕食後(もう27日になってる。検査前日なので、ほんとは食べてはいけない?)はまた、36.2度。
 5月末の、わずかな血便のことで、火曜に内視鏡検査を予約してあるのだけれど、行っていいものか?

 どうもナンというか、身体の中の状態が、「ナンかいる…」感じがするのである(笑)。
 身体が火照り気味なのは、実際に外気温が高く、湿度も高くて放熱しづらい天候であることにもよるのだろうけれど、なにかちょっと、変化が起こっているような…。

 体温が36度台以下で、咳もノドの痛みもない状態で「PCR検査してください!」と検査機関に行ったら、「アホか! 忙しいんだ」と一蹴されること間違いなし。
 新コロ特有の味覚障害‥‥は、土曜のブランチで、「あれ? ちょっと味が薄い!? 」と感じた“気がした”のだが、そのあとは、たとえばマヨネーズとケチャップの違いがわからないなどということは全然なく、おいしーくいただいておりまス。

 さて、で ― 陽性だったら即入院‥‥ということになるのだろうか?
 そうなっても、弟の世話など、いっろいろ支障が出るし、そういうことに、公的支援というものは、何ひとつないのである。

 ひそか〜〜に感染していて、症状もほぼないまま推移し、気がついたら抗体ができてました、なんていうのが夢なんですがねえ。
 次の仕事日は土曜なので、それも休めば、2週間、また「自粛」できるのである。だから、お人にうつす可能性も低減はできます。

 ‥‥というようなことを考え、当惑を覚えつつも、なるようにしかならんし、と諦め、今夜は久しぶりにオクでレア盤をゲットしました♪

旧盤入手〜バレンボイム。

 前エントリに書いた、バレンボイム/イギリス室内管によるドヴォルジャーク、チャイコフスキー:弦楽セレナード集。
 リマスターが、高・低域強調し過ぎで、いささか暴力的な響きを示し、ちょっと聴きつづけるにつらく、旧発CDを探そう、と書いた。

 旧盤・TOCE-7214(91年5月17日リリースの記載)が手に入った。「NEW ANGEL BST 100」シリーズの1枚で、まだ“エンジェル・レーベル”であった(写真、右)。
 リマスターの気に入らない新盤・TOCE-13313は、「決定盤1300/2006」シリーズ、2006年6月14日リリースの記載あり。

バレンボイム/ECO、2点。

 ワーナー・ジャパンからは WPCS-50164が、同じ 2006.6.14に発売とあるが、これは TOCE-13313をそのまま引き継いで販売したということか、ちょっと不明だ。
 ワーナー盤は高騰しており、が、ディスクユニオン店頭などでは、意外に安くポン、と出ている可能性もある。
 ワーナーでリマスターしていれば、旧・英EMIのマスターテープを使っている可能性も高く、少し期待が持てる。

 それにしても、このリマスターなどは、岡崎さんの改悪品のひとつと言えるだろう。
 HMVにレビューを投稿している、ジュリーニ/ニュー・フィルハーモニアの『田園』(投稿しているのは、リマスターのよい、英EMI GEMINI盤)も、岡崎さんの手になる東芝EMI盤は、ヒドい音だった。
 記憶での話になるけれど(ジュリーニ盤は売却)、コントラバスの音が暴力的に強調されているところなど、バレンボイムの弦セレ集と同じ“症状”だ。

 ちょっと前まで、2ちゃんねる系の掲示板に、「唯一示申 岡崎…」云々の岡崎マスタリング揶揄板がひっかかったけれど、もうなくなっているようだ。
 PDFであるが、日本オーディオ協会の『JAS journal』通巻385号(2008年1月)に、「パネルディスカッション 第1 部 [音づくりの立場からCD25 年を語る] 」という懇談があって、岡崎氏も参加し、発言している。

 曰く、「我々の仕事の中に、録音をして最初にCD を発売するときにマスタリングをやるわけですが、それが数年たって廃盤になって、少したつと再発売されることがあります。その際に元の原盤がありますので、そのまま出してもいいのですが、その時代に合わせて、もう一回音を考え直そうよとリマスタリングということをやるわけです。」(21頁)

 いや、そのまま出してくれ(笑)、と言いたいところでだ。
 弦セレ集にしてもジュリーニの『田園』にしても、岡崎マスタリングでひどいものは、アナログ録音であって、すでに東芝EMIの社内でマスターテープが劣化しているものを、なんとか高・低域を強調して“鮮明”にしようと気負った、と思しいものであることが多い。

 フルトヴェングラーが、その専属の録音技師のごとき存在であったフリードリッヒ・シュナップを、「「あなたの録音は、何もいじらないのが良い」と評価していた」Kenichi Yamagishi氏サイト)なんて逸話が思い出される。
 日本では、オーディオのほうではちょっと異様なほど「原音再生」などと言われるのに、ディスク・マスタリングの場面では、安易に「もう一回音を考え直そうよ」などということになるらしい。その考えこそ、考え直すべきだった

 岡崎さんの名誉のために、岡崎リマスターが必ずしも悪くない、あるいは海外の元マスター盤よりマシかもしれない例も挙げておくと、総じて、英EMIで、低解像度のデジタル録音に仕上げてしまったものを、岡崎さんが、ちょいとヴァイオレントなリマスタリング・スパイスをふりかけてくれることで、「また EMIのもやもや録音…(とくにライヴ)」というのを救っているケースが多いように感じる。

岡崎さん成功例

 オイストラフのベートーヴェンはその例外で、1958年のアナログ録音であるが、これもけっこう悪くない、と記憶している(今回は試聴せず)。

 ということはあるにせよ、東芝EMI(=東芝音楽工業、EMIミュージック・ジャパン)ほど、消えてくれてよかったぁ〜、というレコード会社も、ほかにない、というのが正直なところだ。これはLP時代の思い出も大きく影響している。

 ほんとうに、所属した人たちには申しわけない、失礼な物言いになってしまうけれど…。
 それと、NO NOISEシステムやDGのO.I.B.P.を言葉を極めて難じる平林直哉のような人でも、なぜか日本のレコード/オーディオ評論家には、東芝EMIの“罪”を指摘する人が見当たらないような気がする。「政治」的な「利害」のにおいが、プンプンする。

 おっと ― 旧マスタリング盤の音について、まだ書いていなかった;;。
 原盤番号(上の写真の2シリーズからは、記載がなくなった)は「2YEA-4957&8」となっていて、これは英EMIでデジタル・マスタリングしてのではなく、東芝で行なった可能性が高い。
 同時期のDGの、《イギリス音楽傑作集》よりはずっと混濁しており、いいとはいえないが、TOCE-13313よりは高・低域、とくにバスの強調がなく、高弦も心なしか澄んでいて、音楽が楽しめる。

 ライナー・ノートは、新盤の満津岡氏のもよいけれど、旧盤の宇野さんのも丁寧に評価していて、いい。
 宇野さんは、『クラシックCDの名盤 演奏家篇』(文春新書)では、「バレンボイムという音楽家を見ていると、あり余る才能を湯水のように無駄使いしているように思えてならない」と、最近のバレンボイムの、とくに指揮活動には厳しいけれど、ライナーを依頼されたということもあるだろうが、的確に評価していて、そのディスクを安本弦樹さんが『クラシック名盤 この1枚』で掘り起こしている、というわけで、マイナーだが、いいCDです。

 プロデューサーは、スヴィ・ラジ・グラッブ。《イギリス音楽傑作集》のほうは、ギュンター・ブレースト。ふむ〜。

このところ買った、最後のCD群。

 あ〜‥‥疲れてるなー。とはいえ、3ヶ月続いた起き抜けのめまいが、パタっと、ほとんど消えた。
 血便は1回だけだったので、まだ内科には行っていない。今回は内視鏡検査はサボっとこうかと思っている。

 さて、しばらく音楽CDのことを全く書いていない。
 ここでまだ紹介していないCDは、3〜4月に買った(ほとんどオクである)6枚だけで、4月頭に買ったグレゴリオ聖歌でストップしている。
 そしてこの段階で、自分のCDライブラリーは、これ以上抜いても加えてもバランスが崩れる、という感触のものになってきている。
 吉田秀和『LP300選』(新潮文庫)(現行版『名曲三〇〇選』、ちくま文庫)を基本に、自分の好みを反映させた、「西洋古典音楽ベスト・ライブラリー」としてはなかなかいいんじゃないか、というところ。

 その6枚。
 まずは、ダニエル・バレンボイム指揮イギリス室内管弦楽団による2枚。

バレンボイム

 《イギリス管弦楽傑作集》(DG、国内盤)と、ドヴォルジャーク&チャイコフスキーの弦楽セレナード集(EMI、国内盤)。
 どちらも『クラシック名盤 この1枚』(光文社、知恵の森文庫)に、安本弦樹氏が感銘を述べている。

 セレナード集のほうは、ドヴォルジャークのほうがお勧めになっている。
 《イギリス管弦楽傑作集》のほうは、安本さんは、所収のウォルトンの2曲「パッサカリア:フォールスタッフの死」と「やさしき唇にふれて、別れなん」の2曲がよいので選んだとあり、「このレコードは私にとってかけがえのないものだが、しじゅう聴くのではなく、心が疲れてしまったとき、やさしい気持ちを取り戻したいと思ったとき、そっと聴くことにしている」と書いている。

 加えて、安本さんの注には、LPレコードのジャケットは、ウィンストン・チャーチルの描いた絵を用いていたことを記している(こちらの方のブログに両ジャケット併載)。
 リンクしたブロガーさんの記事にあるように、現行タワーレコード版はチャーチルの作品を別掲しているとのことだが、それには興味はないので、安く落札できたオク出品品を求めた。
 これはポリグラムの「ドイツ・グラモフォン・ギャラリー・シリーズ」の1枚であり、LPとも初出CDとも違う絵をジャケットにしている。

 バレンボイムのディスクとしては無名のほうで、ワーナーの復刻はすでに廃盤のようで、高騰したりしている。
 が、安本さんという人の感覚はほんとうに穏当かつ信頼できるものであって、この2枚、バレンボイムの隠れた名盤に間違いない。表現は、ロマンティックこの上なく、かつ繊細。
 バレンボイムは、大きな交響曲などばかりテーマに上がって、「ピアニストだった時は閃きがあったが、指揮者になってつまらなくなった」と言われがちなのだけれど、こうした小品の演奏に、キラっと輝くものがあり、安本さんという人は、その辺をよく聴いていて触れておられるのが、とても好ましく感じる。

 問題は、EMIの弦楽セレナード集のリマスター。このシリーズのもの(TOCE-13313)は、依然として岡崎氏の手になり、高・低音を強調し過ぎた上、高弦はもともとそうなのかもしれないが、歪みっぽく、美しさを殺いでしまっている。
 オクでは、旧盤で帯付きの国内盤が出てこないし、海外盤は早く姿を消しているようなのだが、HMVの中古に旧国内盤(TOCE-7214)の帯付きが、あまり安くないけれど出ていたので、即注文。
 両盤を聴き比べて、ましなほうを残そう。

DG

 その次は、DG輸入盤2点。
 ヒラリー・ハーンのパガニーニは、協奏曲第1番が手許にないので適当なディスクを、と探して、これにした。
 第4番と第5番はアッカルドの新盤(EMI)があって、この3曲が、それぞれとくに第1楽章のオーケストラ部分が立派で、好きである。
 その“立派さ”を、活かしすぎるくらいどっしりとかまえた大植英次さんの指揮です〜。

 ブーレーズ新盤のバルトーク:弦チェレは、この楽曲の手持ちが、ライナー/シカゴ響のみとちょっと淋しいので、という理由で。
 こちらは新品だった。両盤ともオクで格安。

グレゴリオ聖歌


 グレゴリオ聖歌というのは、かつてシロス修道院のCDだったかを1枚くらい持っていたかもしれないのだが、どうも生理に合わず、西洋古典音楽はマショーあたりからで、と考えていたのだけれど、ついに、「まあちょっと、アンソロジー的なCDがあっても」ということになり ― ということは、ほかに増やすもの、増やしたいCDがもうなくなり ― 2枚、落札した。

 皆川達夫氏なども推す、ソレム修道院のもの。
 テイチクのものはずいぶん古いCDで、「CDの扱い方」みたいなページがあったりする。
 レーベルは、テイチクがいろいろな音源から契約して出すときの、「オーバーシーズ・レコード」になっている。

 ブックレット末尾だけに、「マルC Association Jean-Bougler, Abbey Saint-Pierre de Solesmes」とある。「アソシアシヨン・ジャン=ブグレ(と読んでおきます;;)」とは何だろう、とググっても、よくわからないが、ソレム修道院の版権管理部門みたいなものかもしれない。
 ジャン・ブグレは、Wikipediaによると、16世紀の、同修道院復興に与って力のあった人、らしい…。

 キングのほうは、「世界宗教音楽ライブラリー」の1枚で、同音源の、「ハイパー・リマスタリング」盤(管球アンプ使用)もあり、オクではそちらのほうが安かったが、音にクセがある懸念から、通常盤(後出なのに、値上がりしている!)を求めた。
 キング盤のほうは、仏Musidisc原盤と記されていて、Musidiscは、アコール Accordにまとめられて Universal傘下に入ったので、海外盤では Accordレーベルのボックスもあり、キングのボックスも、そんなに出費しなくても入手できそうだ。

 ただ、私にはこの2枚で、もうお腹いっぱい、というか、たぶんあまり聴かないだろう。
 録音の時期・機会は異なるようで、テイチク盤がドン・ジャン・クレール師指揮、キング盤がドン・ジョセフ・ガジャール師指揮と、重なるトラックがないのがいい(ドン domは聖職者への敬称で、「師」に相当するから、こういう書き方はおかしいのかも)。

 さてさて。
 こんな次第で、クラシック音楽ライブラリー、完成でございます♪
 もっと欲しいものも、ないと言っちゃウソになるけれど、聴ける時間を考えると、聴く音楽のクオリティも重要だし、これ以上CDがあっても、「聴くんかいな?」というハナシにあいなる。
 これは、整理とリフォーム(=四肢に障害が残るので)のためにスペースをあけなくてはならない、弟の部屋の、膨大の上にも膨大なディスク・ライブラリーの山また山を見て、つくづく、「集め過ぎた趣味のもの」の厄介さと空しさを、もう激-痛感して思うところであります。はぁ〜あ。

初めてのケータイ♪

 先週から、お腹の調子が〜;;。日本酒飲むのを復活させているからかな。ノド越しのいい、激安酒だが、日本酒が体に合わないらしい。
 先週には、いちど鮮血が混じった。一昨年に出た時と似ている。ひどい〇痢の時の血便は、大腸がんという感じではない。
 が、2年ぶりになるので、夏の休める日に、内視鏡を予約しとこうかな〜。

 さて、病院や、入院中の弟と連絡を取ったりするという名目で、生まれて初めてのケータイ(=スマホ)を、購入・契約しました。
 勢いで、仕事に使うかも、ということで、タブレットも。

デジタル端末

 いずれもローエンド品。
 スマートフォンは、SAMSUNGの Galaxy A20(SCV46)(写真、前右)。SIMは UQモバイルにした。
 端末は一括払いにしたけれど、店頭購入だとウェブ購入の2.5倍くらいの価格になり、「たっかいですね〜」と言ったら、「う〜ん、頭金分、おまけしましょう」と、7,000円ほどまけてくれた。
 ケータイ、値切るのって、ありなのか^^?

 タブレットは、とくに要らないようなものだけれど、この機会に、と、中古で、ASUSの Zenpad 3 8.0(Z581KL)(SIMフリー。写真前中央)を買いました。
 仕事でも、Wifiのある場所で使うなら、SIMはないままでもいいだろう。私は、電車の中でネットを見る趣味は、い〜っさいないのである。

 店頭では充電器も高価なので、ヨドバシにUSBケーブルといっしょにひとつ頼み、スマホとタブレットを同時に充電できるようにした。
 USBケーブル(Cタイプ)は、データ移送にも使える。

 スマホは、文字入力がじ〜つにやりづらく、Wifiのパスワード入力がめ〜っちゃメンドウでした。
 いろいろ探ったり、設定するのは楽しく、こういうエレクトロニクス機器は、自分はやっぱり好きなんだなーと再確認しつつ、「こんなモンで、ナニすんだろう?」という印象は、まだあまり変わらない。

 Zenpadは、右(横にした時の)のスピーカーが劣化しているみたいで、音量が上がるとビリつく。これは初期不良とは言えないレヴェルだ。
 ヘッドフォン(4極ミニプラグで、いわゆる「ヘッドセット」が使えるタイプ。3極のステレオ・ヘッドホンでも聴くだけならOK)で聴くと、低解像度ながら音楽は聴きやすい、かな。
 勢いで、有線のヘッドセット:ナカバヤシ Digio2 MHM-STB28SL(← 見えにくーい場所に、超小さい字で記してある)まで買ってしまった(写真、左奥)。

 Zenpadの画面は、ノートPCに比べるとそれはもうサイズからしてプアだが、色あいは、現用PC(NEC VersaPro)が寒色傾向なのに対して暖色傾向で、なかなか美しい。
 あまり解像度の高くない YouTube動画などで、粗が見えにくいメリットがあり、ゆっくりとクラシックの映像などに浸るには、ノートPCよりこっちのほうがいいかもしれない、と思った。さすが“Zen 禅”。

 Zenpadは、8.0というのもあり、買ったものは、「3 8.0」なので、下位なのかと見えるが、じつは 8.0よりあとの機種で、メモリが4GBに倍増していたり、ちょっとアップグレードしているけれど、基本的には格安入門機だろう。それでも発売時(2016年秋?)には飛ぶように売れて品薄になった、と言っている動画もあります。

 画面左の、閉じたままの小型PCは、Microsoft Surfaceというやつらしい。「らしい」というのは、弟の書斎から、「充電とセキュリティのアップデートなどしておいてくれ」という依頼で持ってきているもので、ヒトのものなのでデスクトップは写してません(もう変えてますけれど^^)。
 これは中身は Windows 10で、まあいちおうパソコンなので、使い勝手はわからないではないが、ウイルスバスターの決済を勝手にするのもなあ、と avastを入れたら、ウイルスバスターが邪魔をしたのか、うまく入らなくなり、すったもんだして、ウイルスバスターをアンインストールして、avastにした。オーナーがいやだというなら、また変えないと。

 この Surfaceというやつ、電源アダプタのコネクターの本体側には、マグネットが内蔵されていて、アダプタがハズレにくいようにしているのだが、このマグネットが、机の上のホチキスのステープラーを吸いつけていた。

 まそんなところで、“初めてのケータイ”でした。
 同じ Androidのスマホを持っている知人に電話のをかけたところ、とくにスピーカー・ボタンをたたくと、いい音で鮮明に聞き取れた。
 ただ、顔を近づけて「近接センサー」が働いたためか、画面が消えてしまった。こうした「おせっかいサービス」が、携帯機器には多いので、慣れるのがタイヘン。

 このところ、テレビはないので見ないけれど、ゲストが、携帯やパソコンで「リモート出演」しているネット番組を見ると、音質が悪いものが多く、あるいはラジオだと生番組中 切れることも多い。
 まだまだ「リモート〜」、「テレ〜」の環境が整っているとはいいがたい、というか、モバイル機器とモバイル・サービスって、音がわっるいなー、というのが、コロナ禍以降、見えてきたんじゃないだろうか、とも思う。

 という次第ですが、こんなデバイスを電車の中でず〜っと見るなんて、どこが楽しいんだろうねえ。
 ついでに、弟の部屋で、久しぶりに「テレビ」というやつも見たけれど、これまた「どこが面白いんだろう」なシロモノでありました。

 ケータイを持つと、携帯番号を持つので、メルカリなども登録できるようになるが、そうなった現時点、もう欲しいCDなどもないのである。
 音楽CDの記事は、書きたいのにほかのトピックが多くて書けていない。4月初めに、1枚も持っていなかったグレゴリオ聖歌のCDを2枚買い、これでだいたい「西洋音楽史ライブラリー」は、完結したな、というところなのであります。

 さて ― 家のネットは、家賃に込みの J:COMのケーブルなのだが、基本 デムパがキラいな(笑)私としては、ワイヤレスは無効にしていた。
 今回、それを有効にして、スマホ、タブレット、Suefaceとも、これでネット接続したのだが、5GHzのほうでスマホやタブレットをつなぐと、それが原因かわからないけれど、有線で接続しているノートPCのほうで、YouTube動画のダウンローディングなどが急に遅くなった。

 あれれ、と思って、5GHzを無効にし、2.4GHzを使って、それも「電波出力 低」に設定した。

ケーブルTVモデム設定

 またもやパスワードの入れ直しでフウフウ言ったけれど、そうするとまた有線LANもサクサク動いた。気のせいでしょうか。

東京高検黒川検事長退官記念マスク

 来ました。「アベノマスク」改め「黒川弘務東京高検検事長退官記念マスク」。
 3月頭の休校宣言から、もう80日、だよ。

アベノマスク

 もとより、不織布マスクより機能は落ちるので、使用するつもりはない。

 さて、ここに来て、何だか今度は政権に逆風的にシンクロして起こり始めた珍事。
 せっかく政権側が、ゴリ押ししてでも通そうとしていた特定検事の定年延長、その特定人物が、みごとに“不祥事”を起こして辞職し、「なんだったの、あのゴリ押しは?? 」になってしまった。

 この件に関しては、いろんな論が出ていて、政権との関係は置いといて、黒川氏の所業に関しては、とりあえず、こんな指摘

問題点

がある、そんなところ?

 ニュース映像では、こんなところ↓(後記:一つ動画が削除されたので、それは埋め込みも削除した。6.7)



 黒川さんの件に関しては、森法相が、「大震災で検事が逃げた」だとか、さんざんな醜態を国会でパフォームした挙句、本人の、失態、醜態というよりは笑態という為体で終末を迎えた(この件そのものは、これから始まるといってもいいが)のは、ある種、おみごと。

 もしかしたら、黒川氏は、「確信犯」でこの時期に賭け麻雀をやり、それとなくリークさせた、ような気がしないでもない。
 このまま安倍内閣の操り人形として(と見られて)定年延長を受け入れて過ごしたら、あの佐川さん以上のバッシングを受けそうだし、意思表示として「辞めます」というのも、安倍政権に「反逆」するような形になるし、ではいっそのこと、いつもやってる(ブッ w )アレで、と考えたのかも。

 もっとも、今回の件で安倍一派はたいへんな損失を被るから、「罰」があってもよさそうなのに、訓告処分にとどめ、6〜7千万円といわれる退職金はそのまま支給される、という部分が、ちょっとわからない‥‥ので、内情は違うのかも。

 賭博は立派な触法行為ではあるけれど、現行犯でもないかぎり逮捕・起訴は難しい。前川喜平さんのガールズバー訪問は、何ひとつ触法しないけれど、ウヨどもに「この買春官僚!」と言わせる原因になっているのに対して、賭け麻雀なら、芸能人のようにいずれ“昔の悪戯”ですませられるし、よく言われるように、黒川さんは意外に人づきあいのいい気さくな人物だ、という「評判」を下支えするエピソードにもなる‥‥のだが。

 でも、まあ 有権者クオリティだよねー、ニッポン。

 このことで、YouTubeを見ていたら、あの マドモアゼル・愛=伊藤一夫氏の発言が、なんか超-マトモで、だよなー、な感じなのだ。



 そうそう、黒川検事長退官記念マスクであるが、不良品検品に8億円をかけている、という話。
 この8億円って、466億円のほかに費消している予算なのだろうか?

ウイルス、って何?

 期待したとおり(大笑)、10万円一律給付の、実振込みは6月中旬以降になるらしい。
 3月前半の学校休業要請から、けっきょく3ヶ月はノーケアだった、ということになる。

 これでも、「安倍内閣の支持率は44.1%で前月より5.1ポイント上昇した。不支持率は41.9%と前月より2.4ポイント下がり、支持が不支持を上回る結果となった」そうだ(FNNプライム)。
 今日(5月13日)朝のニュース。ぼつぼつ給付申請やマスク到着がある時期に、フジサンケイ。なんか見えてる気はするけれど(糞笑)。

 マスクはまだ届かない。
 いや、マスクだから遅れたのは言うまでもない、わかりきったことだ。
 給付金のほうは、過疎地域ではお年寄りに現金で配ったらしいけれど、だいたいの地域では振り込みになるから、マスクのように、カビや髪の毛が付着するはずがないのである。
 それを、「現物」、それも「現物給付」でいう「現物」でもなく、もろ実際の「現物」を、拙速に全国民に配ろうとしたら、こういうトラブルが起きないはずはない。

 こういうことがわかっていない人たちが「上のほうにいる」のは、なんか「安全保障」上とかでも、マズい気がする。
 経済的支援・給付についても、今回のものは「災害対策」であるのに、「経済政策」、「景気対策」と、根本的な次元で完全誤解している人たちが「上のほうにいる」のも、たいへんなことだ。

 さてさて。
 ウイルス、というものについて考える‥‥知識はないので、ネットを渉猟してみると、面白い。

 まず、フェイクなハナシで恐縮だけれど、携帯の 5G電波が、今般の新型コロナ・ウイルスを誕生させたという話が、出た(まあまあ)。

 トーマス・コーエン博士なる人物(実際には、Thomas Cowanなので、コーワン、とすべきか)。
 このコーワン博士が、スペイン風邪はラジオ放送の普及時期に蔓延し、次の香港風邪の蔓延はレーダー機器の普及期に当たり、こうした、地球表面環境の電磁場状態の変化が、人の身体の解毒作用から、ウイルスが毒素を排出する残滓として出てきたものだ、という説である。

 すでに、元となった YouTube動画は検索に引っかかってこなくなっており、Googleで検索すると、「Viral video claiming 5G caused pandemic easily debunked」というような“フェイクニュース火消し”ページが、山のように出てくる。

 私も個人的に、このコーワンなる博士の、5G=コロナ原因説は、どうも無理の大きすぎるフェイクだと思う。
 が、この人が、シュタイナー(ルドルフ・シュタイナー)が、「ウィルスは単純に、我々の細胞の有毒な排泄物です。ウィルスは我々のDNAやRNAの破片がいくつかのたんぱく質と共に細胞から排出されたものなのです」と言ったとしていて、これを根拠に、「パンデミック・ウイルス=細胞残滓説」を展開しているのは、ものすごく面白かった。

 上引の“火消し”サイトでは、まず、スペイン風邪流行の1918年には、まだラジオ放送は始まっていないことを指摘している。
 実際に、ラジオ放送は1919年12月から、1920年代に普及していて、そのとおりである。

 そして、「"Viruses are not just debris," said Jason Kindrachuk, a virologist …」と、これまた“権威者”の言を以てシュタイナー説を否定させているが、こちらのほうは、そのエヴィデンスは何なんだろうか、となると、「ウイルスは人の体外に存在して人に感染する病原体だ」というところから、シュタイナー説に対する反証は読み取れないのである。

 ウイルスが「人体内で“発生する”」という考え方・言い方は、映画『ブレードランナー』中、合成人間(?)レプリカントのバッティが、自身の延命に関して、タイレル博士に聞いた時、博士が、「突然変異を起した細胞は有毒なビールスを創出した、被験者は即死だ」と答えて、延命の方法はないことを告げる場面に見える。
 原語版(らしきもの):「it created a virus so lethal the subject was dead before it even left the table.」
 ウイルスは旧式に「ビールス」、英語版ページ・タイトルが「Burêdo rannâ」なのはご愛嬌として、“created a virus” ― さすがリドリー・スコット、いや原作者フィリップ・K・ディックの表現なのかな〜、なんて、両方ともファンでもないのに感嘆した次第。

 もうちょっとマトモな先生方の、「ウイルスとは何ぞや」を探ると ―

 『朝日新聞』、こちらの記事の、福岡伸一氏の見解、無料公開部分。
 「ウイルスたんぱく質と宿主たんぱく質とにはもともと友だち関係があったとも解釈できる。‥‥(中略)‥‥それ(感染=引用者)は宿主側が極めて積極的に、ウイルスを招き入れているとさえいえる挙動をした結果である。」

 より一般的な説明では、こちらの YouTube動画↓


 名古屋の塾の、倉橋 修先生という方のもののようだ。これはわかりやすい。

 神保哲生氏の番組に出ている、武村政春氏の話もわかりやすい、こちらは今回のコロナから切り出す↓



 また、山内一也『ウイルスと地球生命』(岩波書店。時節柄か、稀覯本になっているようだ)の内容のまとめ紹介もわかりやすく、こうした基礎的説明を読んでいくと、ウイルスの遺伝子がかなり、我われ生物の進化に関わってきたことがわかる。
 我われもそうである哺乳類が、胎生を行なうようになることができたのも、ウイルスの影響であるらしい。
 動植物も含む、真核生物は、ウイルスが古細菌に感染して誕生した、という起源説は、かなり有力らしく、我われのご先祖は、バイキン+ウイルスの業務提携で始まった、らしいのである(なんと!)。

 リドリー・スコット監督は、代表作 『エイリアン』シリーズで、“人類の起源”に遡る物語を創るに至ったのだが、この中の「エンジニア」やエイリアンを、「ウイルス」に読み替えると、むしろ事実はSFよりも奇なり、という色合いも帯びてくる。

 もうひとつ、ラヴクラフトの「クトゥルー神話」に登場する、「古きものども」
 この「古きものども」が、人類の進化を促した、というこれまた壮大な人類史説を創造し、これを軸足に置いた、ある種SF小説で、ある種 教養小説でもある、コリン・ウィルソンの『賢者の石』(創元推理文庫)。
 これはもう、ヴォーン・ウィリアムズに始まり、トーマス・トラハーンも登場する、豪華絢爛壮大無比の名作だけれど、この作中の「古きものども」の役も、じつはウイルスの役割に合致してくるような感じだ。

 『賢者の石』(原題は、Lapis Philosophorumではなく、The Philosopher's Stone)については、また書きたいことがいっぱいある(未消化;;)のだが、当エントリはこの辺で。
 さて ― デムパが健康に障害…説にこだわるわけではありませんが、とりあえず、ケーブルTVモデムの無線機能は停止しております(笑)。
 携帯電波、とかの問題についても、また別記事にて。

蟄居中の読書

 依然 蟄居中なれど、「活字中毒」のむしろ反対のほうなので、パソコンとオデオにばかり時間を費やす‥‥といって、そう長時間 音楽を聴く気力も持たない。

 が、今日は、モーツァルトの交響曲第38番『プラハ』を、アバド/オルケストラ・モーツァルト(Archiv)で聴き、ちょっと時間をおいて、マーラーの交響曲第8番『一千人の交響曲』を、小澤/ボストン響(PHILIPS)で、珍しく全曲通して聴いてしまった。
 モーツァルトは CD5000、マーラーは C-7030で。

 反-活字中毒人間ではあるが、これほど時間があると、さすがにちょっとは読もうという気になる。

蟄居中読書

 右端。ドイツ生まれでアメリカで執筆した、プロテスタント神学者、パウル・ティリッヒ Paul Tillichの、『キリスト教徒仏教徒対話』(丁野政之助訳、桜楓社[おうふうしゃ])。
 もう何(十)年前に買ったのか‥‥昭和49年刊の本だけれど、これで再刊らしく、原著は1963年刊で、1960年の来日経験が取り入れられた講演録である。
 桜楓社は、こういう本を出すタイプではなく、国文学研究書の専門出版社のはずだ。この本、日本の出版物につきものの、ジャケットカバーがなく、買った時点で表紙がちょっとヘタっていたうえに、長年の積ん読でさらに汚れている。

 ティリッヒは、キリスト教のユニヴァーサルな側面を基調に発言し、ということはヒューマニズムだとかデモクラシーだとか、そういう方面の言及も多いようで、いっぽうで深層心理学の C.G.ユングとの連関が研究されたりする。
 この本では、他宗教に加えて、「疑似諸宗教 quasi-religions」とキリスト教徒の関係への議論が重視される。この疑似諸宗教というのは、共産主義やデモクラシー、リベラリズムなども含まれる。

 訳者「あとがき」に、「技術革新と、宗教的無関心という世俗主義の侵略が進行している顕著な例として日本をティリッヒはあげ、第二次世界大戦の終結によって征服者から与えられた民主主義は、自国の伝統的な宗教の中にそれを受け容れる精神的基礎を日本人は欠いているといっているが、日本においてキリスト教と同ように健全な議会制民主主義が果たして不毛であるかどうかはこれにかかわる日本人の意志と行動とその歴史的結果にまたねばなるまい」とある。

 これは、第三章の「キリスト教徒と仏教徒の対話」の末尾の提起することがらだ。
 キリスト教圏=欧米では、「(他と分離された)個人 individuality」こそが「交わり community」を可能にするが、仏教圏≒日本では、そうは考えられていない、したがって、そのような社会では「民主主義はなんらの根を有していない」(78頁)という指摘になる。
 訳者が「歴史的結果にまたねばなるまい」という、その「結果」は、刊行後半世紀を経て、ある種 明瞭である‥‥右も左も同調圧力、という、ティリッヒの指摘そのまま。

 真ん中は、自分で買ったのではなく、ちょっと事情があって入手した(というか借りている)本だ。
 リベラル憲法学の重鎮、樋口陽一氏の『リベラル・デモクラシーの現在』(岩波新書、2019年12月)。
 従来の「リベラル、リベラリズム」が、「イリベラル illiberal」=反リベラリズムと、もうひとつ、おなじみの「ネオリベラル(新自由主義)」の双方からの侵攻にさらされて危機に瀕している、というのが基調である。

 本書の重要点ではなく、むしろ私が憲法というようなものに関して、あまりに無知であるゆえ、「へぇ、そうだったのか」と気づいたのは、著者にしてみれば傍証的ことがらなのだろうが、伊藤博文の「憲法ヲ創設スルノ精神ハ第一君権ヲ制限シ第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ」だった。
 「一八八九年体制下の帝国議会がいかに活力ある言論活動をしていたかということは、近年の国会状況からは想像もできないくらい」だったそうである(27頁)。1889年体制下というのは、当然 明治帝国憲法下、ということである。
 あと、小冊子なので、興味のある方はご自分で読んでください。

 3冊目は、『日本財政』(岩波新書)、『財政赤字の淵源』(有斐閣)と読んできて、この著者が一般向けに上梓した本はけっきょく3冊とも読むことになった、井手英策氏の『経済の時代の終焉』(岩波書店、2015年)。
 やはりこの作品も、いつも流暢・能弁な「あとがき」(笑)に比して、本文は読みやすくない。
 が、『財政赤字の淵源』で感じたような論理矛盾(それゆえ、Amazonレビューで☆2つにした)を感じさせる記述も見当たらないし、自身の提言的な見解を述べた終章「経済の時代の終焉」は、歴史的な叙述部分の第4章までよりも読みやすい感じはした。

 この本でも、著者の財政・税制論は、ユニヴァーサリズムであり、全てから徴税し、全てに給付・再分配することを旨とする。
 が、終章で、急に「経済の終焉」、「階層間の分断の克服=社会統合(199頁)」を提示されても、これはなかなか簡単に説得力を持ちうるとはいいがたいように思う。

 この本で印象的だったのは、OECDの『Growing Unequal?』を基に作成したとする、「税を通じた不平等の改善度」と「給付を通じた不平等の改善度」(154〜155頁)の図だ。
 両図で、「不平等の改善度」=再分配による格差是正は、諸国間で日本は最悪か最悪に近い

 さてさて‥‥パウル・ティリッヒが1963年に言っていたことが、どう「結果」しているか。
 樋口、井手両氏説と、昨今の政府、国会のありようを見て、如何?

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